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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
8章 魔の血族
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09.今は違う


◇◇◇


 視界がときおりぼやけ、身体に蓄積したダメージを訴える。


 サフィが駆け寄ってきて、フェイヴァのそばに膝をついた。ようやっと上半身を起こしたフェイヴァは、レイゲンが被せてくれた外套を頭から被る。血に濡れた衣服が肌にまとわりついて気持ちが悪かった。


 首を巡らせ戦況を確認する。


 ワグテイルを殴り飛ばしたレイゲンは、そのまま彼を追って通路の奥に駆けて行った。激しい殴打音が鈍い振動を伴って響いてくる。聞き覚えのある罵詈はもちろんレイゲンのものではなく、フェイヴァを散々甚振(いたぶ)ったワグテイルが、余裕を失って叫んでいるのだ。


 ディーティルド帝国が造り出した、生体兵器。成り立ちも力量も謎に包まれていた魔人だが、レイゲンの戦闘能力は彼らの更に上をいっている。加勢は必要ないだろう。思うように身体が動かせない今のフェイヴァでは、レイゲンの足を引っ張ってしまう。


「あいつ、マジで化物かよ」

「いんや。フェイヴァを傷つけられて頭に血が上ってんだろ。あいつも人の子ってことだな」


 訝しげな声で言い、通路の先を一瞥したリヴェンに、ルカの軽口が投げかけられる。


「人の子、ね……」

「リヴェン、集中して」

「うるせぇ。ザコが俺に指図すんな」


 ハイネのとがめる声に、リヴェンは舌打ちしつつ悪態を吐く。


 フェイヴァたちの前方では、リヴェンを中心とした四人がメリアと対峙していた。三人は大剣を抜き、後衛に控えるユニは散弾銃を構えている。


 向かい合う四人に順々に投げていた視線を、メリアはぴたりと固定する。射るような眼差しを受けて、ユニが顔を強張らせた。


「困ったものね、こんなところに連れてくるなんて。怪我をしたらどうしてくれるのかしら」

「……何の話だ?」


 問いかけたのはユニではなく、眉をひそめたリヴェンだった。艶やかな顔貌に冷笑が現れる。


「あなたには関係がないことよ、リヴェン」


 白銀に輝く斧頭を足下に向け、両手で柄を握る。


 張り詰めた空気が、場を支配した。


 震える息を吐き出す音が聞こえる。フェイヴァたちに背を向けて立つユニである。メリアを敵と認めていても、人間にしか見えない相手に発砲するのは並々ならぬ勇気と思い切りが必要なのだ。ためらいながら指が引き金にかかり、強く引く。肩に担いだ散弾銃が銃身を震わせた。


 一際大きく響き渡った激発音が、開戦の合図となる。


 リヴェンが、ルカが、ハイネが。一斉にメリアと距離を詰めた。


 ユニが撃った散弾は、斧の一振りで弾かれる。メリアはそのまま斧頭を床に叩きつけると、柄を支えにし宙に跳び上がった。挟撃したルカとハイネに回し蹴りを放つ。勢いよく振り抜かれた足が二人を打ち据え、壁にぶつけた。


「引っ込んでいなさい。あなたたちは身のほどを知るべきね」


 真正面から斬りかかったリヴェンの大剣を、斧の柄で受ける。甲高い金属音が空気を震わし、刃と柄の間で剣火が散る。リヴェンは刃を擦り上げると、メリアの顔めがけ振り抜いた。銀の軌跡を描いた切っ先は、風を切る。メリアは仰け反ると、片手で床に手をつき、宙返りしたのだ。後方に下がりつつ、研ぎ澄まされた斧がリヴェンに繰り出される。彼は後ろに跳躍すると、重量のある斧を回避する。


