第14回「セッション」
1
金城さんはL字型に合わさった長机のカドをはさんで、少し離れたイスに座った。
本物だ。
さっき聞いた声も、テレビでよく言われている「惜しい男前」な横顔も、間違いなく本物だ。
トーマスフレアのボケ、金城さんが僕のすぐそばにいる。
ノドがカラカラに渇いてきた。手にした缶を無意識に口に持っていき、中身が無いことを思い出す。
「何や、ノド渇いたんか?あげるわ」
言うと、金城さんはバッグからポカリの500mlをこちらに転がした。
あわてて手で押さえ、僕は言った。
「あの、でも、き、金城さんが飲むものが」
「そんなん、いくらでもあるから」
「そ、そうなんですか。いただきます」
ありがたくポカリをいただいて、のどを潤す。
ほんの少し落ち着いたところで考える。
金城さんは怒っていないだろうか。普段のフリートークで、無礼な一般人のエピソードを話すことも多い。礼儀知らずは嫌いなタイプなんじゃないだろうか。
僕が口を開きかけた寸前で、金城さんが言った。
「聞いたで。君、無理やりビル入って警備員さんと大立ち回りしたらしいな」
怒ってる……というわけでもなさそうだ。ちょっと面白がってくれてる?
「あ……はい、すみません。どうしても、その、金城さんに会いたくて」
「ストレートやな。ちょっと照れるわ」
金城さんは目をそらして笑った。
「でも弟子入りやったら受け付けてへんで。今どき、どこの事務所でも養成所持ってるんやから、そういうとこ行った方がええ思うし。師匠や弟子やいうんは、今はもう落語とか、そういう世界だけやろ」
「あ、いえ、そういうわけじゃなくて」
誰かが会議室のドアをノックした。
「ちょっとごめんな。おお、開いてるでー」
「失礼します」
ドアの隙間をこじ開けるように、段ボール箱を抱えたお姉さんが入ってきた。多分スタッフの人だ。メガネにポネーテールでグレーのパーカーを着ている。
どっかで見た顔だ。
「ハガキ、ここ置きますね」
「んー、ご苦労さん。一杯来とんのー」
「減ったら番組終わっちゃいますよー」
お姉さんは僕に気づいて、金城さんに言った。
「誰ですか、この子」
金城さんはニヤッと笑って言った。
「この子、チャンプやで。ザッハトルテ師匠や」
「えーっ!」
驚く顔を見て思い出した。たまに番組HPの写真に見切れている番組スタッフの人だ。名前は忘れた。
彼女は僕の顔をマジマジと見て、
「君、いくつ?」
と聞いた。
「15です。高一です」
「うそ。15であんな下ネタ書いてるの?君もしかしてムッツリ?」
失礼な。
「そんなん言うたるなや。みんなウケるために必死やねんから」
「それはそうですけど……」
まだ納得いかないような顔をしながら、彼女は金城さんに見送られて出ていった。
「ごめんな、中断して。ほんで、君は一体何しに来たんや。弟子になるでもない。ただの出待ちや入り待ちでもない。もしかして作家志望か?」
「い、いえ、まだそこまでは考えてないですけど。それも違います」
「ほな何やのん?」
僕はもう一口ポカリを飲んで、一つ咳ばらいをした。
「僕は……僕は……ハガキ職人として、やっちゃいけないことをやったんです」
2
一通り聞き終えて、金城さんは、
「そうかー。なるほどなるほど」
と何度もうなずいた。
学校で正体がバレて、そこからネタハガキの指導をしてたことから、久松さんのネタをパクったことまで。滑舌も構成もメタメタだったけど、金城さんは笑うことなく真面目に全て聞いてくれた。
僕はバッグからノートを取り出す。久松さんとのネタ会議で、ダメ出しのために一応書き留めていた彼女のネタ。
「ほんで、その女の子の病気はそんなに悪いんか?」
「それが、はっきりとは聞けてなくて。連絡しても返事が無いんです」
「はっはーん」
金城さんは僕を見て、ニヤリと笑った。
「読めたで。君、俺らのアメイジング使って彼女に告る気やろ?」
「えっ」
それを聞いた僕は思わず固まり、金城さんは目を見開いた。
「何や、ちがうんかいな」
「いえ……そんなことは、全然」
「じゃあ、ラジオ通してネタパクったこと謝りたいとか?それやったらハガキでええやん」
「あ、謝るのは、僕の自己満足とうか、何かちがう気がするんで、それはもう諦めてます」
「まあな、やったことは取り消せへんわ」
「正直、破門されても文句は言えません」
「うーん」
金城さんは口をへの字にしてアゴをポリポリとかいた。
「こないだのあのネタやろ?MIBの」
「はい」
「パクッた言うてもやな、ネタが世に出る前の話やから、それはもうどっちでもええんよ、こっちとしては」
「それは、その」
「他の番組で読まれたネタとか、マンガとか、一度世に出たものからパクッたいうのがバレたら、それは破門やで。でも君のはネタを世に出す前の内輪の話やからね」
「あ……そういうことですか」
「だから、後はそっちで謝るなり何なりすればええと思うんやけど」
言うと、僕の顔をじっと見た。
「それだけやったらわざわざ学校サボって東京まで来えへんわなあ」
「は、はい。あの、僕が来たのは」
僕はノートを金城さんに差し出した。
「彼女のネタを、一つでいいから読んでやってほしいんです。アメイジングで」
3
