その22 魔王復活
「これは・・・誘導されている?」
カイがそのことに気が付いたのは、戦いはじめて一時間ほどたったころだった。
時折身を隠しながら隙を見て攻撃を繰り返していたカイだったが、ふと毛深蟲の包囲網の不自然さに気が付いたのだ。
「この方向はまさか魔王の砦? どういうことだ?」
どうやら相手はカイを自分の懐に招き入れたいようだ。
カイは少し考える。
・・・が、やはり一時間にも渡って戦闘を続けて来た疲労が蓄積しているようだ。
どうにも考えがまとまらない。
「まあいいか。向こうが望むのならばお相手しましょう。」
カイは相手の誘いを受けることにした。
それから2時間ほどかけてカイは魔王の砦へと到着した。
奇しくもサーラが王女とヘンリッキを助けて脱出したのとほぼ同時である。
もっとも毛深蟲との戦闘で大きく回り込んだカイは違う門から砦に入ったため、彼女達と出会うことは無かった。
「懐かしい・・・いや、ゴメン。やっぱりあんまり覚えてないや。」
呼吸を整えつつ巨大な砦を見上げるカイ。
そこには敵の懐に飛び込む緊張感も恐怖も感じられない。
あくまでも、いつものような自然体であった。
いよいよ霧の濃くなる砦の中を奥へ奥へと進むカイ。
辺りには教団員の死体が転がっている。
「サーラがやった? いや、それにしては様子がおかしいか。」
カイの見つめる先の死体は背骨が折れ曲がらんがばかりにのけぞっている。そして死体の顔は大口を開けて笑っている。
笑い死にである。
こちらの死体は壁と棚の隙間に頭を突っ込んでいる。しかしその顔は奇妙なことに自分の背中を見ている。
自分で自分の首をねじ切って死んだのだ。
普通の死体に混じってそんな奇怪な死体が転がっている。
霧による幻覚のせいであることは間違いないだろう。
「霧の出所は地下か。」
カイの目の前にあるのは地下へと続く階段。
カイは壁にかかったランプを拝借するとためらいもなく足を踏み出した。
「こりゃあ凄い。魔王が生きていたころでも、ここまでではなかったな。」
地下へと続く階段は濃厚な霧に覆われていた。
カイは口の中の激渋木の葉を吐き出す。
勇者であるカイには元々精神攻撃は効果が無い。
サーラに付き合っているうちに、なんだか癖になってそのまま口に含んでいただけなのだ。
(帰ったら、この木の葉で淹れるというお茶に挑戦してみるのも良いかもな。)
のん気にそんなことを考えながら階段を下っていくカイ。
やがて彼の前に大きな扉が姿を見せた。
ギギギ・・・・
軋む音を立てて扉が開く。
部屋の中にいるのは二人。
一人は黒いゆったりとした法衣を纏う老人。装飾の施された杖を手にしている。
もう一人は色気の漂うナイトドレスの女性。アップにまとめている灰色の髪から覗く角。
魔族である。
(あの姿、ナイトメアか?)
ナイトメアは精神系の魔法を得意とする上位の魔人である。
直接戦闘や破壊系の攻撃魔法は苦手とするーーとはいえ、どちらも人間を遥かに凌駕するのだが。
だが霧を生んでいるのは彼女では無いようだ。霧は二人の後ろ、部屋の中央の石棺から湧き出している。
「ご招待感謝します、とでも言えばいいのかな?」
カイの平然とした様子に少し面食らうナイトメアの女。
人間の少年が魔人を前にしたのだ。もっと驚き恐怖するものと思っていた。
「そうね、分かっているじゃなイ。アタシがアンタを呼んだのヨ。」
口の中の長い牙が邪魔をするのか、少し不自然な語尾でナイトメアの女が言う。
「アンタは不思議な魔法を使うワ。なぜだか幻霧も効かないようダシ。お父様はきっとアンタを気に入るワ。生きたままバラバラにして隅から隅まで調べたいと思うに決まっているワ。」
嫌な気に入られ方もあったものである。
おぞましい内容に反応したのか、カイの眉がピクリ跳ねる。
「名前を聞いても?」
「不敬だぞ! 小僧!」
「・・・別にいいワ。アタシの名はエリベト。」
「いえ、魔王の名前を。」
カイの無礼な態度に額に青筋を浮かべる老人ーー大教祖ヴォルティネリ。
ナイトメアの女ーーエリベトもムッとした表情を浮かべる。
「魔王マースコラ、ヨ!」
「なるほど、ありがとう。」
この部屋に入ってきた時点でカイはバケツに飛び込んだ魚同然だ。
だがこの魚はそれが分かっていないのか、しれっと平気な顔をしている。
彼女はそれが気に入らない。
「だったらおかしいんだけど。魔王ーー」
「・・・うるさいぞ。」
低い壮年の男の声。
ゴリッ
石棺の巨大な石の蓋が持ち上がる。支えるのは逞しい腕。
ガゴン!
