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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
7章 囚われたあなたは、戻らない
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11.限りある時を(2)




 レイゲンは本から視線を外し、サフィを見上げた。胸中にはどんな思いが去来しているのか。整った容貌は表情を形作らず、読み取ることができない。


 サフィの無謀な挑戦を耳にしたルカたちが、詰めかけてきた。決闘の帰結を見届けようと、場所を移動する二人の後ろをついてくる。


 決戦の舞台は訓練室だ。大きな窓から差し込む朝日が、訓練生たちの軽鎧を白く輝かせている。木剣を打ち合う張りのある音と、意気を感じさせるかけ声が(こだま)する。


 出入り口付近で、フェイヴァとハイネが手合わせをしていた。フェイヴァが振り下ろした木剣は空を切り床を叩く。軽快な足運びで彼女の側面に接近したハイネは、木剣を一閃した。衝撃をまともに受け、フェイヴァは無様に転倒する。


「くぅ~! お腹打ったぁ」

(たる)んでるね。もっとしゃきっとしな」

「身体が思うように動かないんだよね。疲れてるのかな?」

「……原因は別にあるんじゃないの?」


 顔をしかめて腹を撫でていたフェイヴァは、訓練室に足を踏み入れたサフィたちを目にいれたのか、表情を曇らせた。慌てて立ち上がる。


「……ごめん。私、行くね」

「あんたさ、いい加減にしなよ」


 ハイネが苛立ちを込めた声をかけるが、フェイヴァは構わず彼女に背を向けた。途中、レイゲンと擦れ違う。


 互いに振り返ることはなかった。黒いリボンでまとめられた桃色の髪がなびき、サフィの視界を横ぎる。


 無意識にフェイヴァの姿を目で追っていた。彼女は数歩足を進めて、立ち止まっていた。もしかすると彼女は、レイゲンが自分に顔を向けてくれることを期待していたのだろうか。哀愁が漂う小さな背中に、そんな感想を抱く。


 フェイヴァはややあって歩み出すと、棚に木剣を突っ込んで訓練室を後にした。


「フェイヴァの馬鹿」


 ハイネが溜息混じりにこぼした。柳眉が寄せられて、()(ぜん)たる面持ちをつくりだす。


 サフィも彼女と同様の感情を抱いていた。けれどもサフィがその言葉をかけたい相手は、フェイヴァではない。


 隣を歩くレイゲンの脇腹を拳で殴った。彼は眉間に深くしわを刻み、サフィを睨みつける。


「なんだ」

「別に」


 理解しているだろうに、心当たりがないと言わんばかりのこの態度。


 部屋の中央に到達し、サフィとレイゲンは相対する。


 ルカが棚から木剣を抜き出し、二人に向かって投げた。レイゲンはルカの方を見ずにそれを掴む。サフィは投げられた木剣をしっかりと視界に捉えて、両手で捕まえた。落とさずに済んでよかった。取り落とし足にぶつけようものなら、観客の失笑を誘うことになる。


