最終回「パプリカ」
完結です。
1
ラジオを流しながらベッドに仰向けになる。ただ音が鳴っているだけで頭に入ってこない。
今日何度目かの大きなため息をついて、僕は目を閉じた。
もうすぐトーマスフレアのアメイジングナイトが始まる。
でもどうせ読まれやしない。惰性でネタは送ったけど、書いてても読まれる手ごたえは無かった。
一応録音はしてあるし、今日はもう寝ようか。どうせ眠れないけど。
「ん?」
ドアがノックされた。
「お兄ちゃん、起きてる?」
史奈だ。何なんだ、こんな夜中……って言ってもまだ11時前だから普通か。
「寝てる」
「起きてんじゃん」
ガチャリとドアを開けて妹がズカズカ入ってきた。愛用のムササビ着ぐるみパジャマである。
僕はむくりと起き上がって言った。
「お前その寝間着好きだなあ」
「じじいか」
史奈がローテーブルをはさんで座りこむ。
「今からアメイジング聞くんだけど。用事なら手短に頼む」
「久松さんに振られたの?」
「ふごっ……」
思わず豚鼻を鳴らしてしまった。
しかしその瞬間、僕はここ数日必死に逃げ回っていた事実にガッチリ確保されたことに気づいた。
いや気づかされた。
そうか。僕は久松さんに振られたんだ。
「……何でそう思うんだよ」
バカだな、俺は。そんな返しがあるか。もう認めたようなもんじゃないか。
「そりゃね、土日どっこも出かけないし、話しかけても心ここにあらずだし。それに落ち込んでることくらい、顔見ればわかるよ」
「……」
「お兄ちゃんは昔から分かりやすいタイプだから」
分かりやすいって言われても、わざと明るく振舞ったらそれはそれで「変だ」って言うくせに。
女なんてみんなそうだ。その場その場で調子のいいこと言いやがって。
「……ああそうだよ。お前の言う通りだ。何だ、こんな夜中にわざわざ笑いに来たのか?」
「ひねくれてるなあ、もう」
「悪かったな。元からだ」
ラジオからフレアの怒鳴りが聞こえる。
『ガイ・リッチーはもう飽きた!トーマスフレアの今夜もアメイジングナイト!』
また悪口言ってる。確かにそうだけども。
いまだにガイ・リッチーはロックストックを超える作品を撮れてないと思う。
史奈が言った。
「ハガキ、最近読まれてるの?」
「ん?いや、サッパリ……」
言って、僕は硬直した。今こいつ何て言った?
「イ、イヤ、ハガキナンテシラナイ」
「お兄ちゃんがザッハトルテ師匠なんでしょ?ちょっと前から知ってたよ」
「なっ……が……ふぁ……」
言葉にならない。
「前にこの部屋にマンガ借りに来た時、本棚のメモ帳に変な下ネタが書いてあってさ。お兄ちゃんの変わったストレス解消法かと思ってたんだけど、同じ内容のネタをアメイジング聞いてるクラスの男子がゲラゲラ笑って話してて、あれ?って」
「……」
「それで、こないだ久松さんが来てお兄ちゃんのこと"師匠"って呼んでたから、そうなんだーって」
死にたい。
妹が兄の下ネタを聞いてたなんて。
「……史奈」
「ん?」
「いっそ殺してくれ」
「冗談でもそんなこと言わないでくれる?私下ネタ嫌いじゃないよ。私もお兄のネタで笑ってたし。さすがに学校では言えなかったけどね。下ネタの帝王がうちの兄とは」
「軽蔑しないのか?」
史奈が笑った。
「意外。妹に嫌われるのイヤ?」
「クソみたいな学校からやっと家に帰って、身内にクソを見るような目で見られたらもう居場所が無い」
史奈がさらに大笑いした。
「大げさだなあ、もう」
「それはもういい。本編の用事は何なんだよ」
何かもう、色々どうでもよくなった。早く寝たい。
「久松さんにどんな振られ方したかは知らないけどさ。一度であきらめない方がいいと思って、忠告に来たの」
「何だそりゃ。もう結果出たよ」
「私から見たら、久松さんは精神的にちょっと幼いと思うのよね」
「中坊が何言ってやがる」
「恋愛に関しては私の方が先輩だと思うよ?」
「……」
グウの音も出ないとはこのことだ。史奈はモテる。