石の蓋が外れたことで濃厚な霧が流れ出す。
そして立ち上がる逞しい壮年の男。
光り輝く銀髪は高い魔力を持つ魔人の証明でもある。
「お父様!」「おおおおっ! 魔王様!」
そう、魔王マースコラは既に復活を果たしていたのだ。
エリベトと大教祖は、魔王に謁見するためにこの場に控えていたのだ。
魔王の膨大な魔力に威圧され、たまらず膝を付く大教祖ヴォルティネリ。
エリベトは顔を真っ青にしながらも気丈にも優雅にお辞儀をする。
魔王マースコラは大きな丸い目でギョロリと周囲を見渡すとカイに目を止める。
「こやつは?」
「お父様の復活を阻止しようと画策した人間たちのリーダーですワ。きっとお父様が気に入られると思っておびき寄せておきましタ。」
満面の笑みを浮かべて魔王に報告するエリベト。
そんなエリベトを冷たく見下ろす魔王。
「女。貴様はなぜワシの前に跪かん。」
「えっ、あ、申し訳ございません。」
「いや、許さん。」
ゴッ!
恐るべき勢いで振るわれた手はエリベトを捉え、部屋の壁に叩きつけた。
壁に血の花を咲かせて崩れ落ちるエリベト。
「そんな・・・。」
驚愕する大教祖ヴォルティネリ。
しかし、魔王の溢れる魔力に顔を上げることすら出来ないまま体を震わせる。
「ふむ・・・しまった。まだ力の加減が上手くゆかぬようだ。」
何度か手を広げては握る魔王マースコラ。
エリベトの方を見向きもしない。
「ワシのことを父と呼んだか・・・ああ、そういえば昔戯れにナイトメアの女を襲ってはらませたことがあったな。あの時生まれた娘か。端女として置いていたが、まだしぶとく生きていたのだな。とっくにくたばったのかと思うておった。」
それっきりエリベトに興味を失う魔王マースコラ。
彼の視線は再びカイに向かう。
「みんな何か勘違いしているんじゃないかな?」
「むっ?」
カイが喋ると思っていなかったのだろうか?
まるで猫が突然話しかけたみたいな意外な顔をする魔王マースコラ。
「魔王の名前はマースコラじゃないよ。パロカンナスだ。マースコラなんて名前の魔王はこの世にいない。」
部屋の温度が物理的に下がった。怒りのあまり魔王マースコラの幻霧が暴走したのだ。
質量をも伴う威圧感に大教祖ヴォルティネリが心臓を押さえて蹲る。
「小僧、今何と言った。」
カイも冷や汗をかいている。だがそれでもこれだけは譲れないようだ。
再び目の前の殺意の塊に告げる。
「魔王の名前はパロカンナスだ。マースコラなんて魔王はいない。」
途端にマースコラから立ち上る怒気!
・・・だがそれはすぐに消え去った。
「そういえばパロカンナスはどうした? ここにはいないのか?」
不意に不安に駆られたように周囲を見渡すマースコラ。
その様子にカイは何かを思い出したようだ。
「そうかマースコラ! 最初に聞いた時どこかで聞いた名前だと思ったんだ!」
大声でカイは叫ぶ。
「魔将軍マースコラ! お前は魔王を裏切って魔王に粛清された魔将軍だ!」
21年前、王国と魔王の雌雄を決する戦いが行われた。
後に白骨荒野の戦いと呼ばれることになる戦いである。
この戦いは終始魔王軍優位で進められた。
そもそも魔族の方が人間より種族的に強者である上に、魔王が彼らの手綱をしっかりと握っていたからである。
だがそんな魔王をもってしても、この場にいない者までは押さえ付けることは出来なかった。
戦いの最中、勇者死亡の報が魔王にもたらされる。
勝ちを確信して軍を進める魔王。
だがその進撃は後方からの報告で止められることとなる。
魔将軍マースコラ謀反。
砦に残した魔将軍マースコラが反旗を翻したのだ。
マースコラは魔王を僭称し、砦に軍を集めているという。
激怒した魔王は急遽軍を返し、砦に戻るとマースコラ軍を強襲。
反乱軍を蹴散らすと同時に首謀者であるマースコラの首を刎ね飛ばした。
ちなみに王国は魔王軍の急な撤兵に戸惑いながらも、これ幸いと負傷者をまとめて王都へと逃げ込んだのだった。
「魔王が言ってたよ。あの時マースコラがいらんことをしなければ今頃王都に俺の旗を立ててやっていたのに、てね。」
「小僧、貴様何を言っておる?」
カイの言葉に戸惑うマースコラ。
だが彼の口から否定の言葉は出てこない。
「本人から散々愚痴られたからね。僕の名前はカイ。君たちには勇者カイの方が通りが良いかな? 魔王パロカンナスは死んだよ。彼の最後は僕が看取った。」
次回「5億7600万年の寿命で魔王を倒す」