第10回「インサイダー」
1
土曜日。
二週間ぶりの久松さんとのネタ会議を終えて、公民館を出る。
今朝僕は、いつになく緊張して公民館にやってきていた。高校最初の中間テストが近づいているので、もしかしたら同じ高校の一年が勉強に来るかもとびびっていたのだ。
結果は、特に誰も来なかった。来るのは老人と子供連れの母親だけ。
でもよく考えればそれも仕方ないことのかもしれない。
ここから自転車でちょっと走れば、去年移転して新しくなった市立図書館があるから、みんなそっちに行くんだろう。僕だって、人目が無ければ新しい施設の方がいい。
トイレもきれいだし。
今日の久松さんは、袖の短いTシャツにデニムのショートパンツというやたら涼し気な格好で「暑い」と言いながらやってきて、公民館のジジイ連中の視線を独占していた。
「露出が多すぎない?」
と聞いてみたら、
「あれ、師匠やきもち?」
と笑われたのでもう言うのはやめた。
単に目のやり場に困るから言っただけなんだけど、彼女には伝わらなかったらしい。別に伝える気もないけど。
彼女は毎回徒歩で来る。そういやどこに住んでいるのか一度も聞いたことないけど、普通に歩いてこられる距離なんだろうか。ちょっと気になった。来週聞いてみるか。
今日彼女が見せてきたネタも、相変わらずシュールで何とも形容しがたいものだった。それでも最初の書き散らしたメモに比べたらだいぶネタとしての形にはなってきている。
なってきてはいるんだけど。
何だろう、何が足りないんだろう。もうそろそろ金ちゃんの目に留まって読まれてもいいと思うんだけど。
2
週明け月曜日。
昼休みにトイレから出ると、もう会わなくていいと思っていた人間が再び僕の前に現れた。
「よう」
トミー、いや、富井だ。相変わらず細くて背が高くて、シュッとした顔立ち。
そして久松さんの男友達だ。
「……何?」
「そう露骨にイヤな顔するなよ、傷つくなあ」
「傷ついてるようには見えんが」
「一緒に昼飯食おうぜ、まだだろ」
「ごめん、何言ってるかわかんない」
ハンドタオルで手をふきつつ、富井のわきをすりぬけようとする。
と、富井が耳元でささやいた。
「……ザッハトルテ師匠」
反射的に振り向く。
富井はニヤッと笑い、
「行くよな?」
と言った。
3
最悪だ。人生最悪の日だ。
何で昼飯という憩いの時間を卑劣な脅迫者と過ごさねばならないのだ。最初に会った時、実はいいヤツかもと思ってしまった自分を殴りたい。
そして一つ、絶対にはっきりさせなきゃいけないことがある。
連行されてきたのは、美術資料室。なぜかモナリザのコピーが飾ってあり、妙に不気味な部屋だ。
あと何となく油臭いし。
「俺、美術部なんだよ。だからここ開いてるの知ってて」
「聞いてないよ」
そっけなく返して、手近なイスを引きずって座る。
「そうツンツンしないでくれよ。別におどしたり、誰かにしゃべったりしないって」
富井も少し離れたところに腰を下ろす。
「久松さんも同じこと言ったよ」
そう、はっきりさせなきゃいけないこと。
久松さんが約束をやぶって、富井に僕のことを話したのかどうか。
「里海は何も言ってない。俺が勝手に気づいただけ」
「気づいたって、何で」
「あいつがトマフレ好きなのは知ってたし、ラジオに投稿してるのに全然読まれないってのも聞いてた」
「……」
それは別にいい。久松さん自身のことだから。
富井は自分の弁当をパクパク食べながら、続ける。
僕は持ってきたクリームパンを握りしめたままだ。何も食べる気にならない。
「それで先週の木曜、寝付けなくてたまたまラジオ付けたらアメイジングナイトやっててね。ハガキ職人ダービー?っていうのやってて」
何というイヤなタイミングだ。
「そこで1位ザッハトルテ師匠って言ってて。それでピンときた。里海が君を師匠って呼んでたなって」
「ピンと来たって……あの番組、日本中からハガキ送られてるんだぞ。そうピンポイントに僕だと……」
そこでニブい僕もピンときた。
「……カマかけたのか?」
「やっと気づいたか。君は反応がわかりやす過ぎるよ」
嬉しそうに富井が笑う。
僕はフンッと鼻から空気を抜き、クリームパンにかぶりついた。
「それでもさ」
僕は言った。
