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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
8章 魔の血族
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06.人生の空疎さ その価値

「いいよな、メリア」


 ワグテイルは背後を一瞥する。歩み寄ってきたメリアは、立ち止まらずに彼の脇を通り過ぎて行った。髪を刈った死天使がその後に随行する。


「わたしたちで他の部屋も確認してくるわ。まだその子の手が必要かもしれないから、わたしがいいと言うまで壊しては駄目よ」

「分かったよ。一歩手前で我慢しといてやる」


 フェイヴァの唇から小さな悲鳴が漏れた。恐怖が(さざなみ)となって全身を走り、噛み締めていないと歯が震えそうになる。ワグテイルから距離を取ろうとするが、掴まれた腕がそれを許さない。


 鶏冠に似た長髪を振り乱して、ワグテイルはにたりと笑う。殺意に彩られた、狂気的な表情。


「お前、普通の死天使よりは壊しがいがあるんだろ? じっくり(なぶ)ってやるから感謝しろよ」


 衣服の襟を掴まれ、床に叩きつけられる。背中を強打し、白い床が凹むほどの衝撃を与えられた。金属の骨組みが悲鳴を上げた時、フェイヴァの唇からもまた、叫び声が飛び出した。背中が焼けるように熱い。あまりの衝撃に皮膚が裂け、肉から血が吹き出しているのだ。フェイヴァはわななく身体を抱き締め、首を横に振る。ワグテイルを見上げたまま、足を使って後ずさった。床に滴った血が白いスカートの色を変えていく。


「や……やめ、て……」

「俺が怖いか? ん? だったら抵抗してみせろよ」


 知らぬ内にもれていた弱々しい声は、ワグテイルの嗜虐の念を焚きつける結果にしかならなかった。白い歯が覗く口許が、舌舐めずりする。


 片手が伸び首を掴まれる。造作なくフェイヴァは吊り上げられた。呼吸を必要としない死天使は首を締めつけられても致命傷になりはしない。――それは人間が相手だった場合だ。


「が……あっ、あ……」

「人間と違って骨組み硬ぇな。これじゃあ首へし折れねーじゃねーか」


 フェイヴァは全身を震わせながら、ワグテイルの手を掴んだ。激痛が頭に突き上げる。肉を押し潰され、内部の骨組みまで圧迫されるほどのりょりょくに、痛苦の呻きがもれる。


(私……ここで壊れるんだ……)


 痛みが膨れ上がるごとに、それは予感ではなく確信に形を変えていく。フェイヴァの意識は薄れ、途切れかける。じんだいな恐怖に晒され、身体が精神を守るための強制冬眠に踏み切ろうとしている。フェイヴァは安堵した。ためらうことなく、機能に心を委ねる。


 ――しかしそれは叶わなかった。フェイヴァの眼前にいるのは、魔獣でも人間の兵士でもない。人の身体能力を越えた魔人なのである。


「おいおい、人間の真似して気を失おうとしてんじゃねーよ。お楽しみはこれからだぜ!?」


 フェイヴァの意識を強引に目覚めさせたのは、ワグテイルの嘲弄を込めた声ではなかった。


「がはっ!」


 投げ落とされ、腹を蹴りつけられたのだ。フェイヴァの身体は床を滑り、壁にぶち当たって止まった。


 揺らぐ視界の中で、フェイヴァは立ち上がろうとする。動くだけで、身体の内側に響くような痛みが走る。衣服は新たに流れ出した血を吸って湿り気を帯びていた。


 身体を打ち据える兵士たちの大剣。足に突き立った魔猿の牙。それらとは比較にならない苦痛が、身に襲いかかっていた。許容範囲を越えた恐怖と激痛が、フェイヴァの強制停止機能を打ち破ってしまったのだ。


「全然歯応えねーなぁ」


 上半身を支えていた腕を蹴られ、仰向けにさせる。ワグテイルの手に握られている物を目にし、フェイヴァの瞳から涙がこぼれた。声は意味のある言葉にならず、震えて空気に溶けていく。


 小刀が銀の軌跡を描いて、フェイヴァの肩に突き立った。恐慌を帯びた悲鳴が口からあふれる。フェイヴァは身を仰け反らせた。柄の尻に靴底が触れ、強く押し込まれる。冷たい刃が肉を引き裂き、金属の骨と擦れ合う。フェイヴァは途切れ途切れに叫び、全身を痙攣させた。


「楽しそうね」


 自分の叫びに、メリアの声が紛れる。靴の裏で小刀を押し込んでいたワグテイルは、柄を踏みつけたまま後ろを振り向いた。


「終わったか?」

「ええ。資料が積まれた部屋と、研究者が寝泊まりする部屋があるくらいよ。……いいわ、破壊して」

「でもよ、つまんねーんだ。こいつ反撃しねーしよぉ」


 二人の会話は、遠い場所で行われているように小さく聞こえた。自己修復機能が傷を再生させ始めていたが、圧倒的な畏怖の前にはなんの慰めにもならなかった。


 ワグテイルを押し退け、メリアは屈んだ。フェイヴァの髪を掴み上半身を引き上げると耳元で囁く。


「このまま何もしないと、本当に壊れてしまうわよ」


 フェイヴァは呻きだけを返した。人間を傷つけることに抵抗がないような者たちだ。命乞いは一笑にされるに決まっていた。


「まさか、わたしたちが人間のように見えるから、傷つけることに抵抗があるのかしら? だとしたら愚かね。わたしたちは同じ兵器。魔人も死天使も、本質的には違いがないのよ」


