第二話 私は、実は。
「何アレ!?」
「映画の撮影?」
危機感がない風な生徒たちの声が聞こえる。
彼女たちは、二足ワニが迫ってくる窓際に集まって、スマホを向けている。
中には、ワニを背中に自撮りしている強者までいるみたいだ。
「まずいまずいまずいっ」
私はうわ言みたいに呟く。
隣で、じっと二足ワニを見つめるエルフの人は、動く気配がない。
「逃げよ!」
私が彼女の手をにぎると、目を吊り上げて睨んできた。
「どこに逃げようというのか! あれは、妾の血を目印にここを目指している。妾が逃げたとしても、あの怪物……キリングジョーはどこまでも追ってくるわ!」
振り返る。
迫ってくる二足ワニ……キリングジョーの目は血走り、じいっとこのエルフを見つめているように思う。
大きく口が開かれた。
校庭を突っ切り、怪物は校舎に足をかける。
階下で上がっていた好奇の声が、一斉に悲鳴に変わった。
岩肌になった窓に爪を引っ掛け、巨体がどんどん上ってこようとする。
「あっぶな!? だけど……誰も死んでない……?」
下の光景なんて、死角になっているから普通は見えない。
だけれど、私は校舎の壁面一体を見渡すことができた。
それらは見えないはずの左目によって映し出されている。
「見えるのか。そうか、そなた、魔眼使いか。赤い魔眼とは、まるで“終末の魔女”の伝説よな」
「赤?」
私はポケットから折り畳みの鏡を取り出す。
そこに映し出された私の左目は、傷跡が薄くなり、濁っているはずの瞳は赤く染まっていた。
なんだこれ。
特大のルビーみたいに輝く瞳は、その中に規則的な螺旋を描き、中央は暗く紅い色合いをしていた。
『終末の魔女。そう呼ぶ者もいたわね』
また、左目から声が聞こえた。
この声は、エルフには聞こえていないみたい。
彼女はすぐに私から目をそらし、迫ってくる怪物を睨みつけた。
「あれはまだ、妾しか見ておらぬ。妾が逃げれば、追うついでにこの砦に住まう者たちを食い散らかすであろうよ」
「しゃれになんないでしょ、それ」
「洒落ではない。故に、妾は突然、こんな砦に追放されたのだ。我が父が行った忌まわしき儀式がためにな」
「何を言ってるの? わけわからない。それに逃げないってのも意味不明。じゃあどうしろっての」
「そなたの魔眼が、もしも終末の魔女のそれであるならば、或いは」
今、私の左目が終末の魔女だって名乗ったんだけど。
え?
ってことは、私、あのキリングジョーって言うバカでかい怪物を、なんとかできちゃうってわけ?
震動が強くなってきた。
巨大なワニのような鼻先が、屋上に突き出してくる。
「来た来た、来ちゃった」
私は我知らず拳を握りしめる。
手の中がじっとりと汗をかく。
鼓動が高鳴り、足が震える。やばい。
「そなただけでも逃げよ。他の者は間に合うまい」
「冗談でしょ。私だって間に合わない」
「そなたは見たのであろう? 砦の中の者たちは、まだ現実を分かっておらぬ。砦の奥に逃げ込めば食われぬと高をくくっている」
「あなたは怖くないわけ?」
ああ、いや。
彼女を見て分かった。
むき出しの腕も、足も震えている。
エルフの彼女も怖いんだ。
それが、何をどうしてこんなに我慢してるんだろう。
おっと。
【…………】
キリングジョーが、とうとう屋上に足をかけた。
巨体が持ち上がり、私たちを頭上から見下ろしてくる。
「どうやって使うっての。魔眼? とか言うの? やり方教えてよ」
左目は沈黙している。
さっきから、余計な茶々ばかり入れて、大事な時にはだんまりとか。
【…………!!】
怪物の口が、大きく開かれる。
乗用車だって一口で飲み込んでしまうような、とんでもなく大きな口だ。
エルフは頭上を見上げて、震えたままずっと立っている。
「────ったく!!」
私は彼女の手を取った。
力任せに引っ張る。
そうしたら、思ったよりも全然軽い。
「きゃっ」
小さな悲鳴を上げて、彼女は私に引き寄せられた。
私は彼女を抱きとめると。
【ガァオッ】
やばい。
圧力が頭上から来る。
だと言うのに、私の足は遅々として進まない。
当たり前だ。
腕の中に、同じくらいの体格の女の子が一人いるのだ。
いや、私よりは結構華奢だけど。
ええい、こういう時、胸についた重りが邪魔だ。
『逃げたいの。逃げたいのね』
また聞こえてきた。
こんな時に、左目は何を言おうとしているんだろう。
『だったら、“裏返りなさい”』
裏返り?
