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第7回「女と男の観覧車」


地下鉄名城線の栄駅から出るときは、一度階段を昇って東山線のホームに出る。これは義務である。

名城線メインの僕としては毎回階段を昇らされるのが億劫なので、どうにかしてほしい造りなんだけど。


手近な改札をICカードのマナカで脱出して、周りを見回す。サンシャイン栄のイベントは10時半から。今は10時過ぎ。

大行列ができるほどの人気コンビじゃないから、ギリギリで行ってもいいところで見れるとは思う。それにこういうイベントは、たいてい気をもたせて5分ほど遅れて始まるのだ。

時には本当にコンビの片方が寝過ごして営業に来なかったこともある。しかも面白いボケの方が。

ツッコミの芸人さんは一人でステージに立たされ、必死に漫談を繰り広げていた。むろんウケるはずもない。

その光景を生で見て、自分はプロの芸人になんてとてもなれないなと改めて思ったのだ。




「師匠ーっ!」


聞き覚えのある声に思わず振り返る。

僕が出たのとは反対側の改札口に、久松さんがいた。周りの人々が彼女の視線を追い、僕を見つける。勘弁してくれ。


僕は人込みをかきわけて、彼女のもとへ移動する。


今日の久松さんは、ロゴの付いた白いTシャツに、ジーンズのミニスカート。上には足首まで届きそうな薄茶色のペラペラのコート。靴は低いブーツみたいなの。頭にはハンチングをかぶっている。

妹もハンチングを持っているけど、かぶっているところを見て「競馬場にいるおじさんみたい」と言ったらキレられたので、今日は言わないでおこう。


私服はネタ会議の時に見慣れているけど、おしゃれにうとい僕でもわかる。栄に出るからちょっとめかしこんでいると。


ちなみに僕は、H&Mで同じ柄の色違いをまとめて買った長袖ボタンシャツとズボン。上が紺で下が白なのは色の組み合わせを考えたからではなく、たまたまクローゼットの上にあったからだ。


「おはよー」

「おはよーじゃなくて。でかい声で師匠とか呼ぶなよ。周りに見られたぞ」

「いいじゃない、別に。それよか早く行こうよ、いいとこ取られちゃう」

「全然よくな……」


久松さんは僕の手をつかんで、ずんずん進んで行く。女の子と手をつなぐのなんて、いつ以来だろう。中二の時、野外学習のフォークダンスで指先だけちょびっと触れたあの晩が最後か。


しかし今日、彼女はしっかり握っている。僕の手を。


背中に冷や汗がつたう。

のどが渇いてはりつく。


内から外から、襲い掛かってくる感情を、僕は受け止め切れなかった。


「ひ、久松さん!」

「ん?」


彼女が立ち止まって言った。


「8番出口じゃなかった?」

「それは合ってるけど……手」

「手……あっ」


慌てて手を放し、久松さんはごまかすように笑った。


「あはははは……ごめんごめん。つい焦っちゃって」

「……別に謝ることじゃない」

「うん」

「さっさと行こう」


僕は彼女を追い抜いて歩き出した。


「待って!師匠歩くの速い!」


ほんの一瞬、彼女が不安げな顔をしたから。


他人のそういう顔を見るのは苦手なんだ。









見上げると観覧車。

ビルの前面に観覧車である。誰が考えたか知らないが、よく思いついたものだ。屋上に設置すると高すぎるからか、ビルの前面にペタンとくっつけたように設置してある。

別に乗る予定はないけど。


サンシャイン栄のイベントステージは、グランドキャニオン広場と名が付いていて、吹き抜けの地下一階にある。降りて目の前でステージを見ることもできるし、一階の手すりから眺めることも可能だ。

