その24 勇者とか魔王とか、そういうのはもういらない
カイが再び魔王の砦の地下室に姿を現したのは、この世界から魔将軍マースコラと共に消えてから5分後のことである。
カイはスッと腰を落とすと杖を構え、辺りの様子を伺う。
頭の中に急速に当時の状況が流れ込んでくる。
本来なら思い出してくる、が正しいのだが、感覚としては流し込まれてくる、の方がしっくりとくる。
逆に”浄土”での記憶は、まるで夢か何かだったかのように現実感を失いぼんやりとする。
異なる世界の記憶は脳ではこのように処理されるのだろう。
ちなみに、カイの姿は体に布を巻き付けただけの半裸である。
”浄土”に着ていった服は長い年月の間にボロボロになって、とっくに着ることは出来なくなっている。
幸い”浄土”では、少し探すとこういった布があちこちにあるので着る物には困らない。
正に至れり尽くせりだ。ただ生きるだけなら”浄土”ほど不自由の無い世界はない。
そして杖は新しく作り直している。
元々は昔、そのころはすでにカイの魔法の師匠となっていた魔王と一緒に作った杖だ。もう一度一人で作り直すのにさほどの苦労は無かった。
なにしろ時間だけは腐るほどあったのだ。
「・・・そういえばこんな状況だっけ。」
部屋の壁には大きな血の跡。
マースコラの娘、エリベトが叩きつけられた場所である。
床にはエリベトが横たわっている。
傍らには大教祖ヴォルティネリが祈るように跪いている。
このわずかな間に随分と老け込んだようにも見える。
「マースコラは死んだよ。」
複数の命を持つマースコラだが、寿命は普通の魔族と代わりは無かった。
千年もたたずに彼は老衰死した。
マースコラはずっとカイに対して恨みや憎しみをぶつけていたが、年老いてからは毎日のようにカイに命乞いをしていた。
見苦しい最後だった。
「・・・そうか。私ではマイレディの仇を討てなかった。礼を言う、勇者カイよ。」
俯いたまま老人がカイに告げる。
大教祖ヴォルティネリは魔王の力に触発され、邪神教団を創設した。
魔王が人間の死を求めると考えた彼は、自らも彼に倣って多くの人間を殺した。
あくまでも彼は魔王の模倣犯であって、魔王を復活させようという発想は無かった。
そもそもそんなことが可能とは思ってもいなかった。
末端の狂信者と違って彼はリアリストだったのだ。
その活動方針が変わったのは、多大な犠牲を払って到達したこの魔王の砦でエリベトと出会った時である。
「私はマイレディさえいればそれで良かった。魔王復活も彼女が望んだためにしたこと。それがこのような結果になろうとは・・・。」
エリベトに魅せられたヴォルティネリは、彼女の求めるまま魔王復活に奔走することになる。
彼女が自分を全く信用していないことは分かっていた。
だが彼にとっては彼女の役に立てればそれで良かったのだ。
そのためには今まで育てて来た信者達も犠牲にするし、自分の孫を任務のために失っても何の痛痒も感じなかった。
ヴォルティネリはリアリストだが狂ったリアリストーーサイコパスだった。
「マイレディは父親に愛されずに育った。仲間からは穢れた存在と避けられ、国にも帰れず、ずっとここで父親の復活を待っていた。」
エリベトは彼に多くを語らなかった。
しかし言葉の端々から漏れる情報から、彼は彼女のおおよその事情を察していた。
マースコラに強姦された女から生まれたエリベトは、穢れた存在として仲間から爪弾きにされていた。
不幸なことに二つの種族の悪い部分を引き継いでしまったのか、彼女は生まれつき能力値が低かった。
魔族は実力主義社会だ。弱い者はとことん生き辛い世界だ。
父であるマースコラは彼女を歯牙にもかけなかった。だが、彼女はそんな父親のそばにしか自分の居場所が無かったのだ。
マースコラが魔王を僭称し、怒り狂った魔王に返り討ちに合った時も彼女は近くでそれを見ていた。
そして彼女は誰もいなくなったこの砦で一人父親の遺体を守っていたのだ。
いつか父親の復活の条件が揃うその日まで。
「もはやお主と戦う意味も無い。失せるがいい。」
「そう言われても王女誘拐の首謀者を放っておくことは出来ないんだけど。」