 卓越した脚力と腕力を持たなければ不可能な動作。


「どうして力を使わないの? 手加減をしているのかしら」

「ハッ、テメェ相手に本気になる必要ねぇよ」


 メリアは薔薇色の唇を吊り上げた。整った形をした瞳に、哀愁が浮かぶ。


「懐かしいわね。わたしは一度もあなたに勝てたことがなかった。あなたはいつも勝ち誇った顔をして、鈍いだの寝惚けてんのかだの酷い言葉を浴びせてくれたものだわ」

「事実だろうが」


 過去の海に沈んでいた物憂げな顔が、リヴェンに鼻で笑い飛ばされたことにより、鋭利な怒りを宿す。


「――今のわたしを、あなたと模擬戦闘をしていた頃のわたしと同様に考えないことね」

「俺もそこまで馬鹿じゃねぇ。お前の腕が上がったことぐらいわかる。……いつも俺の後をついてきやがった甘ったれが」


 柄頭が叩きつけられ、轟音がリヴェンの言葉を遮った。


「黙りなさいっ! あなたに見捨てられた日から、わたしは変わったのよ! あの方はわたしを必要としてくださった。愛も強靭な精神も存在理由も、すべてあの方が与えてくれた!」

「……なんだよ。男でもできたか? よかったな」


 リヴェンとメリアが激突する。互いに間合いを詰め振るわれる得物。リヴェンの大剣が薙ぎ払われ、メリアの斧がいなす。


 フェイヴァは背後を振り向く。ワグテイルが炎を放つ直前にフェイヴァが聞いたけたたましい音は、死天使が叩きつけられた音だったのだ。壁に寄りかかった男型の死天使は、完全に停止していた。胸が大きく抉られ、火花が青く瞬いている。彼の手に握られたままの大剣に目を止め、フェイヴァは立ち上がった。


「動かないで。じっとしてなきゃ駄目だ」


 ぎょっとして腰を上げたサフィが、フェイヴァの肩を掴む。唐突に力をかけられたことによって、フェイヴァの膝は崩れ、しゃがみこんでしまう。彼はフェイヴァの身体に手をかざし、瞳を閉じた。精神集中をし、水の能力(アイル)を行使するつもりだ。


 しばらくすると、サフィの身体の周りに水色の光が浮かび、消えた。彼の掌から柔らかな光が発生する。


 しかし、生命の傷を癒す奇跡の力は、フェイヴァに効果をもたらさない。身を苛む痛苦はサフィが力を使う前とあまり変わっていない。それでもわずかずつ好転しているのは、死天使の体内に内蔵されている自己修復機能が稼働し続けているからだ。


 水の能力(アイル)には、自身の体内エネルギーを他者に分け与えたり、空気中に漂うエネルギーを体内に取り込み、治癒能力を高める効果がある。しかし、死天使の体内にはエネルギーが存在していない。使用者からエネルギーを分け与えられても、傷を治癒することはできない。


 なぜなら死天使は、生物ではないから。人の肉と武器を元にして造られる身体の本質は、心を収めるための器と金属の心臓(コア)である。


 心があってもなくても、生まれ持った本質に違いはない。死天使という存在は、永遠に生命の輪から外れたままだ。


 フェイヴァはサフィに身体の傷が見えないように、ぶかぶかの外套の前をかけあわせる。


 額にうっすらと浮いた汗。寄せられた眉と噛み締められた唇が、サフィがどれほど肉体的疲労を感じているかを物語っている。彼の行動が無意味に終わると知っているのは、フェイヴァだけだった。


(……サフィ……)


 彼の献身的な態度が胸に辛かった。フェイヴァは口許をきゅっと噛み締める。


 妙な真似をして、相手に自分の正体を怪しませてはいけない。心に染みついて、ずっと離れなかった思い。自分が死天使である限り、一生続けていかなくてはいけない生き方。


 以前までの自分なら、サフィにされるがまま、効果のない治癒行為を受けていただろう。不審を抱かれるのが怖い。少しでも疑われてはいけない。脅迫観念に囚われ続け、保身を優先したはずだ。


 けれども――今は違う。


 フェイヴァはサフィの腕に手をおいた。籠手の冷たさが、掌に伝わってくる。彼は顔を上げて灰色の瞳を見張った。


「ありがとう。もう、いいよ」

「何言ってるの!? こんなに短時間で傷が完治するわけが」


 サフィの戸惑いが、手に取るように伝わってくる。怒りと焦りを感じさせる声音に、フェイヴァは微笑む。頬が引き攣りぎこちない笑みになってしまう。


「私は……大丈夫なの。だから、みんなの力になってあげて。お願い」


 意味のない行為を続け、サフィが疲れ果ててはいけない。そう口にすれば、彼はフェイヴァが遠慮していると考えるだろう。だからフェイヴァは言葉少なに伝え、よろめきながら立ち上がった。


