その3 イソラ村のカイ
ここは王都の難民街の一角。そこに建つ古びた屋敷。
サーラは父親から聞いたカイを尋ねてここまで来た。
彼女はまだ知らないが、カイはかつての勇者である。
勇者は公式には戦場で死んだことになっている。
カイがこんな場所で世捨て人のような生活を送っているのは、その辺りに理由があるのかもしれない。
「白湯ですみません。お茶なんて高価なものはこの家に無いもんで。」
そう言うとカイは不ぞろいなカップを客の前に並べる。
ヘンリッキは一瞬ちらりと目をやっただけで後は見向きもしない。
やはりカイはただの平民ではない。
サーラは心の中で呟く。
彼女も学園で平民の知り合いが出来て知ったことだが、平民はそもそもお茶の存在すら知らないのだ。
当たり前のようにお茶という言葉が出ること自体、カイが貴族の生活を知っているということを意味する。
「ズボンは今干しています。シミは綺麗に取れましたよ。帰る時に渡しますね。」
ここでカイは部屋に白猫がいることに初めて気が付いた。
「ヴァルコイネン。ちゃんとお客様に謝ったのかい?」
猫の名前はヴァルコイネンというらしい。無駄に偉そうな名前である。
ヴァルコイネンは、当然、と言うようにニャーンと鳴く。
「謝ってなんかないから。」
「ニャゴッ?!」
「・・・ヴァルコイネン。」
ヘンリッキの言葉に、バ・・・バカな、といった顔で振り返るヴァルコイネン。
カイは呆れ顔である。
「それで? こんなところまで僕に何のご用でしょうか?」
カイはカップの白湯を一口飲むとサーラ達に問いかける。
「その前に自己紹介を。私はサーラ・クリストフ。彼はヘンリッキ。共に騎士団の親を持つわ。」
「ちょ・・・僕も家名を付けて紹介してよ。僕はヘンリッキ・キルヤリンタ。僕の親は王国騎士団長だ。」
騎士団長の息子ということに驚いたのかカイの目が丸くなる。
鼻高々なヘンリッキに対し、心の中で溜息つくサーラ。
彼女は学園で様々な立場や身分の人間と交わるうちに、親の威光を鼻にかける行為がいかに幼稚なことであるか身をもって学んだのだ。
「騎士団のクリストフって、もしかして君のお父さんはアダムス・クリストフさん?!」
「父を知っているのね。」
カイはサーラの家名に驚いただけだったようだ。
思わず椅子からずり落ちそうになるヘンリッキ。
「クシシシシッ。」
そんなヘンリッキを見て、まるで笑っているような奇妙な鳴き声で鳴く白猫。
「いやあ懐かしいな。クリストフさんには昔お世話になったよ。あの人まだ髭を生やしてるの?」
「ええ、そうだけど・・・あなた本当に父のことを知っているのね。」
嬉しそうに話すカイに感心したように答えるサーラ。
「そうかぁ、あの人ベッド・・・ゴホン、女性にキスする時にくすぐったがられたから髭を剃ろうか悩んでたけど、結局未だに伸ばしたままなんだ。へえ~、なるほどなぁ~。」
本当は「ベッドで意中の女性と初めて行為に及んでいる最中にくすぐったがられてテンションが下がった」、と愚痴っていたのだが、女性の前なので無難な言葉に言い直したカイだった。
そんなカイに対し、サーラはいよいよここに来た目的を告げることにする。
「で、その父に聞いたんだけど、あなた霧の森に入ったことがあるんですって? もしそうならその知識を私に貸して欲しいの。」
サーラの言葉にニコニコと笑っていたカイの表情が抜け落ちる。
白猫がサッと入り口の前に移動するとドアを押さえるような形で丸くなる。
部屋に漂う剣呑な雰囲気にヘンリッキが驚いて目を丸くする。
サーラも目の前の少年の目に射竦められたように体を強張らせる。
「・・・クリストフさんはどこまであなたに話しましたか?」
サーラは慎重に答える。
「何も。 イソラ村のカイが21年前、霧の森に入って出てきたかもしれない。それだけよ。」
本当に父から聞いたのはそれだけだった。
そして父からは「彼の協力を受けるつもりならばこれ以上は知ってはいけない。」「彼に聞かれたことは全て正直に話すこと。」と厳命されていた。
驚愕の内容だった。
カイに対して何も知らされないことはともかく、王女誘拐はいわばトップシークレットである。
現在でも騎士団には厳重に緘口令が敷かれている。
サーラの場合、話さないと彼女が暴走するのが間違いないためにやむを得ず説明はされたが、その際にも情報を漏らさないように何度も剣と家名に誓いを立てさせられた。
そんな事件のことを、もしカイが求めるなら全て話して良いと言うのだ。
サーラが驚くのも当然であろう。
「分かった。事情を聞きましょう。」
カイが目を閉じると、部屋に張りつめていた空気がウソのように消え去った。
白猫が大きなあくびをする。
