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男は全身を強く地面に打ちつけられるのを感じる。
すぐに起き上がろうと腕に力を入れるも、まるで胴体がその場に縫いつけられたかのようにびくともしない。
意識が薄れてきているせいもあってか今は感覚がないが、おそらくは先程背後から襲ってきた何かが今も背中に重くのしかかっているのだろう。あれは確かに男の強靭な肩口を容易く裂いて、身体の奥深くにまで食い込んでいたはずだ。
自身を拘束する異物を見つけ出すべく、男はわずかに残る意識を自らの体内へと集中させる。
「……燃やせ」
かすかに感じた違和感目がけて、かろうじて動く腕で〈火神の剣〉を振る。
剣身から発せられる炎熱が男自身の背を焼くも、同時に異物が焼き払われており、途端に身体が軽くなった。
即座に跳ね起きると、すぐさま半歩後ろに飛び退りつつ身構える。
後ろへちらと目をやれば、そこには大木の幹くらいはあるだろう大きな根が黒く焼け焦げた断面をこちらに向けてゴロリと横たわっていた。
おおかた、上枝部分から大きく曲げて打ち出してきた木槍のときと同じく、あの異常なほどのしなやかさをもって樹根を鞭のように操り、男を背後から奇襲したのだろう。
(追撃はないか……)
肺腑を圧迫されて荒くなっていた呼吸を整えながら、剣を握り直す。
大きく裂かれた背部の傷口からは未だおびただしい量の血が流れていたが、男は構わず樹灯の王への警戒を続けた。
それからほどなくして、足元に少しずつ溜まっていた血が致死量を超えようかというとき、背中に広がる傷口が薄らと小さな光を発した。その直後、先程まで血に染まっていた男の背には、青黒い炎がユラユラと立ち上がってきていた。
当の本人はそれを気にすることなく平然と剣を構え続けているものの、炎はまるで傷から傷へ燃え移るようにして全身に広がり、見る間にその身を青黒い火炎の揺らめきで覆ってしまった。
男の身体に突然燃え上がった青黒き火炎こそが、『不死の王』、『不死者の王』とも称される蘇灯の王の権能である。
樹灯の王の座する森に辿り着くまでに、男はすでに二人の灯火の王を降しており、その権能を奪っていた。
歴代の灯王の持つ強力な魔力の内、奪える力は残り火ともいえるような微々たるものではあったが、その効力には依然として絶大なものがある。
少しして、唐突に青黒い火炎が煙のように掻き消えると、中にいた男の姿があらわになった。
先程と同じく剣を構える姿こそ同じであるが、樹根により大きく裂かれたはずの傷は綺麗になくなり、それどころか森に来る前の疲労さえも一切感じさせないような堂々たる立ち姿をしていた。
蘇灯の王の権能が死に瀕した男の命を繋ぎ止めるとともに、その肉体を最も正常な状態へと戻したのだ。
とはいえ、死の運命さえも覆すその権能は非常に強力なものなれど、それで事態が好転するわけではない。どころか、一度蘇灯の王の権能を使えば、男の持ち得る魔力の半分近くを消費することになり、今後も〈火神の剣〉の恩寵を使用することを考えれば二度目はないと考えた方がいいだろう。
(ここで一度退くべきか……)
そこまで考え、男は内心でかぶりを振る。
確かに、一度森の入り口まで戻って、魔力が溜まるまで十分に休養を取り、態勢を立て直してから再び挑むというのも一つの手ではある。
しかし、男の本能はそれを否定していた。
いずれにしろ読み合いでは相手の方が幾分か上手なのだ。それならむしろ、魔力を失った現状を好機と見るべきではないかと。
わずかに思考を巡らせて男は決断する。
(いや、ここで試してみるべきだな)
何はともあれ、男に時間的な余裕はほとんどない。確実に倒せる手立てがないのならば、できることは試すべきだと判断したのだ。
男から樹灯の王までは百歩以上の距離がある。
上体を軽く前傾した姿勢に移しながら、男は自らの内に眠る存在へと呼びかける。
(力よ、おれの中に宿る修羅が如き烈火よ)
おのれの魂へと、おのが内なる深淵へと深く深く念じる。
(たぎれ! 高ぶれ! 燃え上がれ!)
一歩、強く地面を踏みしめる。
(そして、その大いなる力を示せ。今が彼の王の威を知らしめるときだ!!)