 死天使に歩み寄ると、固くなった指を開いて大剣の柄を握った。初めて手にした時は軽かった武器が、腕にずしりとした重さを感じさせる。


 フェイヴァは、メリアと交戦しているリヴェンたちに視線を向けた。助けに行きたいのに、こんな状態では役に立てそうにない。


「フェイヴァ……」

「理由は聞かないで。お願い……」


 追いついてきたサフィは困惑を湛えている。フェイヴァは大剣の柄を握ったまま、サフィに深く頭を下げた。


「……本当に、大丈夫なんだね?」

「うん」


 火に炙られ赤く爛れた肌。顔や手足に付着した血。身体を外套で隠していても、フェイヴァは立って歩くことが不可能なほどの重傷に見えるだろう。けれども現に、フェイヴァの両足は床を踏み締めている。声にも呻きは混じらない。


 実際は酷い傷ではないのかもしれない。瞳に映る事実が、サフィの背中をそうやって押したとしても、不思議ではなかった。


「なら……わかった。ここから動いちゃ駄目だよ」


 渋々頷いたサフィは、リヴェンたちに加勢するべく駆けて行く。


 絶え間なく剣戟音が響いていた。大剣と斧が弾き合い、荒々しい剣圧がリヴェンとメリアの髪を揺らす。


 メリアが武器を振るう速度に、リヴェンは難なくついていく。旧知の仲であるかのような彼らの会話。ワグテイルたちがフェイヴァをさらった際、リヴェンは精神集中をせずに能力を発現していた。予想は妄想ではなく事実だろう。リヴェンも魔人なのだ。


 身体能力が同程度でも、武器の強度は異なる。訓練生が使う量産された片手半剣に対して、白銀の輝きを帯びる戦斧は、一点物であるかのような優美な装飾が施されている。正面からまともにかち合えば刃が折られ兼ねない。リヴェンは床を蹴りつけると、後ろに跳んだ。


 リヴェンの隣に駆け出したユニが、引き金を引く。散弾が撃ち出されメリアに迫る。至近距離から放たれた弾を弾く余裕はなかった。メリアは咄嗟に斧を盾にするが、飛び散った弾すべてを防ぐことはできず、胴や足に被弾する。肉を穿(うが)つ音が立て続けに聞こえ、血が飛び散った。


 次いで、メリアの後ろに控えていたハイネたちが肉薄する。風切り音によって攻撃を予測したのだろう。胴を狙い払われた刀身を、メリアは跳び上がって躱す。跳躍とともに下半身を捻ると、鋭い後ろ蹴りを放った。腹に直撃を受けたハイネは、苦痛に悲鳴を上げ壁に叩きつけられる。ルカが透かさず大剣を振り抜くが、斧の柄によって防がれ硬質な音を散らした。


「聞こえなかったの? 引っ込んでいなさい」


 足を払われ、よろめいたルカに斧が振り下ろされる。魔人の膂力から繰り出される刃は、凄まじい遠心力と重量を伴ってルカの軽鎧を砕いた。斬り裂かれ血が迸る。


 起き上がったハイネが、驚愕に目を見開き絶叫する。


 サフィとリヴェンが一気に間合いを詰めた。


「邪魔よ人間!」


 メリアは振り向きざま斧を振り上げるが、刃はサフィを斬ることはなかった。彼はメリアに大剣を振るったのではなく、傍らを駆け抜けていったのだ。水色の光が明滅する。伸ばされた手が、ケープの上から肩に触れる。


 フェイヴァにはわけが分からなかった。サフィが肩に触っただけだというのに、メリアが瞠目し一瞬体勢を崩したのだ。


 一瞬は、永遠とも思える隙となる。


 リヴェンが振り抜いた大剣が、メリアの左肩を斬り払う。血糊を撒き散らし、切断された片腕が虚空を舞った。


「人間の癖にやるじゃない」


 斬り離された腕は、床に落下する直前でぴたりと止まった。腕の切断面から神経や血管が一瞬で伸び、肩口と繋がったのだ。腕は独りでに肩に取りつくと、傷も残さず接合する。腕だけではない。肉にめり込んだ散弾はり出されて彼女の足下に転がっている。服に開いた穴の下に傷はない。水の力(アイル)を持つ魔人ゆえの、驚異的かつ急速な治癒能力。


