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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
8章 魔の血族
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05.歴史の闇に隠された、無数の屍


***


 沈みゆく太陽が、天と地に等しく光を投げかけている。


 フェイヴァは怯えていた。(はなは)だしい緊張が全身を強張らせている。ただメリアの腹の前に腕を回して、しがみついていることしかできなかった。


 目にかかる赤髪を撫でつけて、ワグテイルは腰のポケットから地図を取り出す。周囲の風景と紙面に描かれた地形を見合わせ、眉間が盛り上がるほど険しい表情をした。


 フェイヴァたちが乗った翼竜は、山脈地帯を飛行していた。裂傷に似た大地の凹凸。疎らに生えた色褪せた草が、葉先をなびかせている。


 顔を上げると、見渡す限りの平らな山が視野を占領した。頂に薄くかかる雲は、棚引きながらゆっくりと広がっていく。今にも敷布が引かれそうな、食台を見ているようである。


 翼竜の背からこの風景を目撃した昔の人々は、太陽と月の神の食卓に(なぞら)えた。それが雄大な山脈の名となったのだ。ロートレク王国の北に位置する、特徴的な地形である。


「この辺りだぜ」


 メリアの前方を飛んでいたワグテイルは、翼竜の手綱を引き飛行速度を落とした。何かを発見したのか彼女の方を振り向き、人差し指を下に向ける。


 眼下には不思議な眺めが広がっていた。夕日に赤く色づいた無数の岩が、円を描いて地面に突き立っている。細長い岩の影は、儀式のために円陣を組んだ人々のもののようにも見えた。整然とした景色はどこか人工的で、自然の奇跡が作り上げたとは思えない。


「大型の魔獣が多いわね」


 岩の近辺をさまよっているのは、鰐や熊、犬型の魔獣ばかりだった。悠然と闊歩(かっぽ)する大型種は、ときおり頭を上げる。注意深く視線を走らせるさまは、まるで侵入者を駆逐する任を与えられているように感じられた。


 魔獣は種別に縄張りを持たない。空腹になり同種を襲うことはするが、腹が満たされれば何事もなかったかのように離れていく。遠征で狼と鼠が行動をともにしていたように、種族別で群れを成すという概念もないらしい。様々な種族が一堂に会するこの場所を見ていると、魔獣という生物は姿の違い関係なくひとつの種族なのだという気がする。


 誰しもが興味を引かれる眺望であったが、あえて立ち寄る者はいないだろう。目に見えるだけでも、十体の大型がいる。数人の狩人が相手にできる数ではない。使命を帯びた国軍や軍隊以外は、無意味に命を散らすだけだろう。


「こういう時のためのゴミ掃除だろ。おら、とっとと行け」


 ワグテイルが手を振って地上を示すと、死天使たちは翼を羽ばたかせ急降下していく。背の大剣を抜き放ち、岩が包囲する中央に着地した。途端、飛びかかってくる【三頭の黄昏(シャマイザ)】や【絶壁(グレイシャー)】。死天使の大剣は、大型の獣を易々と肉塊に変えていく。赤墨色の血液が吹き出し、地面に模様を描いた。


「そろそろいいかしら」


 死天使が中央付近の魔獣を排除し終えると、メリアはフェイヴァを抱えた。何をするつもりだろうと考えるより先に、彼女は翼竜の背から飛び降りた。岩の天辺に着地する。同様にワグテイルも、隣の岩に両足を踏み締めて立っていた。


 二人が乗っていた翼竜は、羽ばたきながら遠方に飛んでいく。翼竜は利口な生物だ。乗り手が背から離れた後も、時間にして一日ほどならば半径五キロ付近を飛行している。乗り手の口笛の音色を覚えるため、ひとつ吹けばすぐに駆けつけてくるのだ。


 翼竜に命令すれば岩の上で待機させておくことも可能だったが、上空を通りかかった人間に不審を与えるような真似は避けたいのだろう。


 メリアたちは、岩の頂上から地面に降りた。浮遊感は、着地と同時に生じた激しい揺れに上書きされる。


 フェイヴァはたった今までメリアたちが立っていた岩を仰いだ。目測にして四メートルほどの高さから飛び降りたというのに、二人はよろめきもせず立ち上がる。


 二体の死天使は、消耗を感じさせない動きで魔獣を(ほふ)っていく。


 ワグテイルは円の中心に歩み寄っていく。振り返らない背中は、彼の意識が視界の先に引きつけられていることを示している。


(今なら)


