第四話 そなたが一番大事なのだ!
避難訓練よろしく、私と清明楓は校庭へと誘導された。
そこに待っていたのは、見飽きてうんざりしている、我がクラスの顔ぶれ。
清明楓は自分のクラスに連れて行かれた。
階段で罵声を浴びせてきた彼女たちがいるクラスだ。
別れ際、楓は不安げな目を私に向けた。
「どうして欲しいのさ」
私は腹芸は苦手だ。
楓は顔を伏せた。
そのまま連行されるように、クラスの並びへと歩いていく。
「腹立たしい。ファンタズム・バースもリング・バースも変わらぬではないか」
え?
今なんて?
去り際の楓の呟きが、風に乗って届いてきた。
あのエルフ、何かやらかす気だ。
「マサムネ! あんた!!」
おっと、こっちも面倒なのがいたんだった。
道永胡蝶が、肩を怒らせて私を睨みつけている。
いつの間にか、彼女の取り巻きに囲まれてしまっていた。
避難訓練みたいに、整列しなくていいのかしら?
「なあに、道永」
「あんたが勝手な行動をしたせいで、うちのクラスが危険に晒されたでしょ! あんたみたいなのでも、揃わないと物事が始まらないの! 集団行動を守れ!」
道永の剣幕に同調して、取り巻きたちも「そうだそうだ」「空気読め!」「マサムネマジ使えねー」とか勝手なことを言う。
今までなら、彼女たちに対して、適当な返答を行って火に油を注いでいたかもしれない。
だけどなんだろう。
今の私は違う。
「怪獣が突っ込んで来たでしょ。あの状況で普通に教室戻れると思う? どっかの教室、怪獣に潰されちゃったみたいだし」
私がポツリと漏らすと、途端に道永が黙った。
取り巻きたちも、口をパクパクとさせる。
怪獣が教室を潰してしまった件については、私も責任を感じるんだけど……。
でも、あの時はあれ以外のやり方なんか無かった。
今はそう思う。
「そ……んなの、分からないでしょ」
「立ち入り禁止になってるクラスがあった。絶対行くなって言われた。あの教室、やばいことになってるのかも。私たちがあの教室みたいにならなかったって保証なんか無いじゃん。それでも、みんな一箇所に集まって怪獣の的になるような集団行動が大事だったの?」
「やめて!!」
道永と、彼女の取り巻きのテンションがどんどん下がっていく。
私に怒りをぶつけていい気分になっていたところに、彼女たちが目をそらしていた今の状況をつきつけた。まあ、屁理屈みたいなものなんだけどね。
我ながら悪趣味だとは思う。
だけど今の私は、何かやられたらやり返さずにはいられない。
私は、まるで瞬間湯沸かし器にでもなってしまったみたいだ。
結局、私を糾弾する会はこれでおしまい。
校長先生がやって来て、マイクでぼそぼそとしゃべり始めた。
彼女は、温和でふっくらした感じのおばさまで、この学校の創業者一族の一人。
いつもハキハキ喋るひとじゃないんだけど、今日は特に歯切れが悪い。
「あー、集団幻覚のようなものがありまして。上からは、避難の指示が……出てないんですが」
出てないのかい。
「今は上とは連絡が取れませんが、あー、ひとまず、クラスごとに分かれて避難をー。うー、すぐに連絡も出来る様になると思うので、えー、そうなったらまた追って指示を出します。うー、皆さんの集団行動は、押さない、駆けない、ふざけない、の、お、か、ふで行きましょう」
お、か、ふ、ってなんだ。
全然意味も韻も踏んでないじゃないか。
私は内心で突っ込みまくりだ。
それに、世の中には、クラスが針のむしろっていう人間だっているんだぞ。
私はまだ毎日の事で慣れてるけど、いじめがあるクラスに戻っていった清明楓とか、姫とか。
ああ、もう、面倒だなあ。
私はため息をついた。
その時だ。
バッチィィィィンッ、と物凄い音が響き渡った。
姫こと、清明楓のクラスから、生徒が一人吹き飛ばされてくる。
楓じゃないけれど、見覚えがある顔だ。
おそらく、いじめグループと見られる女子の一人。
列から飛び出すように吹っ飛ばされると、地面をごろごろ転がった。
動かなくなる。
瞬きをしてるから、びっくりして動かなくなっただけのようだ。
そりゃあ人生で何度も、ぶっ飛ぶくらい引っ叩かれることって無いもんね。
ほっぺたには見事なもみじが出来ている。
私が目線をめぐらせると、かのクラスの中ほどで、腕を振り切った姿勢のまま残心を決めている女子一人。
銀髪に尖った耳、青い目の……おいおいおい!!
まんまエルフじゃないですかー!
