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第2回「ヤングマスター/師弟出馬」

つづきです


土曜日、朝9時。


自転車にカギをかけ、さらにチェーンを後輪にロックする。二つのカギをキーホルダーで止めてポケットにしまう。

このキーホルダーも、アメイジングナイトでネタを読まれて送られてきたノベルティグッズで、もちろん非売品だ。

カタカナで"トーマスフレア"と凝ったデザインで書かれた派手なプラ板がついている。思ったよりコストがかかったようで、短期間で別のノベルティに代えられてしまった。今ではレア物で、ちょっとした自慢の品だ。


「はあ……」


朝から何度目かのため息が、口から漏れ出てしまう。行きたくないなあ。

せっかく部屋にこもってネタ考えようと思ったのに、何でこんなことしなきゃいけないんだ。


公民館に入ると、小学生と年寄りがすでにワラワラと集まっていた。何かイベントでもあるのか。あるのだ、きっと。

一部小規模な図書館機能も兼ねている公民館なので、普段は静かで騒げない雰囲気だ。でもこれだけにぎやかなら、ちょっとくらいしゃべっても目立たずに済む。


「あ」


図書スペースの隣に、そこそこの広さのテーブルが4つ並んでいる。その一番奥に、久松さんがこちらを向いて座っていた。


僕の声が聞こえたわけじゃないだろうけど、久松さんがこちらに気づいて小さく手を振って来た。


「……」


特に手を振り返すこともなく、僕は彼女のもとへ歩いて行った。






「ちょっと師匠、手くらい振り返してよ」


正面のイスにバッグを置いたタイミングで、久松さんは口をとがらせて抗議してきた。


髪型は昨日会った時と同じ。短めだからパターンも無いか。

ジーンズのジャンパーにジーンズのミニスカート。靴は足首までの短いブーツ。


僕は思った。

こんなかっこしてる茶色い髪の女に、面白いネタが書けるわけないだろ。



「座ってるの見えてたし」


僕は小声で答えた。


「そういう問題じゃないでしょ、もう」


ちゃんと合理的なことを言っているのに、納得していないようだ。

こういうズレってネタになるのかな?