途端に、男の四肢が服の上からでもわかるほど異常なまでに膨れ上がる。
むき出しになった激しい闘志の赴くままに、荒れ狂うような力のすべてを込めて地を蹴った。
瞬間、目の前の景色が入れ替わり、樹灯の王との距離が一気に縮まる。後方では先程蹴りつけた地面が爆ぜるように飛び散っており、少し遅れて男が通り過ぎた後の地面に数本の樹枝が突き刺さった。
残る距離は五十歩程度。
着地してそのまま駆け出した男に対して、樹灯の王は男の視界に入る程度の高さへ周辺の枝葉を引き寄せていた。王の周囲で無数に浮かぶ樹枝の木槍がずらりと構えられると、最初に動いた木槍を皮切りに、周りに並ぶ木槍も間隔をずらすようにして次々と打ち出されていく。
矢継ぎ早に迫る木槍の雨を前に、男の取った行動は至って単純なものだった。
一歩を踏み込み、剣を振る。
王の権能により、人という種を逸脱したあり得ざる怪力をもって先頭の木槍を斬り払うものの、後発の木槍が男の脇腹を掠めていく。
また一歩を踏み出し、剣を振る。
顔面目がけた木槍を払い上げるも、その際に無防備となった男の左すねを後続の木槍が抉っていく。
ただ歩みを止めず、ひたすらに剣を振り続ける。
急所を狙う攻撃を除き、降り注ぐ木槍の雨をすべてその身で受け止めていった。
負傷をいとわず突き進む男であったが、勢いを落とすどころか次第に苛烈さを増す嵐のような猛撃に、たまらず〈火神の剣〉の恩寵を発動させた。
「燃やし尽くせ」
男が剣を振れば、押し寄せる木槍の波は、たちまち燃え盛る火の海へと変貌する。しかし、木槍を焼き払うその背中を、今までよりも一際大きな樹枝の大槍が貫いた。
〈火神の剣〉の恩寵を使えば、樹灯の王がその隙を突いてくるだろうことは、当然、男自身にもわかっていた。そして、男に蘇灯の王の権能を使う力が残っていない今、樹灯の王はこの一撃が男の命に届く確かな手応えを感じたはずだ。
だからこそ、そこに生じた油断につけ入る隙ができる。
「燃やせ」
男は自分を串刺しにして押さえつけている大槍を焼き断ちつつ、両足を開いて腰を落とし、剣を後ろから担ぐような体勢を取る。投擲の構えだ
そのとき、前方からは先程の炎熱の範囲を逃れた木槍が再び波となり、上方からは上枝が雨となって、視界を埋め尽くさんばかりに殺到してきていた。
腹にあいた穴からは今なお大量の血が噴き出しており、何本もの樹枝がその身を突き抜けていく。しかれども、男はそれらに構わず魔力を練り上げていく。
(まだだ、こんなものではまだ足りない。……もっとだ! 燃えよ! おれの灯火を糧にして、天をも焦がして燃え盛れ!)
練りに練られ、注ぎ込まれた濃厚な魔力が剣身に伝わり強烈な発光をもたらした。
「燃やし滅ぼせ!!」
身体中に突き刺さる樹枝の抵抗を無視して、あらん限りの力で〈火神の剣〉を投げ飛ばした。
男の手を離れた剣は一条の光と化す。
眼前の木槍の波に大穴を穿ち、行く手にあるものすべてを焼失させる。
一筋の淡い光の尾が樹灯の王へと達したかと思った瞬間、王の内側からまばゆい輝きが漏れて、その細い身体を閃光が引き裂いた。
次いで、大気を震わせる爆発の衝撃が森の中心に轟く。
吹き荒れる暴風が周辺の木々をなぎ倒し、複数の樹枝によって磔にされていた男も同様にして宙へ投げ出されていった。
突風が収まり、男はうつ伏せの状態で顔を上げる。
パラパラと木片が降り注ぐ中、周囲には千切れた枝葉がそこかしこに散らばっており、白煙を上げる上枝が何本もしな垂れて、視界を遮っていた。
もはや立ち上がる力もない身体に鞭を打ち、感覚のない手で地面を這っていく。
血にまみれ、動かぬ身体で必死にもがくおのれの有様を感じ取り、男は内心で苦笑した。
(もう長くは持たんか。……なんともはや無様なものだな)
それからどれくらい這っていたのか。
朦朧としながら進む男の視界に、ようやく目当ての神樹の根本が見えてきた。
辺りを見回すと黒ずんだ大きな窪みがあり、その中心でわずかながらに形を残す樹灯の王の上体が剣に刺さって固定されていた。
もはや動くことのない骸の胸の中心からは赤いもやのような光が立ち昇っており、渦を巻くようにゆったりとこちらに近づいてきている。
「賭けはおれの勝ちだったようだな。その灯火、貰い受けるぞ」
赤いもやは男の周りをふわふわと漂い、やがて、男の背中一面に刻まれた入れ墨へ吸い込まれるように溶け込んでいった。
光が完全に入り込んだとき、無数に並ぶ文字の一角が服の上からでもわかるほど強い輝きを放ち、途端に男の身体が激しく炎上した。
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年間通してぽつぽつと更新していきますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。