第一話 空から異世界が降ってきた。
その日、空から異世界が降ってきた。
現実はあっという間に、異なる世界の法則が混じり合い、私たちのよく知る……だけれど知らない世界に変わってしまった。
これは、世界が変わってしまう五分前の光景。
◆
「ほんっと、ウザい」
「あら、意見が合うねえ」
私の片方しか無い視界は、憎たらしい顔をした彼女をじぃっと見つめている。
頭の後ろで、ポニーテールにまとめた髪が揺れる。
その揺れさえ、彼女は憎らしいようだった。
このクラスの女子の大多数を従えるボスである彼女、道永胡蝶。
彼女は、私のことが大嫌いなのだ。
「合わないっ。何様のつもり、マサムネ。あんた、クラスの和を乱してるの。分かんないわけ?」
道永の周りで、彼女に賛同する声が上がる。
私を、「空気読め」とか、「キモい」とか言ってくる彼女たち。
道永胡蝶の取り巻きであり、このクラスの大半。
女子校と言う所は、空気を読む力とコミュ力がモノを言う。
道永は、その二つを持ち、しかも文武両道、眉目秀麗。
強い存在感で、彼女たちを味方につけている。
だから、取り巻きは道永の敵である私を悪し様に言うのだけれど。
正直な話、それは雑音だ。
自分の気持ちを持っていない人たちが、何を言ったってその言葉には意味なんてない。
私は彼女たちを見回す。
一人ひとりの目と、目を合わせる。
そうすると、みんなちょっとだけ目を逸らすのだ。
誰一人、正面切って私とやり合いたい人なんていない。
「あのね、マサムネ。もうこれ、クラスで決めたことなの。募金をするために、駅に立つの。ボランティアじゃん。やりたくないとかありえないんだけど」
「正しいボランティアならやるよ? だけど、違うっしょこれ」
「違わない」
「なんで遠い国の恵まれない子どもたちに募金するの? 駅にはホームレスの人とかいっぱいいるし、私達でビッグイシューとか買ってあげるほうが、ボランティアとして正しくない?」
「訳分かんないこと言うな!!」
「そお?」
「決めたことでしょ。あんた、いっつもそう! どうして決まったことに従わないの!」
「それって道永の鶴の一声でしょ? 多数決っていうけど、考えてる人どれだけいるの? 考えてない人って、数に入る? それが多数決って言うなら、サイテーなものの決め方じゃない?」
「屁理屈ばっかり言うな! お前さ、前々からずっと生意気なんだよ……」
道永が立ち上がる。
周りの子たちも、勢いづいて私を囲む輪を縮めてきた。
「大体、何、その眼帯。かっこいいつもり!? だからマサムネとか馬鹿にされてんだよ!」
「子供の頃に怪我したの。だから、こっちの目は見えないわけ。それで眼帯」
眼帯をめくってみせると、その下にある傷跡があらわになる。
もっと早く治療したら治ったそうだけど、色々あって傷は残った。
道永の取り巻きが、顔をしかめたり、目を背けたり。
「キモい」「そんなの見せないでよ」
はいはい。
そういうのが、あなたたちの本音だよね。
私はバカバカしくなって、教室から外に出た。
後ろからは、「どこ行くの! もうすぐ授業だって言うのに!」
はいはい。
廊下の窓を開けて、私は身を乗り出した。
ここからは校庭を一望にできる。
一限目が体育の授業らしきクラスが、わいわいと校庭に出ていっている。
季節はもうすぐ夏。
日差しがとっても強い。
◆
世界が変わってしまうまで、あと一分。
ふと、日差しが陰ったように見えた。
私は頭上を見上げる。
あれ?
校舎の屋上に立っている人がいる。
なんだろう、あれは。
自殺でもするのかな。
彼女の姿は、逆光でよく見えない。
「おーい」
「!」
「危ないよ」
「……」
「屋上、立入禁止でしょ」
「……」
頭上の人は、何も答えてくれない。
あ、いや。
何か言ってるみたいだけど、声が小さくて聞こえないんだ。
「えー?」
「……っなの」
「はいー?」
「だから……ほっといてって、言ってるの……!」
ようやく聞こえた。
だけど、その時には私の頭の中は屋上にいる彼女の声に集中してる余裕なんかなかった。
だって、見上げた私の目に映るのは、いつの間にか空を一面に埋め尽くした不思議な光景だったからだ。
あれは、お城?