しばらくポカンと口を開けてた後、金城さんは笑い出した。
「何やねん、それ。むちゃくちゃやん」
「は、はい。でも、絶対アメイジングだけは病院でも聞くはずですし、何とか元気づけられたらと」
「なるほどな。それがわざわざ東京まで来た理由か」
金城さんは優しい笑顔のまま、僕に言った。
「悪いけど、それはできんよ」
「……」
返事もできず、僕は固まった。そしてNOの返事にショックを受けていることを自覚した。
「君は……ごめん、本名何やったっけ?」
「と、戸崎幹成です」
「戸崎君。君が俺らのラジオ聞いてくれてる理由は何?他にいくらでも番組あるのに」
「え……」
高校受験の時、確かに色んな番組を聞いた。でもハガキを送りたいと思ったのはトーマスフレアのアメイジングナイトだけだ。
なぜだろう。
「理由は……」
他の番組にもネタのコーナーはあった。でも読まれるのはほとんど常連リスナーが締めていたし、そもそもハガキを読む時間は最後の20分くらい。
2時間番組の後半1時間以上を、丸まるネタハガキに使ってくれる番組なんて他になかった。
「この人たちなら、ネタさえ面白ければ、下ネタだろうが悪口だろうが、何だって採用してくれる。認めてくれるって、思った気がします」
「そう、そやねん」
金城さんは真面目な顔で、僕をじっと見つめた。
「だから、もし俺が君の個人的事情を受けて、情で基準に達してへんネタを読んだとして、それは君の好きになってくれたアメイジングナイトなんか?っていう話になるわな」
「あっ」
そうだ。
僕は自分で、生きがいになっていた番組の存在意義を否定しようとしている。
ああ。
僕は。
僕は本当にバカだ。
「……すみません。自分のことしか考えてませんでした」
僕は顔を伏せたまま、ノートとポカリのボトルをバッグにしまう。
恥ずかしい。金城さんの顔をまともに見れない。
東京まで、学校サボってわざわざやってきて、僕は憧れの人にただ面倒をかけただけだったのだ。
しかし金城さんは変わらぬ調子で言った。
「それはちがうやろ。自分のためやったら誰もここまでせえへんで。友達のためやろ?あ、その子は弟子やったか」
「弟子……と言っていいのか、よくわかりません」
「ま、どっちでもいいこっちゃ。でも君の心意気は素晴らしいで。青春ド真ん中や。俺も君くらいの年にもっとムチャやっとったらよかったわ」
「……あまりおすすめはしません」
本心からそう言うと、金城さんは笑った。それはラジオでもめったに聞けない、金城さんの大笑いの声だった。
4
芹川さんに警備員さんの詰め所まで付き添ってもらい、追いかけっこした二人の警備員に一応謝った。
ベテランの方は終始ムスッとしていたけど、若い方はそうでもなく、
「今度来るときはタレントさんか作家さんになって正面からおいで」
と肩をポンポン叩いてくれた。
そんな非現実的なことを言われても、と思った僕は、変な笑顔しか返せなかった。
見送ってくれた芹川さんが「気を付けて帰りやー」と手を振って戻って行き、裏口からは人がいなくなった。
金城さんは会議室でハガキを選別している。「チャンプも他のハガキちょっと見てく?」と聞かれたが、さすがに申し訳なくて辞退した。ちょっと後悔している。
時計を見る。もう2時半だ。帰りはまたバスにしようか。でも今頃は補導員が本格始動してそうだしな。捕まるのは避けたい。
でも新幹線のチケットはバスの倍の値段はする。足りるかな。
「おーい、ちょっと君ー」
スタジオの敷地を出るタイミングで、女の人の声がした。
振り返ると、会議室に段ボールを抱えてきたスタッフの人だった。こっちに走ってくる。
「あー、よかった。間に合った」
彼女は両手をひざに置いて大きく息をついた。
「あ、僕、何か忘れ物しましたか?」
「ううん。あー、忘れ物っちゃ忘れ物か。はい、これ」
差し出されたのは、番組ロゴが書かれた水色の封筒。小さいノベルティが送られてくる時の封筒だ。
「金城さんから。名古屋までの新幹線の切符と、記念品が入ってる」
「えっ」
金城さんが?いつのまに、そんな。
「私が段ボール届けた時ね、実はこっそり頼まれてたの。駅前の金券屋で切符買って来いって。私にも感謝しなさいね」
「あ、はい。ありがとうございます!」
僕は何度も頭を下げて、そのうち何だかいたたまれなくなって、有楽町の駅まで走った。
5
息が切れる。ヒザが痛い。運動不足のせいだ。
でもそんなことは気にならない。
帰る直前、金城さんは言った。
「俺な、夢あんねん」
僕は黙って聞いていた。
「ラジオに面白いネタ送ってくる子たちを集めてチーム作ってな。言うたら作家のアベンジャーズや。そんでテレビでもラジオでもネットでも、何でもええからめちゃくちゃ面白い番組作りたいねん」
僕はあっけに取られて言葉を失っていた。何を言い出すんだ、この人は、と。
有楽町の改札を通って、ホームに立つ。
僕は息を整え、封筒の中身を改めた。
東京から名古屋までの乗車券と、新幹線の乗車券。
そしてもう一つ。
僕が持っていない、番組ノベルティのキーホルダーが入っていた。
それを握りしめ、僕は金城さんの言葉を思い出す。
「そのチームが実現したら、エースは君やで、ザッハトルテ師匠。頼むで」
金城さんは、そう言ったんだ。
つづく