その19 毛深蟲
「あれは毛深蟲だね。全身の毛には微量に毒があるから気を付けて。」
霧の森を進むカイとサーラの前に立ちふさがったのは、地面を這い回る無数の魔物だった。
カイとサーラは少し戻った場所で作戦会議を開いた。
カイは、自分の口元にマフラーのように布を巻き付けると、マスク代わりにする。
「いつもの雷の魔法は使わないで。焼けた毛深蟲から毛が飛び散っちゃうから。」
カイの説明によると、毛深蟲の毛の毒は人間にはさほど効果が無いものの、鼻から吸い込んだ毛が肺に溜まると命にかかわるそうだ。
「毛の先には細かな返しがついていて、一度刺さるとなかなか自然には取れないんだよ。あ、それと手足に刺さっても絶対にかいたりこすったりしちゃだめだよ。」
数本くらいなら問題無いが、あまり多く刺さると猛烈な痒みに襲われるという。
毛深蟲に対する死因の一つは、無数の毛深蟲に這い寄られた際の全身の痒みによるショック死なのだそうだ。
「ここからは予定通りに二手に分かれよう。僕が魔族の目を可能な限り引き付けるから、君は何とかして王女様を捜して助け出すんだ。」
真剣な顔で頷くサーラ。
カイはここまでの襲撃で、相手は魔法か専用のマジックアイテムで自分達の行動を監視している、と見ていた。
こんな状態で魔王の砦にコッソリ忍び込んで王女を捜すことは不可能だ。
だが魔法という手段を用いる以上、相手もカイ達を常時監視することは出来ないだろう。
魔法を常時発動させるなどかつての魔王でも不可能だからだ。
そこで、カイがおとりになって監視の目を引き付けることにしたのである。
常時監視では無い以上、一度監視の目をカイに引き付けることができれば、その間サーラはフリーの状態で動けることになる。
もちろん、敵の真っただ中に飛び込んで王女を助け出す、というサーラの役割は困難が予想される。
だが、教団員と謎の魔族の目を引き付けて、大立ち回りを演じ続けなければならないカイの負担も相当なものだ。
かなり運任せ、アドリブ重視の作戦だが、人数も情報も限られている現在これ以外の作戦を思い付くことが出来なかった。
「じゃあ行ってくるよ。」
「待って!」
サーラは何かを決心したようだ。カイの目をじっと見つめる。
「父から、あなたに協力してもらうつもりならこれ以上知ってはいけない、と忠告されていたわ。でもどうしてもこれだけは教えて欲しいの。」
カイは見た目自分とさほど年齢が離れているようには見えない。
しかし、21年前にこの森から生還したという。
そして複数の魔法を使いこなす不思議な力。
年齢の割に老成した落ち着いた物腰。
サーラはこの条件に当てはまる存在に一つだけ心当たりがある。
サーラの喉がゴクリと鳴る。
「あなた、ひょっとして魔族なんじゃないの?」
ポカンと口を開けて呆けるカイ。
それは彼にとっても予想外の言葉だった。
やがてサーラの言葉が脳に染み渡ると、自然に笑い声がこぼれる。
「ハハハハッ! なるほど、確かに! それもそうだ、魔族だったら魔法も使えるし、寿命だって人間の何倍もあるしね。」
笑いながら納得するカイ。
そんなカイの姿に、今更ながら突飛なことを言ったことに気が付き、羞恥のあまり真っ赤になるサーラ。
「何よ何よ! 笑うことはないじゃない! あなたが出鱈目なのがいけないのよ!」
逆ギレである。そんなサーラにようやく笑いを収めてカイが言う。
「僕は勇者だよ。」
「?!」
予想外の言葉に驚くサーラ。
「と言っても全然大した力は無いんだ。ただ人より長生きなだけ。僕は役立たずの勇者なのさ。」
皆には黙っていてね。そう言うとカイは毛深蟲の群れへと走って行った。
21年前、白骨荒野の戦いの最中に勇者は死んだと伝えられている。
当時から勇者生存の噂はあった。
しかしそのどれもが、戦場から逃げ出しただの、先の無い王国を裏切って魔王についただのと、ロクな噂では無かった。
やがて魔王が滅び、王国を現女王が統治するようになると、女王は勇者の名誉を回復するべく様々なキャンペーンを打った。
だが未だに勇者を悪く言うものは少なくないのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
サーラが呆けていた時間は長くは無かった。
すぐにカイの走り去った方から火の手が上がったのだ。
毒の毛を警戒するように忠告していたカイが火を使った理由は明らかだ。
派手な攻撃で監視の目を引き付けるつもりなのだ。
「もう! 後でちゃんと説明しなさいよね!」
サーラはとりあえず、さっきのカイの言葉は後で考えることにして移動を始める。
砦の大雑把な方向はカイに聞いている。
火の手は次第にサーラから遠ざかって行く。
(私だって負けていられない!)
サーラは目立たないように、急ぎ過ぎない速度で、道なき道を進んでいく。
疲労と代わり映えのしない道のりに、次第にサーラの中の時間の感覚が曖昧になっていく。
時々口の中の木の葉を吐き捨てては、また新たな木の葉を口に含む。
その時だけ口に広がる強烈な渋みで意識が覚醒する。
そうやってサーラの一人旅が始まって二時間ほどたっただろうか。
辺りが薄暗くなりかけたその時、サーラの前にどこまでも続く石垣が立ちふさがった。
最初サーラはそれが何か分からなかった。
それほど石垣は桁違いに大きすぎたのだ。
そして彼女の意識は朦朧としていた。
だがやがてサーラは一つの可能性にたどり着く。
「これって・・・ひょっとして魔王の砦?」
「ご名答。若いのに良く知ってるじゃん。」
若い男の声にサーラの意識が瞬時に覚醒する。
「誰!」
漂う濃い霧を割って、やたらと派手な格好をした青年がサーラの前に姿を現した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「火!」
杖の先から火炎放射器のように炎が放たれる。
「キイイイイ!」
甲高い声を上げて毛深蟲があぶられていく。
パッと周囲に毒の毛が舞い散る。
もちろん、こうなることを承知で火の魔法を使ったのには理由がある。
カイの目的は陽動だ。そのためには初手はとにかく派手にいかなければならない。
カイは毒の毛を避けて風上へと走り出す。
ザワザワと毛をざわめかせながら、カイを追う無数の毛深蟲。
「炎!」
火の弾丸が一匹の蟲に命中、瞬時に絶命させるが焼け石に水。
蟲の死骸はすぐさま続く後続の蟲の波に飲み込まれる。
カイは舌打ちをする。
(分かっちゃいたけど厄介だな。奥の手を使わなきゃいけないかも。)
カイは懐に大事にしまってある彼専用の神器を強く意識する。
(でもまだ駄目だ。先ずは暴れて監視者の目を僕に引き付けないと。)
カイの長く苦しい戦いが始まった。
次回「ヘンリッキの戦い」




