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第4回「眺めのいい部屋」



約束の時間ジャストの朝9時。公民館へ自転車でやってきた。自転車置き場でカギをかけたりゴソゴソしてたら9時を過ぎてしまうけど、ジャストに敷地内に着いたんだからセーフだな、うん。


「ん?」


バッグを背負って入口へ向かうと、誰かが入り口前の階段に腰かけているのが見える。

誰かが、なんてわざとらしいか。久松さんだ。


今日は4月にしてもだいぶ暖かい。僕は長袖のTシャツ1枚で、彼女もタンクトップの上にゆるめのTシャツを着ている。しかも長ズボンの僕とちがってジーンズのショートパンツで脚が丸出しだ。

この人は多分、僕が思春期の健全な男子であることを全く考えていないにちがいない。トミー君が言ってた「小さい頃、男子と女子が普通に遊んでた感覚のまま」という話も、あながち大げさではないかもしれない。


「入らないの?」


僕が聞くと、彼女はゆっくりと顔を上げて「師匠、おはよう」と元気の無い声でこたえ、振り返らずに背後を指さした。


自動ドアの手前に立札があって、


『本日盆栽コンクール開催につき、図書スペース及び自習スペースは使用できません』


と書かれている。自動ドアの向こう側に盆栽が多数展示されているのが見えるし、外にもまだまだスタンバっている。


「全部入れないのか」

「そう!信じられる?あんなの趣味の集まりでお互いに見せ合いっこしてればいいじゃない!何の権利があって公民館占領するの?」


すっくと立ちあがり、一気にまくしたてた。周りにちらほら見える老人たちの視線が気になる。あいつら普段耳遠いくせに、悪口だけよく聞こえるからな。


案の定、おじいの一人がこちらに近づいてきた。60から70の間くらいのやせた人。ストライプのポロシャツをコール天のズボンにきっちりシャツインして、縄みたいなベルトを締めている。頭にかぶっているのは、どこで買ったのか不明なモスグリーンのキャップ。足元は裸足にクロックス。


笑いを取る、という目的なら中途半端でイマイチだけど、本気でカッコいいと思ってるなら笑える仕上がりだ。嫌いじゃない。

こいつのことはコール天と呼ぼう。


「何か文句あるのか、お前ら。俺たちは半年も前から事前に予約してたんだぞ」


首だけ向けていた久松さんはすっくと立ち上がり、コール天に向き直った。


「でもだからって、貸し切りにする必要無いんじゃないですか?」

「盆栽ってのはな、長い時間をかけて手間暇惜しまず愛情を込めて育てるものなんだ。お前らみたいなガキにウロチョロされてひっくり返されたらどうするんだ」


言って、半身になって振り返り、一鉢の盆栽を指した。


「あれが俺の最高傑作、梵天丸ぼんてんまるだ」


縁の低い鉢に、ぐにゃりと折れ曲がって伸びる幹が立つ。そこに松の葉が茂り、土の上には苔も生えている。


「……普通だな」


思わずつぶやくと、久松さんが驚いた顔で僕を見た。何だよ。


コール天は急にアゴを上に向けて、


「フン、子供が知った風なことを」


と露骨に侮っている。


僕は眉を片方上げて、言った。


「確かによくできてるけど、独創性が無い。盆栽は実際の木や庭の景色を縮尺して再現する、いわば神の視点を楽しむ娯楽だ。だから神になって、自分の理想の庭をフィクションとして造れるはず。なのにあの鉢には、フィクションが無い。クソ真面目に再現することで満足してしまって、何も冒険してない。どうせ万年入賞止まりじゃないの?」