「で、その経験豊富な先輩様はどう思ってるんだ?久松さんが年のわりに子供っぽいとして、それが何なんだよ。毎日久松さんの精神年齢が上がるのを待ち続けて、ある日突然、ちょうどそのタイミングでもう一回告白しろってのか?」
「そんな器用なマネお兄ちゃんにできるわけないでしょ」
「バカにするな」
「できるの?」
「できるわけないだろ。バカにされたくないだけだ」
「しょーもないプライドは置いといて」
史奈は大あくびをして言った。
「まだ久松さんに対して、できることがあるんじゃないのってことよ。何て言ったか知らないけど、お兄ちゃんがやったのは、どうせ自分の気持ちを一方的にぶつけただけでしょ?」
「告白ってそういうもんだろ」
「された側の気持ち、考えたことある?」
「あるけど正解がわからん。出た結果で判断するしかない。それに、そもそもそんな気も無いのにからかってただけかもしれないだろ」
「久松さんはそんな人じゃない」
「一回しか会ってないくせに」
「じゃあ何度も会ってるお兄ちゃんは、本気でそう思ってるの?」
「……」
久松さんとの出会いを思い出す。
廊下で落としたハガキを走って届けに来て、ザッハトルテ師匠が僕だと黙ってる代わりにネタハガキの書き方を教えてくれと言ってきて。
朝ポストの前で待ち伏せして、一緒に登校して。
僕の過去の話で、まるで自分のことのように怒って泣きだして。
公民館で会ったイヤなジジイにも優しくして。
僕が追い込まれてネタをパクったことも、怒らずに「嬉しかった」と言ってくれて。
「それは……確かに無いと思う」
「誰にだって受け止める準備はいるの。お兄ちゃんには女子にイヤな思い出があるじゃない、中学の時。久松さんにも恋愛を怖がる思い出があるかもしれないし。誰にだって事情はあるでしょ」
「そんなの」
「何よ」
「そんなこと……今現在、彼女がいて青春を楽しんでるヤツ全員がそこまで考えてるのかよ」
「……」
「何で、振られた側の男ばっかりそんな器を広げる努力させらりたり、やせ我慢を義務付けられるんだよ。おかしいじゃないか!振られたんだぞ!傷ついてるんだぞ!落ち込んでるんだぞ!それにそんな器用な頭脳労働できてたら、そもそも振られてないじゃないか!」
「お兄ちゃん、声が大きい」
史奈が立ち上がる。
「私は別に、お兄ちゃんに理想の男をやせ我慢して演じろとか、女子に都合のいいロボットになれなんて言ってない」
「……」
「私が言いたいのは、まだ久松さんのためにやれることが残ってるんじゃないのってことだよ。そうすれば、結果はどうあれ今より楽になると思うよ」
「……」
「もう怒鳴られたくないから、寝るね。おやすみ」
「史奈」
背中を向ける妹を呼び止める。
「ん?」
「……頼りない兄貴で、すまん」
史奈が笑った。
「もう知ってる」
「知ってたか」
「でもそれ以上に、優しいのも知ってる」
「早く寝ろ」
僕が投げつけた枕を器用にかわして、史奈は部屋を出て行った。
2
24時50分。もうすぐ今週のアメイジングナイトが終わる。予想通り、僕のネタは一枚も読まれなかった。それでもハガキ職人ダービーは何とか逃げ切れそうだ。これから巻き返さないと。
「……ん?」
エンディングのコーナーなのに突如としてオープニングの曲が流れてきた。何だこりゃ。
「えー、ここでですね、横田さん」
「何ですか、金城さん」
「リスナーのみなさんに大事なお知らせがあります」
「はいー」
何だろう。フレアの二人の口調が少しだけいつもと違う。
うまく言えないけど、何かイヤな予感がする。
「始まってから3年ちょいですか、トーマスフレアの今夜もアメイジングナイト」
「そうですね。もうそんなですか」
「はなはだ突然ではありますが」
「はい、お願いします」
「次回で、終了します!」
え。
今何て。
終わる?トーマスフレアの、今夜もアメイジングナイトが、終わる?
これは夢か?聞いてるうちに寝落ちしたとか?