老人は顔を上げる。くっきりと刻まれた死相にカイは老人の決意を知る。
ーー彼はエリベトを追って自害するつもりなのだ。
老人は杖を手に取ると足元のエリベトの死体に向ける。
「知ったことか、と言いたいところだが、自分の始末は自分でつける。これで満足しろ。」
彼の持つ杖ーーマジックアイテムに魔力が流れる。
詠唱の前準備に入ったのだ。
巨大な力を発揮するマジックアイテムには、それ相応の手順やコストが必要になる。
ヴォルティネリの持つマジックアイテムの場合は一定量の魔力の充填が必要なのだろう。
彼がこの杖をテロ行為にしか使わなかった理由はこの取り回しの悪さにあったのかもしれない。
「私を斃した証拠にはこの杖を持っていくが良い。仮に信じてもらえずとも、売ればお前に利益をもたらすだろう。」
そこで初めて老人はカイの方を見る。
「なぜお前は21年前魔王を討ったのにそれを黙っていた? なぜ魔王を滅ぼした勇者として表に出なかった?」
カイは・・・小さく肩をすくめた。
「勇者とか魔王とか、そういうのはもういらないと思ったからさ。」
カイの気持ちを分かってもらうためには、そもそも勇者と魔王が神の先兵であることから説明しなければならない。
異世界を攻める方の大駒が魔王、防衛する側の大駒が勇者。
もし人類が攻める側になればカイは魔王と呼ばれるようになっただろう。
カイと魔王は共に”浄土”で過ごすうちにそんな自分達にほとほと嫌気がさしたのだ。
「人間は神に創られた。いわば神の子供だ。でも子供が絶対に親の言う通りにしなきゃいけないなんてことはないと思わない? 子供だって生きているんだ。親の道具じゃない。」
「なんと不敬な・・・」
大教祖ヴォルティネリはカイの言葉が理解出来なかったようだ。
神という存在はそれが神であれ魔神であれ絶対。
それがこの世界の人間の常識なのだ。
長期間”浄土”で、神の支配するこの世界から切り離されて過ごしたカイと魔王は、精神のあり方も変貌したのかもしれない。
「もう良い。魔王様のように生きてみたいと考えた私だが、魔王様や勇者の世界は、私のような凡夫が目指して良いような場所では無かった。私はもっと早くマイレディに出会うべきだった。」
勝手なことを言って詠唱を始める大教祖ヴォルティネリ。
慌てて地下室を飛び出すカイ。
カイが地下室の扉を閉じた途端、爆音と共に部屋の中を暴風が吹き荒れる。
広いとはいえ、地下室の広さ程度ではヴォルティネリの魔法を受け止め切れなかったようだ。
扉の蝶番が根本から吹っ飛び、カイは扉ごと階段へと吹き飛ばされた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
霧の森を行くサーラ達。
その時背後の砦から、くぐもった爆発音が小さく聞こえた。
立ち止まって耳を澄ますサーラ達。
だが、それ以降何の変化も無かった。
「何だったんだろう今の?」
「ひょっとしてクソッタレ魔王が復活しちまったんじゃねえか?」
「見て! 霧が晴れていくわ! きっとカイがやったのよ!」
「カイとはさっきサーラが言っていた、ここにはいないもう一人の協力者ですか?」
サーラはカイが魔王の復活を阻止した、と思って喜んでいるが、ヘンリッキは信じていない様子だ。
「何よその目は。ヘンリッキ、あんたカイのことを疑っているの?」
「いや、そんなことはないけど・・・まさか確認するために戻るとか言い出さないよね。」
ヘンリッキの言葉に一瞬迷いを見せたサーラだが、流石に王女を連れて危険な砦に戻る、という選択肢は無いようだ。
カイのことは信じているが、そのことと王女の安全を守るということは別だ。
今は一刻も早く安全な場所まで王女を案内しなければならない。
「俺様がひとっ走り見に行ってやってもいいぜ?」
「いえ、戦力を分散させるのはマズイわ。この森にはまだ魔族の手下の魔獣がいるかもしれないもの。」
サーラはカイを信じて先を急ぐことにする。
立ち止まって話していたことが丁度良い休憩になったようだ。
霧も晴れて歩き易くなった森の中を、彼女達は慎重に進んで行くのだった。
次回「終章 後日談」