第8回「リトル・ヴォイス」
1
月曜日。
今朝は久松さんに会うこともなく、平和に教室に着いた。
バッグを机のフックに引っ掛けて、昨日のことを思い出す。
サンシャイン栄のイベントで、人前で大喜利をするという苦行を終え、観覧車に乗った後。
僕らはロフトの文房具フロアで買い物をした。
僕は中型のキャンパスノートと新しい3色ボールペン。久松さんはおしゃれなリングノートとディズニーキャラクターのボールペン。
彼女はもう何冊ハガキネタのためにノートを埋めたのだろう。その割にはさっぱり読まれないが。
でもそんなリスナーは全国に山ほどいるだろう。
以前あるお笑い番組で、複数の芸人たちがトーマスフレアのアメイジングナイトにネタを投稿して誰が最初に読まれるか、という企画をやっていた。
予想よりも読まれるまでに時間がかかり、企画自体がお蔵入りになる寸前というピンチになったほどだ。
その後は吉野家で二人で牛丼(並)を食べて、松坂屋南館のH&Mで服を見て(買ったわけではない)、スターバックスで一番安いカフェラテを飲んだ。
久松さんはコーヒー屋に入ったくせに紅茶を頼んでいた。理解できない。何のためにスタバ行ったんだ。メニューにあるからいいんだろうけど。
その間はいつものごとく、トーマスフレアの番組についてとりとめもないおしゃべりをして、気が付いたら夕方で。
帰りは矢場町の改札で別れた。
そして帰ってから、僕は一つの可能性に気づいた。
これって……限りなくデートなんじゃないかって。
僕にとって、人生で初めての。
いや、でも本当の問題はそんなことじゃなくて。
トーマスフレアの売れない後輩、鼻フック爆撃隊。彼らのイベント営業をネタにしようと栄まで行ったはずなのに、自分が大喜利イベントに出てしまった。
イベントに自分が出てしまったら、もうそれはネタにできない。笑いのネタを作るには、対象を突き放して傍観者として観察しなくてはいけない。
僕は当事者になってしまった。せっかくわざわざ栄まで行ったのに、手ぶらで帰ってきたことになる。それだけでもすごく痛い。
て言っても、別にそのことについて久松さんを責める気はしない。ネタハガキを書く人間にとって自分の実力が本当はどれくらいか、というのは結構気になるもので。
売れてないとはいえプロの芸人と大喜利対決をして、上がってパニックになることなくそこそこの笑いが取れた。だから感謝はしている。
問題は、鼻爆のツッコミ芹川にハガキ職人であることが見抜かれ、バカ正直にラジオネームまで教えてしまったことだ。
芹川経由で金ちゃんの耳に入り、それをフリートークで話されたら。
当日イベントを見に来ていた中にリスナーがいたら。
その中に、同じ学校のヤツがいたら。
僕の正体が学校でバレるかもしれない。
頼む、金ちゃん。話さないでくれ。僕の高校生活3年間がかかってるんだ。
2
「おっす」
前の席の鉄原君が、いつものパターンでこちらを振り向いてきた。もうそろそろ本命の友達の方に移行していい時期のはずだけど、彼はよほど友達を作るのがヘタなようだ。もしくは野球部の仲間としかつるんでないから、クラスに話し相手がいないか。
「おはよう」
「あのさ、戸崎君は」
「うん」
「B組の久松さんて知ってる?」
「えっ」
何だそのピンポイントな質問は。何か知ってるのか?
