プロローグ 天界
新作を始めました。
そこは柔らかな光に包まれた世界。
暑くもなく寒くもなく。
一年を通して美しい花が咲き乱れ、常に花の良い香りが漂っている。
ここは天界。
人の世から隔絶された、神々の住まう地である。
「のう、勇者カイよ。ほれこの通り、こやつも反省しておるし許してやってくれんか。」
カイは戸惑った様子で目の前の老人を見上げる。
カイは18歳の少年である。王国のはずれの小さな村の出身だ。
少し頼り無さそうに見えるが、侮るなかれ。
彼こそは『魔王』を倒すべく神託を受けた『勇者』なのだ。
服の下に隠れて見えないが、その体には歴戦の古傷が数多刻まれている。
カイの正面に立つ老人はゆったりとした一枚布、トーガを体に巻き付けた白髪白髭、隠居生活を楽しむ好々爺といった風情だ。
だがその体からはこの世ならざる神気を感じさせる。
それもそのはず、この老人こそこの領域の神なのだ。
勇者と神の語らい。
まるで英雄譚の一節のような光景だが、この場を見てそんな厳かな場面を想像する者はいないだろう。
困ったお爺ちゃんに振り回されている孫。
そんな言葉が浮かんでくる光景だ。
「え~と、お爺さん。すみませんが全く事情が飲み込めないんですけど。」
「だからこの通り、こやつも反省しておるという話じゃ。」
カイはため息をつくと老人に説明を求めるのを諦める。
次に目を下に向けると、そこには神々しい白い大きな猫が大きく伸びをしている。
「もう土下座はいいかニャー。」
「土下座だったの?!」
猫が喋った事にも驚きだが、ずっと伸びをしたまま固まっていると思っていた姿が土下座だったことに驚くカイ。
猫は伸びーー土下座を止めるとクシクシと前足で髭を撫でつける。
その姿はどこからどう見てもただの大きな猫である。
「こ、これ! 勝手に止めてはいかん!」
「・・・あの、もう良いので話を進めてくれませんか?」
老人はカイの方を見る。呆れた顔をしているカイ。
老人は誤魔化すようにゴホンと咳をする。
「もう気が付いておるかもしれんが、勇者カイ。お主は死んでしまったのじゃ。」
変化は突然訪れた。
老人の言葉をきっかけに、カイの頭の中にこれまでの情報が一気に流れ込んできたのだ。
いや、自分の死を自覚したことで思い出したのだ。
5年に渡る長く苦しい戦いの日々を。
そして王国から不要とされ、殺されたあの夜のことを。
「あ・・・あああああああああ!」
目を見開き膝を付くカイ。目は大きく見開かれ、開いた口からは悲鳴が上がる。
全身にびっしょりと汗をかいて、死の恐怖にワナワナと震える。
「僕は・・・僕は、聖剣を奪われ、仲間だった騎士達に・・・。戦場で・・・。炎に包まれて・・・。」
老人はそんな見るも痛ましいカイの姿をじっと見つめる。
「勇者カイよ、すまなかった。全てはこのワシとヴァルコイネンのミスだったのじゃ。」
ヴァルコイネンは白猫の名前のようだ。
カイは涙に濡れた目を老人に向ける。
「最初から説明しよう。」
「勇者カイよ。お主レベルが上がっても能力が上がらないのではないか?」
「なぜその事を!」
この世界の生物はゲームのようにパラメータと呼ばれる12種の変数の組み合わせで能力ーーステータスが表現される。
パラメータはそれぞれ「体力 耐久値 筋力 持久力 心肺能力 俊敏性 魔力 知力 精神力 判断力 記憶力 信仰心」の数値を表す。
これらの数値はステータス画面で本人にのみ確認できる。
パラメータは複数の組み合わせで効果を発揮する。
例えば長距離を走る時、持久力のパラメータが高い者と心肺能力と精神力のパラメータが高い者とで同じタイムが出たりするのだ。
ちなみにレベルが上がるとパラメータも上がる。そういうところもゲームと似ている。