あれは、湖。
あれは、山。
翼を羽ばたかせて飛ぶのは鳥じゃない。
緑色の大きなトカゲで、ドラゴン……?
世界が逆さまになって、空に映っている。
それが、ぐんぐんと……近づいてきてない?
「っと……聞いて……の……」
「聞いてる。空」
校庭の方でも、空の異変に気づいたみたいだ。
きゃあきゃあと騒ぐ声が聞こえる。
一番最初に、こっちの世界に触れたのは、山のてっぺんだった。
それはちょうど、私の顔をかすめるような距離にやって来て、だから頂上に立っていた彼女と、私は目が合ったのだ。
真っ赤なドレスを纏った、山の上にいるには似つかわしくない赤毛の女。
赤い瞳が私を射抜いた。
『あなたに決めた』
そう聞こえた。
そして次の瞬間には、私の眼帯の奥がカッと熱くなる。
見えない目が、燃えるような感覚。
「う……うううううっ!!」
私はうずくまった。
眼帯を外して、必死に熱を逃がそうとする。
だけど、熱さはなくならない。
私は傷口を押さえながら、呻いた。
◆
そして世界は変わってしまった。
──私が世界を見ていない間に、ずんっ……と世界が揺れた。
一瞬だけ、全ての音が消える。
そして、ざわめきが戻ってくる。
廊下をばたばた走る音。
「なに!?」「学校、壊れてる!?」「空が見えて……空、紫色」
紫色?
そんなバカな、と思って顔を上げた私は、絶句した。
空は、紫の雲が渦巻く見たこともない姿になっている。
廊下にはもう天井は無く、学校と岩肌が一つになったような壁が、どこまでも続いている。
「あ……」
ようやく、屋上に立っている彼女が見えた。
真っ白な肌で、三つ編みの真面目そうな女の子。メガネをしていて……。
と思ったら、一瞬で彼女の姿が変わった。
銀色の髪を三つ編みにして、尖った長い耳が突き出している。
あれって、エルフ?
「そなたは」
彼女が口を開く。口調まで違うみたいだ。
その時、彼女の耳がピクリと動いた。
「来る。逃げよ! あれが来る。モンスター・バースの住人が、妾を追って来るぞ!!」
何を言っているの?
意味が分からない。
『彼女の言葉を聞いたほうがいいわ』
声がした。
私の塞がった左目から。
『逃げた方がいいのじゃなくて?』
「何言ってんのよ。そもそも、屋上は進入禁止だし、廊下の天井が空いちゃった今は危ないったら」
私が言っている言葉は、我ながら支離滅裂だったと思う。
だけど、私の体は動いていた。
自分でも驚くほど軽快に、岩肌になった壁をよじ登っていく。
少しして、私は屋上に立っていた。
眼の前には、憮然とした顔のエルフが立っている。
三つ編みにメガネ、私と同じ制服。
だけど、中身だけが銀髪のエルフなのだ。
「なぜ逃げぬ。妾の言葉を脅かしだと思うたか。そも、妾を糾弾するでもなく、なぜ並び立つ」
「言ってること、一つも意味分からないんですけど」
『来るわ』
また、私の左目が囁いた。
視力を失っているはずの視界に、それが映る。
空に浮かんだ紫の渦から、何者かが生まれようとしている光景だ。
「あれよ。忌まわしき妾の血を追って現れる、モンスター・バースの住人よ。あれが、ファンタズム・バースに災いをもたらした」
校舎の半分くらいの高さがある、二本足のワニ。
ものすごく大きな頭に、直接足が生えているみたいなとんでもない姿だ。
それが、エルフを見て吠えた。
文字に出来ない、すごい鳴き声。
山と一体になった校舎がびりびり震える。
「もう遅い」
エルフは静かに呟いた。
「皆、喰われる」
冗談じゃない。