とりあえず嘘は最後の手段に取っておいて、事実を言って様子を見よう。
「……一度廊下でぶつかりそうになって、そん時しゃべった」
「マジかよ!いいなあ、いっそぶつかれば良かったのに」
「何だそりゃ」
「だってさ、あの子めっちゃ可愛いじゃん。多分学年でもベスト3には入るな」
「そんなに?」
確かにルックスはいいと思う。でも他の女子をよく知らないから、まさかそこまでとは思わなかった。
「でもさあ」
鉄原君がため息をつく。
「久松さんがどうかしたの?」
「野球部に、土曜日栄行ったやつがいたんだけど」
栄。
背筋に緊張が走る。
「さささ栄で何」
「何でどもってるの?いやそいつがさ、彼女とブラブラしてたらロフトの辺りで久松さんが男と歩いてるの見たって」
「ロフト」
やばい。顔に出てないよな?今。のどが渇いてきた。
「男は後ろ姿しか見えなかったみたいだけど、あんまりかっこいいヤツじゃなかったみたい」
悪かったな。
「でも可愛い子って、案外そういうやつが落としてくもんなのかねえ。見たヤツの話じゃ、久松さんすごく楽しそうだったって言ってたし」
「……そうなんだ」
そっか。楽しそうに見えてたんだ。
……いやいや、そんなことはいいんだ。早く話題を変えねば。
「えーと、じゃあ、てことは、1位と2位はもっと可愛いの?」
白々しく返すと、鉄原君はニヤリと笑ってのってきた。
「何だ何だ、戸崎君も女子に関心あんじゃん。いつもクールだから興味ないかと思ってた」
「別にそういうつもりで聞いたわけじゃ」
「いいっていいって。俺調べによるベスト3は、1位と3位が同じB組で2位がD組なんだけど、両方に野球部の連れがいるから。見に行く口実がある」
「い、いいよ、そこまでしなくて。僕野球部じゃないからむしろ不自然だし」
久松さんのいるB組に行く?危険すぎる!
鉄原君は「まあまあ」と言って前を向いた。何がまあまあなんだ。
3
昼休み。
結局僕は鉄原君に無理やり引っ張られ、”学年の可愛い子ベスト3ツアー”に連行されることになった。自分の流されやすさがイヤになる。
図書室のすみっこで、木曜に間に合うようにネタを書きたかったのに。
まずD組に行って、2位の子を探す。鉄原君のプランは、「俺が連れと話してる間、廊下で待ってるテイで見ればいいじゃん」というざっくりしたもので、
しかし不自然に教室内に入らなくていい点では助かるものだった。ヨソの教室に入った時の、あの冷たく突き刺さる複数の視線。あれは勘弁してほしい。
改めて2位の女子、相馬さんという子を探す。黒髪で長い髪を編み込んでいる可愛い子、という手がかりだ。一通り見回して、それらしき女子を見つけた。
可愛いと言えば可愛いが、別に騒ぐほどじゃないと思う。久松さんとはタイプが違う。ちょっとおとなしそうな感じ。
……何でいちいち久松さんと比べなきゃいけないんだ。
相馬さんと話していた女子がチラッと僕の方を見て、彼女に何か話した。相馬さんもこちらを見る。
僕は反射的に閉まっている窓の後ろに退避した。そしてC組との境に静かに移動する。
勘弁してくれよ、鉄原君。相馬さんに勘違いされたらどうするんだ。
しばらくして鉄原君が戻ってきた。
「遅いよ」
「悪い悪い、盛り上がちゃって。で、どうだった?相馬さん」
「んー、可愛いとは思うけど、別に昼休み使うほどじゃあ」
「ぜいたくだなあ。じゃ、次B組ね」
「いいよ、もう。また今度」
言って、僕は早足で歩き出す。
「まあまあ、見るだけ見るだけ」
しかし鉄原君のしつこさは尋常ではなく、野球部のガッチリした腕に肩をつかまれてB組の前に連れてこられた。
久松さんとは学校では全く話さない。知り合いということも伏せてある。ましてや"師匠"なんて絶対呼ぶなよと言ってある。
鉄原君がB組の中に入る。早速知り合いらしき男子と、その近くにいた髪の長い派手な顔立ちの女子と話し始めた。あれが鉄原君調べで1位の川崎さんか。
確かに美人だけど、顔が濃くて怖い。はっきり言って苦手だ。向こうも僕に好かれたくはないだろうけど。
教室内を見た感じ、久松さんは今席を外しているようだ。よしよし。このまま何ごともなく過ぎれば。
「何してるの?」
聞き覚えのある声に振り向く。
そこにはハンカチで手を拭く久松さんが立っていた。
4
「……人を、待っています」
「何で敬語?」
いぶかしげにこちらを見て、それから教室内をのぞいた。
「知らない男子がいる」
「あの鉄原君が、学年の可愛い子ベスト3巡りするって言って、連れてこられた。もう帰るから、何事もなかったように教室戻ってくれ」
