その16 廃墟の町エルッコラ
「ダメ! どこにもいないわ!」
サーラが悲鳴を上げる。
カイは周囲を見ながら考え込んでいる。
カイの足の治療を済ませると、彼らはヘンリッキと合流するべく、最初にいた村長の家の前へと戻って来た。
最初はいつまでも追いかけて来ないヘンリッキに文句を言っていたサーラだったが、今では事態を悟って真っ青な顔になっている。
「君の話と死体の数が合わないようだ。」
カイの言葉に慌てて辺りを見渡すサーラ。
「あの女がいないわ! 水属性魔法を使う女!」
死体の数は三つ。
最初にカイが倒した”カマキリ”。次にサーラが倒した”蟲”。そして最後にヘンリッキと協力して倒した”細氷”である。
カイはしばらく考えていたようだが、やがて心を決めるとサーラに向き直る。
「考えられる可能性はいくつかある。だが僕はヘンリッキを置いて先に進むべきだと思う。」
カイの非情な決断に怒りに顔を朱に染めるサーラ。
「まず第一に、僕達にはもう時間が残されていない可能性がある。」
カイはさっき”ひび割れ”から聞いた話をサーラにする。
王女を生贄に捧げる儀式は明日の夜行われるという。
サーラが驚きに声を失う。
「次に第二に、ヘンリッキを捜そうにも人数が足りない。」
この暗闇の中、たった二人で闇雲に捜して見つかるとは思えない。
かといって日が昇るのを待っている時間は無い。
「そして第三に、森の奥を目指すことが、ヘンリッキを見つけることにつながる可能性が高い。」
状況から見て、おそらくヘンリッキは女に攫われたか、女を追って森に入ったか、どちらかの可能性が高いと思われる。
そのどちらだったとしても、自分達が森の奥を目指せば自然と遭遇することが出来るはずだ。
「目的地は一緒のはずだからね。」
「・・・そうね。分かったわ。」
理解は出来ても気持ちが追いつかないようだ。
サーラは苦しそうに呟く。
「ヘンリッキならきっと大丈夫だよ。」
カイは戦争に参加した経験から、戦場ではなまじ武勇を頼る者や真面目な者ほど戦死するということを知っている
逆にヘンリッキのような人間は、要領よく立ち回って最後まで生き残ることが多いのだ。
だからカイの言葉はあながち根拠のないものでは無かった。
だがサーラは見え透いた慰めと受け取ったようだ。
「そんなことより先に進みましょう。」
馬は逃げてしまったようだ。どのみち森に入るのに馬は使えない。そう割り切るしかないようだ。
カイ達は馬から落ちた僅かばかりの荷物をまとめると背中に背負い、村の外へと歩き出すのだった。
「ついていたね。」
「・・・そうね。」
カイ達は馬に乗って霧の森を目指している。
森まで歩く覚悟を決めて村を出たカイ達だが、逃げ出したはずの馬たちはのん気に村の外で牧草を食んでいたのだ。
疲労が溜まっているせいかサーラの返事は鈍い。
カイは軽く肩をすくめるとこの機会に自分も休むことにした。
やがて朝日が昇るころ、鞍の上でウトウトと舟をこぐ二人を乗せた馬は、かつて霧の森の瘴気に滅ぼされた町エルッコラへと到着した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
薄暗い無骨な石造りの部屋。部屋の中央には石で出来た棺桶が置かれている。
邪神教団の立てこもる魔王の砦の一室である。
かつて八人の殺戮部隊を送り出したこの部屋も、今は大教祖ヴォルティネリ一人しかいない。
いや、違う。
暗い部屋の影からにじみ出るように何者かが姿を現した。
薄く透けたナイトドレスを見に纏った妖艶な女である。
男の股間を刺激するようなその姿に、しかし、劣情を催す男はいないだろう。
彼女は魔族であった。
「アンタの手下は一人を残して死んだワ。」
「なんと!」
部下を偲んで大声で慟哭しながらはらはらと落涙する大教祖士ヴォルティネリ。
「いい加減にしてくれナイ?」
しばらく黙って見ていたが、いい加減にうんざりしたのか適当な言葉を投げかける女魔族。
女魔族の言葉にピタリと涙を止めるヴォルティネリ。
「畏れ多くもこれはこれで人心掌握に必要な儀式なのです。マイレディ」
「それ、アタシの前でやる意味あるワケ? 人間って本当に理解出来ないワ。」
眉間に皺をよせる女魔族。
「死んだ者の中にはアンタの孫もいたようネ。」
「先ほど嘆きは済ませました。して私めに何用でしょうか?」
女魔族は大きな胸を両腕で抱えるように腕を組むと大教祖に冷たい目を向ける。
彼女は現在教団に協力しているが、最初から利用するだけして切り捨てるつもりだ。
魔族は人間をその程度の存在にしか見ていないのだし、それも当然の考えだ。
そして彼女は、人間側も自分と同じように考えているものと見ていた。
いずれは裏切ることを前提として、今はお互いがお互いを利用し合っている。
自分達はそういう関係。そう思っているのだ。
だがこの老人は、まるで自分達が女魔族の僕であるかのように恭しく接してくる。
彼女の言葉にまるで疑いを抱いていないかのようだ。
女魔族は今ではこの老人に理解しがたい不気味さを感じていた。
「それとアンタの手下は、連中の一人を連れてここに向かってるワ。」
「それは重畳。」
嬉しそうなヴォルティネリに胡散臭そうな目を向ける女魔族。
だが考えても無駄と思ったようだ。
「とにかく、これ以上は勝手に動くことは許さないワ。アイツらはアタシの手下に相手をさせるから、アンタは復活の儀式に力を注ぎなサイ。」
「ははっ!」
ヴォルティネリは首を垂れたままで大人しく女魔族の言葉を聞く。
「お父様ーー魔王マースコラの復活の時は近いワ!」
ヴォルティネリは女魔族の前に膝を折る。
「御心のままにマイレディ。いえ、魔王マースコラ様の娘エリベト様。」
女魔族ーーエリベトはヴォルティネリのことを信用していない。
だがヴォルティネリの姿は、どう見ても神に祈る敬虔な信徒の姿そのものだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
たどり着いたエルッコラの町は廃墟だった。
地面は一面の雑草に覆われ、家は木に浸食されて残骸だけがへばりついていた。
カイとサーラの乗る馬が通りを進むと彼らの姿に驚いた野生動物が次々と逃げ出していく。
「20年以上の間にすっかり森の一部になっているわね。」
サーラが原色の派手な色合いの鳥に目を向けながら呟いた。
「確か霧の森がまだ小さな林だったころ、この町から林に入る小道があったんだよ。以前に森に入った時にはその道を使ったんだけど・・・まいったなあ、本当に見つかるかなこれ。」
カイは自分の中の記憶と町の景色を苦労しながら照らし合わせている。
いつも飄々としているカイの本気で困った姿にどこか癒されるサーラ。
「そういえばあなたって霧の森に入ったのは21年前って・・・」「あっ! あったよ! あの建物だ!」
どうやら何かヒントを見つけたようだ。喜び勇んで馬を駆けさせるカイ。
慌てて追いかけるサーラ。
「ちょっと待って・・・えっ!」
カイ目がけて舞い降りる大きな鳥。いや、違う。
「カイ! 危ない!!」
次回「鳥人の襲撃」