 メリアがフェイヴァを降ろした――瞬間。身を屈め彼女を突き飛ばすと、フェイヴァは駆け出した。


 飛び立とうと地を蹴った足は、唐突にバランスを崩す。太股に走る激痛。思わず悲鳴を上げ転倒した。


 突き上げる痛みに、足に力が入らない。視線を移すと、右足の太股が横に斬り裂かれていた。ばっくりと開いた傷口からあふれた血が、土の上を流れていく。


 髪を掴まれ、顔が上がる。メリアが斧を担いで立っていた。無慈悲な眼差しがフェイヴァを見下す。


「……逃げられると思ったのかしら? あなたの動きを封じるなんて簡単なことなのよ。これ以上肉を削ぎ落とされたくなかったら、大人しくしていなさい」


 乱暴とも言える手つきで服の襟を掴まれて、引き摺られていく。傷に土が付着して、痺れるような痛みを感じた。足が跳ねる。


 ワグテイルが見下ろしているのは、取っ手が取りつけられた鋼鉄の蓋だった。元々は地中にあったらしく、掘り返された土が脇に退けられ山となっている。


 蓋が持ち上げられると、人ひとりが通り抜けられるほどの穴が口を開けた。脇にかけられた梯子が地下に誘う。


 襟が強く掴まれ、首が締まる感覚があった。メリアが片手でフェイヴァの身体を持ち上げ、穴の中に放り投げたのだ。


 桃色の髪が風に煽られ、やがて腰から床に激突する。弾けるような苦痛に、小さく呻いいた。


 遅れてメリアとワグテイルが跳び降りてくる。


 修復機能が痛みを緩和する。ゆるりと半身を起こしたフェイヴァは、辺りを眺めた。


(……ここは)


 狭い部屋だった。壁には小さな祭壇が備えつけられており、聖王神オリジン像が祭られている。本棚から引き出された数冊の本が、机の上や床に散らばっていた。


 光源がなく常人ならば家具の輪郭さえ見て取れないはずだが、ワグテイルもメリアも物にぶつかることなく歩を進めている。魔人も死天使と同様に暗視が可能なのだろう。


「本棚の数に比べて冊数が少ないわね」

「隠れ里の奴らの仕業だな。大量の本を溜め込んでやがったぜ」

「ちゃんと全部燃やしたわね?」

「当たり前だろ? 煙ヤバかったぜ」


 ここは一体何のために造られた場所なのだろう。一見すれば信者が人知れず神に祈りを捧げるための部屋のように思える。けれどそれが真実だとしたら、納得できない違和感があった。規則的に並べられた岩。周辺を徘徊する大型の魔獣。人目から隠されていた地下への入口。小さな目的にしては、あまりに壮大な背景がある。


 メリアが再びフェイヴァの服の襟を掴んだ。無理矢理立たされ、連れられるまま歩く。傷は再生を始めていたが、床を踏み締めるたびに痺れた。


 メリアが立ち止まり、フェイヴァは後ろを振り向いた。二人の前には、高い壁が立ちはだかっている。祭壇は大人の男が背伸びをして、やっと届く高さにあった。神像は溶けた蝋燭を見つめている。


「扉を開くったって、どうすりゃいいんだろうな?」

「こうすればいいのよ」


 首が締めつけられる。メリアがフェイヴァを軽々と引き寄せて、壁に向かって蹴りつけた。咄嗟に手を壁につくが、勢いは殺せず胸を強か打つ。掌の皮膚を擦りながら、膝を崩した。


 立ち上がろうと、(しん)(ぎん)しつつ両手に力を込める。しっかりと手を壁に押しつけると、不思議なことに肌に熱が伝わってきた。


(……え?)


 驚きに目を見張る。壁の内側から漏出した光が線となり、フェイヴァの右手を縁取ったのだ。完成した手形はきらめき、やがて消失する。


『精神同調を確認。テロメアと認識しました』


 頭上から情緒が欠落した女の声が降る。


 疑問を挟む暇もなく。壁に縦に亀裂が入り、地響きを起こしながら別れ始めた。扉と化した壁は左右に格納され、間隙から眩い光があふれ出る。


 きらめきの奔流に視野が白く染まったが、死天使の瞳は瞬時に明度を調整する。視界が正常に戻り、フェイヴァは数回瞬きした。


 息を呑むほどの、白い空間が姿を現していた。石材でも煉瓦でもない、仄く光る未知の材質で造られた一本の通路。


「ヒャッヒャッ。大当たりだな」

「あの方の仰ることに間違いはないわ」


 背後で喜びに湧く、ワグテイルとメリア。


(この色……何処かで)


