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長い螺旋状の階段を抜けた先には、遮るもののない開けた空間が広がっていた。
穴底の平らな地面は一面がむき出しの岩盤になっており、奥には山と見間違うほど巨大な岩が豪然と聳えている。
その巨岩を中心に、左右を守護する形で二体の石像が立っている。石像は両方とも平均的な大人の倍くらいの大きさがあり、その手には同じく石造りの剣と盾が握られていた。
(岩灯の王か……)
男は剣を抜くと、硬い岩盤の地面を一歩ずつ踏みしめるようにして歩き出した。
次第に巨岩との間隔が縮まっていき、緊張が高まっていく。
まだ距離自体は遠く離れており、およそ五百歩以上も先ではあるものの、石像との体高差や灯火の王の力を考えればそんな悠長なことは言っていられないだろう。
そうしてゆっくりと歩を進め、地底空間の中程まで差しかかったとき、突然足元の地面が大きく揺れ動き始めた。
男は少しばかり身を屈めるような姿勢を取り、油断なく身構える。
一方で揺れはより激しくなり、前方の巨岩の一部がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。ところが、巨岩全体として見れば、まるでその体積を増すかのように膨らんできていた。
(この違和感はなんだ?)
前方を警戒しつつ、素早く周囲に目を走らせる。
周辺の様子に変化はなく、岩盤むき出しの地面が広がる円形の開けた空間とそこを照らすいくつかの灯火具、そしてその場所を囲うようにして高く伸びる螺旋階段があるだけだ。
男は巨岩に視線を戻しつつ、思考を巡らせる。
(やはりそうか。妙な構造をしているとは思っていたが、この遺跡自体が巨大な檻になっていたわけだ)
建物にはそれを支えるための柱や壁などがあり、大型の建物であるほどそれらの数は多くなる傾向がある。当然それはこの遺跡にも存在しており、特に地上から地底までを繋ぐ巨大な螺旋状の通路には膨大な数の柱が立ち並んでいた。
柱と柱の間には違和感が生じない程度の間隔があいていたため、通路を通っているときには気づかなかったが、広大な地底空間とそこにある巨岩や石像などを考慮した上で改めて見てみれば、ただ通路を支えるためだけに作られたのではなく、通路の中にいる人間を守るための柵としての役割があるようにも思えてくる。
つまり、ここにいる灯火の王はそれだけの規模か影響力を持つ存在だということがわかるわけだ。
と、男がそこまで思い至ったところで、巨岩が内側から裂けるように左右に広がり、まるで浮き上がるかのような勢いで上方へと盛り上がってきた。
そうして石像よりも高く上昇した、今しがたまで巨岩だと思っていた部分を見上げ、男は思わず息を呑んだ。
(こいつは、想定してなかったな……)
先程まで男が巨岩だと思っていたもの、それは左右に並び立つ石像よりも遥かに大きな岩の巨人だった。
最初の状態でひと塊の巨大な岩のように見えたのは、おそらく巨人自身が自分の身体を抱えるようにしてうずくまっており、長い年月をかけてその周りに砂や塵などが積もっていった結果なのだろう。半身が少し岩盤に埋まっていたようで、足元の地面には大きな窪みが広がっていた。
立ち上がった巨人と両隣の石像とを見比べると、その体高には大人と子供程度の差があるように見える。それなりの大きさを誇るはずの石像であってもそうなのだ、男など巨人の膝下にさえ達していないだろう。
(真ん中の岩の巨人が岩灯の王とみて間違いないな)
そうして男が観察を続けていると、岩灯の王は自分の後ろ側に片手を回し、背後の地面から腰くらいの高さまで突き出ている棒状の物体へと手を伸ばして、勢いよく引き抜いた。
一見すると柱のようにも思える棒状の物体、それは岩灯の王の背丈の倍近くはあるだろう巨大な石剣の柄だった。
岩灯の王は石剣をズルリと引きずるようにして自分の身体の正面に回すと、両手で握り直してゆっくりと持ち上げ始める。
その動きを合図にして、左右の石像が男に向かって走り出した。
(くるか)
男が迎え撃つべく、わずかに腰を下げた姿勢で剣を構えたとき、すでに岩灯の王は石剣を大きく振りかぶりながら、巨体とは思えぬほどの速度で男へと駆け出してきていた。
(速い!)
