第六話 世界はあの瞬間から、ずっと一大事のままだ
目覚めると、ベッドの脇からすうすうという寝息が聞えてくる。
体を起こすと、そこには寝袋にくるまって熟睡するエルフの姿が。
昨夜、「妾は押しかけてきた側だ。家主の寝床を取るなど、尊い生まれの者がすることではない。何、粗末な寝床は慣れている。このような奇妙な袋に包まって眠るのも……お、おおおおっ!? 暖かいではないかこれ!!」
なんて大騒ぎしていた彼女だ。
夜の間に、清明楓に戻ることもなく、朝からずーっとエルフのまま。
「これは、完全にメインが姫になってるねえ」
私が呟いたら、姫はパチッと目を開けた。
「うわっ、起きた」
「近くで声がしたら目覚めるに決まっているであろう。妾の耳は飾りではないぞ」
いきなり起きたと言うのに、言葉もハキハキしている姫。
寝袋から頭だけ出してきて、耳をピコピコと動かして見せた。
おおー、エルフの耳って動かせるんだなあ。
「元より、一度は人間たちに囚われ、そして終末の魔女を求めて脱走した妾だ。眠りは浅くてな。いや、昨夜はこれ以上ないくらい熟睡したが」
もぞもぞと、袋から出てくる姫。
身に付けているのは、私のパジャマだ。
スレンダーな彼女にとっては、ちょっとサイズが大きいらしい。
「ゆったりした夜着というものも悪くはないな。足がズボンになっているからどうかと思ったが、これもたっぷり余裕があって快適だった」
「私、別に太ってるわけじゃないからね!?」
うん、今完全に目が覚めた。
私の尊厳のために、これは言っておかねばだ。
「いい? ウエスト周りに合わせると胸がきつくなるので、私は泣く泣くワンサイズ大きいものを……」
「うむ。マサムネ、胸周りと尻周りの肉は、ちょっと邪魔ではないかというくらいついておるものな」
「うううううるさいよ!?」
これ以上体系の話をしていては、何かを得るどころか失うばかりだ。
具体的には自分の尊厳とか、体系に関する自己欺瞞とか。
そう気付いた私は、無理やり話を打ち切ることにした。
さっさと起きて、シャワーを浴びて着替えねばだ。
「む、朝の支度か。妾も旅暮らしが長いからな。己の事は己で出来るようになっているのだぞ?」
姫、なんで得意げなんだか。
そして、私がバスルームに向かうの後を、彼女は当然と言う顔でついてくる。
「あの、姫?」
「なんだ?」
「私、シャワー浴びるんだけど」
「シャワーとはなんだ。湯浴みか? 朝の湯浴みとは、やはりマサムネは貴族のような生活をしているな。安心せよ。妾も湯浴みをするゆえ、ここは二人で一度に片付けてしまおう」
うわあ、何を名案みたいな顔で言うの。
昨夜は疲れから、夕食を食べた私たち、お風呂にも入らずに布団に倒れ込んだのだ。
パジャマに着替えるくらいの力はあったのだけど。
そもそも姫はこちらの世界での入浴の仕方を知らないわけか。
私は彼女を従えて服を脱ぎ、浴室にてハンドルを捻る。
暖かいお湯が降り注いできた。
私のシャワー温度は39度。
ちょっと熱いくらいがいい。
「なんと、熱い湯が勝手に出てくるとは……!! これはさぞ、名のある魔道具が使われた浴室なのだろうな。だがやけに狭いな。魔法的な限界があるせいか……おふう、なんたる悦楽……」
私にシャワーを浴びせられて、とろける姫。
この人、キリッとしてるように見えるけど、寝床とかシャワーとか、かなり快楽に弱いな?
昨夜も、夕食のシチューを無言でガツガツ食べてたし。
「しかしマサムネ……そなた、何を食べればそこまで……」
「胸を凝視しない!」
「いや、しかし年の頃は近かろうに、妾やこの体とあまりにも違いすぎる……! 不可解だ……」
「うるさいよ!?」
とりあえず、シャワーもろもろを終えた私たち。
ドライヤーを使って姫の髪を乾かすのは、もちろん私。
うーん、なんというさらさらとした髪質。
タオルで水気を取っただけで、ふんわりした質感になった姫のプラチナブロンドは、ドライヤーにあおられて柔らかに広がる。
シャンプーの宣伝に出てくる、女優の髪みたいだ。
その後、朝食はハムエッグにご飯。
姫はスプーンで、物珍しそうにご飯をすくっては食べていた。
このエルフ、パンを主食にする文化圏の出身か。
それに、エルフって肉を食べるんだっけ?