僕の頭に、東京で会った金城さんの顔が浮かぶ。
あの時僕は、警備員を振り切って強引にスタジオの中に入った。
もしかして、ああいうトラブルって番組が責任取るんじゃ。
「えー、それでですね、一つ言うとかなあかんことがあるんやけども」
「はいはい」
「こないだね、ハガキ職人がスタジオに会いに来たって言うたやん?強引に入ってきて」
「言うてましたね」
「責任感じてたらいかんと思って言うけど、別にあのトラブルは関係ないから」
「まあね。先月から薄々は聞いてたし」
「だからな、逆にこっちが心苦しいというか。ごめんやで、言われへんくて」
「大人の事情いうやつでね。ペラペラしゃべられへんのよ」
「でもな、少年。聞いてるか?あの時君に言うたことはほんまやで。俺は本気で言うた。だから」
「金城さん、急に熱いやん」
「ちゃちゃ入れんといてくれる?大事なとこやねんから。えー、つまり」
「つまり?」
「頼むで、師匠!」
3
一夜明けて、いつも通り登校して今は昼休み。
昨晩の放送後も、久松さんから連絡は無かった。僕からも特に連絡はしなかった。
今日も顔は見ていない。わざわざ彼女のクラスまで見に行ってないというのもあるけど。
多分、彼女もショックを受けているだろう。元々フレアのファンだし、僕よりリスナー歴は長い。
そして彼女が強く望んでいた、自分のネタがアメイジングナイトのコーナーで読まれるというチャンスを、僕はパクリという最低な行為でつぶした。
彼女も自分でネタハガキを送っているとは思うけど、いまだ一枚も読まれていない。あと一回の放送で読まれる可能性もあるけど、久松さんのネタのクオリティを考えると実際厳しい。
そもそも最終回は通常とは違う進行で、コーナー自体が無い可能性が高い。
結局僕は、彼女の願いをかなえることができなかったんだ。
でも、その罪悪感とは別に。ものすごく不思議なことに。
僕自身は思ったよりも番組終了のショックを受けていなかった。ネタハガキが読まれることをあれだけ生きがいに感じていたのに。
それは多分、金城さんのおかげだ。
『頼むで、師匠!』
金城さんのおかげで、ビルに乱入したハガキ職人がザッハトルテ師匠だと多分バレた。何てことしてくれたんだ、金城さん。
それはともかく。
憧れの人に名指しで『頼むで!』と言われたことは僕にとっては初めての経験だった。きっとその高ぶりが、ショックを受ける暇もないくらいに僕の心と頭を忙しくしたのだ。
今は昼休み。
僕は今、とある部屋の前に立っている。
入学当初はここに来るなんて考えもしなかった。今だって信じられないくらいだ。やっぱり帰ろうかと考えてる。
と、ガチャッと目の前のドアが開いた。
「わっ、びっくりしたー」
僕を見て一瞬引いた。
二年か三年かはわからないが、とりあえず先輩っぽい男子だ。
「す、すいません。あの、僕」
「君一年生?ここ放送室だけど、何か用?」
4
「はあ……」
私は今日何度目かの大きなため息をついた。
「里海」
トミーが目を細めて言った。
「何?」
「昼飯時にため息つかないでくれるか?メシがまずくなる」
「だってしょうがないじゃん」
私は口をとがらせて言い返した。
昨日、トーマスフレアの今夜もアメイジングナイトが終わった。
最終回はハガキ職人まつり。
ハガキ職人ダービーの上位者の過去のネタや、最終回に寄せられたメッセージを読むという内容だった。
もちろんザッハトルテ師匠からもハガキは届いていた。
『この番組が終わっても、別のところでネタを書き続けて腕を磨きます』
という、だいぶ男前のメッセージ。
ザッハトルテ師匠。戸崎君。もう一週間顔を見てない。連絡も取ってない。
あの夜の、彼の顔が頭にこびりついて離れない。
私は間違ってないかった。今までだって、恋愛絡みの話になってロクなことなかったし、だいぶ友達も無くした。
今だって、そういう話にならないからこそ、トミーとこうして美術準備室でお昼ご飯を食べている。
戸崎君とも、いつかこうやって友達に戻れたらって思ってる。
それでも、あの夜の彼の顔は。
「ああ、やっぱりか」とでも言わんばかりの、諦めに満ちた顔だった。多分私は、すごく残酷なことをしたんだと今では思う。
結局私は、どちらに転んでも友達を一人失ったのだ。
「師匠とは、どうなったんだ?番組終わったら師弟関係も終わりか?」
トミーが手元を見たまま聞いてくる。
「もう師匠じゃない。破門されたようなもんだから」
「お前が逃げたんだろ」
「逃げたって何」
あの夜のことは誰にも話してない。トミーにも。
でも妙に勘のいいヤツだから、何となく気づいてるかもしれない。私に黙って戸崎君と会ってたくらいだし。
