第5回「オープン・ユア・アイズ」
つづきです
1
母さんは台所で久松さんと挨拶をかわし、彼女の顔をまじまじと見つめた。そして「あ、お友達なのね。ごゆっくり」とあっさり言って、財布を持って再び買い物へ出かけていった。
ごちゃごちゃ詮索されずに助かった気もするけど、久松さんのルックスを見て「あ、うちの息子には無理だ」と冷静に判断された気もする。複雑だ。
そして妹は。
「……オイ」
「何?」
お茶を入れた盆を久松さんが運び、僕が後に続く。
そしてよそ行きのおめかしのまま、妹の史奈は僕の部屋にちょこんと居座った。
「買い物行かないのか?」
「うん。より重要な用事ができたから」
「何だよ」
「お兄ちゃんが、初めての彼女に変なことしないか見張らないと」
「ちがうって言ってんだろ」
「そういえばさっき師匠って呼ばれてたけど、何アレ。あだ名?」
「空耳だ」
「そんなわけないじゃん、言ってたよ。でもお兄ちゃん、好み変わったよね」
「話を飛ばすなよ」
久松さんが折り畳み式の小テーブルに身を乗り出した。史奈もテーブルをはさんで同じポーズになる。
「変わったって、何が?」
「お兄ちゃん、ずっと黒髪ロングで前髪パッツンの女子が好きだったのに。久松さん全然タイプ違うから」
「……へー、そうなんだ」
久松さんの視線がこちらへ向いた。
笑うでもなく、からかうでもなく、まっすぐな視線が刺さる。
え、何コレ。何で僕が責められる流れになってるの?
「ガセネタだ。僕はそんなことを言った覚えはない」
「ガセネタじゃないよー。あのね、久松さん。お兄ちゃん中学の時」
「おい、余計なこと言うな」
僕はとりあえず妹をにらんで黙らせ、本棚からマンガを一冊取り出した。
「ほれ、新刊貸してやるから。下に行っててくれ。こっちはこっちで用事があるんだ」
「むー……わかった」
コミックスを受け取り、しぶしぶといった顔で部屋を出る。足音がだんだん小さくなっていく。
早速、久松さんがバッグからノートとハガキを取り出す。
「師匠、これ来週の」
「しっ!」
人差し指を口の前に当て、久松さんに目配せする。
小声で「何、何」と繰り返す彼女を手で制し、僕はドアの前までヒザ立ちで移動する。
そしてドアノブに手をかけ、一気に手前へと引いた。
「わっ!」
ドアの前で座り込んでいた史奈が、体をびくっとふるわせて声を上げる。
「……ここで何をしている」
「……なぜわかった」
にらみあう僕たちに目を丸くして、久松さんが言った。
「さっき階段下りていったよね?そんなに早く、音立てずに上がってきたの?」
「ちがうよ」
僕は妹の頭をわしづかみにして、グルングルンと時計周りに回転させる。
「やーめーてーよー。気持ち悪いー」
「しょーもない小細工しよってからに。足音だけ小さくしても、距離が変わってなきゃまだいるって気づくに決まってんだろ」
「抜かった!」
史奈は僕の手から強引に脱出し、「これで終わりだと思うなよ!」と捨てゼリフを残して階段を下りて行った。
2
「まったく……」
階段を目視確認して、ドアを閉める。
「ん?」
久松さんが、クスクスと笑っていた。
「何がおかしい」
「ううん。仲が良くてうらやましいなって」
「どこが。ケンカばっかりしとる」
「私ひとりっ子だから、うらやましい。あんな可愛い妹が欲しかったな」
ノートを開きながら言う彼女は、何だかとても寂しそうに見えて。
僕は何て言っていいかわからず、一つせきばらいをして彼女の正面に座った。
「見して」
「え?あ。はい」
彼女からノートを受け取り、ネタに目を落とす。
……相変わらず面白くない。こないだ、いっそシュールな方に振り切った方がいいんじゃないかと僕が言ったのを覚えていたのか、多少傾向は変わっている。
しかしシュールというより、ほとんど意味がわからない。
シュールな笑いっていうのは、結果的にわけがわからないだけで過程はその人なりに筋が通っているという、ある種狂人のルールみたいなものが必要なのだ。
彼女はそこをわかってない。
もちろん実際に狂ってなどいない。
普通だ。感性が普通すぎる。
でも普通な子に、ネタハガキを考えている時だけ狂え、というのも違う気がする。
別に師匠としての自覚が出てきたわけじゃないけど、その人なりの味ってものが無いとライバルの多い環境では目に留まらない。
頑固に個性を貫きつつ、少しずつアジャストしていって丁度ハマった時に金ちゃんに読まれるんだ。少なくとも僕はそうだった。
「どう?」
相変わらず期待に満ちた目で聞いてくる。もっと不安そうにしてくれればフォローのしがいもあるというのに。
何て言おう。先週も同じことで悩んだ気がする。
「……先週よりは、方向性がはっきりした、と思う」