彼女が何を言いたいのかはサッパリわからないけど、とりあえず斜め前のイスに僕は腰を下ろした。


「で、何それ」


彼女はすでにノートを2冊、机の上に広げていた。何やらびっしり書き込んである。


久松さんはなぜか嬉しそうに片方のノートを持ち上げ、「じゃーん」と言って広げ、僕の方に押し付けてきた。


近い。

それになぜこの女は、昨日初めて話したばかりの男子にここまでフレンドリーになれるのか。本当に同じ日本で生まれ育ったのだろうか。


「見ろってこと?」


ノートを受け取って、僕は言った。


「うん。私のネタ帳」


ネタ帳。


僕にも似たようなものはあるけど、一冊のノートにはまとめていない。

机の上と本棚に、100円ショップで買ったメモパッドを置いてある。何か思いついた時にすぐ書いておけるように。

前はトイレにもメモパッドを置いていたんだけど、書いたメモを置きっぱなしで出てしまって、後で母親に「何コレ」と見つかって以来撤去している。

あれは心臓に悪い。下ネタだったし。


僕はノートを開いて、その予想外に綺麗な字を目で追った。


「……」


何だこりゃ。


つまらん……という言葉も適切じゃない気がする。シャレもひねりも毒もない。他人の支離滅裂な日記を読まされている気分だ。賞味5ページくらいみっちり書いてある。


「これ……」

「うん!何?」


大きな目をキラキラさせて斜めに身を乗り出してくる。


「番組に実際に送ったネタ?」

「前半の3ページくらいは。後半はこれから送ろうと思ってる」


送ったのかよ。そしてこれから送るのかよ。


……はっきり言った方がいいのかな。センス無いからやめろって。遠回しに言っても、センス無いから伝わらない気がするし。


「……あのさ」

「はい、師匠!」


とても良い返事をして、久松さんはもう一冊のノートにシャーペンをスタンバイしだした。


学ぶ気持ちがすごい。

どうしよう。気まずい。


「一つ聞きたいんだけどさ……久松さんは、下ネタは苦手?」

「へっ?」


びくっと肩を震わせて、彼女は固まった。


「ち、ちがうし。全然苦手じゃないし」

「本当に?」

「だってフレアのアメイジングリスナーだよ?苦手なわけないじゃん」

「ふーん……」


目を細めて見つめると、彼女はさりげなく目をそらした。


「じゃあ、試していい?」

「な、何かわか、わからないけど、師匠がそう言うならどうぞ」


緊張の面持ちで久松さんが座りなおす。

僕は一つ咳ばらいをして、言った。


「……アナル」

「わーっ!」


久松さんが立ち上がり、両手で僕の口をふさいだ。そして周りをキョロキョロ見回す。


「公共の場所で何てこと言うの!?信じられない!」

「やっぱり動揺した」

「当たり前でしょ!それただのセクハラだよ!」

「これで笑えないようでは、読まれるネタを書くのは厳しいと思うよ」

「笑えるわけないじゃない!めちゃくちゃびっくりしたよー!」


真っ赤になった顔をノートでパタパタあおいでいる。

少々刺激が強すぎたか。アメイジングナイトではしょっちゅう下品な単語が連発されるから、僕の感覚も少々マヒしているのかもしれない。


「……師匠」


少し落ち着いて、久松さんがポツリと言った。


「だから師匠って呼ぶのはやめてよ。何?」

「やっぱり、私面白くないのかな」

「……」


少しは自覚があったらしい。なら話が早い。

言おう。センス無いから、聞いて楽しむだけにしとけって。


「ふつおたじゃダメなの?」


ふつおたとは「ふつうのおたより」のことである。悩み相談コーナーとか、Eメールで合間に読まれることもある。

読まれることを目的にするなら、それでもいいはずだ。


「ダメ」


久松さんはキッパリと言った。


「金ちゃんに選んでもらって、放送で横ちんに笑ってもらいたいの。自分の書いたネタであの笑い声を聞きたいの」

「……」


何だ、この女も……久松さんも、僕と同じこと思ってたんだ。


僕はフレアのリスナーとしてはかなり日が浅い。去年、受験勉強がかったるくてたまたま聞いたラジオにはまっただけで、番組開始当初は知らない。

それでも何とか他のハガキ職人たちみたいに二人に名前を覚えられたくて、金ちゃんにネタを選ばれてたくて、横ちんを笑わせたくて。

そのために読まれるネタの傾向や表現を分析して、何度も何度もボツになり、そして初めて読まれて横ちんを笑かした。

その時は頭が真っ白になって何も覚えてないけど、放送のデータは取ってある。何度も聞き返して一人ニヤニヤしたもんだ。


「久松さん」

「え?は、はい」


僕はノートを手の甲で叩いて言った。


「率直に言わせてもらうと、このネタをそのまま送って読まれることはまずないと思う。ひねりも毒もないし、下ネタもない。芸能人をいじるネタも全然ない。そういうタイプのネタは苦手?」