『あなたはなあに? “実は”なに?』
実はって。
私は私でしか無い。
マサムネとあだ名で呼ばれる、ただの女子高生だ。
実はって────違う。
私は、私は。
私は、実は。
「……!!」
私に抱き寄せられていた、エルフの彼女が目を見開く。
彼女の青い瞳に映るのは、私の顔。
見慣れた顔に、赤く輝きを増す左目。そして、燃えるような朱色に染まった髪の毛。
「実は、終末の魔女」
私は思いっきりジャンプした。
そうしたら、女の子一人抱えているっていうのに、私の体は宙を舞う。
なんだ?
なんだこれ!?
一瞬前まで私たちがいた所に、大きな顎が屋上に突き刺さった。
瓦礫が飛び散り、下からたくさんの悲鳴が聞こえてくる。
もしかして、食べられてる!?
「あれにとっては、ついでであろう。そなたが妾を逃さねば……いや。妾が食われた所で、諸共に喰らわれていたであろう。だが────」
エルフが可愛くない事を言う。
だけど、彼女はじいっと私を見ている。
震えはすっかり止まっていた。
「そなたは間違いない。我がエルフェン王国の伝説に謳われる、終末の魔女。ならば、あの化物をどうにかできる!」
「本当?」
眉唾だ。
だけど今って、疑ってる暇なんか無いでしょ。
ってことで、私ならやれると仮定してみる。
それなら、どうやって私は勝てるんだ?
あんな大きな怪物に、パンチやキックで?
冗談でしょう。
なら何が出来るのか。
終末の魔女となった私には、何が。
今までと違うことが出来る?
今までとは違う自分。
どこが違う?
髪が違う。
動きが違う。
何よりも、目が違う。
見えなくなっているはずの左目が、開いていて赤く染まっている。
これが終末の魔女の力だと言うなら……。
私は左目の視界にキリングジョーを捉える。
ぐっと、視界が絞られるのが分かった。
周りの何もかもが見えなくなる。
ただ、そこに映るのは二足ワニのモンスターだけ。
私の頭の中で、カチカチという音が聞こえた。
これは、照準が合う音。
そして、ギュンギュンと何かが充填される感覚。
全身が熱くなり、それが左目に向かって集まってくる。
まるで、左目がエネルギーを溜め込んでいるかのようだ。
それならば、左目を銃口だと仮定して……。
私は自由な左手を伸ばした。
指先で銃の形を作り、呟いた。
「ズドン」
次の瞬間、視界が真っ赤に染まった。
今まさに、こちらを振り向いて再び大きく口を開け、キリングジョーは襲いかかってくる寸前。
その口腔内に向けて、一条の赤い輝きが伸びた。
【ゴッ…………!!】
モンスターがうめき声を漏らす。
そして、ボッ、という間抜けな音が響いた。
猛烈な風が吹き荒れる。
何かが崩れる音。
そして強烈な震動。
「凄い! これは、まさに……!!」
エルフの彼女が、興奮して叫ぶ声がした。
何!?
何が起こっているの!?
私には何も見えない。
なんていうか、赤い光を放った瞬間、ぶつん、と私の視界はスイッチが切れてしまったみたいで、真っ暗になってしまったのだ。
「空が割れている! なんという輝きだ。モンスターを一撃のもとに蒸発させ、空気を焼き、空を引き裂いた! 見よ! 終末の魔女の光は紫の雲をも二つに割ったのだ! あれなる雲は、モンスター・バースが侵略を行う凶兆。だが、それもそなたの目であれば破壊することが出来る……!
そなたは……希望だ……!!」
ぎゅっと、私の手が握りしめられた。
あ、痛い痛い。
そんなに強く握られると。
それに、体も重い。
なんだろう、さっきまでの重さが嘘みたい。
体ってこんなに動かないものかな……?
何も見えないし、体も上手く動かない。
はしゃぐエルフの子の声を聞きながら、私はこれからどうしたらいいのか、途方にくれていた。