「面白い?」
「面白い……というか、よくわからん味はある」
「何それー」
露骨に不満げな顔になる。こういところ、うちの妹より子供っぽい。
しかし久松さんはすぐに表情を変え、不敵な笑みを浮かべながらバッグから何やら取り出した。
「ふっ、ふっ、ふっ。私だって、先週ダメ出し食らって何も考えなかったわけじゃないんだよ」
「ほう」
テーブルの上には、黄色、緑、ピンクの蛍光ペンが転がってる。
「おい、まさかとは思うけど」
「あ、気づいた?」
多分僕の推測で合ってる。ネタを送り始めて最初の頃は、誰もが思いつく作戦だ。
ハガキの周りを蛍光ペンで派手にして、目を引こうという手だ。
「やっぱりさ、金ちゃんも人間なんだし、読みにくいハガキよりはこうやって目に付く方が選びやすいと思うんだよね」
言って、持ってきたハガキのワクを緑の蛍光ペンで縁取り始めた。そこにはすでにネタが書いてある。遠目にもわけがわからん内容ということはわかった。
蛍光ペン。
以前、コーナーの合間で金ちゃんと横ちんがアメイジングでしゃべっていたのを思い出す。
3
「あのー、ですね。ネタハガキなんですけど」
「うん」
「たまにね、たまにっていうかちょくちょく見受けられるんですけども。ハガキの四隅?じゃないか、こう周りをグルッとね、蛍光ペンでいろどってくれる子がおんのよ」
「いろどって」
「そう、後ね、ネタの自信あるとこなんかな?そこにピーッって蛍光ペンで線引いてあったり」
「はは……それはあれやね、ここやでってことなん?」
「そうそう。でもね、あの、この際なんで言うときますけども、僕らは純粋にネタでのみ選んでるんで。綺麗にして目立とうとか、ハガキのカド折って引っかかろうとか。意味無いですよ。大昔のテレビでやってた、ハガキが詰まった透明なボックスから何枚か選ぶとかなら引っかかって選ばれることもあるかもしれんけども。この番組はそんなんじゃ無いんで」
「そやで」
「そやでって、お前選んでへんやんけ」
「そんなん言いなや。前に俺が選んだやつ、お前ほぼボツにしたやん」
「お前がしょーもないヤツばっか選ぶからやろ」
「そんなん言うからもう任せよーってなったんやで」
「俺のせいにするなや、もー」
「えー、では曲です。丸裸三郎と全裸マンブラザーズバンドで『全裸マンのテーマ』」
4
のどまで出かかった「無意味だからやめろ」という言葉を、僕は思わず飲み込んだ。
蛍光ペンを握る久松さんが、あまりにも楽しそうで。
考えてみれば、無意味だということはやっても害は無いということだ。好きにさせておこう。
「師匠も見てないで手伝ってよ」
「えっ。僕もやるの?」
ハガキが3枚僕の前に差し出される。チラリと見たところ、何だかよくわからないネタが細かい字でビッシリ書いてあった。
僕は3枚それぞれをしばらく眺め、言った。
「もう少し、文章を簡潔にした方がいい」
久松さんが手を止める。
「やっぱ、長い?」
「長くてもいい。ちゃんとストーリーがあれば。でもこれはツカミの部分が弱いし、ダラダラしてる。字も小さい。本当に自信のあるオチの部分を残して、あとはそこを生かすためのフリを置く方が効率がいい。長いネタもたまには読まれるけど、関西ローカルのフリートーク番組見て研究してる職人じゃないと難しいと思う。僕も基本は短い文章にしてる」
ペンを置いた久松さんは、ハガキをもう一度見つめなおした。
「師匠の言うこともわかるけど……ハガキがもったいないから、とりあえずこれは出す」
「それは止めないけど」
今度からはハガキ大の下書き用紙に書いてくる、とつけくわえ、彼女は再び蛍光ペンによるカラーリングに戻った。
結局僕も手伝わされ、「塗り方が汚い」とダメ出しを受けてしまったのだった。
5
「ねえ、師匠」
黙々と手を動かしていた久松さんが、不意に口を開いた。
僕はと言えば、特に話すことも無くなったので、妹から借りている少女マンガを読み返していた。
少女マンガ、とバカにしてはいけない。基本、人間関係がシンプルな少年マンガと違い、少女マンガは人間関係が複雑だ。
主人公の男の子が片思いしているヒロイン……が片思いしている相手が。その子の母親の愛人とか。僕の頭からは逆立ちしたって出てこない設定である。ほとんど大喜利だ。
絶対に後々ネタハガキに生きてくる……と思って読んでいる。結局読めば読んだで面白いんだけど、
本編の恋愛云々のくだりにはまったく共感できず、感想を求めてきた妹にいつもブーイングを浴びている。
「ん?」
マンガから顔を上げずに気のない返事をする。
もうそろそろ帰ってほしいんだけど、なかなか動かないな、この女。
「師匠って、髪が長い女の子が好きなの?」