 初めて見る物のはずなのに、その色に覚えがある。回顧したフェイヴァは、やがてひとつの記憶に行き当たった。


 サフィとともに挑んだ実地試験。外壁の側から眺めた先に、突き立っていた瓦礫。木々に囲まれ蔦が絡まったそれは、遺跡の一部だった。壁の残骸は薄汚れていながら、淡く光っていたのだ。


 純粋な驚きはやがて、深い(きょう)(がい)へと変容する。一体何が起こっているのか。想像を巡らせても、真実は遥か。手が届かない。


「ここは……一体……」

「あなた、何も知らされていないのね」


 立ち尽くすフェイヴァの腕を掴んで、メリアは歩き出す。一歩先を行くワグテイルは、驚嘆した様子で首を巡らせていた。人の感性を強烈に揺り動かす場所だ。魔人といえども例外ではないらしい。


「ここは聖王暦の時代から、セントギルダが研究を行っていた施設のひとつよ」

「セントギルダ……?」

「オリジン正教の前身。そう言えば理解できるかしら」


 フェイヴァは目を見開き、ワグテイルと同じく忙しく視線を移した。滑らかな床は鏡面に似た輝きを有している。


 頭上からは、太陽を連想させる光が降り注いでいた。見上げれば天井の両側に臼橙色の装置がある。長方形の形をしたそれは、ランプや蝋燭のように明かりを弱めることなく、安定した発光を続けていた。延々と続く天井に、規則正しく取りつけられている。扉が開いた瞬間に飛び込んできた、(さん)(ぜん)とした純白の正体は、一斉に点灯した装置だったのだ。


 メリアに腕を引かれるまま、フェイヴァは足を進めた。不可思議な装置が脇を固める天井には、絵が描かれている。


 芸術品を鑑賞している場合ではなかったが、フェイヴァができることは他に何もなかった。半ば現実から逃避し、天井画を見つめる。


 白い法衣に身を包んだ髭の老人が、太陽と月を象った杖を握っている。彼の背後には光なき世界が広がっていた。妙な既視感が込み上げて、フェイヴァははっとした。天井画は神話の一場面を描いたものだった。


 創造神によって生み出された、天を照らす太陽の神アテムと月の神エリーゼ。純白の翼を羽ばたかせ空を飛ぶ、四柱の天使。天使たちが撒いた種が、名もなき生命に知識と知能を与え形を定める。やがて争いあう人間たち。地上の戦乱を嘆いた天使たちは、力を合わせて冥界を創造した。罪深き者たちが、人生の終焉とともに落とされる場所。


「なあ、これ神話か?」

「そのようね」

「途中で終わってるじゃねーか」


 通路の突き当たりにある扉まで歩を進めたワグテイルが、頭上を見上げて口にした。絵を目で追っていたフェイヴァは、指摘され初めて気づく。彼の言う通り、天井画は天使たちが冥界を創り出した場面までしか描かれていないのだ。扉の先にも神話の世界が続いているのだろうか。それにしては中途半端な場面で区切られてしまっている。


「あなた、あの方の話を聞いていなかったの? 冥界が創られた以降の神話は、神世暦の初期に数少ない文献を元にしてつけ加えられたものなのよ」


 眉に苛立ちをのせるメリアに、ワグテイルはそうだったかぁ? と、訝しみを帯びた声音を吐き出した。


 それは一体どういう意味なのだろう。創世神話は、夢のような文明を築いた聖王暦から受け継がれた、数少ない伝承ではなかったのか。


 戸惑いが顔に現れてしまったのか。フェイヴァを横目で見たメリアは、口許を優雅にほころばせる。


「冥界への土産に教えておいてあげるわね。聖王歴の後期、神話に伝えられるような大戦が起きたのは知っているわね? 驚異的な戦闘能力を有する妖魔という種族に、人類は脅かされた」

「妖魔……?」

「魔獣の王の一族よ」


『魔獣の王って、どんな感じなの?』

『人間にそっくりな姿をしてるんだって。血のように赤い瞳をしてるらしいよ』


 ミルラたちと初めて商業区に遊びに行った時、話してくれた神話の内容が浮かび上がった。


「人類はホリニス・グリッタ国を先頭にして妖魔の研究を始めたわ。有能な人材を集めて組織されたセントギルダは、自分たちの手で救世主を創ろうとした。その研究の副産物として、魔人や死天使は生まれたの」


