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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
8章 魔の血族
88/227

01.ディーティルド帝国


***


 雄々しく翼を広げる翼竜を、真横から眺めたような形をしている大陸群。


 広大な陸地の南南西は、竜の尾を思わせる形をしている。その独特な地形に国を構えるのが、ディーティルド帝国だ。


 ファンダス王国とその隣に位置するブレイグ王国を支配下に置き、世界一の領土と軍事力を手に入れている。


 帝都ラハブは、三万人の市民を抱えた巨大な都市だった。五階建ての建造物を越えるほどの背丈を持つ防壁は、際限なく広がって地平線の彼方まで続いている。


 帝都ともなると、その造りは他の都市とは一線を画す。商業区、公共区、居住区、農地区。それぞれの区画には広大な土地が割り当てられ、分厚い防壁で囲まれている。その中心に位置するのが、帝国の要であり皇帝の居城であるロレイ皇城だ。尖塔にぽつりと灯った明かりが、黒々とした威容に映えていた。


 帝都を守護する漆黒の天使たちが、天空を舞う。


◆◆◆


 ロレイ城の一室。寝室と呼ぶには広すぎる部屋の四隅には、グラード王国から取り寄せた一流の調度品が配されている。床に敷かれた金糸が縫い込まれた絨毯は、足跡がつけば二度と元の形に戻らないのではと思わせるほどに滑らかだった。


 窓を縁取る銀の細工が、蝋燭の光を弾く。曇りひとつない窓はそれ自体が発光しているかのようにうっすらと輝きを帯びている。


 ふつぎょうの光が雲の合間から顔を出していた。光の筋が細く広がって、藍色の空と防壁を二分している。


 忘れもしない。あの日も、今朝と同じように夜明けの光が地上を横切っていた。


 天蓋つきの寝台から外の景色を眺めながら、ガーランド皇帝は物思いに耽っていた。


 ふと、寝台の側に置かれている台が目にはいる。脚に優美な装飾が施されたそれは鏡のように磨かれていて、初老に差しかかったガーランドの容貌を映していた。


 ここ数年で随分老け込んだ。頭髪には白髪が増え、目の下には濃い隈が浮かんでいる。


***


 十年前。


 帝国の運営に携わり、政策の決定に影響力を持つ役職、かん。それを統括する役目を持つ、たいさいが口にしたのは、驚くべき知らせだった。


 帝国の各地に点在する兵器開発施設の技術者を統括し、帝国の技術をつかさどる、かん。ハールート・デイファによって開かれた新作兵器の披露会にて、大宰はとんでもない物を目撃した。


 どこからどう見ても人間の男にしか見えない兵器は、神話に伝えられる天使のような翼を背負っていた。それは大剣一本で、大型の魔獣を仕留めて見せたのだ。時間にして数秒の出来事だった。


 通常、大型の魔獣は、鍛練を積んだ狩人や守衛士が集団で散弾銃と大剣を使い、約十分から三十分かけて討伐を行う。当然負傷する者はおり、運が悪ければ命を落とす者もいる。


 従来の討伐方法を、根本から覆された。


 ハールートが死天使と呼称したその兵器は、他国の軍事力を稚児の戯れに下落させるほどの圧倒的な力を秘めていた。


 彼はどうやって、人智を越えた兵器を開発できたのか。


 ハールートは大宰に、ひとりの人物を紹介した。アルバス・クレージュ。訳あって養子に出されていたハールートの実兄である。彼は元々オリジン正教の技術者であったが、ハールートによって引き抜かれたらしい。死天使の製造技術は、アルバスによってもたらされたものだった。


 大宰から報告を聞き終えたガーランドは最初、彼が気が狂ったのではないかと懸念した。真面目で誠実。長年皇帝の傍らに控え、冠を取りまとめてきた男の口から吐かれたとは到底思えない。荒唐無稽な話であった。


 しかし大宰の興奮ぶりを見、まるで実物を目にしたかのように事細かに話して聞かせられると、妄言だと簡単に切り捨てることはできなかった。


 その話が事実であるならば、ディーティルド帝国は世界を手中に収めることができるのだ。


 大宰は何度も兵器開発施設に招かれ、ハールートとアルバスにすっかり説き伏せられたらしい。彼は死天使を、帝国の兵器として正式に採用する気だった。


 ガーランドは、そんな大宰に難色を示した。直に目にしてみなければ、納得することができない。大宰の勧めとハールートの求めに応じ、ガーランドは数名の兵を連れて新兵器の視察に向かった。


 ハールートの居城に到着する。彼とは一月前に行った議会で顔を合わせたきりだ。短い歳月で、人はここまで変わってしまうものなのだろうか。出迎えたハールートの変わりように、ガーランドは戸惑いを覚えた。


 小柄で恰幅がよかったハールートは、別人のようにやつれ、顔色も不健康そのものだった。


 ガーランドが不審に思い尋ねると、彼は新兵器の開発により寝食を忘れてしまっていただけです、と説明した。その顔が少し引きつっているように感じたのは、気のせいだろうか。