「これ、少し疲れるのよね。もっと遊んでいたかったけど……またの機会にしようかしら」


 メリアは疲労を感じさせる吐息を吐くと、駆け出した。言葉とは裏腹に、消耗を感じさせない速さでフェイヴァの脇を通り過ぎる。


「逃がすかっ!」


 眉間に深く皺を刻んだリヴェンは、叫び後を追った。


 フェイヴァは四人の様子を確認する。倒れたルカの傍らに、サフィがひざまずいていた。彼の掌に淡い光が灯り、ルカの傷を照らしている。二人のそばにしゃがみこんだハイネは、大粒の涙をこぼしながらルカを見下ろしていた。ユニも顔を俯けている。


「……悪いな」


 血に濡れた顔で、ルカはサフィに笑いかける。彼は首を横に振った。


「思っていたほど深くなくて安心したよ。この借りはきっちり返してもらうからね」


(ルカ……よかった)


 フェイヴァは安堵の吐息を吐くと、リヴェンとメリアを追った。自己修復機能は、フェイヴァを走れるまでに回復させてくれていた。


 メリアが向かったのは出入口ではなかった。三又の中央――奇妙な化物が眠る部屋で、リヴェンと武器を打ち鳴らしている。


「何しにきた!? ザコは寝てろ!」


 フェイヴァが部屋に踏み込むと、足音を聞きつけたのだろう。リヴェンが振り向かずに吐き捨てる。


 迫る戦斧を、リヴェンは跳躍して避けた。メリアは白い面に蠱惑的な笑みを張りつけると、彼に身体を向けたまま後ろに下がる。その脇には、高さと奥行きを持つ円形の筒。透き通った赤い液体の中、人型の上半身と獣の下半身を持つ化物が浮かんでいる。


「こんな形で役立つとは思わなかったわ。この施設を管理していた人間たちには、礼を言わなければね」


 メリアがしようとしていることがわかり、フェイヴァは駆け寄ろうとした。が、足がもつれてその場に転んでしまう。


 跳びかかっていくリヴェンの背中が見える。大剣がメリアに振るわれる前に、彼女の斧が筒の上部を叩き割った。化物を閉じ込めていた分厚いガラスのようなものが砕け散り、吹き出した赤い液体が床に叩きつけられる。化物に繋がっていた管さえも斬り払われ、その身が大きく痙攣する。


「な……!?」


 リヴェンは動きを止める。フェイヴァも大剣を床に突き立てたまま、動けずにいた。


 管から流し込まれていた液体は、化物を鎮静させる効果があったのだろう。供給が途絶えた今、化物はまどろみから解き放たれる。二股の獣は目覚めとともに蠢き、紙のごとき白い肌を持つ男は、瞼をゆっくりと持ち上げた。


 血色の瞳が、鮮烈な光を宿す。


 レイゲンと同様のその虹彩は、死人の肌色をした化物が有すると、なんとおぞましく映るのだろう。フェイヴァは総毛立つ感覚に襲われる。


 化物からゆるりと距離を取ったメリアは。


「じゃあね、リヴェン。また会いましょう」


 笑みを含んだ声で言い残すと、身を翻し出入口に駆けて行く。


 追うこともできたはずだ。けれどもフェイヴァは、その場から動くことができなかった。化物の風姿は容赦なく怖気を振り撒いて、フェイヴァだけでなくリヴェンの身さえ縛っているようだった。


 二股の獣が前肢を振るうと、無数に突き出た爪が透明の檻を粉砕する。四肢を踊らせ床に着地した化物は、頭部を反らせ地底から響くかのような威嚇音を発する。その周囲に薄紫の光が取り巻き、やがて六本の剣とも槍ともつかない武器が形成される。化物の身体を取り囲んだそれは、一斉に切っ先をフェイヴァたちに向けた。


 治療が終わったらしい。通路を駆けてきたルカたちが、部屋に足を踏み入れる。


 予感が悪寒となって背筋を駆け上がり、脳裏で警鐘を鳴らす。フェイヴァは振り返り叫んだ。


「みんな、伏せて!」


 放たれた剣は、大砲を打ち出すかのような轟音と、部屋全体を揺るがす振動を発生させた。暴風が横殴りに吹きつけ床に叩きつけられる。閃光が走りフェイヴァの視界を白一色に染めた――。



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