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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
8章 魔の血族
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10.炎を越えた殺意


◆◆◆


 レイゲンが顔面に叩き込んだ一撃は、男を遥か後方まで吹き飛ばし壁に激突させた。轟音を響かせた後、無様に倒れた男を見た瞬間、レイゲンは少しだけ冷静さを取り戻した。こうして距離を詰めた今では、燃え盛るような憤怒は、澄みわたった硬質の怒りに変化している。


 ちりひとつない鏡面のような床を、靴底が擦って重々しい音をたてる。


「……は、はは。何熱くなってんだ? ああ?」


 レイゲンの靴音を聞きつけて、大の字に横たわっていた男は顔を上げた。意外にもしっかりとした足取りで立ち上がる。血を垂れ流した鼻は曲がり、歯も数本折れ飛んでいるため、声は不明瞭だ。魔人の優れた治癒能力は早々に流血を止め、裂かれて腫れた顔を再生させ始めていた。濡れ光っていた肉に皮膚が被さっていく。


 驚異的な治癒力が男の自信を繋ぎ止めているのか、鶏冠に似た髪を生やした顔は、野卑な笑みで口許を彩った。


 感情まかせに放った拳は、人間だったなら間違いなく顔面が粉砕する威力を生み出していたはずだ。しかし、相手は魔人。魔獣の血肉が頑丈な肉体に変質させているのだろう。


 精神集中をせずに能力を発動できるといっても、身体能力は死天使をわずかに上回る程度だ。治癒能力が高いようだが、再生が追いつかないほどに痛めつけてやれば問題ない。


 手に馴染んだ大剣をせんろうの血で汚すまでもない。男の挙動を見て判断できた。レイゲンのりょりょくならば、魔人でさえ殴り殺すことが可能なのだ。


(こいつを極限まで痛めつけて苦しめて殺す。フェイヴァを傷つけたことを泣いて詫びるくらいにな)


 赤い冷光が舞い散ると、男の身体の前に火球が三つ作り出される。燃え立つ炎は、男の腫れ上がった顔を赤く照らした。


「テメェの顔なら女なんて選び放題だろ。鉄屑に慰めてもらう方がそんなにいいのかよ?」


 火炎が打ち出される。三つの火球は、通路を塞ぐように横に並んで押し寄せる。レイゲンは地を蹴り跳び上がった。炎を避けるためではない。


「汚ならしい声であいつを愚弄するな!」


 一回の跳躍で距離を詰め、男の顔面に拳を振り下ろす。


「げふっ!?」


 男は潰れた蛙のような奇声を発して、再び背後の壁に激突した。着地と同時に追撃する。上半身を捻り蹴りを叩き込んだ。鋼片で補強したブーツに、肋骨を数本砕いた感触が伝わってくる。


 人体を形成する骨格の中で、最も折れやすいのは肋骨だ。レイゲンほどの力があれば、少々頑丈になったくらいの魔人の肋骨は一撃で砕いてしまえる。


「があっ!? このガキがっ! 図に乗ってんじゃねーぞ!」


 男が奥歯を軋らせる音が聞こえた。突き出された掌に火炎が生じ、至近から放たれる。対象を焼き尽くすというより、球状の炎を炸裂させ吹き飛ばすための攻撃だった。


 弾けた炎が視界を染める。火の粉が花弁の如く飛び散った。弾き飛ばされたレイゲンは、足を踏み締め身体を制動する。


 男は立て続けに力を発現させる。空気中のエネルギーを急速に結びつけ発生した赤い光は、散るという表現では足りないほど多量に明滅し男の身体を包み込んだ。


 五つの火球が生成され、立て続けにレイゲンに放たれる。


「死ね死ね死ね死ね死ねぇっ!」


 空気をつんざく炸裂音が連続で響き、濃い白煙が立ち上る。


「どうだぁ!? 熱ぃだろ? チビりそうかぁ!?」


 深紅の光が一際強く瞬いて、男の頭上に灼熱の炎が発生する。火炎は生命を持つかのように形を変化させながら、巨大な鳥の姿を取った。燃え盛り揺らぐ翼からは、熱気が立ち上ぼり室内の温度を急激に上昇させる。緋色に輝くその姿は、聖王暦後期に絶滅した太陽鳥を彷彿とさせた。


 鳥は大きく羽ばたくと、火の粉を撒き散らしながら前方に突進する。レイゲンに襲いかかった火の鳥は、爆音とともに炎を吹き上がらせた。通路が赤一色に飲まれたかと思うと、続けて肌が焼けそうなほどの熱が旋風となる。


