その5 腐肉喰らい
乗合馬車の旅も二日目。
今は休憩時間。
痛む尻をさすりながらヘンリッキが馬車から降りてくる。
流石に若い二人だけに、サーラもヘンリッキもすでに馬車の旅に慣れつつあるようだ。
サーラは腰に手をあてて伸びをする。
「ねえ、本当にこんなにのんびりとしていていいのかしら。マーリア様は今も私達の助けを待っているかもしれないというのに。」
ヘンリッキがうんざりした顔になる。
どうやら昨日の夜、宿泊した宿でも散々不満をこぼされたようだ。
「三人で馬で行ってもさほど時間は変わらないよ。どうせ乗合馬車で行っても明日には着くしね。」
民間で手に入る馬は農耕馬や荷駄馬と呼ばれる小柄ながっしりとした馬だ。
騎士団が使うような大型の早駆けの出来る馬ではない。
そのため、馬を乗りつぶす勢いで乗るか、夜を徹して移動するとかしなければ到着時間はそれほど大きくは変わらないのだ。
そのわずかな時間が王女の生死を分けるかもしれない、とサーラは考えているのだが、カイはそこはそれほど心配はしていなかった。
「儀式というものはそう簡単に出来るものじゃないんだよ。だからまだ時間に余裕はあるはずさ。」
「そんなの誰にも分からないじゃない! もしかしたら今日にでも儀式を始めるかもしれないわ!」
「ちょ・・・サーラ! みんなに聞こえちゃうから!」
大声を上げてカイに詰め寄るサーラを慌ててヘンリッキが止める。
ニャーン。
その時不意にカイの表情から笑顔が抜け落ちる。
突然のカイの変化に戸惑うヘンリッキ。気を悪くしたにしては不自然すぎる。
「分かった。でもどうしてこんなところに・・・。みんな! 足元に注意して!」
大声を出して揉める三人を遠巻きに見ていた乗客に対して、カイは大きな声で注意を呼び掛ける。
訳も分からず顔を見合わせる乗客達。
カイは舌打ちをすると馬車に飛び乗る。
「ちょとカイ、どうした・・・うわっ!」
カイに自分の荷物を投げ渡されて驚くヘンリッキ。
「武器を構えるんだ! 早く!」
カイの剣幕に目を白黒させるヘンリッキ。だが戸惑うばかりで動かない。
サーラはカイの様子に驚きながらも腰の剣を抜く。
剣を構えるサーラの姿を見て悲鳴を上げる乗客達。
「ちょっとあんた達」「下がって!」
御者が慌ててサーラに声を掛けるが彼女の剣幕に言葉を失くす。
「あなたは護衛の人と乗客を守って!」
乗合馬車には護衛が一人付いている。有事の際は御者も剣を取って護衛に加わる。
だが基本的には護衛は乗客間のトラブルを防ぐために雇われている。
貧乏な乗合馬車を襲うような盗賊はいないからだ。
同じ犯罪を犯すなら商人の馬車を襲う方が実入りがいいし、乗合馬車を襲って付近の住人に恨まれれば国に通報される恐れがある。
盗賊だって奪ったものを金に換えてモノを買わなければ生活出来ないのだ。
「カイ! 一体何が・・・」
「来るよ!」
サーラの言葉にカイの警告が重なる。
不意に彼らの足元を振動が襲う。
地震か? いや、違う。
轟音と共に地面を割って現れたのは大型トラックほどの巨大な黒い塊。
うっすらと毛の生えたブヨブヨとしたナマコのような姿だ。頭部には長い触覚が生えている。
「腐肉喰らいだ! 注意して!」
「これが腐肉喰らい・・・。」
サーラがぼんやりと呟く。
腐肉喰らいは魔獣と呼ばれる魔王の先兵だ。
普段は土に潜んで獲物が近付くのを長い触覚で探っている。
魔王軍は21年前、これら腐肉喰らいを主要な街道に放っていた。
それは例えて言うならばドイツのUボートによる通商破壊戦のようなものだ。
第二次世界大戦中、ドイツは自国の潜水艦、Uボートを大量に大西洋に展開。連合国の商船を攻撃することで物資の輸送を妨害した。
水面下からのUボートによる突然の魚雷攻撃に連合国は手を焼いた。
魔王軍の場合も同様に街道の往来を阻害することでかつては多くの被害を生み出していた。
「うわああああっ!」
魔王の恐ろしさは今でも国中で語り継がれている。
そうでなくても巨大な魔獣の恐ろしさに平気ではいられなかったのだろう。
一人の乗客が我を忘れて逃げ出した。
「いけない! 走ってはダメ! 腐肉喰らいは動く物に反応するのよ!」
サーラが学園で学んだことを思い出して叫ぶが時すでに遅し。
腐肉喰らいが男の叫び声と動きに反応して襲い掛かる。
その巨体からは想像もできない素早い動きに誰も反応できない。
いや、一人だけ反応してる者がいた。
カイは手にした杖を腐肉喰らいに向けると一声叫んだ。
「炎!」
パン!
