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 天を覆わんばかりに伸びる枝葉の隙間からは日の光が差し込んでいる。

 木漏れ日に照らされた巨樹の根本。その一部が不自然にも小さく膨らんでいるのが男の位置からも確認できた。

 小さな膨らみは異様な形状をしており、それがゆっくりと盛り上がるようにして動き始めていた。


 (なんだあれは……)


 男は腰に提げた剣をすらりと抜いた。

 まるで熱せられたばかりかのように赤々とした剣身が特徴的なそれは、火の巫女から受け賜りし、『火ノ神』より恩寵を与えられた諸刃の剣だ。

 男は〈火神の剣〉を片手に持ち、腰をわずかに下げた姿勢で身構える。



 巨樹の根元で動き出した膨らみが、人に近い何かの上半身だとわかるのにさほど時間はかからなかった。

 ややして起こされた上体と、その周りを膜のように覆っていた樹皮とが徐々に一体となり、その容姿があらわになる。

 それは朽ちかけた遺骸に近い姿をしていた。深く刻まれた年輪のような皺が顔全体に暗い影を落としており、今にも崩れそうなほどに痩せこけた体躯も相まって枯れ木のような印象を抱かせる。薄く伸びた髪の上には錆びついた王冠が乗っていた。

 朽ちかけの王は首をもたげると、生気のない瞳を男に向けてきた。


 「樹灯の王(フォレグニス)……だな?」


 返答があるとは期待しない上での問いかけではあったが、意外にも樹灯の王(フォレグニス)はそれに応じるかのようにわずかに身を震わせた。

 王の動きに呼応して、神樹もまたその枝幹を大きく揺らし出す。


 異様な光景だ。

 先程まですべてが動きを止めたかのような静寂に満たされていた空間の中心で、今は目の前の巨樹だけが大きく揺れ動いている。静けさの中で枝葉の擦れる音だけが辺りを支配しており、その異質さをより一層際立たせていた。


 やがて、ミシリミシリと軋むようなかすかな音を立てて、樹灯の王(フォレグニス)が動き始めた。

 乾燥して硬質化したらしい皮膚をボロボロと崩しながらも巨樹の根に腕を立てて、身を乗り出すような仕草を見せる。


 その数瞬の後、男は自身の遥か頭上から突起物のような何かが飛来してくるのを視界の端に捉えた。

 しかし、意識してそれに視線を向けたときには、もはや反応して間に合うような距離もなかった。まるで矢の如き勢いで迫るそれは、すでに手を伸ばせば届くほどの間近にあり、男の人間離れした身体能力をもってしても、躱すことはおろか動くことすらかなわないのは明白であった。

 にもかかわらず、その時点で男はすでに剣を半ばまで振るっていた。


 次の瞬間、異常な速度で迫る突起物の先端と赤色の刃とが打ち合わさり、小さな火花を散らした。

 そして刹那の拮抗を経て、双方は大きく弾かれる。


 反動で跳ね上がった腕に引き裂かれるような激痛を覚えて、さしもの男も苦しげに顔を歪めた。

 幸いにも咄嗟の判断で一歩後ろに飛び退さったために大きな痛手とはならなかったものの、あのままその場に留まっていれば致命的な傷を負っていたであろうことは、目の前の状況を見れば明らかだった。

 眼前にそそり立つのは、男の胴回りはある巨大な樹枝だ。

 それは元よりそこにあったものではなく、今しがた男目がけて急速に迫ってきたものである。天を覆う上枝の内の一本が折れんばかりに曲がって目下の地面へと深々とめり込んでいた。

 男は未だ痺れの残る手で剣の柄を握りしめる。


 (正面からやり合うのは得策ではないな……)


 ゆっくりと元の高さに戻っていく樹枝を横目にしつつ、男は樹灯の王(フォレグニス)への対策を思案する。

 当然ながら男とてなんの下調べもせずにこの地に赴いたわけではない。さりとて、どの書物を調べたところで灯火の王の能力を示唆するような記述は、一部を除いてほとんど見つからなかった。

 しきたりとして一切の文献を残していない、そう言われてしまえば仕方のないことではある。しかし、伝統や風習などとは元来無縁の男からしてみれば、正直そういった格式ばったことはやめてもらいたいところであった。

 その上、王の権能とも称されるその力は、高位の神がもたらす恩寵や奇跡と同格の能力とされており、真正面から挑んではまず勝ち目のない存在だといえよう。

 とはいえ、大した情報もない現状としては、なるべく実力を悟らせないように立ち回りながら、相手の手の内を探っていくほかない。


 (くるか)


