その7 燃える町
意外なことに先にそれに気が付いたのはヘンリッキの方だった。
宿屋の部屋数の関係でカイと同室になったのだが、神経質な彼は知らない人間と一緒の部屋で寝付けなかった。
当然カイは気にせずぐっすりと眠っている。
昨日は大勢の乗客と一緒に板の間で雑魚寝していたカイだ。
今更ヘンリッキが気になって眠れないなどということはありえない。
ヘンリッキは寝付けない気持ちを紛らわせるため少し窓を開けた。
そこで偶然彼らを発見したのだ。
「ゴ・・・ゴブリン?!」
ヘンリッキは驚きのあまり思考が停止してしまった。
ぼんやりと町を徘徊するゴブリン達を見つめている。
彼の声に宿屋の近くにいたゴブリンが気が付いた。
ゴブリンは腕を振ると何かを投げるように・・・
そこでヘンリッキは背後に引き倒された。
彼の額を掠めるように何かが飛び、部屋の奥の壁にぶつかって大きな音をたてた。
部屋の床に転がったのは握りこぶし大の石だった。
ゴブリンは投石器を手に持っていたのだ。
あのままだとこの石に頭をかち割られていた。
間一髪で命が救われたことに気付き青ざめるヘンリッキ。
ヘンリッキを救ったのはカイだ。
ヘンリッキの声は外のゴブリンだけでなく、隣で寝ていたカイの耳にも入っていたのだ。
カイは目を覚ますと周囲を確認。窓にヘンリッキの姿を見付けて状況を把握するや、咄嗟に彼の襟首を掴んで窓から引き離したのだ。
カイはヘンリッキを跨いで窓に近寄ると素早く外を確認する。
流石に驚きに目を見開くと自分の荷物に駆け寄る。
「カイ! 外にゴブリンが!」「うん。今確認した。町に火を放っているね。」
カイの言葉に驚くヘンリッキ。
そういえば夜にもかかわらずゴブリンの姿がハッキリと見えたことに今更ながら気が付いた。
燃えている建物の明るさで見えていたのだ。
「僕は奴らを倒してくる。ヘンリッキはサーラを起こして。」
カイに言われてヘンリッキはサーラのことを思い出す。
ヘンリッキは慌てて部屋を飛び出す。
火事に気が付いた人間が他にもいるのか、急に辺りが騒がしくなる。
ヘンリッキは隣のサーラの部屋のドアを乱暴に叩く。
「サーラ! サーラ! 起きて!」
そうしている間にも外から悲鳴が聞こえる。
あちこちから明かりが漏れる。
どうやら燃えている家は一軒ではない様子だ。
「起きているわ! どうしたの?!」
サーラの声にほっとするヘンリッキ。
「町が大変なんだ! ゴブリンに襲われている! 町は火の海だよ!」
カイが杖を手に宿の外に出た時には通りはあちこちの火事で照らされて夕方のような明るさだった。
「さてどうしたものか・・・」
魔王軍の中では下位の魔人に過ぎないゴブリンだが集団になった時は意外と厄介だ。
ステータスは身体能力寄りとはいえ、簡単な魔法くらいなら使える。
兵士として見た場合、むしろ優秀と言っても良い。
昔は何度も戦闘で苦労させられたものだ。
今、一匹のゴブリンが窓の鎧戸をぶち破って建物の中に侵入しようとしていた。
カイは手にした杖を向けると一声叫んだ。
「礫!」
パン!
