第七話 何とか……何とかしてみる
長袖のシャツに、布地が丈夫なパンツ、そして軽めのスニーカー。
リュックサックにはお弁当とスマホ。それから充電器。
武器として、おばさんが資料用に買った木刀を持っていくことにした。
「あら、外がなんか大変なことになってるのね。気をつけて来てねえ。でも、世の中大変になってイラストの仕事無くなったらどうしよう」
ちょっとずれた事を言うおばさんに見送られ、私と姫はマンションを出た。
姫は、私と同じような格好をしている。
ただし、やっぱりちょっとだけ、だぶっとしている。
おのれスレンダーめ。
足のサイズが一緒だったのはラッキーだったけど。
「この服装も軽くて良いな。昨日のスカートとやら言うものは、短すぎて不安であった。この世界の女子は、ああも太ももを見せるものなのか? なんと扇情的な」
姫としては、パンツルックの方が気に入っているようだ。
プラチナブロンドのエルフの美少女が、私の趣味であるダサいTシャツを着ている姿は、かなり面白い。
私のシャツが麻婆豆腐柄。
姫のシャツは誰だか分からない外人のおじさんが、腰をひねって踊っている柄。
これに、長袖シャツを下から着ている。
正直、初夏の気候にこの服装は暑いんだけど、半袖だと色々不安だから。
「哲学的な柄だな。この御仁は何者なのだ? 衣装に描かれるほどだから、さぞや名のある人物に違いない」
「やー、よく知らないんだけどね」
「知らぬ男が描かれた衣装を着ているのか!? それに、マサムネの服に描かれたその皿はなんだ。料理……? 服に料理が?」
「麻婆豆腐。これはまた美味いんだ」
くだらない話で盛り上がりながら歩き出す。
さて、昨日はマンションまでの道行きで、何事も無かった。
今日はそれに、何か変化が起きているだろうか。
私は木刀を構えながら歩く。
姫も、私よりちょっと短めの木刀。
なんであの家、二本も木刀あるんだろう。
「普段なら、武器なんか持ってたらお巡りさんに止められるんだけど……」
マンション最寄の交番が見えてくる。
あれ?
なんか、壊されてないか?
戸口が開きっぱなしになっていて、窓ガラスという窓ガラスが割られている。
「姫、なんかヤバそう。ゆっくり行こ」
「うむ。あの小さな家が壊れているのが気になるのか?」
「そうなの。あそこって、交番。警察って言う、なんていうか治安を維持する仕事の人たちが詰めてて、普段ならみんな怖がって手出ししないと思うんだけど」
「それが壊されていると。確かに危ないようだな」
姫が剣呑な目つきになる。
私たちは、そろりそろりと、交番に近付いた。
すると、中から何人かが飛び出してくる。
「うわっ!?」
覚悟はしていたけれど、やはりびっくりする。
それは、赤茶色の肌になり、体がふた周りくらい大きくなった男の人たちだった。
体の膨張に耐えられず、服はびりびりに破れている。
彼らの顔は横に広がって、耳が尖り、目は黄色く、下あごからは牙が突き出している。
「オークだ! 奴ら、オークと重なったようだぞ!」
「ぶひぃー! 女、女ぁー!」
オークになったという男たちが、私と姫に迫ってくる。
うわ、なんか色々な意味で身の危険を感じる!
あいつらの目、露骨に私の胸を見てないか?
「やるぞマサムネ! 終末の魔女を出すのだ!」
「待って。あれってやると、しばらくガス欠になっちゃうから! それに威力大きすぎない?」
「ふむ、確かに」
オークたちは、ニヤニヤ笑いながら距離を詰めてくる。
これは本当にヤバそうだぞ……!
「俺らはな、すげえ力を手に入れたんだ!」
「弾丸だって効かねえ! ちょっと痛いけど」
「この間スピード違反でパクリやがって! 復讐してやったぜ! ということで、警察より強い俺たちに怖いものは無いのだ!」
「がはははは!!」
「ぶひひひひ!」
なんというどうしようもない人たちだ。
だけど、弾丸が効かないって事は、警察はこの人たちに銃を撃ったんだろう。
で、それが通じずに交番は荒らされてしまったと。
テンション上がって、こいつらは私たちを襲いに来た。
そういう事だ。
「仕方あるまい。妾が魔法を使う。その間に、マサムネがなんとかせよ」
「姫、魔法が使えるの!?」
「妾は仮にもエルフだぞ!? 当たり前であろう。ただ、この肉体の生命力を少し使うのだ」
姫、宿主に気を使ってたのね。
それにしたって、私になんとかしろって……どうしろと言うのだ。
例えば、終末の魔女の力を、もっと小出しにして使うとか。
出来るのかな?