「……正直言うと、苦手」


はっきり言い過ぎたか、さすがにしょんぼりしている。


「でも、まだ可能性はある」

「え、本当?どのネタ?」

「こういうの」


僕は彼女が最近書いたであろう、走り書きに近いメモを指した。


「そこはただのメモだよー」

「これこれ。神社の近くの住所はみんな宮前」

「……それが?」


彼女は眉根を寄せて首をかしげた。


「これはちょっと、味があっていい」

「どこが?ただの思いつきだよ、そんなの」

「いや、これをこのまま送るってわけじゃないけど、こういうセンスでシュールな方向を狙えば、それはそれで味が出ていつか目に留まるんじゃないかと」

「そういうもの?」

「……僕はスタッフじゃないから保証はしないけど」


芸能人の悪口も、下ネタも、毒もひねりも苦手なら、あとはもうシュールを狙うしかない。


僕はいくつかのメモやネタに、シャーペンで丸印をつけた。


「この辺のワードは何か妙な味があるから、もう少し磨けばハガキで出せるくらいにはなると思う」


そう言って、久松さんにノートを返す。


彼女は「ふんふん」と言いながら熱心に読み込んでいる。


「久松さんは」

「ん?」

「そんなにトーマスフレア好きなの?」


何気なく聞くと、彼女は大きな目を開いて乗り出してきた。


「師匠が初めて弟子に関心を示した」

「……からかうんなら帰る」


立ち上がった僕を、彼女はあわてて引っ張った。


「冗談だってば!もう、あんな面白いネタ書く人が何で冗談通じないかなー」

「冗談が通じない時は、たいてい言った方の判断ミスだよ」


僕が座ったのを見て、久松さんは言った。


「私、小4から中1まで関西に住んでたの。で、小6の時、イオンに営業に来たのをたまたま見てファンになって」

「結構歴が古いね」

「でもアメイジング聞き始めたのは、受験の時からだよ。それまで深夜ラジオ自体あんまり聞いたことなかったし」

「そうなんだ。僕も似たようなもんだ」

「え、そうなの?」


それから僕と彼女は、しばらくの間フレアと番組についてあれこれ話しこんだ。ネタのセンスはともかく、久松さんはライブの出待ちをしたり、

営業スケジュールを調べて最前列を取ったりする熱いファンだったようだ。今でも出ているテレビは欠かさず見ているらしい。


僕はアメイジングナイトという番組こそ好きだけど、テレビでの二人はそこまで追ってない。二人の本当の面白さが生きてるとは思えないからだ。

芸人の本当の面白さは、ラジオでこそ出るんじゃないかと僕は思う。


それでもやっぱり、ファン歴の長さでは正直負けたと思う。





「あ、そろそろ私行くね」

久松さんが腕時計を見て言った。


僕もバッグを持って立ち上がりながら言った。


「約束は守ってくれ」

「約束……ああ、あれね。もちろん、黙ってる」


彼女はわざとらしく歯を見せて、すごく可愛くない笑い方をした。







公民館の玄関を出て、僕は自転車置き場へ。


「あ、ちょっと」


僕が呼び止めると、久松さんがスマホをいじりながら振り返った。


「何?」

「ラジオネーム、教えといてよ。読まれたかどうかわからない」

「あ、そうか。そうだよね」


言ったものの、彼女はモジモジしてなかなか教えてくれなかった。


「早く教えてくれないかな」

「あのさ……ラジオネームって、自分の口で言うの恥ずかしくない?」

「わかるよ。うっかり他人にバレるほどは恥ずかしくないけどね」

「いやみったらしいこと言わないでよ。もし私が拾わなくて、誰か性格悪い子が拾ってたら今頃みんなにさらしものだよ」

「……それは、確かに」


いや待て。そもそもハガキを落としたのはバッグをぶちまけたからであり、その原因は久松さんとぶつかりそうになったからで。

じゃあなぜぶつかりそうになったかというと……僕がよそ見してたからだ。ハガキだって自分が朝出し忘れたからバッグに入りっぱなしだった。

シャクだけど、ある意味恩人と言うべきなのか。


「はい、読んで」

「は?」


彼女のスマホに大きいバーコードが表示されている。


「何これ」

「知らないの?LINEの友達追加。読めば追加されるの」

「ほー」


LINEはとりあえずインストールしてあるものの、やりとりする相手がいないので開店休業状態だ。お店のクーポンも毎日しつこいので削除してしまった。


「今からラジオネーム送るから、私が見えなくなったら見て」

「はあ」


やたら真剣な顔で言うと、「じゃあね、師匠」と手を振って走っていった。


僕は自転車のカギを外し、門まで引いて歩いて出るところでスマホを見た。



『あなたの弟子のラジオネームはパプリカです。ちゃんと読まれるか、聞いててよね』



何でパプリカなんだ。意味がわからん。


「あ」


見えなくなったら、と言われたけど遠くに久松さんの背中が見えた。公民館は広い公園の一部なので、まだ敷地内だ。


「……」


彼女は連れと合流していた。


見たことのない、背の高い男子と。


「……帰ろ」


僕は自転車をこぎだした。

いつもより何倍も早くペダルを回して。



つづく

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