「お前はわかりやすいからな」
「あんたが秘密主義すぎるの」
「心配するな」
「は?」
何、いきなり。
「どんな恋にも寿命があるからな。誰が誰を好きだろうと、時間が経てばその気持ちは死んでなくなる」
「……何が言いたいの」
私がにらんでも、トミーは知らん顔だ。整った顔を崩すことなく、お弁当を食べている。
その時、美術準備室のスピーカーから音楽が流れてきた。
「この曲……」
昨日終わったばかりの、アメイジングナイトのオープニング曲。
そしてしばらくして、聞き覚えのある声が流れてきた。
『え、えーと、え?あ、はい。始まりました、ザッハトルテ師匠の平日アメイジングヌーン。えー、パ、パーソナル、パーソナリテイーのザッハトルテ師匠です』
たどたどしくて、声も小さい。何、アメイジングヌーンって。夜を昼に変えただけじゃん。
「この声、あいつか?」
トミーも箸を持つ手を止めて、笑いながら聞いている。
「うん、多分」
「また思い切ったな。昼の校内放送でアメイジングナイトのマネするとか」
「……」
私の知っている戸崎君は、こんな大胆なことする人じゃない。アメイジングナイトが終わったのがショックだからって、何もこんなこと。
『こ、これが放送部に入って最初の仕事です。えー、何ぶん最初なもので、ハガキなどは届いておりません。当たり前ですね。ええ、はい』
戸崎君の声。いつもボソボソ話して、スネたようなぶっきらぼうな話し方しかしない。そんな彼が、ところどころつっかえながら一生懸命声を出そうとしてる。
『これから、いろんなコーナーでお便りを募集していきますので、今日は僕が書いてきたネタを読みます』
学校でバレたくないって、黙っててくれって必死に頼んできたくせに。番組終わったとはいえ、自分からラジオネームバラしてどうする。ヘビーリスナーなら気づいちゃうよ。
次々とネタが読まれていく。内容は"バカ高校の校則"とか"謎の部活動"とか、かなり学校に寄せたものが多くて、それがやっぱり面白かった。
トミーも食べるのを忘れて大笑いしている。
「すげーな、お前の師匠。やっぱ面白いわ」
「そりゃそうだよ。最後まで1位譲らなかった人なんだから」
「何でこんなこと始めたんだろうな」
「え?」
何でって。
「ネタハガキ書くのが好きなら、別に他の芸人の番組に送ればいいだろ?トマフレにこだわらずにさ」
「それは、ファンってそういうものよ」
「でもそれだけで、あの内気で人間不信気味なヤツが、こんな行動に出るかな」
「あんた何が言いたいの」
戸崎君は学校をサボッて一人東京へ行ってきた。目的は、私のネタを番組で読んでやってくれと、金ちゃんに頼むため。私が痔の手術で入院中連絡とらなかったから、確実に聞くであろう番組でネタをパクったつぐないをしようとして。わざわざスタジオのあるビルまで行って乗り込んで金城さんに会って来た。
どうして。
どうしてそこまで。
そこまでしてくれた彼を、私は。
『えーとですね、そろそろ僕のネタが尽きてきたので、ここからは僕の弟子が書いたネタを読みたいと思います』
「え?」
今何て言った?
『はい、ではラジオネーム、パプリカから』
……私のネタだ。
立て続けに何本も読まれていく。二人のネタ会議で、私が書いた覚えのあるネタ。
こうやって聞くと、やっぱりあんまり面白くない。
「おい、パプリカってお前だろ?全然面白くないな」
「うるさい」
トミーがニヤニヤ笑っている。根性の悪いヤツ。
ネタがどんどん読まれていく。
ハガキで送った一軍ネタだけじゃなくて、ノートに走り書きしたメモ程度のボツネタまで。
「……全部」
「ん?どうした?」
トミーがいぶかしげに聞いた。
「私のネタ全部……取っといてくれたんだ」
分かってた。
私には、ネタで人を笑わす才能なんて無い。でも、一度でいいから読まれたかった。ネタで金ちゃんと横ちんを笑わせたかった。
それは思ってたのと違った形で、一度かなってしまったけど。私は満足だったのに。
こんなことまでしなくたって。
人前に出るの苦手なくせに。
しゃべるの苦手なくせに。
ハガキ職人だって、バレたくなかったくせに。
「おい。おい、里海」
「え?」
「泣いてるのか?」
思わず頬をぬぐう。鼻声で、私は言った。
「ねえ、トミー。私どうしたらいい?」
「行けよ」
「行けって、そんな」
「きっと待ってる」
トミーが私を見つめる。さっきまでのからかう顔じゃなくて、まっすぐな目で。
「さっき、どんな恋にも寿命があるって言っただろ」
「……うん、言った」
「恋は死んでも、後悔は死なない。ずっと残る」
「トミー……」
「だからお前は、後悔するな」
お前は?