杖の先で何かが弾ける音がしたかと思うと、拳ほどの大きさの土の塊が飛び出した。
建物の延焼を考慮して今回は火属性の魔法ではなく土属性の魔法を選んだのだ。
だが、もしこの場にサーラがいたなら眼を剥いて驚いたことだろう。
マジックアイテムは一つの属性しか組み込めない。
それが常識だからである。
土の塊は弾丸のように飛ぶとゴブリンの脇腹に命中。ゴブリンはもんどりうって地面に転がった。
うめき声をあげて身悶えする仲間にゴブリン達が一斉に振り返る。
カイは彼らに見つからないように素早く建物の影に身を隠す。
どうやらこのマジックアイテムは魔法の連打が効かないようである。
カイは場所を移すとまるでスナイパーのように死角から再びゴブリンに攻撃を加えるのだった。
装備を整えたサーラが宿屋から駆け出してきたのはそれからすぐの事である。
「昼間の魔獣に続いて今度はゴブリン?! 一体どうなっているのよ!」
その時サーラの脳裏に最悪の予感がよぎる。
もしやすでに儀式とやらが成功して魔王が復活しているのではないか、というものである。
だがサーラは頭を振って自分の考えを頭から追い出す。
もしもそうだとしたらすでに王女の命は失われているということになる。
そんな事実はそうおいそれと受け入れられない。
それに今はそんなことを考えているより目の前の敵を倒す方が先決だ。
女性の悲鳴が上がる。
サーラの視線の先で一匹のゴブリンが今まさに女性の髪を掴んで家から引きずり出そうとしていた。
ゴブリンの手にはべっとりと血の付いた大きな剣。
本人も返り血を浴びて真っ赤に染まっている。
女性の家族の血であることは間違いあるまい。
「その手を離しなさい!」
サーラはかっと頭に血が上ると剣を掲げてゴブリンへと襲い掛かる。
炎を反射してサーラの剣戟が光る。
「ギギギッ!」
サーラの剣はゴブリンの胴体を捉えたが致命傷には至らなかったようだ。
サーラの持つ剣は細身の剣。彼女はその剣で相手の急所を突いてダメージを与える。
ゴブリンは痛みに女性の髪を離すと復讐の怒りに燃えてサーラへと襲い掛かる。
サーラは咄嗟に握り込んだ左手をゴブリンに向ける。
左腕には重厚な籠手が装備されている。
もしや盾の代わりにこの籠手で相手の攻撃を防ぐつもりだろうか。
いや、彼女の手には何か小さなものが握られている。
これはペーパーナイフだ。
「我が願いを聞き届け汝の威光を示せ! ライトニングストライク!」
サーラの詠唱が終わるとナイフが光り青白い雷が発生した。
まるで青白い蛇のようにのたうつ雷はゴブリンに直撃。
ゴブリンは絶叫すると立ったまま青白い炎を上げて燃え出した。
当然即死である。
サーラの左手に握られていたのは雷のマジックアイテムだったのだ。
毛の焼けるイヤな匂いが立ち込める中、サーラは呆けたように立ち尽くしていた。
命のやり取りから解放されたことで虚脱状態に陥っているのだ。
「サーラ、建物の近くでそのマジックアイテムを使うのはマズイよ!」
慌てて走ってきたヘンリッキの声にサーラはハッと我に返る。
そんなことはヘンリッキに言われるまでもないことだ。
だが初めての実戦につい慌ててマジックアイテムを使ってしまったのである。
「あんたが遅いのがいけないのよ! グズグズしないで次に行くわよ!」
結局サーラは素直になれずに憎まれ口を叩いて走り出す。
ヘンリッキは慌ててゴブリンに襲われていた女性の安全を確認するとサーラの後を追いかける。
「へえ、彼女雷のマジックアイテムを使うんだ。あれって結構制御するのが大変なのに凄いな。多分お父さんより才能あるんじゃない?」
この様子を離れた建物の影から見ていたカイは感心していた。
危ないようならここから狙撃するつもりでいたのだがどうやらその必要は無さそうだ。
「礫!」
杖から放たれた土の弾丸がまた一匹のゴブリンを葬る。
「ゴブリンの群れといい腐肉喰らいといい、今回の件に関わっている魔族はなかなか用意周到なヤツのようだ。」
カイは油断なく辺りを警戒しながらそんな考えにふけるのだった。
この日の夜、この小さな町はゴブリンの群れに襲われた。
ゴブリンは警備の自警団の男達を殺すとまんまと町に侵入。
全く無警戒に寝静まる町をゴブリン達は悠々と練り歩き次々と建物に火を放った。カイ達が早めに気が付いて対処したものの、延焼も含めて町の家屋の3割近くが焼失した。
犠牲者の数は住人の半数近くに及んだ。
その中にはたまたま当日町に入った乗合馬車の乗客も含まれる。
町は完全にその機能を失い、住人は近くの町に避難することになった。
その混乱の中、三人の少年少女が馬に乗って町を出たが、そのことに気が付いた者はほとんどいなかった。
次回「馬上の三人」