「姫じゃん!! なんで変身してるのーっ!!」
「これマサムネ!! なんだこの環境は? ここの人間には下郎しかおらんのか? このような者たちを、わが身を投げ打って救おうとしたなど、考えただけで反吐が出る!! よって、無礼者に妾が手ずから罰を与えたのだ!」
ざわめきが起こり、広がっていく。
何しろ、クラスメイトが引っ叩かれて吹っ飛んで、その後に銀髪で青い目、耳が尖ったエルフが登場したんだもの。
みんな、突然の展開に驚き、悲鳴や叫び声が聞えた。
怪獣襲撃で不安定になっているところに、姫のダイナミックアクションだからねえ。
生徒たちはちょっとしたパニック状態だ。
これは事態の収集が大変そう。
先生方も、おろおろしながら動き始める……。
だけど、事はそれで終わらなかった。
パニックになった女の子たちの中に、変身した子が何人もいたのだ。
『裏返ったのよ』
そう、それ。
今だけは、左目、あんたの言うとおり。
私が終末の魔女になったのと同じように。
一人の女子は、狼男……じゃない狼女になった。
女子高の制服を着て直立する狼とか、凄い光景。
一人は、髪の毛が真っ青になり、その足元に光の模様みたいなのが浮かび上がる。
あれって魔方陣?
一人は一回り体が大きくなり、服がびりびりと。
あれはかわいそうだなあ。
「み、皆さん落ち着いて! おちついムゴアー」
マイクで呼びかけていた校長が、変な声を出しながら変身した時に、パニックは頂点に達した。
校長先生は、温和そうな小太りのおばさまから、毛むくじゃらの大きな怪物になってしまう。
もっふもふの毛皮で、口が突き出していて、そこから長い舌が出入りしている。
大アリクイみたいな怪物だ。
そして元校長先生、どっかりと座り込むと、せっせと校庭の地面を走るアリを食べ始めてしまった。
「ちょっと可愛いかも」
私は笑ってしまった。
だけど、そんな余裕があるのなんて、この場では二人しかいなかった。
私と、もう一人。
「なんだこの混乱は!? ううむ、ここにいては危険だ。行くぞマサムネ! リング・バースを案内せよ!」
鼻息も荒く、このパニックの元凶であるエルフの姫君が私の前に立ったのだ。
「そうねえ。この状況、収まらないよね」
「うむ。多くの者が二重存在になったようだ。正気を保てまい」
二重存在というのは、私や姫の様に、この世界の人間と、ファンタズム・バースの存在が重なり合ってしまった状態のこと、らしい。
「放っておいていいの?」
「構わぬ。後に己の中に重なった存在と折り合いをつけ、仲間になろうというならば拒みはせぬ。だが、こちらから手を差し伸べる義理はないし、そんな余裕もない」
姫は、スタスタと校庭の出口に向かって歩いていく。
私は彼女に並ぶ。
「なら、私は良かったわけ?」
何とはなしに尋ねたら、姫は眉毛を吊り上げた。
「何を言う! そなたがいなければ始まらぬ! いや、そなたが一番大事なのだ! 妾はそなたと出会ったからこそ、今こうして希望を持っていられるのだぞ! 故に、妾にはマサムネが必要なのだ!」
おっ!
強烈な言葉が、私に叩き付けられた。
胸がキュンとした。
初めての感覚だぞ。
なんだかこれって、まるで愛の告白みたいな。
「ええ。いやあ。そんな事言われたの初めてだなあ」
私は照れて、ニヤニヤした。
「そうであろうそうであろう。妾のような高貴な者が、マサムネという庶民にこうも熱く語りかけているのだ。光栄であろう……! あ、妾と離れるな。何があるか分からないから怖い」
姫は変な人だなあ。
私たちは、何となく気持ちの方向性がずれたままテンションが上がって、二人並んで校門を出る。
混乱しているのは学校の中だけかと思ったら、外も混乱の最中にあった。
宅配便のトラックが馬車と混じり、見渡す雑居ビルはちょっとバロック調の建物に。
双首の猛犬を連れた幼児が、杖をつきながらテクテク歩いていく。
なんだあれ。
「皆、今はまだ他を気にする余裕もあるまい。よって、二重存在となった者が、意図して他人へ危害を加えはしないであろう。この隙に落ち着ける場所へ行くぞ。……でも、どこへ行こう」
途中までかっこよく喋っていた姫は、眉毛をハの字にしてしょんぼりした。
こういうところは可愛いな、この人。
「ノープランだったわけね。じゃあ、どうかな。姫に体を貸している、清明さんの家は……」
私がそんなことを言った途端、姫から清明楓に戻って、真顔でぶんぶん首を左右に振る。
わあ、必死。
すぐに楓は姫に裏返った。
「これ、楓! 落ち着かんか! ええい、引っ込んでいるくせに何故こういう時に出て来て自己主張するのか……」
「そこまで家に来てもらいたくないのかあ。仕方ない。じゃあ、うち来る?」
私の提案に、今度は楓が浮上してくる事は無かった。
それを確認し、姫が頷く。
「うむ、では案内せよ。終末の魔女のねぐら、どれほど恐るべき魔境であっても、妾は恐れぬからな」
何か勘違いしてないかな、姫。
だが、見知らぬこの世界は、ファンタジーな世界からやって来たエルフにとって、魔境と変わりないのかもしれない。
現実とファンタジーが交じり合ってて、私にとっても魔境だけどね。
私たちは、石畳とアスファルトが混ざり合った道を行き、用水路になった線路を飛び越えた。
背後を、パンタグラフがついた帆船がゆったり進んでいく。
ホームレスのおじさんたちがいる公園では、遊牧民っぽいテントが立ち並び、そこから道を一つ隔てた保育園は、緑色の肌をした子鬼たちが遊具に群がっている。
「マサムネ」
「なーに」
「そなたの世界は、恐ろしいところだな」
「や、普段はこんなじゃないからね?」