「気づいたとしても、心の中にそっとしまっておくって選択肢もあるだろ?この流れならまず彼女がバラしたって疑うのが普通だ。君は昔からの親友が疑われて傷つくところを見たかったのか?」
どうやら痛いところを突いたらしく、富井は渋い表情になった。
「そういう意地悪言わないでくれよ。一応里海のためでもあるんだから」
「どのへんが」
「あいつのネタ、きっとつまんないんだろ?」
「……それは見方による」
「言い方が悪ければ、そうだな、一人よがりで何言ってるかわからないとか」
「あー」
言われてようやくわかった。彼女のネタについて気になる点。
読む人の立場で考えてどうか。聴いた人の立場でどうか。
僕はリスナーとしてハガキ職人たちのネタを聞きまくって研究し、芸人の大喜利動画をネットで見たりして型を覚えていった。多分その過程で客観性みたいなものが磨かれた気がする。もともとの性格もあろうが。
でも久松さんはそういうタイプじゃない。気持ちのおもむくまま、自分が楽しいとか面白いというネタを書いている感じ。それは彼女自身の性格でもある。
「でもそれが味になることもあるし、最近いい意味でだいぶ型にはまってきたから読まれるのも夢じゃないと思う」
「そうか、それなら良かった。毎週金曜に、またダメだったって寂しそうに愚痴られるのがつらくて」
「そんなこと言ってたのか」
僕の前ではそんな弱音、聞いたことがない。
「余計なお世話さけどさ、何で君らは付き合わないの?そこまで大事に思ってるのに」
富井は答える代わりに、「うーん」と謎の唸り声をあげた。
「何だよ、うーんて」
「誰にも言わない?」
真剣な目で富井は言った。
「いきなりだな。何か秘密ぶちまける気か?」
「そうだよ。君の秘密を知った以上、一つくらい打ち明けないとフェアじゃないだろ」
「カマかける人にもフェアって概念があるんだな」
「根に持つなあ。それはもういいじゃないか」
改まって富井は言った。
「腐女子って聞いたことある?」
腐女子。男同士の恋愛を描いた同人誌を読んだり描いたりする女子たち。僕のクラスにもいた気がする。
「あるけど、それが何」
「俺も、そういうジャンルが好きで」
「……」
え。
何、つまり。
「君はアナルの人か!」
「おい最低だな!飯食ってんだぞ」
「僕も食ってる」
「他に言い方は無いのか!」
「だって他に収まり場所無いじゃないか」
「フィクションとしてそういうジャンルが好きってことだよ!俺自身はちがう」
「……えー、何それ」
つまり男同士の恋愛を描いた物語が好きなだけで、自身はそういう趣味じゃないと。ややこしいヤツ。
「いや待て。だったら久松さんが恋愛対象じゃないっていう理由にならないじゃないか。フィクションとして好きなだけなんだろ」
「里海は、この趣味を打ち明けても唯一引かずに受け入れてくれた友達なんだ。だから恋愛ごときでダメにしたくない」
恋愛ごとき。すごいワードだ。多分僕が一生言わない言葉。本人はいたって大真面目だ。
そして……僕は自分の気持ちが、何となくホッとしていることに気づいた。理由はわからない。
「この学校で知ってるのは?」
「里海と戸崎君だけだ」
「何かすごくムダなプレッシャー」
「ムダって言うなよ。言うの結構勇気いったんだぞ」
「わかったよ。言わない」
僕はクリームパンの最後の一口を飲み込んで言った。
「誰にでも、大事にしたい場所ってあるもんだから。僕もからかったりしないよ」
富井は不思議そうに僕を見て、なぜか笑った。
「何だよ」
「いや、何となく、里海が君を師匠って慕う理由がわかった気がしたよ」
「もう弟子は取らんぞ」
「そういう意味じゃなくて」
4
木曜日。
深夜。
いつもの怒鳴りと共にアメイジングナイトが終わる。
今日読まれたハガキは、2枚。今年に入ってから最少だ。やっぱり下ネタおさえたのが悪かったかな。
架空の芸能ゴシップ雑誌の見出しを考える、というコーナーで、
「坂本一生、新高橋一生に改名」
というネタがややウケしたくらいで、もう1枚はスベった。
もう来月のハガキ職人ダービーは始まっている。年間チャンピオンもかかってる。
やばい、もう一度盛り返さなきゃ。
僕はデスク灯だけを点けて、机にハガキを並べた。
つづく