「な……こ……」


顔を真っ赤にしてプルプル震え出すコール天。久松さんは心配そうに僕の顔を見ている。

あ、やばい。公民館ってAEDあったっけ?これで死なれたら後味悪いな。


「あ」


久松さんがコール天の背後を指さした。


「あ」


梵天丸のそばに、黒い影。


「あの、おじいさん、あれ」

「うるさい!このクソガキどもが、大人を馬鹿にしよって」

「いや、あの、梵天丸が」

「ん?」


コール天が振り返る。

梵天丸のすぐそばに、一匹のハチワレ猫がたたずみ、松の葉っぱを猫パンチしている。


「ちぇいっ!こらーっ!」


大声を出して走り出したコール天。

その剣幕に驚いた猫は、梵天丸に体当たりして逃げ出した。


『あっ』


こういう時って、なぜかスローモーションに見えるものなんだ。


コール天が丹精込めて育てたという盆栽、梵天丸はゆっくりと地面に落下して行った。


「梵天丸ーっ!」


ガチャンと音を立てて割れる鉢。こぼれる土。


「あー、あー、あー」


情けない声を上げて、コール天が必死に土をかき集める。周りの老人たちは誰も手伝わない。ライバルが減ったということだろうか。勝負にシビアという点ではハガキの投稿も同じかもしれない。

