その2 幽霊屋敷の少年
そこは王都でも治安の悪い地域だった。
21年前、まだ魔王が健在だったころに魔王軍の魔の手から逃れてきた難民が詰め込まれていた区画である。
今でも故郷を失った多くの人々が寄る辺も無く暮らしている。
「サーラ、もう帰ろうよ。お父様にここには入るなって言われているし。」
何年も掃き清められたことのない、割れた石畳を歩くのは赤髪のすらりとした長身の少女。
王国騎士団副団長の娘、サーラである。
彼女の後ろをビクビクと怯えながら付いてくるのは、騎士団長の息子ヘンリッキである。
騎士団長の息子とは思えない少しふくよかな頼り無さそうな少年である。
彼らは学園の同級生である。
王女と騎士団長の息子と副団長の娘が同じ学年というのも不思議な縁・・・と言いたいところだが、21年前に魔王が滅ぼされた後、王国は急速に復興した。
彼女達は高度成長期の、いわゆるベビーブームのころに生まれた子供達なのである。
「あんたは帰れば? 元々呼んでないんだし。」
サーラは今日、父に教えられた霧の森から帰ったと思われる人物の協力を取り付けるため、この場所に訪れていた。
サーラは振り返りもしない。
バッサリと切り捨てられて涙目になる少年。
「サぁーラぁー。」「ふんっ。」
情けない声を上げるヘンリッキをほっといて早歩きで歩くサーラ。
その時ふとヘンリッキは視線を感じて振り返る。
それは路地裏から覗くギラギラとした住人達の目だった。
「ひいいいっ! ま・・・待ってよサーラ!」
慌ててサーラを追いかけるヘンリッキだった。
「ここだわ。」
「・・・本当にその人、ここに住んでるの?」
難民区画の奥にある屋敷の門の前でサーラは立ち止まる。
建てられた当時は立派な屋敷だったのだろう。なかなか広い庭を持つ二階建ての屋敷だ。
ただし現在は倒壊していないのが不思議なくらいの立派なボロ家だ。
「屋根を見て。修復した跡がある。」
「・・・本当だ。よくそんなところに気が付いたね。」
建物というのは屋根が落ちると一気に寿命が縮む。
雨というのは建物にとってそれほど厄介な代物なのだ。
「なんだか幽霊屋敷みたいだ。」
「・・・バカなことを言ってないで行くわよ。」
幽霊という言葉に少し腰の引けたサーラだが、王女は今も助けを求めているに違いない。
彼女はそう考えることで気合を入れ直すと、柵の外れた崩れかけの門をくぐる。
「ニャーゴ。」
「きゃあああっ!!」「うわああああっ!!」
うっそうと生い茂った背丈ほどの雑草の中から、突然白い獣が飛び出してきた。
悲鳴を上げて尻もちをつくヘンリッキ。
「ゲラゲラゲラ。」
「何この猫、笑ってるみたい。」
そう、それは見た事もないほど大きな白い猫だった。
「なんだよ脅かしやがって。それにしても大きなデブ猫だな。」
「ムカッ。」
「?」
ほっと溜息をつくヘンリッキ。
まるでヘンリッキの悪口を理解したかのように不貞腐れる白猫を不思議そうに眺めるサーラ。
ふと白猫の耳がパタパタと動くと屋敷の玄関を振り返る。
つられて玄関に視線を向けるサーラ達。
ギギイッ
大きく軋む音を立ててドアが開かれる。
「大きな声がしたけど、お客さんですか?」
そこに立っていたのはサーラ達より少し年上の少年。
男女問わず髪を伸ばす傾向にある王国では珍しく髪を短く刈りこんでいる。
その髪の色は瞳と同じこげ茶色。
これも王国の平民でよくみられる色である。
どこか人を安心させる柔らかい笑みを浮かべている。
「カイ・・・イソラ村のカイを尋ねて来たんだけど。」
「カイは僕ですが、貴族様が僕に何か御用でしょうか?」
少年の返事にサーラはもう一度少年を良く見直す。
物腰の柔らかなハンサムな少年だ。
どう見ても町の普通の少年にしか見えない。
本当にこの少年がかつて一人として戻った者のいない霧の森に入って無事に帰ってきたのだろうか?
だが、もしそうだとすればおかしなことが一つある。
彼女の父親はカイが21年前に霧の森から帰って来たと言っていた。
今目の前にいるこの少年は彼女達とさほど年齢が変わらないように見える。
もし、彼の年齢が見た目通りだとすれば、彼は21年前には生まれていなかったことになる。
そんな奇妙なことがあり得るのだろうか?
「ニャーゴ。」
「うわっ! 何するんだこのバカ猫!」
ヘンリッキの声に驚いて振り返るサーラ。
そこには白猫におしっこをズボンに引っかけられて慌てて飛び退くヘンリッキの姿があった。
どうやら彼はデブ猫呼ばわりされた仕返しをしたようである。
少年ーーカイは呆れたように天を仰ぐ。
「あ~、ごめんなさい。家に案内しますから直ぐにズボンを脱いで下さい。すぐに洗わないとシミになりますから。」
猫を睨みながらカイの言葉に従うヘンリッキ。
だが貴族に対するカイの自然な対応に、サーラは彼の第一印象を改める必要を感じた。
少なくともカイはただの平民ではない。
サーラは気持ちを引き締めるとヘンリッキの後に続いて幽霊屋敷の中へと踏み込むのだった。
屋敷の中は外からの見た印象より整っていた。
カイはヘンリッキに代えのズボンを渡すとサーラを奥の部屋へと案内する。
「一応ここが来客室です。何もありませんが。」
確かに何も無い部屋だ。壁に絵がかかっているわけでもなければ調度品があるわけでもない。
部屋の真ん中にみすぼらしい椅子とテーブルがあるだけである。
サーラが椅子に座ってしばらくすると、ズボンを履き替えたヘンリッキが入ってきた。
二人で椅子に座って家主が戻ってくるのを待つことにする。
「ニャーゴ。」
「うわっ! またお前か!」
いつの間にか部屋に入ってきていた白猫に大袈裟に驚くヘンリッキ。
この短時間にすっかり苦手意識を刷り込まれてしまったようである。
「あら、可愛いじゃない。大きな猫さん、さっきは驚いてゴメンね。」
サーラに撫でられて喉をゴロゴロと鳴らす白猫。
「可愛いもんかそんなブタ猫。」
「あぁん?!」
「えっ?」
猫の喉からドスの効いた声がしたことに驚くサーラ。
だが白猫は知らん顔で彼女の足に体を擦りつけている。
聞き間違いかしら?
内心で頭を傾げるサーラ。
「お待たせしました。」
部屋に入って来たのは、湯気の上がるカップの乗ったトレイを手に持ったカイであった。
次回「イソラ村のカイ」