むろん僕は地下に降りる。やはり現地まで本物の芸能人を見に来たからには近くで見たい。「生で見たら思ったより小さい」とか、そういういじり方にも実感がこもる。


「結構混んでるねー。あ、師匠!あそこ空いてる」


久松さんが目ざとく空席を見つけて走っていく。

真ん中やや左の前から三番目という、なかなかの席が取れた。


「いいところだ」

「でしょ?でしょ?たまには弟子を誉めてよ」

「だからいいところだ」

「それだけ?」


ブーブー言っている彼女を放っておき、ステージを眺める。


スペースの奥に一段高く上がった舞台が設置されていて、その周りは囲いがしてある。バックには大きなボードに某コンビニのキャッスレスPRイベントのロゴ。

長居すると勧誘されそうだから、鼻爆をしばらく観察したら早々に脱出しよう。


待てよ、だったら上から見てた方が逃げやすいか?この至近距離で途中退席は気まずい。


「あのさ」


隣の久松さんに移動しようかと言いかけた時、音楽が鳴り響いた。予定時間ピッタリだ。


司会進行のお姉さんがイベントの開始を宣言し、ゲストを呼び込む。


「それでは本日のゲストに登場してしただきましょう。鼻フック爆撃隊のお二人です。どうぞー」

「どうもー、鼻フック爆撃隊でーす」

「お願いしまーす」


まばらな拍手の中、男前の芹川とぽっちゃりの梅津がタラタラと歩いて登場する。若手なんだから走ってこればいいのに。服もどう見ても普段着だし。そういうところだぞ。


さっそく司会が話を振る。


「お二人は名古屋は初めてですか?」

「そうなんですよー」


二人が矢場とんの味噌カツ、新幹線ホームのきしめんなど名古屋グルメのトークを始める。よくある流れだ。

「本当にうまい」「あれ食べるためだけに来たい」と連発している。どう考えてもウソだけど、ここでクソマズイとか尖ったこと言って微妙な感じになるよりはマシだろう。今のをネタに使うなら、「寄せてきた」と意地悪な表現にするか、「しっかり仕事してた」と誉め殺すか。

その辺りは他の材料との兼ね合いで流れも変わってくるからまだ決められない。しかしこの距離でゴソゴソとメモするのも悪目立ちするので、しっかり聞いて記憶しておかなくては。


隣を見ると、久松さんは目をキラキラさせて鼻爆のゲストトークを楽しんでいる。ちょっとくらいネタを探しなさい、と師匠らしいことの一つも言おうか。


こういうイベントでは、実はそこまでひどいスベり方をすることはない。ネタだったら見る側も準備してハードルが上がってしまうけど、特定のイベントのゲストというのはまず進行がスムーズに行って、その中でちょいちょいボケを挟めばそこそこ成立する。むしろ趣旨を邪魔しない方がいい。かと言ってこのままではハガキに書くネタが物足りない。

この後ネタやってスベってくれれば、自分たちで温めた客席を自分たちで凍らせた、というオチが使えるんだけど。ネタやってくれないかな。


「ねえねえ、師匠」

「ん?」


久松さんが僕の袖を引っ張った。


「あれ見て、あれ」


小声でステージの端っこを指す。


そこには今日の段取りがパネルに書かれており、『みんなで参加!鼻フック爆撃隊と大喜利対決』というイベントの項目があった。


「へー、そんなのやるんだ」


じゃあステージ上で準備の時間がある。そのスキに脱出しよう。


「出ようよ」

「は?」


この娘は何を言っているんだ。


「出るわけないじゃないか。帰るぞ」

「えー、何でよ。師匠面白いのに」

「人前なんて出たくない」

「大丈夫。私も一緒に出てあげるから」

「そういう問題ではない」

「むー」


露骨に不満げな顔をして、久松さんは黙った。よしよし、あきらめてくれたか。









本編の趣旨であるキャッシュレスサービスの説明が、鼻爆の微妙なボケとともにつつがなく終わった。

司会進行のお姉さんがセンターに立つ。


「それではこの後、みなさんと鼻フック爆撃隊の大喜利対決を行いまーす。参加希望の方は」

「はーいっ!」

「うわっ」


僕の腕が勢いよく引っ張り上げられ、周りの視線が一気に集まる。手をつかんでいる久松さんが立ち上がり、僕も腰を浮かす。


「元気のいいカップルさんから、早くも参加希望がありましたー!」


お姉さんがホッとしたように会場をあおる。


「彼氏が嫌がってますねー」

「いいやん、ほんまは彼女自慢したいんやろ?可愛いし」


鼻爆の二人が雑ないじり方をして、今日一番の笑いが起きた。

僕は必死に腕を振りほどこうとするが、久松さんは離さない。


「やめてくれ。これじゃ僕がネタになるじゃないか」


小声で必死に抗議する。


「やだ」

「破門にするぞ」


言うと、彼女は僕の手を離し、いすに腰を下ろした。

僕も手首をブラブラしながら座る。


「師匠」

「もう師匠と呼ぶな」

「お願い。出たいの」

「……」


久松さんがじっと見つめてくる。周りの視線も痛い。


「ヘイヘイ彼氏ー!男らしいとこ見せんとー」

「イチャついとるだけやんけ。爆発しろ!」


……だんだん腹が立ってきた。

彼女にじゃない。鼻爆の二人にだ。


この二人のいじりはプロの芸じゃない。俺みたいなクラスで冴えないタイプを落として笑いを取る、そういうヤツらと同じだ。


「わかった。出る」

「本当!?」


久松さんの顔がパッと明るくなる。

わかりやすい。何てわかりやすい女だ。


僕と大喜利大会に出ることがそんなに嬉しいのか。全く理解できない。









「それでは優勝したミキナリ君とサトミちゃんには、賞金としてここサンシャイン栄が誇る観覧車、スカイボートのペア乗車券を差し上げまーす!」

「やった!ありがとうございまーす!」


結果から言うと、僕らはこの大喜利大会で優勝した。


プロとのハンデということで、鼻爆はツッコミの芹川一人。他の参加者は男の友人同士が一組と、カップルが一組。そして僕と久松さんの計4組で対決した。

ちなみ回答はタブレットみたいな板に専用ペンで書いて、それがそのまま大型テレビに映し出されるという形で、フリップにマジックで書くことに憧れがあった僕には少々残念なシステムであった。


