第11回「スナッチ」
1
あれから3週間が経った。相変わらず久松さんのネタは読まれない。
毎週の会議はもちろん、ゴールデンウィークもほぼ連日、勉強と称してネタ会議を行った。
しかし結果は出ない。
もうすぐ中間テストだから、と今週は会議はお休み。久松さんは僕と違って成績が良いらしく、あまりテストに向けて焦っている様子は無かった。
僕は焦っていた。いや、現在進行形で焦っている。
テストのことじゃない。
久松さんの心配をしている場合じゃないんだ。アメイジングナイトで僕のハガキが読まれる枚数が、確実に減っているのだ。
確かに下ネタは控えめにしてある。でも僕の能力はそれだけじゃないはずだ。サンシャイン栄の大喜利でもそこそこウケたじゃないか。
それにやっぱり、久松さんの師匠としては、下ネタ苦手な久松さんが参考になるような正統派のネタで結果を出さなくてはならない。
でも、もしも。
このまま一枚も読まれなくなってしまったら。
僕は、何者でもなくなってしまう。
2
今日でテストが終わった。手ごたえとしては、得意科目はそれなりで苦手科目は赤点を逃れたら御の字という感じ。
テスト中も、早めに解答を終えて裏返してメモ用紙代わりにして、延々とネタを考え続けた。チャイムが鳴ってからあわててメモをケシゴムで消して危うく破りそうになってしまったほどだ。
丁度木曜にテストが終わってくれて、開放感に満ちた気分で今夜アメジングナイトを聴くことができる。
「あ」
今日は半日で終わりなので、部活に入っていない一年生が一気に玄関にやってくる。その中に久松さんがいた。
「あ」
期せずして目が合い、同じ一文字を返してきた。
……だから何だということもない。僕はスッと目をそらして自分の下駄箱に向かう。
「テスト、どうだった?」
おもむろに、久松さんが話しかけてきた。僕は周りをキョロキョロと見回して、目をそらす。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。こないだ廊下でちょっとしゃべったし、ただの世間話じゃない」
「そういわれればそうだけど」
そういうもんだろうか。しゃべってる光景が不自然じゃないだろうか。
「で、テストどうだったの?」
「聞かないでくれ。そっちは?」
「んー、ぼちぼちかな」
「ぼちぼちならいいじゃないか」
曲がり角から集団の話し声が聞こえてきた。
「じゃ、帰るぞ」
「うん。バイバイ」
帰り道を一人で歩きながら考える。学校では知り合いであることも隠す、と確かに僕は言った。自分がハガキ職人だと学校で知られないために。
でも今僕がやっていることは、久松さんと知り合いなのに知らないフリをして、富井と一緒に昼飯まで食べたのに富井ともお互いを知らないフリをして。
何で僕ばっかり、こんなにコソコソしなきゃいけないんだ。何も悪いことしてないのに。あの二人は好きなように生きてるのに。
3
「はい、というわけで、エンディングです」
「はいー」
「ところで横田さん」
「何ですか、金城さん」
「今日はね、何と珍しいことにチャンプのザッハトルテ師匠が一枚も名前聞かなかったと」
「あー、そう言えばそうやった。何やろ。スランプ?」
「どうなんやろ。誤解のないように言うときますけど、ハガキ選びはネタを読むだけでラジオネームは極力見んようにしてるんで、他意はないですよ。そもそも今週送ってないかもしれんし」
「忙しいんかな。社会人か学生さんかわからへんけど」
「んー、でもそのうち来るやろ、おもろいネタ書いて。だってチャンプやぞ。ずっと1位やぞ」
「そやねんなあ。うちの作家連中もファンいてるねんて」
「プロが何言うてんねん」
「いや、ほんまやて」
「下ネタ好きなだけちゃうんか。あいつらそういうとこあるよな」
「そうなん?でも下ネタかて、なおさらセンスいるやろ」
「そやなあ、まあ、でもチャンプならすぐに復活してくる思うんで、たのむで」
「ほんまですよ。うちの番組はね、もう職人の皆さんに支えられてるんでね。しかも今日びハガキで」
「うちだけちゃう?いまだにハガキ中心」
「そうやろうなあ」
「なのに郵便局から一向に感謝状けえへん」
「せこいこと言いなや」
4
とうとう来た。来てしまった。ハガキ採用ゼロ枚の日が。
どうしよう。フレアの二人はわざわざエンディングでラジオネームを出して励ましてくれたけど、嬉しさより情けなさが上回ってしまった。金ちゃんに選ばれ、横ちんを笑かす
のが僕の生きがいだったのに。ハガキ職人ダービーでチャンプであることが僕の唯一の誇りだったのに。
実は今週分は、テコ入れのために今まで通り下ネタもしっかり織り交ぜてネタを送ったつもりだった。
何でだ?何がおかしい?どこで間違えた?