常識で考えれば、体積が大きな巨体であるほど、細かな部分での動きは鈍くなるものである。ところが、岩灯の王の身のこなしは通常の人間のそれと同じなのだ。
つまり、人としての動作はそのままに、男のおよそ4、5倍の歩幅で迫ってくるわけである。
あっという間に石像達を追い越し、巨大な石剣が天高く掲げられる。
急速に近づく岩灯の王を前に、男は剣を後ろ手に回しながら、事前に練り上げておいた魔力を流し込んでいた。
「神火よ出づて、万物を分かて」
限界まで高められた男の魔力を受けて、赤色の剣身が白くまばゆい輝きを放ち始める。
互いの距離は未だ百歩以上はあいているものの、岩灯の王は構うことなく掲げた石剣を振り下ろした。
圧倒的な間合いを誇る石剣の刃が頭上へと打ちつけられようかとする直前、男は強烈な光を発する〈火神の剣〉を横薙ぎに振り抜いた。
「〈溶断〉!」
その瞬間、石剣の中心付近に深紅の線がスゥーと浮き出てくる。
深紅の線が刃の周りを囲うと同時に石剣は半ばから切断され、ちょうど男を前後から挟むような形でずり落ちた。
もし仮に、この光景を離れた位置から見たならば、まるで〈火神の剣〉の切っ先が突然伸びて、中空に一本の赤い線を引くかのように見えたことだろう。
巨大な石剣を容易く切り落としてみせた男は、続けて迫る石像に向けて返す刃を一閃した。
二体の石像の内、左側の石像は盾を前面に構えて防ごうとしていたが、男が剣を振り切ったときには、右側の石像と同じように盾もろとも両断されおり、ほどなくして上体が崩れ落ちた。
一方で岩灯の王は、従者と思われる石像が斬り倒されたことなど意に介す様子もなく、半分ほどになった石剣を無造作に放り捨てた。
そこから流れるような動きで左腕を前面に構えて前傾姿勢を取るや否や、素早く地面を蹴り出して突撃してきた。
(力よ、彼の王の威をここに示せ!)
男は剣を振るいつつ、権能を行使して即座に後ろへ飛び退る。
勢いよく伸びた赤色の刃が岩灯の王の左腕を通り抜けるのとほぼ同時に、引き絞られた右のこぶしが繰り出される。
剣先が右手の中指に差しかかるのと同じくして、うなりを上げる巨大なこぶしが男に叩き込まれた。意識を維持できないほどの衝撃が小さな身体を突き抜けていく。
大きく弾き飛ばされた男は、空中を何度か回転しながら水平に滑空していき、遥か後方の壁にぶち当たってようやく目を覚ました。
全身から血を流しながらも、なけなしの力で立ち上がり剣を構え直した男は、再び突進の体勢を取る一見して無傷な岩灯の王をにらんで、内心で舌打ちをした。
(やはり、本体に『熱刃』は通じないか。厄介だな)
〈火神の剣〉の恩寵である〈溶断〉には、二つの形態が存在する。その内の一つにあたる〈炎熱の刃〉は、『火ノ神』の力である神火を現出させ、大小問わずあらゆる物質を分かつ刃と成す力だ。
つまり、〈炎熱の刃〉で切断できないものとは、この世界に初めから存在するものではなく、神や精霊に類する存在、またはそれらによってもたらされた理外に近い何かしらだということになる。
(ふむ? 右手の指に小さいが傷が見えるな。恩寵ではなく、〈火神の剣〉本体の刃なら通るということか……)
そうして男が思案している間にも準備を終えたらしい岩灯の王は、踏み出す一歩で大地を大きく揺るがしながら、驚異的な速度で猛進してきた。
対する男は剣を鞘に納めると、権能を使ってほとんど動けないはずの身体を無理やりに動かし、すぐそばに見える通路の入り口目がけて一直線に走り出した。