でもそれにしたって、同じ趣味を持つ者同士、気持ちはわかるだろうに。ひどい世代だぜ。


僕は久松さんに言った。


「もう行こうよ。貸し切りは正規の手続きだし、文句は言えない」

「……私、行ってくる」

「は?」


何を思ったか、久松さんがコール天のもとへ走って行った。そして何か言葉をかわして、一緒に土をかき集めだす。

さっきまでケンカしてたくせに、何考えてるんだ。


僕はため息を一つついて、近くにいた老人の1人に声をかけた。


「すいません。予備の植木鉢が何か、ありませんか?」







元の鉢と比べれば貧相ではあるが、いわゆるホームセンターにあるような土色の鉢に梵天丸を緊急避難させた。


コール天のおじいは、さっきまでの勢いが嘘のようにしょげかえり、無言で梵天丸の幹を撫でている。

久松さんは何か言いたげだったけど、他の老人に「もういいから、帰りなさい」と言われ、僕たちは自転車置き場に戻ってきた。


「久松さんも自転車?」

「……ううん。近いから、歩いてきた」

「……ふーん」


近くても自転車の方が早いのに。変わった子だ。


「何かかわいそうなことしちゃった」

「ん?何でさ。ひっくり返したのは猫だ」

「でも、私たちのところにいたから、梵天丸の辺りが無人になって猫が来ちゃったでしょ」

「それも、あのコール……おじいさんが大人げなくイライラして怒りにきたからだ。一時の感情で大事なものを後回しにして、失った。本人の責任だ」

「……師匠は厳しいね」

「子供を大声で恫喝するような大人に、敬意も思いやりも必要ない」

「その割には代わりの鉢持ってきてくれたよね」

「土だけ集めたってどうにもならんしな。それにあの盆栽自体に罪はない」

「師匠は優しいね」

「どっちなんだよ」


カギを外して、バッグをカゴに放り込む。


「じゃ、そういうことで」

「えっ!?ちょっと待ってよ。まだネタ見てもらってない」


久松さんがバッグからノートを取り出そうとする。


「ここで出してもしょうがないだろ。もう今日はあきらめて、帰ろう」

「だめ!!」

「だめったって、場所が無いんじゃ仕方ない」

「じゃあ……駅前のファミレス」

「だめだ。あそこは学校のヤツらが必ずいる。それに金がかかる」

「うーん……じゃあ……じゃあ……」


あごに手を当てて久松さんがうなる。


「あ、いいこと思いついた」


僕はまだ大して長く生きちゃいないが、女子が言う「いいこと」には多分ロクなことがないことを知っている。

彼女はニカッと歯を見せて笑った。


「師匠のい」

「ダメだ!」

「まだ言ってない」

「僕の家って言いたいんだろ?ダメだ」

「何、部屋にエッチなものがたくさんあるとか?」

「そんなものは無い」

「じゃ、いいじゃない。ねえ、師匠ー」

「ダメったらダメだ!」







せっかく自転車に乗っていったのに、僕は公民館から家まで引いて歩いてきた。

隣の女の子が徒歩だからだ。



何度も押し問答するうちに、結局僕が押し切られた。久松さんといるとずっとこんな感じな気がする。

まったく、わがままな女だ。親の顔が見たい。



ちなみに僕の両親はと言えば、今日は父親が休日出勤、母親は妹と二人でイオンに買い物に出かけている。昼飯も食べてくると言っていた。


つまり、もし公民館がいつも通り使えていれば、10時には帰ってきて3時間くらい家でネタを考え放題だったのに。どうしてこんなことに。


「おじゃましまーす」


玄関を開けた途端ズカズカ上がり込むところまで想像していたんだけど、意外にも久松さんは「どうぞ」と言うまで動かなかった。

そういうところはちゃんとしてるのか?


ヒザをついて脱いだサンダルを反対側に向け直し、「早く早く、部屋行こうよ」と急き立てる。礼儀正しいのか図々しいのか、やっぱりわからん。



「おおーっ」



階段を上り、ドアを開けた途端、感嘆の声を上げて久松さんが部屋を見回した。


本棚、折り畳み式のスノコベッド、パソコンデスク、ノートパソコン。

そしてSONYの録音機能付きラジオが枕元に転がっている。何てことはない、殺風景な男子の部屋だ。

何がおおーっなのか。


「男の子の部屋って、みんなこんなにモノが無いの?」

「他を見たことないからわからん。飲み物持ってくるからその辺に座ってて」

「おかまいなく」

「何も触るなよ」

「おかまいなく」

「かまうわ」


言って、ドアを閉めて階段を下りる。爽健美茶があったっけか。


「ん?」


階段の下り口からはまっすぐ玄関が見える。

人影がドアをガチャガチャやっている。


しばらくして、玄関がガチャリと開いた。人影が後ろを振り返りながら言った。


「もー、お母さん、今度からちゃんと財布確認してよねー」


……妹の史奈ふみなが、そこに立っていた。


中学2年生。本来ならクソ生意気盛りで高1の僕とは険悪になっても良い年ごろであるが、今のところ仲はまあまあ良好である。主にマンガの貸し借りが生命線だけど。

パっとしないのっぺり顔の兄とちがい、史奈は切れ長の目に鼻筋が通っていてまあまあモテる。背が低いのだけは本人も気にしているが、兄の僕が165センチで両親はそれよりちょっと低い。

当の妹は150そこそこ。遺伝子がしっかり仕事したとしか言いようがない。


「あれ、お兄ちゃん何でいるの?用事じゃなかったの?」

「……お前こそ、母さんと買い物じゃなかったのか」


やばい。どうしよう。さっきの言葉を聞く限り、母さんがバス停まで行って財布忘れたのに気づいて戻ったっぽい。本当に、ちゃんと確認していけよ!


いや、財布はこの際どうでもいい。

問題は、今史奈の足元にきっちり揃えられた久松さんのサンダルがあることだ。

当然ながら、史奈が気づく。


「ん……?」


久松さんがはいてきたのは、カカトをヒモで固定するようなサンダルで、甲の部分は花柄だ。


「ねえ、お兄ちゃん。誰かお客……」


その時、階段の上からトントンと足音が聞こえてきた。

おい、マジかよ。来るんじゃないよ。


「師匠ーっ!やっぱり私も運ぶの手伝う」

「おい、待て!来なくていいって!」


階段を下り切った久松さんと、妹の目が合った。


「……あ、お邪魔してます」

「……どうも」


しばらく見つめあった後、史奈は静かにドアを閉めた。

そして近所中に聞こえる声で言った。


「お母さーん!お兄ちゃんに彼女ができたーっ!」





つづく

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