 メリアから予想もしていなかった情報を与えられ、フェイヴァは目を白黒させた。所詮は敵の口から吐かれる言葉。すべてが真実だとは限らないのに、時代に不釣り合いなこの施設を目の当たりにすると、フェイヴァの心は揺れる。


「……どうしてあなたはそんなに詳しく知っているんですか……?」

「我々の主が、オリジン正教の研究者だったからよ」


 会話はそこで打ち切られた。純白の扉が、触れてもいないのに突然開いたのだ。


 冷然と輝く施設の深部が、フェイヴァたちの前に晒された。三又に別れた通路の真ん中は、遠目からでも広大と分かる部屋に繋がっている。


 フェイヴァはある物体に目が吸い寄せられた。メリアに腕を引かれ間近まで近づいて、しばし茫然とする。


(これは……何?)


 動揺が震えとなり足にまで伝わった。


 ディーティルド帝国の兵器開発施設で目覚め、天使の揺籠を目撃した時と同種の怯えを、フェイヴァは胸に抱いていた。


 透明なガラスでできた筒が、部屋の中央に据えつけられていた。フェイヴァが両手を広げたとしても、半径にも満たない大きさだ。内部には今まで見たこともない、奇々怪々な化物が浮かんでいる。


 獣の背中に、男の上半身が生えているのだ。たくましい四肢には漆黒の剣と見紛うほど鋭い爪が、サボテンの針の如く生えている。二つに別れた頭部は、兜を彷彿とさせる鱗にびっしりと覆われていた。尻尾は幾重にも枝分かれし、鋭い突起を生やした触手と化している。男の上半身は死人の肌色をしていた。人間と酷似した外見にも関わらず、耳の先端は小刀のように尖っている。灰色の頭髪はそれ自体が意思を宿しているのか、独りでに(うごめ)いていた。


 筒の内部は赤い液体に満たされており、上部から伸びた無数の管が、化物の口を覆い、身体の至るところに突き刺さっていた。男の瞼はときおり震え、下半身の獣も四肢を身じろがせる。


 ――動いている。この化物は生きているのだ。


「なんだこの化物、面白ぇ~」


 筒に顔を近づけて、黄緑色の瞳を見開くワグテイル。面に露わになる子供に似た純粋さは、奇抜な格好と合わさり気味の悪さを感じさせる。彼とは反対に、化物を一瞥したメリアは、表情に不快感を押し出す。


「魔獣と妖魔をかけ合わせた個体のようね。ワグテイル、離れなさい。下手なことをして動き出したら厄介ごとが増えるわ」


 メリアがフェイヴァの腕を手放し、部屋の奥に進んでいく。フェイヴァは咄嗟に(きびす)を返そうとしたが、荒々しく腕が掴まれた。


 ワグテイルだった。目がこぼれ落ちんばかりに見開かれて、凶悪な笑みが口許に浮かぶ。射抜かれそうなほどの、眼力を秘めた双眸。フェイヴァはただ硬直する。


 巨大な筒を迂回して、メリアは指を鳴らした。いつから着いてきていたのか、二体の死天使が部屋の中に駆け込んでくる。


 メリアが顔を向ける先には、壁に備えつけられた台があった。天板には小さな球体の入れ物がずらりと並んでいる。番号が記された紙が、一から十まで貼りつけられていた。分厚く透明な球体の中には、軟体生物のようなものが漂っている。周囲の様子を感じとることができるのか、メリアたちが近づくと、それまで不定形だったそれは、一斉に形を変化させた。毛を逆立てる獣のように、刺を思わせる突起が無数に突き出る。


「人の手が入らなくなって十年近く経つのに……まだ生きているなんて、凄まじい生命力だわ」


 銀髪の死天使が、肩にかけていた皮袋をメリアに差し出す。彼女はそれを掴むと、中に透明の球体を突っ込んでいく。袋の口を縛った死天使は、ひとり身を翻し、来た道を引き返していく。


「何がなんだかわからないって顔してるな?」


 メリアの一連の行動を見守っていたフェイヴァは、ワグテイルの声を聞いて我に返った。あの軟体生物のようなものは。筒の中で浮かぶ化物は一体なんなのか。わからないことばかりで混乱していた。しかし、尋ねたとしても答えてくれるはずはなかった。この男にはメリア以上の険悪さを感じるのだ。――その予想は間もなく的中することになる。


「知る必要はねぇな。お前はここで俺たちにぶっ壊されるんだからよ」



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