 ガーランドと兵士たちは、翼竜を駆り場所を移す。


 ディーティルド帝国の中西部に位置する盆地。周囲を山脈に挟まれた、雑草がまばらに生えた平らな大地だ。小型や大型の魔獣が悠然と闊歩かっぽしている。


 ハールートが毎回新武器の披露に使用する、アズラエル盆地だった。見晴らしのよい場所でうろつく魔獣は、威力を試すには相応しい的だ。


 しばらくすると、翼竜に乗ったハールートと兵器が飛んできた。ガーランドは身内をすぎていった衝撃に、思わず手綱から手を放しそうになった。


(なんだ、あれは……)


 ハールートにずいはんしている死天使の背には、見紛うことない翼が生えている。鳥類の翼は漆黒に染められていて、大きく羽ばたくと宝石のようにきらめく。その光輝は金属を思わせた。


 話には聞いていた。だが、実際に目にしてみると夢かうつつか判断ができなくなる。胸を突き上げる驚愕に、呼吸さえ忘れてしまいそうになる。


 周囲の兵士も目を丸くしていた。みな固唾を呑んで、死天使を見つめている。


 ハールートが死天使に命令すると、彼は高度を下げた。正に鋭い風だ。一息に地上に到達する。最大速度は翼竜を上回るだろう。


 背の鞘から大剣を引き抜くと、熊型の魔獣――【絶壁グレイシャー】に襲いかかった。


 恐るべき敏速に、グレイシャーは反応が遅れた。鋭い爪が無数に突き出た腕を、前方に払う。死天使の姿はそこにはなく、背中から血飛沫が上がった。死天使の大剣が魔熊の背を引き裂いていったのだ。


 魔熊は大きく咆哮する。口腔に光が集った。電撃を放射するつもりだ。鱗に覆われた頭部を揺らしながら、死天使を探している。


 一直線に降下した黒い影は、熊の首にかかり頭部を切断した。傷口からおびただしい血を吐き出して、巨体は地に伏す。


 死天使は魔獣の血を振るい落とすと、大剣を鞘に収めた。男の整った顔立ちには、何の感情も表れてはいない。


「なんということだ……」


 動揺がにじんだ声が震える。目を疑う光景だった。


 魔獣の骨を加工して造った武器。大砲。単発式の銃。死天使は現在の技術水準からは考えられない、神の奇跡としか言い表すことができない兵器だった。




 ハールートは帝国の北部にある兵器開発施設に、ガーランドを招いた。首が痛くなるほど高い位置にある天井。目を細めるほどに奥行きのある部屋。そこに鎮座していたのが、死天使の母である天使の揺籃であった。


 驚かされることばかりで、ガーランドは言葉も出ない。


 続いて登場したのが、アルバス・クレージュだった。歳は二十代半ばだろうか。研究者には似つかわしくないほどに屈強な体つきをした、長身の男だった。獣の毛並みを思わせる漆黒の髪。均整の取れた容貌に、特徴的な瞳が光る。赤みが強い瑠璃色の虹彩は、ガーランドが今まで見たことがない色だった。


「お初にお目にかかります。アルバスと申します」


 アルバスはうやうやしく一礼する。顔を上げると、微笑みが口許に浮かぶ。


 ガーランドは寒気を覚えた。一度として笑ったことがない人間が、無理矢理に捻り出した、親しみを感じさせるための表情に思えたのだ。


 アルバスはガーランドに、死天使の製造過程を説明した。蛙に酷似した怪物に人の肉と刃物を食わせ、造り出される金属の骨格を持った兵器。


 それは遥か昔。聖王暦の時代、文明が滅びる間際に人々が技術と知識を集結させて造り出した、兵器製造設備だった。


「オリジン正教はこの設備を秘匿していました。技術を独占し、世界を裏から操る。私は正教のやり方が許せなかったのです。優れた兵器は無能な聖職者ではなく、有能な王の下で使役されるべきです」

「旧時代の遺物をこの国に持ち込んで、お前に一体なんの得がある? お前は何を望んでいる」


 アルバスはぞっとする笑みを浮かべる。


「私はただ、聖王暦の遺産が埃を被ったままでいるのが我慢ならなかっただけ。兵器は使われてこそ価値がある。帝国の安定にこの兵器をお使いください。あなた様は、この世界の覇王に相応しいお方です」


 仰々しい建前のあとに、本題に入る。アルバスは国軍の力を借りたいと申し出た。オリジン正教の施設を強襲し、更なる技術を帝国のものとするために。


 断る理由はなかった。恐ろしさよりも、純粋な興奮がガーランドを押し包んだ。大宰が興奮していた理由がわかる。常識を覆すほどの兵器が手に入ると実感して、高揚しない者はいないだろう。この兵器さえあれば他国を蹂躙できる。他の追随を許さぬほどに、帝国を繁栄させることができるのだ。