カイは戦闘を繰り返し、今ではレベルの上限であるLv100まできている。
しかし彼のパラメータは全て最低値のFから上がることはなかった。
「ひょっとして何か知っているんですか?!」
「まあの。実はステータスには隠しパラメータが存在するのじゃ。」
自分の今までの常識を覆す内容に驚くカイ。
老人は生物にはステータス画面に表示されている以外のパラメータが存在すると言うのだ。
例えば身長の高い者と低い者がいる。これは隠しパラメータである身体成長率が関係する。
運の良い者とツキの無い者がいる。これは隠しパラメータである運が関係している。
この数値はレベルに依存しない。そもそも一生変わらない。
つまりその人間の持って生まれた才能なのである。
ちなみに隠しパラメータには表のパラメータの成長率というものもある。
この割合によって身体能力の数値が伸びやすい者もいれば、精神的な数値が伸びやすい者もいるのだ。
言われてみれば確かに納得出来ることもある。
カイは老人の言葉がストンと胸に落ちた気がした。
レベルが上がれば表のパラメータが上がる。
しかし、ここでもし隠しパラメータも同様に上がるならば、レベルの高い者は誰よりも豪運で誰よりも背が高い人間になってしまう。
当然カイはそんな人間を見たことはない。
「そしてお主の隠しパラメータは全てある一点にのみ集中しておる。それは・・・」
「・・・それは?」
カイはゴクリと喉を鳴らす。
パラメータが伸びないことは彼の長年の悩みであった。
自分は何の取柄もない人間なんじゃないか。そう思い悩み、何度眠れぬ夜を過ごしたか分からない。
その秘密が今明かされようとしている。
「それは”寿命”じゃ。」
予想外な言葉に思わずポカンと口を開けるカイ。
「人間は隠しパラメータに割り振る”才能値”を持って生まれてくる。それを神であるワシが隠しパラメータに割り振るのじゃが、お主が生まれた時、ちょっとワシの手が離せないことがあっての。仕方なくこのヴァルコイネンに任せたのじゃ。ところがこやつめ、それを全部寿命に割り振ってしもうたんじゃ。」
「人間は寿命が短すぎるニャー。そんなんじゃ魔王を倒す前に寿命が尽きてしまうニャー。」
言わんとすることは分かる。悠久の時を生きる神からすれば人間の一生など瞬きほどの時間に過ぎないのだろう。
しかし、本当に全ての”才能値”を寿命に振る必要があったのだろうか?
「あの、それで僕の寿命はいくつなんですか?」
嫌な予感を覚えつつも気になって尋ねるカイ。
「勇者は常人の10倍以上の”才能値”を持って生まれてくる。お主はその勇者の中でも飛び抜けて”才能値”が高かったからの。」
「端数は切り捨てて言うと、ざっと5億7600万年ニャー。」
「何やってくれてんですか!!」
驚くなかれその寿命ざっと5億7600万年!
カイが怒るのも無理はない。
普通の人間どころか長寿の魔族ですら切り捨てられた端数の歳までも生きられないのだ。
「そんなになる前に気付きましょうよ!」
「今はパラメータの極振りがトレンドなのニャー。」
若干メタっぽい言い訳をする白猫。
「まあそういうわけでお主にはスマンことをしてしまった。そこでじゃ、今回だけ特別に元の世界に返すので、再び勇者として戦ってくれんかの?」
白猫に対して怒り狂っていたカイだが、老人の言葉に黙り込んでしまう。
「でも・・・才能が寿命だけの勇者なんて・・・」
「大丈夫じゃ、お主の才能にピッタリの神器を与えるからの。」
その数日後、猛威を振るっていた魔王は何者かによって滅ぼされる。
突然の振ってわいた朗報に、王国は人々の喜びの声に溢れ返った。
しかし、懸命な調査にも関わらず魔王は誰に倒されたのか分からなかった。
ーーそれから21年の月日が流れる。
次回「攫われた王女」