お題は『こんなキャッスレス決済はイヤだ!さて何?』という、しっかりイベントの趣旨に合ったもので、よくあるタイプのお題である。


僕は「会計の後、レシートが2メートル出てくる」という、半ばヤケクソ気味な答えでややウケを取り、久松さんは「ちゃんとお釣りが出る」とう謎の答えで会場をザワつかせた。

あんなに熱心にステージのトークを聞いていたのに、趣旨を理解していない。


……いや、これはこれでアリかもしれん。キャッスレス決済でちゃんとお釣りが出る。ちゃんと、が効いてる。バかっぽいけど。


他の二組は大喜利なんてしたことない人たちであり、まあまあの答えと謎の答えを連発した僕らが総合点で勝った形だ。

プロの芹川は久松さん以上にわかりにくい変な答えを多発して、相方の梅津だけがそのスベりっぷりを笑っていた。優しいのか冷たいのかわからない関係だ。コンビってそういうものなんだろうか。


乗車券をもらってそそくさとステージを下りようとすると、鼻爆の芹川が僕を呼び止めた。


「あ、なあ、君」

「え?あ、僕ですか?」

「そうそう。君、面白かったよ」

「あ、ありがとうございます」


売れてないコンビの面白くない方に誉められてしまった。複雑だ。久松さんがなぜかドヤ顔である。


「答え方、妙にこなれてたけど、ラジオか何かに投稿してんの?」


一瞬言葉に詰まる。


「……はい、あの、フレアのアメイジングに」

「マジか!読まれてんの?」

「はあ、一応」

「ラジオネーム聞いていい?」


僕は声のボリュームをさらに下げた。


「……ザッハトルテ師匠です」


言うと、芹川は目を見開いた。


「一位のヤツやん!何それ。強いはずやん、何それー」


何それと二度言われても。


「そっかー、だから彼女さん、君のこと師匠って言うてたんかー。そうかそうか」


勝手に納得している。


「彼女じゃないです。友達です」

「友達というか、師匠と弟子です」


久松さんが、待ってましたとばかりに混じってきた。


「ええやんええやん。青春やわー」


そう言って僕の肩をポンポンと叩き、ステージの中央に戻って行った。





「ねえ、師匠。観覧車乗ろうよ」


彼女が乗車券をヒラヒラさせて笑う。


「……いいよ。乗ろう」

「本当?いつになく素直」

「ムダにしたらもったいないから……あ、ちょっと待って」


司会の声が聞こえる。


「では最後になりました。今日のスペシャルゲスト、鼻フック爆撃隊のお二人による漫才です。張り切ってどうぞー」


この流れでネタやるのか!









鼻爆が漫才で壮絶なスベり方をしたのを見届け、僕と久松さんは観覧車に乗り込んだ。

日差しが強くなるお昼過ぎに観覧車である。愚行と言っていい。

まぶしい。エアコンが設置されて暑くないのが救いだ。


「わー、結構遠くまで見えるねー」

「そうだね」


一度乗ってみたかったスカイボートだが、乗った瞬間に満足してしまった。こうなると遅いスピードにイラついてしまう。

さっさと一周して帰りたい。


「ねえ、師匠」

「ん?」


てっぺん近くまで到達した時、久松さんが言った。


「さっき言った破門て、まだ効いてる?」

「……気にしてたの?」

「そりゃするよー」


真剣な顔で訴えてくる。

僕は彼女から視線をそらしつつ、


「この観覧車は一度乗ってみたかったから、500円浮いてありがたかった。だから破門は無しだ」


と言った。


「500円でチャラって、安すぎない?」


不満げな顔をしながら、彼女は再び外を眺める。

そして僕は彼女の横顔を眺める。


男一人ではなかなか乗れない観覧車に一緒に乗ってくれて。

僕に破門されるって本気で心配して。

僕をステージに引っ張り上げてプロの芸人と勝負させてくれて。


本当は一言くらい、ありがとうを言わなきゃいけないんじゃないだろうか。


「……なあ」

「ん?」

「この後さ」

「うん」

「ロフトにノート見に行こうと思ってるんだけど、一緒に行くか?」


彼女は弾かれたようにこちらを振り向いた。


そしてでっかい声で、


「行く!」


と言った。


その顔を見て、僕はもう。



観覧車に早く動けとは思わなくなっていた。






つづく

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