ママなんかきらい
「やだやだ、ぼく、幼稚園行かないもん!」
今日もそよかぜ幼稚園の門のところで、だいすけくんの泣き声がひびきわたります。
だいすけくんは、ママのひざに、まるで丸太につかまるお猿さんみたいにして、しがみつきました。
「ぼく、ママとお家にいるもん! 幼稚園なんかきらい!」
ママは困り顔であたりを見回します。
すると、幼稚園の先生がだいすけくんのところにやってきて、だいすけくんを背中からぎゅっと抱きしめました。「ママ、行って下さい!」
「だいちゃん、ごめんね」
「ママー! ママー!」
だいすけくんのママは、何度もだいすけくんを振り返りながら、小走りで去って行きました。
だいすけくんは大粒の涙をぼろぼろこぼしながら、ずっとママを呼び続けていました。
「だいすけくん、ママはお帰りの時にお迎えにきてくれますよ」
「やだやだ、先生なんかきらい! 幼稚園もきらい!」
えーんえーん、泣いて泣いて、しょうがなく泣き止んで、だいすけくんは先生と手を繋いで、さくら組に向かいました。
「ママなんかきらい」
だいすけくんが先生にそう言うと、先生は「あら、そうじゃないでしょ、だいすけくんはママが大好きでしょ!」と言いました。
その日、だいすけくんは泣いて疲れて、お友達と遊ぶ気になんか、ちっともなれませんでした。
ひとりで園庭に走り出て、花壇の花をめちゃくちゃに踏みました。
「お花なんかきらい」
すべりだいには、砂をまいてやりました。
「すべりだいなんかきらい」
下駄箱の靴は、ぜんぶ床に出してやりました。
「靴なんかきらい」
おひさまの光を浴びてのりが乾くのをまっている、みんなで作った七夕の飾りたちも、ぐしゃぐしゃに丸めて、ぽい!
「みんなみんなきらい」
短冊をびりびりに破いてやろうとしたその時です。
ぼわわわわ~ん!
だいすけくんの前にいきなり大きな雲が湧いて出ました。
「うわわわ、わ」
するとどうしたことでしょう。雲の中から白い服を着た、白くて長い髭の、杖をついたおじいさんがあらわれました。
「あなたは、だれ?」
「わしは、神さまじゃ。神さまだから、お前さんの願いを叶えてやろう。お前さんのきらいなものぜーんぶ、消してあげよう」
そう言うと、おじいさんは杖を花壇に向けました。
じゅっ!
花壇もお花も煙になって消えてしまいました。
「ほれ、ほれ」
じゅ、じゅ、じゅ、じゅ!
すべりだいも、靴も、下駄箱も、七夕飾りも、煙になって消えていきます。
「わ、わあ、だめだめ、消しちゃ、だめ!」
それどころか、ブランコも、水飲み場も、ビニールプールも、手当たり次第、おじいさんが杖を向けます。
「だいちゃん!?」
その時、残っていた幼稚園の門のところから、女の人の声がしました
だいすけくんのママです。
「ママ!」
おじいさんは、にやっと笑って、だいすけくんに言いました。
「おお、いかんいかん、ママなんかきらい――ママも消してやろう」
じゅっ!
杖を向けられただいすけくんのママも、煙になって消えてしまいました。
「ママ――っ!」
だいすけくんは何も無くなった園庭を、門のところまでびゅーっと走って行きました。
「ママ! ママ、ママ!」
何度呼んでもママはいません。
いつの間にかついてきていたおじいさんに、だいすけくんはとびかかりました。
「ママを返して! ママを返して!」
おじいさんは、はて、と首を傾げました。
「なぜだい? お前はママがきらいなんじゃろう?」
「きらいじゃないもん!」
「でも言ったじゃろう、ママなんかきらいって」
「だって、それは、ママがいけないんだもん! ママがいじわるなんだもん!」
「よしよし、もうママは消してやったから……」
「いやだーっ!」
大介くんはのどが裂けるくらいの大きな声で叫びました。
「いやだーっ! ママーっ! ママーっ!」
それから、ママが立っていた地面に、小さくダンゴムシみたいに丸まりました。
えーん、えーん。
とんつく、とん、とん。
だいすけくんの泣き声に、おじいさんが杖をつく音が混じります。
「……ママなんか、ほんとうは、大好きだもん」
鼻水と涙と泥で、だいすけくんの顔はどろどろです。
「そうかいそうかい、そりゃあいい」
おじいさんは、しゃがむと、だいすけくんの顔を袖で拭いました。
「なあ、お前さん。ママのお腹のなかにいたときは、ママはお前さんの気持ちはぜーんぶわかった。でもな、こうやって元気なおにいちゃんになったお前さんの気持ちは、ママにはわからないんだよ」
だいすけくんはぱちくり、目をしばたかせました。
「お前さんの気持ちをわかってくれないママは、きらいかい?」
だいすけくんはしばらく考えてから、首を横に振りました。
「気持ちは、正しく言葉にすれば、きっと伝わる。ママなんかきらい、そう言っちゃった時、本当は、どんな気持ちなんだい?」
だいすけくんはまた考えました。
幼稚園は楽しいこともあるけれど、ママと離れるのはやっぱり寂しいし、どきどきします。
お給食のお箸も苦手だし、先生のお話をじっとして聞くのも苦手です。先生に怒られると、おしっこをちびりそうなくらい怖いのです。
お友達とけんかするかも知れないし、お絵かきを失敗するかもしれません。転んで膝をすりむいてしまうかも。
「……僕は、僕はね……」
だいすけくんは一生懸命お話ししようとしますが、どうしてもうまくお話できません。
実のところ、だいすけくんも自分の本当の気持ちがよくわからないのです。
だから、きっとお母さんなら全部わかってくれる、説明してくれる、つけてくれる、そんな思いが、「ママなんてきらい」には込められていたのです。
おじいさんはそんなだいすけくんをやさしく抱きしめると言いました。
「よし、よし。お前さんの願いを叶えてあげよう。お前さんが上手に自分の気持ちをお話しできるように、むにゃむにゃらんらんぷっぴぽはー!」
「……いちゃん! だいちゃん!」
ママに呼ばれて、だいすけくんははっと気がつきました。
だいすけくんは、そよかぜ幼稚園の門のところで、ママの膝にしがみついた格好です。
「だいちゃん、ほら、いやいや言ってないで、幼稚園行きなさい」
そばには先生もいます。幼稚園の大きな時計は、朝を示しています。
だいすけくんはお母さんの顔をじっと見ました。
だいすけくんが幼稚園に行きたくないと言うとき、決まってお母さんは怒った顔をして、だいすけくんとあまり目を合わせません。
だから、だいすけくんは思うのです。
ママなんかきらい、だって、ママはだいすけくんのことをわかってくれなきゃいけないのに、わかってくれないのだもの。
「きいて、ママ」
だいすけくんはそう言うと、大きく目を開けてママの目をじっと見あげました。
「ママなんか、きらいじゃないの。幼稚園も、お花も、すべりだいも、ぼくね、ね……」
ママはしゃがんでだいすけくんの顔を覗き込みました。
先生もしゃがんで、だいすけくんの背中を撫でました。
いつの間にか、他のお友達や、お友達のお母さんも集まって、大きな輪が出来ました。
みんな、だいすけくんを静かに待っています。
そして、だいすけくんの言葉を、電線に止まるすずめまでもが、夏の青い空に、じっと、見守っているのでした。
 