 樹灯の王(フォレグニス)の様子に変化はない。

 しかし、機先を制したおのれに一矢報いようともしない矮小な存在を見下し、まるであざ笑うかのように揺れ動く無数の枝葉。そこに紛れた濃密な殺気を男は見逃さなかった。

 じきに訪れるだろう猛攻に備えるため、静かに腰を落とし身構える。そうする一方で、あるいはわざと見つかるように気配を漏らしたのではないか、とそんな不穏な考えが頭をよぎっていた。


 (悩んでいても仕方ないな)


 迷いは判断を鈍らせる。

 しかし、いくら考えを巡らせたところで答えが出ないのであれば、それは戦いの場において邪念でしかない。ならば、そんな思考など不要だ。

 懸念を振り払うように本能に身を任せる。そうすることで感覚が研ぎ澄まされ、周囲の些細な変化さえも鋭敏に感じ取れるようになる。

 男の獣のように獰猛な眼は確実に殺気の出所を捉えていた。


 見据えていたはずの視界の一点がぶれ、遅れて風を裂く音が響く。

 同時に男は片足で地を蹴り、横っ飛びに移動する。

 剣を横薙ぎに振るいながら半身に構えた男は、そこでようやく男自身の行く先を見越したように迫りつつある樹枝の姿をはっきりと目にした。

 それは達人の射る強弓の矢よりも明らかに速く、そこから感じる重圧感は、矢というよりも大型弩砲(どほう)から放たれる巨大な槍を思わせるものだ。いくら頑強な肉体を持つ男とはいえ、これをまともに受けてはひとたまりもないだろう。

 そうはいっても来るとわかっていれば対処のしようはある。

 男は蹴り出した側と反対の足を直下の地面へと踏み下ろす。そうして、横に流れる身体の勢いを無理やりに押し止めるとともに、身を屈めながら切っ先を樹枝の下方に潜り込ませた。

 樹枝はそれ自体が意思を持つかのように男の方へ軌道を変えようとするが、樹枝の底面に添えるように差し出されていた剣の刃に行く手を阻まれる。

 そこに男が剣を下から押し上げてやれば、砲撃の如き威力を持つはずの巨大な樹枝は、意外なほど簡単に払い退けられた。


 直後、男の背後で地面が大きく弾け飛ぶ。

 強烈な樹枝の一撃を無事に受け流した男は、しかし、わずかに体勢を崩していた。

 その瞬間を狙いすましたように、男の前方に茂る上枝の中から鋭い先端を有する別の樹枝が打ち出される。


 (やはりそうきたか!)


 真っ向からでは押し負けるような攻撃も、角度をつけて打ち払ってやれば、前者に比べて少ない力で撥ね退けることができる。先程、男はその理屈で一撃を防いだのだが、今度は同じ手段を使わせないということなのだろう。

 男は剣を持つ腕を後ろに引きながら、両足を前後に広げる。

 そのとき、淡く青白い光が男の身体から溢れ出ると剣の柄へと流れ込んでいった。柄を通して変色した薄い白光の筋が剣身の中央を真っ直ぐに伝っていく。

 それは男が注いだ魔力の光だ。その魔力に応じて、赤い剣身は白みを帯びた輝きを放ち始める。

 男は素早く一歩を踏み込みながら、〈火神の剣〉を刺突ぎみに繰り出した。


 「燃やし尽くせ」


 勢いよく迫る樹枝の先端は剣先に当たる寸前で、突如として燃え立つ炎に包まれた。燃え広がる業火は瞬く間に枝先を飲み込むと、端から灰も残さずに焼き尽くしていく。

 なおも樹枝は勢いを落とすことなく突き進むが、近づく先からたちどころにして燃え上がり、そのことごとくが消え失せていった。


 それは〈火神の剣〉に与えられた恩寵の効果だ。

 〈溶断〉の名を持つ恩寵は、〈火神の剣〉の剣身をあらゆるものを焼き断つ極熱の刃へと変化させていた。

 あまりの高温に、剣身を中心とした周囲の風景が陽炎のように揺らめいている。その副次的効果のみで、樹灯の王(フォレグニス)の権能により打ち込まれた神樹の木槍ともいえる樹枝を焼滅させているのだ



 やがて、目の前の樹枝に動きがなくなり、男は突き出した剣を手元に引き戻そうとした。その矢先だった。

 まるで空を切るような音が頭上で鳴ったかと思った瞬間、男の背部を激しい衝撃が襲った。すぐに体勢を立て直そうとするも、ろくな抵抗もできないまま目下の地面へと豪快に叩きつけられた。

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