 アルバスは軍とともに発ち、六日も経たずに帰還した。彼の腕には、醜い怪物――天使の揺籃に似た生物が抱えられていた。


 それは魔人という兵器を生み出し、ディーティルド帝国の戦力をより増強した。


 死天使と、魔人。二つの兵器が合わされば、向かうところ敵なしだった。ガーランドは早速、他国に侵攻を開始した。魔獣との縄張り争いで人類の勝利に貢献してきた、ファンダス王国とブレイグ王国。の国が他国と軍事同盟を結ぶ前に、叩き潰し最新武器の製造技術を独占する。


 兵器たちの驚異的な戦闘能力は、ガーランドを夢中にさせた。空から戦火に飲まれる都市を望むのが、数少ない楽しみだった。敵国の兵士が成す術なく敗れる様は痛快だった。


 広大な領士、潤沢な物質、豊かな暮らし。ディーティルド帝国の国民は、ガーランドを稀代の皇帝だと称えた。


 民衆の誉めそやす声が心地よかった。歴代の皇帝が成し遂げられなかった偉業を、自分の力で成し遂げたような気分だった。


 ハールートの死亡によってアルバスが技冠の座に就いてから、三年が経過した。


 彼は兵器開発統括責任者の地位を利用し、奔放ほんぽうに過ごすようになっていた。帝国から発ち、行方が知れなくなったのだ。


 アルバスが出立してから、大宰は二人の技術者を魔人と死天使の開発責任者に任じた。


 死体と使えなくなった刃物さえあれば製造できる死天使と違い、魔人は被験者となる人間を買い取る費用が必要であった。魔人化が成功する確率も、死天使と比べて半分以下だった。自らの意志を持たない死天使と違って、魔人には思考能力がある。突如手にした力に酔い、技術者や助手を殺害してしまう者もでた。どう考えても割りに合わない。


 しかしガーランドは、魔人の廃止をすぐさま決断できなかった。魔人を生み出す化物を帝国に持ち帰ってきた際に、アルバスが口にしたのだ。何があっても、魔人を造り続けてほしい、と。それはアルバスが掲示した唯一の条件だった。確約できなければ、天使の揺籃を破壊すると脅す始末。


 当時ガーランドはその条件を飲んだが、魔人の製造は、最早帝国の資金を食い潰す、無駄な事業でしかない。


 悩んだすえに、反故にすることに決めた。所詮人間だ。一体何ができる。


 月に一度、冠を召集し行う議会で、ガーランドは魔人製造の廃止を提案した。大宰に命じ、魔人開発の中心に位置していた技術者を降格させる。魔人の製造設備を隔離し、使用を禁じた。


 選択により引き起こされた結果は、ガーランドに恐怖を湧き上がらせた。


 兵器開発施設で天使の揺籃の警護に当たっていた兵士数名が、殺害されたのだ。


 アルバスは本気だった。彼は帝国から発つ前にほぼすべての魔人を掌握しており、彼らはアルバスの手足となって動くように支配されていた。


 帝国に迎え入れた一技術者は、いつの間にかガーランドを脅かすまでに勢力範囲を拡大していたのだ。


 利用していたのではない。実際は、ガーランドがアルバスに利用されていたのだ。


(殺すしかあるまい)


 帝国に神の奇跡を授けたアルバスは、異端者だった。歴代の皇帝が登用してきた冠と違い、彼は得体が知れない。内実を知りすぎた者は脅威となる。ガーランドは遅かれ早かれ、アルバスを始末してしまうつもりだった。


 大宰に命じアルバスの行方を探らせ、水面下で暗殺を計画した。相手はたった一人の人間だ。兵器を行使する必要もない。


 まずはゲイム王国から雇った暗殺者を送り込んだ。彼が帰ってこないと、次に名の知れた狩人を。これも帰ってこないと、満を持して死天使を差し向けた。


(……馬鹿な)


 三日も経たずアルバスの首を持ち帰ってくると思われた死天使は、胸から下を切断されていた。


 持ち帰られた死天使を見て、ガーランドはアルバスに国軍の一部を委ねた時のことを思い返した。


 当時の一尉に確認は取れている。オリジン正教の施設にはやはり、魔人が配備されていた。それを相手にした兵士たちは負傷し、多くの犠牲者が出た。


 今思えばそれは、ガーランドたちを欺くための企てだったのではないか。アルバスが自らを人間だと偽り、油断させるための。


 所詮は無力な人間だ。都合が悪くなれば消せばいい。そう思っていたからこそ、ガーランドはアルバスを帝国の中枢に据えたのだ。


 ガーランドはこの時になって初めて、自分が相手にしているものがどれほど強大であるかを知った。


***


 そうして十年が経った今でさえ、アルバスを消し去ることはできていない。彼はときおり南方の兵器開発施設に戻り、子飼いの魔人と密談をしているようだ。


(焦るな……。死天使をかき集めて、時を待つんだ。好機を狙い確実に殺す)


 誰がこの帝国の主か、アルバスに思い知らせてやるのだ。




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