 そうなのかもしれない。


 人間を傷つける。想像するだけで、恐ろしく怖い。人間に創られた自分がそのような行為に手を染めるのは、許されない気がした。自分が死天使だと知った瞬間から生まれた、その強すぎる思いにフェイヴァは逆らうことができない。だから暴言や暴行を受けても耐えた。憎まれても仕方がないのだと、自分に言い聞かせた。


 そして今。まさに破壊されようとしているのに、相手が人間と同じく思考し喋る存在だというだけで、反撃することができない。相手に害意を持って、手を上げることができない。


 返答しないフェイヴァに、メリアは涼しげな顔で冷笑する。髪を掴んでいた手が放され、フェイヴァは物のように転がった。


「続けて」


 メリアが後ろに引き、ワグテイルが前に踏み出してくる。痛烈な蹴りがフェイヴァを襲った。肉がひしゃげる。潰れて血が流れる。身体の芯が熱い。自己修復機能が傷を治癒し続けているが、治りかけた傍から傷つけられて再生が追いつかない。蹴りつけられる度に、フェイヴァは呻きをもらした。


 命の灯火を燃やし尽くしていく感覚。この身が完全に破壊され、金属と肉の塊になって転がるさまが目に浮かんだ。その想像さえ、増長していく恐ろしさの前に掠れ、ついには消えてしまう。


 身体と心を切り離してしまいたい。意識が鮮明なまま、嬲り壊されるのは耐えられなかった。


(……どうか、お願い……)


 機械の身体は、フェイヴァの切なる願いを叶えてくれた。肉体を傷つけられる耐え難い痛みと苦しみが、段々と遠退いていく。フェイヴァは弱者を虐げる快感に歪んだ男の顔を見つめていた。強引に解除された冬眠機能は、不完全な形でフェイヴァの精神を守ろうとしていた。


 崩壊の足音が聞こえる。これは神が最後に与えてくれた、自らの生涯を振り返る時間なのだろうか。


「惨めで虚しい人生だったわね」


 蹴られるたび、視界が激しく揺れる。聴覚は絶望の中で、笑みを含んだ声を捉えた。


 自分がやってきたことは一体なんだったのだろう。母であるテレサは、身を呈して自分を助け出してくれた。人らしい生活をさせてくれた。温かい、人間としての思い出を作ってくれたのだ。


 それなのにフェイヴァは、自分を卑下し続けてきた。理不尽に抵抗せず泣いてばかりいた。今になって生き方を後悔し、短い生涯を終えるのだ。


 ――それは、それはなんて惨めで、悲しい人生なのだろう。


 今更になってフェイヴァは、自身の生の空疎さを痛感した。


 止めどなくあふれる涙が、頬を伝っていく。飛び散った血が目に入って、視野が赤く染まる。


 悔しかった。


 自分自身が腹立たしかった。


 ずっとずっと。川に落ちて流れる草の葉のように生きてきた。


 創造主である人間に逆らうのは、許されない。自分は果たして、心の底からそう思っていたのだろうか。――今ならわかる。深層心理に隠していた思いは、きっと違う。


 心のままの言動をして、嫌われるのが怖かった。敵意が自分に向けられるのが恐ろしかった。自分の存在を丸ごと、否定されたような気持ちになるから。相手にどう思われても構わないと自分の意見を主張するより、他者の顔色を(うかが)って柔らかい言葉をかけている方が、ずっと気が楽だったから。


(……だから……逃げた)


 自分は死天使だから。化物だから。そんな卑屈な理由に逃げ続けていただけだ。可哀想な自分に酔っていたのかもしれない。どうせ理解されるわけがないと、諦めてさえいた。本当は普通の人間のように生きたかったのに。人間と違う、空っぽな中身を抱えたまま立ち向かうのが怖かった。


 大剣を振り上げた兵士たちの。呪詛の言葉を吐き出したユニの顔が、甦る。


 抵抗して暴れて、傷つければよかったと言いたいのではない。恐怖に飲まれへつらうのではなく、自分の気持ちをはっきりと口に出して伝えることができたはずなのだ。


『謝るのは、自分が本当に悪いと思った時だけにしなよ。あんたはただ、相手の顔色を窺ってその場の空気に流されてるだけだ』

『わかったっ! 私、ユニの言うこと聞くからっ!』

『あなたと話したくないんです! もう私に、構わないでくださいっ!』


 いくつもの、後悔の欠片。


 あの時ああすればよかったと振り返っても、すべては遅すぎた。


 このまま何もせずに破壊されるのだろうか。壊れるその瞬間まで、意気地のない自分を嘆き続けるのだろうか。


(そんなの……嫌だ)


 何の抵抗もせず生を終えるということは、(すなわ)ち自分の人生に価値がないと認めたも同然ではないか。最期まで、他者に都合のいい自分のまま。そんな人生に――。


『あんた、操り人形なの!? 自分の足で歩くつもりがないなら、そんな下らない人生さっさと捨てろっ!』


 いつか聞いた、ハイネの言葉が激しく脳裏を揺らした。


(自分の人生に――価値がなかったなんて、思いたくない!)




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