サーラとヘンリッキはこっそり冷や汗を拭い、安堵のため息をつくのだった。
事件は三日前の夕方。その時王女マーリアは護衛の騎士と共に馬車で学園から帰る途中であった。
場所は王城に近い通り。事件は突然起こった。
現場に近い場所にいた者の証言によると、突如大きな音と共に竜巻のようなものが巻き上がったという。
轟音と悲鳴、暴れる馬。竜巻はほんの数秒で消えたと言う。
竜巻の中心地にいたとおもわれる王女の馬車はバラバラにはじけ飛び、共に乗っていた騎士は体中をズタズタに切り裂かれて倒れていた。全員即死だったようだ。
だが王女の遺体はどこにも見つからなかった。
騎士団の捜査によると、何か荷物を抱えて現場を逃げ出す者達の姿があったことが分かった。
捜査線上には最初から近年王都を騒がすテロリスト、大教祖ヴォルティネリが上がっていた。
大教祖ヴォルティネリは魔王を信奉する魔神教団の教祖を名乗っていた。
竜巻のような魔法は彼が得意としていたのだ。
人間は魔物や魔族と異なり、魔法は使えない。
体内魔力は微々たるものだし、そもそも魔法発動器官が備わっていないからだ。
しかし魔法の効果を発揮するマジックアイテムを使うことで疑似的に魔法を使うことは出来る。
疑似的とは言ってもマジックアイテムを使うのにも魔力は必要だし、そのための訓練も才能も必要だ。
有名なマジックアイテムとしては「聖剣」がある。
これは神に魔王を倒す勇者として選ばれた者でなければ使えないマジックアイテムで、その使用者に大いなる力をもたらすという。
今は魔王を倒したことでその使命を果たし、王城の地下に安置されていると言われている。
その後時を置かず、魔神教団に潜入していた密偵から連絡が入った。
教団内に王女らしき人物が連れ込まれたという。
この重要な情報を急いで伝えるため、彼はムリをしたようだ。
それ以降、彼からの連絡は途絶えてしまう。おそらく教団の者に殺されたものと思われる。
彼の命を賭した貴重な情報により、教団が儀式場で王女を生贄に魔王を復活させようとしていることが分かった。
懸命に教団員と儀式場を探す騎士団。
だが判明したのは彼らが王女を伴って霧の森に入ったということだった。
「霧の森・・・目的地は魔王の砦か。」
カイがポツリと呟く。
「砦? 父からは城と聞いているけど。」
「そうだっけ? まあいいや、それで君達は僕に森に入る方法を聞きに来たんだね。」
カイはサーラの疑問を軽くあしらうと今日の訪問の目的を尋ねる。
「でもなんで君達が? 申し訳ないけど君達は正規の騎士団員じゃないよね?」
カイの疑問にサーラはギュッと唇を噛みしめる。
「騎士団は・・・動かない。王国は王女を見殺しにするのよ。」
サーラは一言一言絞り出すように言う。
そんな苦しそうなサーラを隣に座ったヘンリッキが心配そうに見つめる。
カイは一つ頷く。
「霧の森に入って出てきた者はいない。妥当な判断だろうね。」
強行して救いに行っても森に入った騎士団が二重遭難になるのは間違いない。
サーラの父である王国騎士団副団長アダムスもこの意見を覆すことは出来なかった。
カイのすげない態度にサーラは激昂して立ち上がる。
「妥当な判断ですって?! ふざけないで! マーリア様・・・王女殿下はまだ生きているのよ! きっと今も助けを待っているわ!!」
つかみかからんがばかりの勢いでカイに詰め寄るサーラ。
その必死の形相に何を感じたのかーーあるいは何も感じないのかーーカイはじっとサーラの目を見る。
彼の瞳に何を見たのか、サーラの怒りはみるみるうちにしぼんでいく。
彼女が落ち着いたのを確認してからカイはサーラに問いかける。
「どうしてそんなに王女のことを? 君の主君なの?」
サーラは言葉に詰まる。「そうありたい。」と答えるのが正解だろう。
実際に彼女は学園を卒業後、王女を守るため騎士団に入るつもりである。
だが自分と王女の関係が本当にそれだけかと言われると彼女はそうとは思えないのだ。
それに彼女の父はこうも言ったではないか。
ーー「彼に聞かれたことは全て正直に話すこと。」ーー
サーラは大きく息を吸い込むとカイの質問に答えた。
「違うわ。彼女は私の親友よ。」
その瞬間、隣に座ったヘンリッキが息を吞む気配を感じた。
王族に対し友誼を感じる。それは騎士にとって不敬に当たる考えなのだ。
カイは満足そうに頷いた。
「分かった。僕に出来ることなら力になるよ。」
パッと笑みが浮かぶサーラ。
ニャーンと鳴く白猫。
猫の声になぜかビクっとするヘンリッキ。
「さすがクリストフさんとタニヤ王女殿下の娘さん達だ。」
小さく呟いたカイの声は誰の耳にも届かなかった。
次回「旅の始まり」