昨夜のシチューも、今日のハムエッグも、もりもりと食べている。
「姫、私お弁当作ってるから、食器下げておいて」
「はて、下げるとは?」
「食器をこう重ねてね、そこの流しに置いてってこと」
「ふむ、給仕がやっていることだな。良かろう、妾はマサムネの家に逗留させてもらっている身。挑戦してみようではないか」
そう言って、彼女は食器を重ね始めた。
あっ、なんでお茶碗の上にお皿を載せるの。
それを積み上げて、ふらふらしながらこっちに。
あっ、あっ、怖っ! 怖ぁっ!
「姫、そうじゃない、そうじゃないから」
「待て、話しかけるな。妾は今、真剣勝負の最中なのだ。なに、人間どものエルフ狩りに追い込まれ、死の迷宮を罠に怯えながら彷徨ったときに比べればこのようなこと……アッー」
「うわー!?」
私は床にダイブして、落っこちたお皿を受け止めた。
「おお、ありがとう、マサムネ。大儀であった」
「大儀じゃないでしょー! いい? 大きいお皿の上に、小さいお椀を載せるの。よろしい?」
「うむ、うむ」
私に激しく注意されて、姫はかくかくと頷いた。
テーブルに戻ってからの再チャレンジを経て、彼女は食器を流しまで持ってくることに成功したのだった。
「見よ! 妾にもこれくらいのことはできるのだ! どうだマサムネ!」
「あー、はいはい。後でコーヒー淹れてあげるから、テレビ見ながら待っててねー」
ドッと疲れた私、はしゃぐ姫を流しながら、昼のお弁当用にサンドイッチを作り始めた。
朝、夕はお米。
昼はパンか麺。
これが私のジャスティス。
煎り卵とマヨネーズを混ぜて、バターを塗ったサンドイッチを二人分、合計八切れ作る。
全て卵マヨネーズサンドだ。
水筒には、昨夜のうちに作っておいたスポーツドリンクを入れる。
よしよし、万事オーケー。
「ほう、これがテレビか。中に誰かいるな。いや、魔法を使って遠くの様子を映し出しているのか。おーい。反応がないな。一方通行の通信と言うことか。これに関しては、ファンタズム・バースの魔法技術の方が上だな」
ごちゃごちゃ言いながら、ニュース番組に見入っている姫なのだった。
ちなみに、昨日起こった、こっちの世界と姫の世界が重なってしまう事件。
これは世界中で発生したようだった。
朝から、テレビは特番を組んで、テレビTKO以外はニュース一色。
そう言えば、世界は混乱の最中にあるって言うのに、電気も水道もガスも、電波だって使えている。
さっきまで当たり前だと思って使ってたけど。
「ほう、あれは昨日の学校ではないか。マサムネ! 妾とそなたが出会った学校が映っているぞ!」
「はいはい。そりゃあ、怪物が襲ってきて大変だったもんねえ。途中で集会抜けてきたけど、あの後どうなったんだろうね」
「テレビでは、生徒と教師の半数が行方不明になったと言っているな」
「へえ、それはそれは……って、半数!? それって一大事じゃない!」
「何を言う、マサムネ」
姫が皮肉げに笑う。
「世界はあの瞬間から、ずっと一大事のままだ」
────そうだった。
ついつい、朝の一連のドタバタで失念していたけれど、私にせよ、姫にせよ、尋常な状態ではないのだ。
世界はひょっとすると、私たち以上に大きく変化している。
昨日まであった日常というものは、二度と戻らないのかもしれない。
「うーん、とりあえずどうしよう」
お弁当をバスケットに詰め終えると、私は考えた。
すると、姫がテレビ画面を指差す。
「半分が消えたということは、少しは落ち着いただろう。学校に戻るとしよう」