「師匠っ!」
顔を上げると、久松さんが立っていた。
今日は土曜日なので、いつものネタ会議のために公民館に先に来ていた。本当は来たくなかったけど。ハガキを読まれない師匠なんて、何が師匠だ。
それでもやっぱり、そんな理由で中止というのも何だか情けない気がして。
「お、おう……どうした?」
見ると、彼女の顔は紅潮し、息を切らせていた。
「何もそんな急がなくても、遅刻で怒ったりは」
「これ!」
机の上に、久松さんがクリアファイルを置いた。ルーズリーフ1枚とハガキを5枚がはさまっている。
「何?」
「あのね、私今から大事な用があって、明日から二、三日学校休まなきゃいけなくなったの」
「また急だな。何の用事だ」
「それはまた今度ね。でね、来週分のハガキ書いてる時間なくて」
「うん」
「このルーズリーフに下書きあるから、ハガキに清書して出してほしいの」
「……そのために家から走ってきたのか?」
「ううん。そこの駐車場から」
「駐車場?親に送ってもらってきたの?」
「そう。無理言って寄ってもらったの」
「何でわざわざ……って、あ、そうか」
久松さんも僕と同じく、ラジオに投稿していることは誰にも言ってないと以前聞いた。
ネタの清書と投函なんて、誰にでも頼めることではあるまい。
「じゃあ、待たせてるから、私行くね」
「あっ、ちょっと」
思わず立ち上がり、僕は引き留めた。
「何?」
小首をかしげて久松さんが聞いた。
「いや……その……」
今週の放送で、僕のネタは1枚も読まれなかった。次のダービーへのトータルもかなり出遅れている。
もしも、もしもこのまま読まれずにチャンプの座から滑り落ちたら。
「君は……」
この会議も終了して、もう師匠と呼んでくれなくなるのかな。
「ごめん、ほんともう行くね。ハガキお願い!」
手を合わせて言って、久松さんは慌ただしく公民館を出て行った。
遠目に見える駐車場から、1台の車が出ていく。
CMで見たことのある高級車だった。
5
帰って久松さんのネタをチェックした。
相変わらず変なネタばっかり。でも多少は形になってきてる。下手にアレンジせず、このまま書いて出してやろう。
「ん?」
託されたネタの中の一つに、僕は目を留めた。
面白い。
シュールなのは確かだが、フリとオチがしっかりしている。いつのまにこんなことができるようになったんだ。これは読まれる。金ちゃんの基準は知らないが、笑いのクオリティとしては高い。やるじゃないか。教えてきた身としては嬉しい。
でも何だろう、胸の辺りがもやっとする。
人から預かったハガキということで、慎重に清書していく。誤字でムダにしてはいけない。
宛先とネタを書いた後、彼女の住所を知らないことに気が付いた。預かったルーズリーフにもメモはない。
LINEで聞いてみたけど、しばらく待っても返信は無かった。既読にもならない。
「……ま、いいか」
4枚目まで、ラジオネーム「パプリカ」とだけ書いておく。この4枚は多分読まれないだろう。だからノベルティの送り先を心配することはない。
問題は一つだけ面白い5枚目。これは読まれる確率が高い。送り先不明はもったいない。僕の住所で代用するか?送られたら渡せばいいし。
とりあえず僕の住所を書いて、ラジオネームを書く段になって僕は手を止めた。
……これ、僕のネタってことで出せないかな。
思ってからブンブンと首を振る。
何を考えてる。ネタのパクりなんて最低だ。しかもネタの書き方を教えてきた弟子のだぞ。
スマホが鳴った。
『ごめん、そのへんは適当にやっといて』
