第十四話 ……なんか連絡が来たんだけど
道永胡蝶の生徒手帳を眺め、開き、うーむと思案していた私。
ついには寝転がって、頭上に手帳を広げる。
中に書かれている文字は全く読めず、まるで異世界の言葉だ。
いや、まんま異世界の言葉なんだろう。
姫が言う、モンスター・バースとかいう世界の。
「これは、うーんうーん。どうしたものかあー」
寝転がったまま仰け反り、ぶるぶる震えた。
背筋を伸ばす私お気に入りのストレッチだ。
おばさんはこれを見て、「逆側に折り曲げられて断末魔を上げるエビだね」とか失礼なことを言う。
「……何してるの」
目線の先に、じいっと私を見下ろす楓がいた。
引いてる。
「ストレッチをしてたの。ちょっと悩ましい事があって」
「そ……そう。私、逆側に折り曲げられて断末魔を上げるエビのまねをしてるのかと思っちゃった」
「エビじゃないわ!」
「ご……ごめんなさい」
あっ、謝られてしまった。
なんだろう。
この娘、姫と全然感じが違う。
良くも悪くも真面目で、モンスター・バース撃滅一直線の姫と比べると、楓は芯が定まってない感じ。
常に自信なさげで、おどおどしている。
だけど、私に対して比較的話しかけてくるのは、姫として私と会話した記憶が彼女の中にあるせいかもしれない。
「あ、いや、こっちこそごめん。おばさんがいっつも、同じこと言って私のストレッチに文句を言うからさあ。それで、コーヒーは届けてくれた?」
「うん……。鏡の前でポーズしてた」
「まだやってたか」
「それと」
楓がポケットから、スマホを取り出す。
ピンク色の可愛いスマホだ。肉球の柄がまた可愛い。
「姫とマサムネが、勝手にインストールしたruinトークで……なんか連絡が来たんだけど」
あ、そうだった。
自分のスマホにruin入れるの嫌だったから、楓のスマホを使ったんだった。
彼女はちょっと恨みがましい目でこっちを見てくる。
気持ちは分かる。
友達いないと使わないもんね、このアプリ。
「誰から? ゴッドの人?」
「うん。悟っていう人……。ど……どうすればいいの」
おろおろしてる。
私に聞かれたって分からん。
男からruinトークが来ても、対処方法なんか分からないからね。
「なーにって聞いてみたら?」
「……分かった」
私と楓、床に座り込み、顔を寄せ合ってスマホを覗き込む。
楓はたどたどしい手つきで「なあに」と入力する。
明らかにフリック入力に慣れていない手付き。
返答は一瞬で来た。
『今日はお疲れ様です!! 明日もがんばっていきましょう!! G.O.D.はいつでも君たちの参加を歓迎します!!』
暑苦しい!
しかも、トークの後にやっぱり暑苦しい、無料スタンプのお目々キラキラバージョンと、さらにみんなでピースをしている集合写真まである。
うわー。
ゾゾッと来た。
ダメだ、この集まりは苦手だ。
私はよく喋りよく動き、退かぬ媚びぬ省みぬを信条にするひねくれ者だけど、根本的に陰キャラなのだ。
楓も全く同じ感想を抱いたようで、えもいわれぬ嫌そうな顔を浮かべて、ぷるぷる震えている。
「ゴッドに参加するのは見合わせておこうね」
「……うん」
私たちの統一見解なのであった。
その後、私は手早く冷凍しておくための料理を作り、次々にラップを掛けて冷凍庫へ。
一品は本日のお夕食。
鶏肉入りのおでんとご飯。
我が家では、おでんでご飯を食べるのだ。
「初夏なのにおでんとは、凄いチョイスだねえ怜愛」
「食材がめっちゃくちゃ売れ残ってたの。練り物は山ほど買ってきて料理してあるから、一週間はおでんのバリエーションだよ」
「わーい、おでんだいすきー」
本日の食卓にて、おばさんが棒読みでそう告げつつ、ちくわにかぶりついた。
対面では、楓がもそもそとこんにゃく結びを食べている。
そう。
帰ってきてからずっと、姫が顔を出さないのだ。
初めて会ったあの時も、魔法を使いまくった今日の午前も、割と出ずっぱりだったのに。