僕は久松さんと知り合いに見えないようにほどよい距離を取って廊下の壁に寄りかかり、小声で話した。彼女も同じように寄りかかる。いや、教室入れよ。
通りかかった生徒が不思議そうに僕らを見て、特にリアクションもなく歩いていく。
「可愛い子巡り?ああ、だから川崎さんと話してるんだ」
「あの子が1位らしい」
「他は?」
やっぱり気になるよな。
「D組の相馬さんが2位」
「3位は?」
僕は親指を立て、前を向いたまま久松さんを「ん」と指した。
「え、やった。私3位なんだ」
「喜ぶのかよ!」
小さくガッツポーズする彼女についつっこんでしまった。
やばい、ちょっと声が大きくなってきた。目立ってはいけない。僕はさらに声をひそめて言った。
「いいから教室戻ってくれ」
言うと、彼女は無言で僕を指さした。
「何だよ」
「君のランキングは?」
「そんなものは無い」
「じゃあ作ってよ」
「全員参加賞だ」
「うわ、ずるい上に失礼」
「……何普通にしゃっべてんの?」
鉄原君がいつのまにか廊下に出てきていて。僕らを交互に見て言った。背中に冷たいものが走る。
「……やあ、終わったの?」
「終わったも何も、えー、久松さん?」
「うん。久松ですけど、何か?」
「戸崎君、ちょっと」
言うと、鉄原君は僕を脇へ引っ張って行った。
「何、何」
「久松さん、近くで見るとすげー可愛いじゃん。よく普通に話せたな」
「前に一回しゃべったから」
「いいなあ、じゃあ俺も」
鉄原君は久松さんに向き直り、言った。
「え、えっと、A組の鉄原泰治です」
「どうも、3位の久松里海です」
鉄原君が即座に僕を振り返る。
「戸崎君、しゃべったな!」
「ごめん、流れで」
「どんな流れだよ!」
久松さんは嬉しそうに、とても根性の悪い笑いを浮かべて僕を見ている。師匠のピンチがそんなに楽しいか。
「いやいや久松さん、全然違いますよ。戸崎君の聞き間違い。久松さんがダントツ1位だから」
「え、そうなの?どうもありがとう」
何だこの茶番。コントとしても古いぞ。
「そっちの君は?」
久松さんがあくまでも僕に振ってくる。
「……何が?」
「順位、順位」
僕には女子をランク付けする趣味などない。興味があるランキングはハガキ職人レースだけだ。
しかしお笑いのネタを日々考えている者にとって、ここまで振られて何も答えないわけにはいかない。
僕は必死に頭を振りしぼった。
「……じゃ、1位でいいよ」
「でいいよって何だよ!戸崎君失礼だよ!」
だって何も浮かばなかったんだからしょうがないだろ!
「あ」
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。今の僕には救いの鐘だ。
「久松さん、またね」
鉄原君がご機嫌な顔で戻っていく。無理やり連れてきた僕を置き去りにして。勝手なヤツだ。
「じゃ、もう戻る。しょーもないことで昼休み邪魔した」
「ううん。楽しかったよ」
言うと、今度は彼女が声をひそめた。
「これで、学校でも堂々と話せるね、師匠」
「目立つのは勘弁してくれ。あと師匠はダメだ。わかった?」
「うん、わかった」
厳しく言い残し、僕は自分のクラスに戻った。
「ん?」
席に着くと、LINEの着信音が鳴った。
久松さんからだった。
『1位にしてくれてありがとう。可愛い弟子より』
5
「えー、こないだ我々の可愛い後輩である鼻爆が」
「はいはい、鼻フック爆撃隊ね」
「名古屋で営業してきたらしいんですけども」
「言うてましたね」
「そこでね、なぜかお客さんとの大喜利対決のコーナーがありまして」
「ほう」
「ツッコミとはいえプロの芹川が出場いたしました」
「ほうほう。結果は?」
「高校生のカップルに負けたみたいです」
「何をしてんねん」
「本人は盛り上がったから勝ちやって言うてて、特に返事もせえへんかったけど」
「返事くらいしたりいや」
「でもその高校生、ラジオにネタハガキ書くのが趣味の子やったんやて」
「へー」
「どの番組とか、ラジオネームとかは教えてくれへんかったみたいやけど。結構おもろかったらしいで」
「そうなんやー。でも俺らも、ハガキ職人相手に大喜利で絶対勝てるか言われたら自信ないな」
「しかもそのカップルの彼女の方、めちゃくちゃ可愛かったねんて。ほんでまた、答えがシュールで会場を異様な空気にしてたって」
「ははは……すごいカップルやな。会うてみたいわ」
「お前可愛い女子高生見たいだけやろ」
「ちがうわ」
つづく