久松さんからのLINEの返信。ずいぶんそっけないな。ノベルティはどうでもいいのか。フレアのファンとか言っておいて。
何か気をつかってたのがバカみたいだ。
僕は5枚目のハガキの送り主欄に、「ザッハトルテ師匠」と書いた。
6
ハガキを投函して数日後の木曜日。つまりアメジングナイトの放送日。
僕はベッドに寝転がってラジオをぼんやりと眺めていた。
今日までに久松さんから特に連絡は無く、こちらから連絡しても返信は無かった。学校でも顔を見ていない。富井に聞いたら、「しばらく休むって」としか教えてくれなかった。
久松さん、今夜の放送聴いてるかな。
こないだは何となく腹立ちまぎれに彼女のネタを自分のラジオネームで送っちゃったけど、できれば読まれないでほしい。
あんなことするんじゃなかった。
久松さんの返事がそっけなかったのは、単に用事が忙しかっただけかもしれない。悪気何て無かったのだ。
今までの彼女の行動を振り返っても、人を軽く扱ったり、バカにしたり、そんなところは見たこともない。本人に直接言ったことはないけれど、彼女はつまりイイやつだ。そんないいヤツを、僕は。
一時の感情で裏切ってしまった。とりかえしのつかないことをしてしまった気がする。
頼む、金ちゃん。選ばないでくれ。
23時。放送が始まる。
冒頭のフリートークも、今日は笑えない。耳に入ってこない。飛び入りゲストでも来てコーナー飛ばしてくれればいいのに。
0時。ネタハガキのコーナーが始まった。
久松さんから託されたネタは全てこの「MIB」のコーナーだ。芸能人に化けたエイリアンがこんな行動を取っていた、という目撃情報。
久松さんにしては珍しく、芸能人をネタにしていて、シュールでありながらしっかりストーリーもあるネタだった。
いや、でも「MIB」は間口が広い分、一番人気のコーナーだから送られる総数も多いだろう。絶対に読まれるなんて心配は考えすぎかもしれない。
その前に、僕が自分で送ったネタが読まれる方が確率が高いだろう。
金ちゃんが次々とハガキを読んでいく。今夜は今のところ、横ちんの大爆笑が聞けていない。
「えー、続きまして……お、愛知県、ザッハトルテ師匠」
「おお、チャンプ来た」
僕のラジオネームを読んだ。
その後、金ちゃんが読みだしたのは。
僕が久松さんからパクったネタだった。
スタジオはその夜、一番の爆笑に包まれた。
7
翌日。
僕は眠い目をこすりながら、いつもより30分くらい早く家を出た。
昨晩はネタ出しも何もせず、いやそれどころかラジオを切ってすぐにベッドに潜り込んだ。こんなことはアメジングを聞き始めてから初めてのことだった。
とりかえしのつかないことをしてしまった。
せっかく、久松さんのラジオネーム「パプリカ」のネタが読まれるはずだったのに。初めての採用だったのに。
それを僕は台無しにした。
久松さんがいつまで学校を休むのか知らないが、もし登校するのならいつもの時間帯だろう。
会いたくない。合わせる顔が無い。いっそサボって街に遊びに行こうかとも思ったけど、後でバレて理由を聞かれたらどうする。説明のしようがない。
それ以前に、そもそもサボる度胸などない。
朝練の野球部を横目に見ながら下駄箱に向かった。
「あ」
「ん?」
目の前に、久松さんがいる。
僕の思考は停止した。
何で?
何でいるんだ?
「……」
「……」
お互いにしばらく無言で見つめ合う。
最初に口を開いたのは、僕だった。
「あ、あ、あの」
そして久松さんは、いつも通りの優しい笑顔で、僕に言った。
「おはよう、戸崎君」
戸崎君。
彼女は確かに、そして初めて、僕をそう呼んだ。
つづく