『やってみたら?』
左目の声がした。
こいつ、私を煽ってるのか。
「行くぞ! ウインドカッター!」
姫が木刀を掲げると、そこに風が集まっていく。
凝縮された風は一気に解放されて、オークに襲い掛かった。
「ぶ、ぶひぃ!?」
「あいたた! お、俺たちの筋肉を貫くだと!?」
「阿呆が。魔法は物理的な防御を無視するのだ。魔法的な守りを得ていないオークなど、本来なら物の数ではない」
次々に風の刃を放つ姫。
オークたちは、彼女に近づけない。
あれっ、これって楽勝何じゃないか。
「マサムネ! この体では長くは持たぬ! ええい、なんという体力の無さだ」
姫から、余裕の無い声が聞こえた。
彼女の肩が上下している。
魔法を使って、疲れているんだ。
そうか、魔法をどれだけ使えるかは、清明楓の体力に依存するのだ。
「分かった、何とか……何とかしてみる」
私は眼帯を外そうとして、ちょっと考える。
あの凄いパワーを外に出すんじゃなくて、ちょっとだけ体の中に閉じ込めるイメージで……。
「私は、実は」
力を解放する魔法の言葉。
あの時、姫を抱えたままジャンプした身体能力を得られれば。
「終末の魔女……!」
体が、燃えるように熱くなった。
物凄い力が、全身に溢れてくる。
それは、私の左目目掛けて殺到しようとする。
これを抑える……。
落ち着け、落ち着け。
ここであれをぶっ放したら、しばらく動けなくなるし、しかもこの辺一体が更地になっちゃうかもしれない。
少しだけだ。
少しだけ、力を使えればいい。
「そうだ、木刀に……!」
私は手にしていた木刀に意識を集中する。
左目に向かおうとしていた力が方向を変え、右手へと集まっていった。
それが、手のひらを伝って木刀に。
茶色の棒が、その色を変えていく。
真紅の色合いになる。
「よーし、左目を隠してたら、照準が合う音はしない。いける」
私は、慣れた片目の視界でオークたちを捉えた。
「マサ……ムネッ! もう限界だ! 頼むぞ!」
体力を使い切った姫が、膝を突いた。
オークを襲っていた風が止む。
すると、体力馬鹿の男たちは、文字通りよだれを垂らしながら、私たちへと掴みかかってきた。
「オッケー。行くよっ!!」
私は、真っ赤に染まった木刀を振り回した。
武器を扱ったことなんか無い。
なのでてんでデタラメだ。
これを見て、オークはせせら笑った。
「女が棒切れを振り回してもなあ!」
「ほれ、危ないぞ。こうして掴まれちゃうからな────ッ!?」
半笑いで、私の木刀を掴み取ったオーク。
彼は笑い顔のまま、全身をひしゃげさせながら吹き飛んだ。
遠くの道路までぶっ飛ばされて、アスファルトを削りながら何度か弾む。
「うひゃあー」
私は木刀を振り切った姿勢。
腕はじんじん痺れている。
なんだ、これ。
「わはははは! 何吹き飛んでんだよお前! ギャグか? 受けるー!」
「はい、はーい! 次、俺行きまーす!」
次のオーク男が、私に飛び掛ってきた。
だから、そのわきわき揉むみたいな手つきをやめろー!?
私はゾゾッとしたので、脇を締めて木刀を突き出す形になった。
そこに、オークが飛び込んでくる。
ずどんっ、と凄い感触があった。
木刀がオークの胸板に突き刺さり、背中から抜けている。
「うげえーっ……!?」
「うっそ、マジで……!?」
引きつった笑いが出た。
「ごぼごぼごぼ……」
オーク男の口から、血の泡があふれ出てきた。
私は慌てて、そいつのお腹に足の裏をつけて、木刀を引っこ抜く。
終末の魔女になった私は、力も強くなっているみたいだ。
バキバキという感触を覚えつつ、木刀は抜けた。
オークが白目を剥いて、その場に転がる。
びくんびくん痙攣してる。
「ええ……マジですかあ」
一人残ったオークは、倒された仲間を見て、困った顔をした。
「じゃあ、あっちもマジですかあ」
吹き飛ばされたまま、ピクリともしない遠くの仲間を見て、困り顔で私を見る。
その時には、私は思いっきり木刀を振りかぶり、そいつに近付いていた。
「マジですかあ」
最後まで困った顔をしながら、オークは私に額を殴られ、耳と鼻と目から血を噴き出しながら倒れていったのだった。
「ひ、ひいー」
全部のオークをやっつけた後、私はへなへなとその場に座り込んでいた。
「どうしたマサムネ! どこかやられたか?」
「い、いや、その、腰が抜けて……」
「何を言う。キリングジョーを相手にして、一歩も退かなかったそなたが、オーク程度で」
「あの時は気付いたら怪獣が消し飛んでたんだもん。現実感がないって。だけどほら、今回は私が木刀でボコボコにしたんでしょ……。うわあ、人を殴ったの初めて……」
手のひらがぶるぶる震えている。
指先が強張って、木刀を握ったまま手を開けない。
「なんともちぐはぐだな、そなたは。歴戦の勇者もかくやという勇気を示したかと思えば、こうやってただの村娘のように震えたりもする。どれ、妾が肩を貸してやる。少し休もうぞ」
私は姫に支えられながら、半壊した交番に入っていく。
ああ、怖かった……!