 風によって白煙は大きく揺らいだが、発生する煙の量が多すぎて最早数センチ先さえ見通せないほどに通路に充満している。


「くそっ、びびらせやがって。だが所詮は貧弱なガキどもに囲まれて調子に乗ってるような奴だ。俺の敵じゃあねーなぁ!」


 肩で息をしていた男は、乱れた髪を掻き上げると、勝ち誇った笑声を発した。忙しく息を吸い込む独特の声が、騒がしく鳴り渡る。


「……この程度か?」


 安堵する男に、嘲りを込めた声を投げる。すると、耳障りな哄笑はふつりと途切れた。


 煙が薄れ、対峙する両者の姿を浮かび上がらせる。


 屹立としたレイゲンは、無傷だった。


「ひょっ!?」


 三白眼が溢れ落ちんばかりに見開かれて、若苗色の虹彩が震えた。口許が滑稽なほどに引き攣って、大きく息を吸い込む。


 白煙によって遠方が見通せなくなる中、レイゲンは男が放った火球を全て回避していたのだ。類稀な動体視力と運動能力さえあれば、大振りな動作をせずとも避けるのは易い。対象との距離を計算して作り出された炎は、レイゲンのすぐ後ろで煙を置き土産に消失してしまった。しかし、直後に放たれた火の鳥は、空間を覆い尽くすように広がり、回避は困難だった。レイゲンは背中の大剣を抜き、刀身を振り抜いた。死天使と魔人を上回る身体能力から繰り出された一閃は、火の鳥を一刀両断し弱々しい炎に変えたのだ。


「さっ――さっさと死ねこの餓鬼ゃあッ!!」


 唾を飛ばしながら吠え、腰から小刀を引き抜き投擲する。小刀は次々に発火し、炎の礫となりレイゲンに殺到した。人間ならばその腕の振りさえ目視できずに、鋭利な切っ先に貫かれ燃え上がってしまうだろう。


 自分めがけ突き進んできた小刀を、レイゲンは直立したまま一刀残らず掴み取った。籠手に包まれた手に感じた刺されるような熱さを、意識から外す。かつてレイゲンにも自己再生能力があったが、幼き日に負った心的外傷により他の力と同様に意識の底に封印されてしまっていた。


「返すぞ」


 明々と燃え上がる小刀を投げ返す。振りかぶった腕は、鋭い風の刃を生み出し小刀とともに迫る。あえて頭と胸は狙わない。男の肩に腹に足に小刀が突き刺さり、肉が焼ける臭いを漂わせた。男は床に転がりながら、小刀を抜こうと躍起になる。情けない叫声が通路の壁に反響する。


「自分の生み出した炎に焼かれるのは、どんな気分だ?」


 絶命の間際に仰向けになった虫が脚をばたつかせるように、男も四肢を無茶苦茶に振りながら小刀を抜いていく。悲鳴とも叫びともつかない声が、口から溢れている。


「ば……化物……! お前もあの人と同じ、化物だ……!」


 涙ながらに投げつけられた言葉には自覚がある。今更胸は痛みもしない。


 床に倒れた男を冷淡に睨みつけると、足を振り抜いた。醜い悲鳴が空気を震わせる。レイゲンの蹴りは男の右腕の肉を飛び散らせ、血を吹き出させた。顔面の骨同様に、腕の骨も一撃で砕くことはできないらしい。感触から判断するとひびが入ったようだ。レイゲンはもう一度足を振り下ろした。今度こそ骨は完全に粉砕され、腕はあらぬ方向に捻り曲がる。


 男の瞳から止めどなく涙があふれる。身体は小刻みに震えて、唇からは途切れ途切れに呻きが漏れる。怯えを全面に押し出したその表情が気に食わない。


「恐怖にわななく資格は貴様にはない。あいつを傷つけたことを後悔しながら死ね」

「たっ……頼む! 殺さないでくれぇ!」


 不快感が胸中を侵食する。なんと見下げ果てた下郎なのだろう。


「命令だったんだっ! 俺だってやりたくてやったわけじゃねーんだよ! 悪かった! 許してくれぇっ!」


 涙声が必死に言葉を絞り出す。余裕があった時に見せていた相手を小馬鹿にした表情は消え失せ、(おもね)るような顔に変わっている。


(こんな奴にフェイヴァは……!)


 他者に傷つけられることに怯えていたフェイヴァも、同じく泣きながら哀願したはずだ。恐怖に顔を引き攣らせ、震える声でやめてと口にするさまが想像できる。


 それをこの男は、嘲笑しながら(なぶ)ったに違いないのだ。


 男のプライドを捨てた命乞いは、レイゲンにとっては火に油を注ぐ行為に他ならなかった。息が荒くなるほどの憤りに、慈悲なき一言を吐き捨てる。


「駄目だ、死ね」


 絶望を帯びた絶叫がに触れる。レイゲンは渾身の力で、踵を振り抜いた。


 足下が激しく揺れ、レイゲンの足は男の顔の横に叩きつけられる。真白な床は蹴りの衝撃に大きく陥没した。


 嵐と勘違いしてしまいそうな強風が、レイゲンの後方から襲いかかってきた。安定しない足場の上に突風を受けて、レイゲンは床に膝をつき壁を支えにする。


(何が起こった……!?)


 後ろを振り向く。強風は出入口方向から吹いてきた。遥か後方――フェイヴァたちの姿は通路にない。場所を移動したようだ。


 男は引き付けを起こしたような笑声を発する。


「いいのか、俺に構っててよ? メリアが化物の拘束を解いたみたいだなぁ」


 レイゲンの脳裏に、巨大な透明の筒の中で漂う化物の姿が浮かび上がる。フェイヴァの安否を確かめることばかりに気を取られ、レイゲンは化物を一瞥したのみだった。


(……まさか、生きていたというのか)


 焦燥に追い立てられ、レイゲンは通路を一目散に駆け抜けた。




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