杖の先で何かが弾ける音がしたかと思うと、拳ほどの大きさの炎の塊が飛び出した。
炎の塊は弾丸のように飛ぶと腐肉喰らいの体に突き刺さり、その肉体を中から焼いた。
焦げ臭い匂いがパッと辺りに立ち込める。
あの杖はマジックアイテムだったの?!
サーラは驚愕に目を見開く。
よく見れば杖の先端の輪が開いている。
杖そのものではなく、あの先端部分がマジックアイテムなのかもしれない。
マジックアイテムは非常に高価だ。
あんな崩れかけた屋敷に住んでいるような少年が持っているとは誰が想像できるだろうか。
グモオオオオオオ
身をよじって苦悶の声を上げる腐肉喰らい。
「今のうちに退避を! サーラとヘンリッキは腐肉喰らいに止めを刺して!」
命からがら逃げだす乗客達。
だがサーラとヘンリッキは今も暴れる腐肉喰らいの巨体に恐れをなして近付くこともできずにいる。
「止めって・・・どうやって?!」
悲鳴のような声を上げるヘンリッキ。サーラも同じ気持ちだ。
カイはしばらく辺りの様子を伺っていたが、後続の魔獣の姿が無いと見ると杖を放り投げ、ヘンリッキの元へと駆け寄る。
高価なマジックアイテムをためらいもせずに投げ捨てるカイに驚きを隠せないサーラ。
「少し借りるね。」
「あっ・・・」
カイはヘンリッキから槍を取り上げると腐肉喰らいへと素早く近付く。
腐肉喰らいの巨体が大地を叩く度に激しい振動と砂埃が舞い上がる。
迂闊に近づけばフルプレートの騎士ですらペシャンコに潰されてしまうだろう。
だがカイは恐れる様子もなく、流れるような動きで腐肉喰らいの首の根本に槍を突き立てた。
・・・・・! ズシーン!
それはあっけない最後だった。
腐肉喰らいはビクンと痙攣したかと思うと力を失い、轟音を立てて大地に横たわった。
えっ? もう終わり? 恐る恐る様子を伺っていた乗客達はあっけに取られる。
そんな中カイは引き抜いた槍を軽くしごくとヘンリッキへと向き直る。
魔獣の黄色い返り血を浴びたカイに怯えて腰が引けるヘンリッキ。
「芯もぶれていないし良い槍だね。」
カイはそんなヘンリッキに借りていた槍を返すと馬車へと歩き出すのだった。
カイが魔獣の返り血を浴びた服を着替えて馬車から出てくると、周囲のざわめきはまだ収まっていなかった。
魂が抜かれたようにぼんやりとこちらを眺めるサーラとヘンリッキにカイは首を傾げる。
「どうしたの?」
「どうしたのって・・・。何でそんなに平気なんだよ。」
ヘンリッキが拗ねたようにカイに尋ねる。
「平気って・・・。ああ、結構大きめの腐肉喰らいだったね。こんなに大きいのは珍しいよね。」
腐肉喰らいは魔王軍の中でも雑兵の部類に入る。腐肉喰らいが厄介なのはあくまで非戦闘部隊に奇襲をかけてくるところだ。
当時の騎士団にとってみればさほど恐れる相手ではなかった。
「そんなことよりさっきの魔法だけど・・・」
「それより気を付けた方がいいよ。」
カイはサーラの言葉を遮ると、乗客達に聞かれないように小声で話す。
「こんな場所に今更魔獣が出るなんてどう考えても不自然だ。邪神教団とやらには多分魔族が関わっている。」
次回「襲われる町」