「ルカ、何が始まるの?」

「サフィがレイゲンに決闘を挑んだんだ」


 歩み寄ってきたハイネは、ルカから状況を説明されて、瞳を瞬かせた。意外そうな表情でサフィに視線を注ぐ。


「……ふぅん。案外度胸あるんだね」

「なあ、ルカ。もう一回やり直さないか? どっちが勝つか賭けようぜ!」

「俺、レイゲン!」

「俺もレイゲンな」

「サフィ! と見せかけてやっぱりレイゲン!」


 肉を賭けた力比べの勝敗を反古にして、サフィたちの戦いによって決着をつけようと考えたらしい。


 会話が耳に入って、サフィは腹立たしさに唇を噛んだ。どうせ全員がレイゲンに賭けるのだ。誰もサフィに期待していない。これでは賭けにならないではないか。


「あのな、それはもう話ついただろうが。二人の勝負に野暮な真似するなよ」

「ルカの言う通りだよ。男だったら自分の力で決着つけたら?」

「あ……ああ……クソッ。俺の肉ぅ……」

「肉食いてぇ……うおおお!」

「ルカの冷血漢! お前には慈悲がないのか」

「人間の屑がこの野郎」


 涙を堪え悲嘆に暮れる者は哀れみを誘ったが、ルカに対し牙を剥く者にはハイネの制裁が待っていた。


「誰が屑だ!」

「ぐへぁっ!?」

「ぎょひっ!」


 ハイネの掌が頭を叩き、乾いた音が鳴った。二人の男子は大袈裟に身を跳ねらせ、奇妙な悲鳴を上げる。


「やめろって。こいつらふざけてるだけなんだよ」

「ふざけてるだけだとしても、ルカを馬鹿にする奴は許さない」


 追撃しようと、握り拳をつくり身構えるハイネ。


「……お前これくらいの冗談通じないなんて、友達なくすぞ」

「別にそんなの必要ないよ。……あっ、ルカは友達じゃなくて、その……友達以上の……」

「おう、わかったわかった」


 頬を赤らめて上目遣いで視線を送るハイネに、ルカは面倒臭くなったらしい。適当な相槌を打ち会話を終了する。


「くそっくそっ、いちゃついてんじゃねーよ」

「俺も女子と仲良くなりたいっ!」

「悔しいですっ!」


 肉を奪われた上に、男女の(なか)(むつ)まじい様子を見せつけられ、六人は怒りと悲しみを露わにする。顔を覆う者、肩を震わせる者、歯を噛み締めて鼻息を荒くする者、反応は様々だ。悔しげに呻く姿は、重傷者が苦悶するさまに酷似している。六人中二人は、実際痛みに悶え苦しんでいた。


「……なぜこんなことを言い出したのかわからんが」


 木剣の先を床に向けたレイゲンが口にした。観客の馬鹿騒ぎを見ていたサフィは、彼の声に耳を傾ける。


「お前に勝ち目はない」

「わかってるよ。僕がどんなに頑張ったって、君に傷ひとつつけることなんてできない。……勝ち負けじゃないんだ。戦いを挑むことに意味があるんだよ」


 サフィはレイゲンに切っ先を向け、胴の前で木剣を握り締めた。その双眸と姿勢から、サフィの本気を読み取ったのか、レイゲンも木剣を構える。サフィと同じ構え方だというのに、レイゲンはその姿勢だけでも絵になった。開始を告げられた瞬間に、精妙な彫刻のごとき静が、敵を威圧する動に切り替わるのだ。


「よし、二人とも用意はいいな?」


 周囲の喧騒に負けじと、ルカが声を張る。サフィとレイゲンを交互に見やって。


「――始め!」


 試合開始を告げる声が響く。


 レイゲンが動いた。瞬く間もなく距離が詰められる。集中力を途切れさせてしまいそうなほどの驚愕が、サフィの身内から吹き上がる。内心で叱咤し、緊張の糸を繋いだ。


 左から叩き込まれる。咄嗟に木剣を掲げて防ぐ。噛み合うことなく弾かれて、強い衝撃が視界を揺らす。両足を踏み締めて留まる。透かさず間合いを詰められ、顔めがけ突き出される切っ先。サフィは顔を傾けてかわす。


 レイゲンの動作に違和感があった。彼が授業中、教官との手合わせで見せる剣筋は(しゅん)(れつ)だ。彼が普段通りの速度で攻撃を繰り出してきた場合、そもそもサフィは左から迫ってきた木剣を防ぐことすらできない。サフィに気を使ってのことか、開始早々に圧倒的な力で下してしまうつまらなさゆえか。理由は判然としない。ともすると揺れそうになる精神を、懸命に静める。動揺してはいけない。


 木剣が風を斬って、真横に振り抜かれる。辛うじて後方に身を引き回避したが、風圧が前髪を浮き上がらせ肝を冷やす。胴を狙って薙ぐ木剣。受け止めた木の剣が、圧力と衝撃に震えた。膝が崩れそうになる。


 剣の鋭さが増している。


 そこでやっとサフィは理解した。レイゲンはただ手を抜いているのではない。サフィの実力に合わせているのだ。相手の力量を瞬時に見抜く眼力。自分の力量を測らせない、細やかな身体能力の制御。彼は剣筋にのせる速度と腕力を一段階ずつ増しており、サフィがどこまで持ち堪えるか観察しているのだ。