「は?」
彼女は真顔で僕を見ている。もうちょっとニヤニヤしてくれれば返しようもあるのに、読めない。
「妹のたわごとなんか気にしなくていい。それよりもう終わったんだろ?」
「あ、ひどい。追い出そうとしてる」
久松さんは片手で襟足を、二度撫でた。
「私も髪伸ばそうかなー」
「……それは独り言?それとも僕に言ってる?」
「さあ、どっちでしょう」
言うなり、彼女はテーブルの上に広げたものをテキパキと片付け始めた。
「じゃ、そろそろ帰るね。お邪魔しました」
「えっ、お、おう」
いきなり?何なんだ、もう。別に本気で追い出そうとしたわけじゃ。
とにかく僕は先に立って、部屋のドアを開けた。
「わっ!」
「うわっ!」
ドアのすぐそばに、史奈が座っていた。デジャヴ。
「……お前、いつからそこにいた」
「さあ、いつからでしょう……ぎゃっ」
僕の手のひらが史奈の顔面を抑え込む。大した握力もないが、必殺のアイアンクローである。
「やーめーてーよー。ついさっきだってば。ずっと聞いてるわけないじゃん」
「本当か?」
「師匠、離して。かわいそうだよ」
久松さんのとりなしで手を離すと、史奈は素早く階段を下りて行った。
「ヌハハハハ!甘いな!……わあっ!」
最後の一段を下りる時、妹は思いっきり足をすべらせ、廊下にケツを打ち付けた。
「おーい大丈夫かー」
のんびり下りていく横を、久松さんがドタドタと下りていく。
「大丈夫?今すごい落ち方したよ!」
史奈に駆け寄り、体をペタペタと触る。
妹は途端に赤面して、「えっと、あの、大丈夫です」としどろもどろになって立ち上がった。
バカな振る舞いが多い妹だが、その実かなりシャイなのだ。兄妹でムダに似てしまったと思う。
史奈の足元を見ると、足首までの靴下を二枚重ねではいていた。
「お前、そんな寒がりだったか?」
史奈はさっと目をそらした。
「……音を立てず歩くために、重ね履きした」
「それで滑ったのか。お前というヤツは、本当につくづくだな」
「つくづく、何よ?」
不毛な兄妹ゲンカを笑いながら見ていた久松さんは、やがて「お邪魔しましたー」と元気よく言って、玄関を出ていった。
僕は「ん」とだけ言って、片手を軽く上げて見送る。やれやれ、やっと帰った。
「お兄ちゃん、何してるの?」
両眉を下げてケツをさすりながら、史奈が顔を出す。
「何って言われても、客を見送った」
「見送ったじゃないよ!ちょっとくらい送っていきなよ。信じられない」
下がっていた眉が一気に吊り上がった。
やだ怖い。
「えー、めんどくさい」
「グダグダ言わずに行くの!行かないと、借りたマンガブックオフに売るからね」
「おい、やめろ」
僕はため息を一つついて、サンダルをひっかけて外へ出た。
6
「おーい」
あまり歩くのが早くないのか、久松さんは簡単に捕まった。
4月のお昼時はまだ湿気こそないものの、日差しはそれなりに強い。その下を歩く久松さんは、理由はよくわからないけど、どこか心もとなく見えた。
彼女は振り向いて、ただでさえ大きな目をさらに広げた。
「師匠!どうしたの?」
妹におどされて、と素直に言おうとして、僕は気づいた。
これ、好きな子と一緒にいるために考えた白々しい言い訳っぽくない?これは本当のこと言っちゃダメなパターンだ。
「その……ちょっとコンビニに用事を思い出して、ついでにそこまで送ろうと」
「ふーん……」
彼女は僕の顔をまじまじと見つめ、
「ありがとう」
と笑った。
僕はなぜだか、その笑顔をまともには見られず、必死で別の話題を探した。気まずくならない、無難な話題。かといって唐突でもない、便利な話題。
「えっと、さっき言ってた、髪の長い子が好きかとかいう話だけどさ」
しゃべりながら不安になる。あれ?今、墓穴掘ってないか?
「うん」
「別に髪の長さで好いたり嫌ったりしない。ただ、顔の長い人は髪が長い方が似合うし、丸顔の人は短い方が似合う……と思う」
「……」
彼女は黙った。
当然だ。
僕は何を言っているんだ。自分でも意味がわからない。彼女のネタハガキを笑えない。
中学の時、僕と一時期仲良くしてくれた女子。
そして二度と口をきかなくなった女子。
その子は確かに長い黒髪の子だった。
今はもう、長い黒髪の女子は苦手だ。
「師匠は優しいね」
「は?」
予想しない言葉をかけられ、僕はひときわ間抜けな声を出した。
久松さんの顔を見る。目を見開いて、しっかり見る。
彼女は笑っているような、からかっているような。
それでいて、申し訳なさそうな顔にも見えた。
「じゃあ、また来週」
言うと、彼女は走って行ってしまった。
置いて行かれた僕は、とりあえず太陽をにらんでそのまま回れ右をした。
つづく