そこまで荷物運びで疲弊したのか。
エルフがどういう作業でくたびれるのか、イマイチ理解できない。
「でね、ネットで色々調べてたんだけど」
おばさんが唐突に言う。
あなた、仕事してたんじゃないのか。
「仕事の息抜きでね?」
一日の大半が息抜きのおばさんである。
「水やガス、電気については国が手を回したって。その隠し撮りしたっぽい写真がアップされたけどね。インフラが襲われないように護衛している様子に、自衛隊の人の他、盾と鎧を着たファンタジーな人たちもいたのよ」
「へえ。それってつまり、国の方はこうなっちゃった事に、さっさと対応したってことかな?」
「どうだろうねえ。上の人たち頭固いから、対応できると思わないけどねー」
おばさんはへらへら笑いながら、濃い目のおでん出汁で煮られた鶏肉を、ご飯の上に乗せた。
「案外権力機構が一夜で入れ替わってたりして。総理大臣じゃなくて、王様になってるかもよ?」
ゲームやラノベの絵を描く仕事をしているおばさん、こういう非常識な事態に対して大変強い。
普通の人たちと比べて、常識の枷がないんだな。
彼女はこの一日で、ネットの情報を集めに集め、世界で今何が起っているかを大体理解したらしい。
「世界中で同じ事が起きてるみたいよ? ファンタジーな世界が、こっちの世界と被ってかなーりのカオスになってるの。ただ、どういう文化圏と一緒になるかはランダムみたいだねえ。ヨーロッパにサムライとかニンジャが現れてたもん」
「ほえー。そりゃあ現地で大うけだねえ」
「あっちの日本と言えば、サムライ、ハラキリ、スシ、ゲイシャだもんね」
わっはっは、とおばさんは大いに笑った。
もち巾着を食べていた楓が、ぶふっと噴き出す。
その後、巾着の欠片が鼻に入ったらしく、慌ててティッシュで鼻をかんだ。
「おっ、楓ちゃんこのネタ分かるの?」
「……や、あ、はい、少し」
楓もちょっと打ち解けてきたみたいじゃない。
いいことだ。
自宅に帰りたがらない彼女は、一人だと絶対に野垂れ死ぬので、うちに置いておく他ない。
それに姫の宿主でもあるし。
家主たるおばさんと仲良くなることは、とても大切なのだ。
ちなみに姫は、既におばさんとは仲良し。
おばさんはエルフが大好きなので、事あるごとに姫を褒めて写真を撮るからだ。
食事の間垂れ流されているテレビは、ニュース番組一色だった。
いつもやっている、バラエティ番組もアニメも無い。
アナウンサーが深刻な顔で、さして情報量が多くも無い話をしている。
この話題、一時間で三回繰り返したな。
「テレビもネットで情報集めてるでしょ。外は危ないからねえ。おばさん、頑張って引きこもらなくちゃ」
「普段から引きこもりだったでしょー」
「あら失礼ね。ベランダには出てたんだから。あと、ルームランナーでちゃんと走ってますー」
「それは大事だと思うけど……。あ」
ルームランナーと聞いて、私はピンと来た。
「おばさん、あのね、姫が魔法を使うには、楓に体力をつけさせなくちゃいけなくて」
自分が話題になったと分かって、楓がビクッとした。
「ルームランナーでこの子を走らせようと思うんだけど」
「いいわね! 私としては可愛い女の子が、仕事場で走っててくれるのは目の保養にもなるわー」
「ひ、ひえええ」
悲鳴を上げる楓。
だけど走ってもらわなければ困るのだ。
姫が魔法をたくさん使えるようになることは、即ち今後、街を探索して回るときに生命線になりうる。
あんな便利な手段なのだ。
回数使えるようになってもらった方がいいに決まってる。
これからどうやって、楓を鍛えていこうかなんて考える私。
その横合いで、テレビは相変わらず、深刻な顔をしたアナウンサーを映し出していたのだった。
『ただいま、江東区に巨大な生物が出現したという情報が入りました。夜だというのに紫色に光る積乱雲が発生し……』