トミーの目をまっすぐ見つめ返す。今までの二人の付き合いがよみがえる。
ああ、私は。
ずっと、子供でいたかったのかな。
「トミー」
「早く行けよ。放送終わっちまうぞ」
「ごめ……」
言いかけて、私は口を閉じた。
そして再び口を開く。
「ありがとう。私、行くね」
「おう。師匠によろしくな」
トミーはまたお弁当を食べ始め、私の顔を見なかった。
私は弁当箱もバッグも何もかも置いて、美術準備室を飛び出した。
5
「えー、というわけでですね。次は、えー。どうしましょうか」
まだ10分も残ってる。いい加減ネタ切れだ。
一人でマイクに向かって30分しゃべるなんて、無謀だった。用意したネタも全部使い切った。
何か曲を流そうにも、今はJASRACがうるさくて使いにくいらしい。
二年の部長が偶然にもアメイジングリスナーで、僕のラジオネームを知っていたから実現したこの番組。
僕がハガキ職人であることが、聞く人が聞けばわかってしまうがそんなことはもうどうでもいい。
久松さんは、どこかで聞いてくれたかな。番組は校内放送だし、パーソナリティーは好きな芸人じゃない。
それでも、僕には。
僕にはこれしか。
「ん?」
コンコン、とブースを隔てているガラスが叩かれる。
「えー、ちょっと待ってくだ……マジか」
部長の後ろに、知った顔の女子が立っていた。
少し茶色がかったショートカット。
二重まぶたの大きな瞳が、気のせいかうるんでいるように見える。
静かにブースのドアが開いて、当然のように彼女は正面に座った。
「はい、え、えーと、ここでですね。先ほどネタを紹介しました、弟子が来てくれました」
「こんにちは!弟子のパプリカです!」
すごい声だ。
「君、マイク見えてるか?大きな声出さんでもいいようにマイクがあるんだぞ」
「いやー初めてだから緊張しちゃって」
「よく入れたな」
「待ってたくせに」
久松さんが意地悪く笑う。
「……」
「ちょっと何か言ってよ。恥ずかしいじゃん」
「待ってた……かもしれない。一人しゃべりは、正直しんどい」
「そうだね。ひどいもんだったよ」
「容赦ないな」
ブースの向こうで放送部の先輩たちがクスクス笑っているのが見える。
久松さんが言った。
「あのね、色々言いたいことあるんだけど」
「おお、まだ時間あるから、何でも言っていいぞ」
「私、やっぱり……師匠がいい」
「……あの、パプリカさん?これ放送されてますよ」
焦る僕に構うことなく、彼女は言った。
僕の目の前で、一筋の涙を流して、満面の笑みを浮かべながら。
「ずっと、私の師匠でいてください」
放送室が静まりかえる。
何度か口をパクパクさせて、僕は何とか言葉を発した。
どう考えても不正解の、最低な答えを。
「……当然だ。破門した覚えなどないからな」
そして放送室は謎の盛り上がりに包まれた。
自分の教室に戻った後の惨状は、話したくない。
エピローグ
昼飯を大急ぎでかきこんで、放送室のブースに向かう。
「ごめーん、遅れた」
「遅いぞ、早く準備しろ」
彼女がバッグをかついで走ってきた。
ファスナーの取っ手には、僕が金城さんからもらったトーマスフレアのノベルティキーホルダーがついている。
ちなみに僕のバッグにも、種類はちがうけど同じようなキーホルダーがついている。
僕は反対したんだ。恥ずかしいからイヤだって。
でも今の僕は、そんな訴えをつらぬけるような立場にはなく。彼女の意向には大抵言いなりだ。
史奈にもそれが正解だと太鼓判をもらっている。
「はーい、そろそろ本番行きまーす」
部長がコールする。
僕の正面に久松さんが座る。
「どう?ハガキたくさん来てる?」
「まあまあ増えてきてる」
ハガキといっても、放送室前に備え付けてある専用の用紙だけど。そこにコーナーネタやふつおたを書いて専用ボックスに入れるシステムだ。
「まだまだがんばらないとねー」
「僕はこんなもんでいいけど」
「ダメだよ、欲を出さなきゃ」
「じゃ、ネタ選び手伝ってくれよ。大変なんだぞ」
「私が選んだら必ず文句言うくせに」
部長の手が上がる。
4、3、2……
「ザッハトルテ師匠です!」
「パプリカです!」
二人で目を合わせる。
『ジャン=ピエール・ジュネ仕事しろ!師匠と弟子の平日アメイジングヌーン!』
僕と彼女のラジオデイズは、まだ始まったばかりだ。
おわり
ずいぶんお待たせしました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