 戦慄に寒気を覚える。峻険な山のように、果てなく強大な力だ。切れそうになる集中力の糸を、サフィは懸命に繋いだ。


 このまま手をこまねいていては負ける。仕掛けるならば今だ。


 レイゲンの木剣が斜めに走る。彼の攻撃に反応できるように身体の前で構えていた木剣を、上に振り上げた。重く激しい手応えが木剣から両腕に伝わってくる。体勢が崩れて、サフィは床に尻からぶつかった。レイゲンの木剣が振り下ろされる。


(――今だ!)


 サフィの左手が、レイゲンの膝に触れた。瞬間、身体を取り巻くように薄青色の冷光が散る。レイゲンが目を見開き、片膝をついた。


「な!?」


 サフィに宿った水の能力(アイル)は、自身や他者の体内に存在するエネルギーを反応させ、治癒力を高めることができる。


 覚醒者には三種類の力の使い方が存在し、治癒にしか使い道がない能力でも、他者の身体に変調を来すことができる。それは相手に触れることで、一部のエネルギーを吸収するというものだった。この力を受けた者は、能力を発現させる際の脱力感を体験する。唐突にそんな感覚を与えられ、困惑しない者はいないだろう。


 石床に手をついたレイゲンに、立ち上がったサフィが木剣を振りかぶる。作戦を成功させた高揚が、胸を熱く満たしていた。


 高く響く、張りのある音。


 レイゲンがかざした木剣が、サフィの切っ先を阻んでいた。彼は腕を振るうとそのままサフィの木剣を弾き跳ばす。違わず体勢を整え、木剣を薙いだ。切っ先が光の軌跡を描く。風圧自体が刃となって、サフィの肌を叩いた。思わず目を閉じる。


 吹きつけた風が、ぴたりと止まる。レイゲンの木剣が、サフィの顔の横で止まっていた。


 観客の興奮した声が耳に届き、現実感を取り戻した。手合わせ中は、相手だけに意識が向いてしまい、取り巻いている世界は消失する。


「そこまで!」


 ルカが手を下ろし、勝敗を決する。ハイネは目を丸くしていた。開始間もなくサフィが一蹴されると考えていたのだろう。


 六人の男子は手を握り絶叫したり、両手を広げて跳び上がっていた。ルカが振り向く。


「いや、賭けてねえからな?」


 途端に意気消沈する六人。


 誰でも予想がついた、わかりきった勝敗だ。けれど、不思議と惨めではない。口からもれたのは、緊張を手放した吐息だ。


 レイゲンが木剣を下ろす。顔には疲労の色がなく、怪訝そうに歪んでいる。


「一体何をした」


 レイゲンには、サフィが突如として能力を使ったように見えたのだろう。その実力差から見上げるしかなかった彼に不審を抱かせることができて、サフィは少しだけ誇らしかった。


「遠征から帰ってきて、僕は優先的に能力を鍛えてたんだ。教官の指導とか、能力の使い方の本とか読みまくって勉強した。そうしたら、精神集中だけに意識を割かなくても能力を発現できるようになったんだ。君が最初から全力か、僕を上回る力で圧倒してたら、一瞬で決着がついていたよ」


 通常、覚醒者は精神集中を行わなければ力を使うことはできない。精神集中とは、体内や空気中のエネルギーをどの程度収集し、反応させるかを計算するための行為だ。その間を敵に狙われた場合、対処できない。けれどもサフィは、ある程度敵の動きに反応しつつ、計算を行う術を獲得した。集中している間は敵の攻撃を避ける、または防ぐという行為にしか意識を向けられない。その上、自分が避けられる攻撃速度であることが絶対条件となる。限定された状況下でしか使うことができない技術だが、サフィにとっては大きな発見となった。


 自分は剣術よりも、こういった能力の制御の方に適性があるのだろう。身体能力のなさに劣等感が募っていたが、見方を変えてみると思いもよらない自分の才能と出会うことができた。


 レイゲンは口を半開きにし目を見開いたが、すぐに口許を引き締めた。


「……なぜこんなことを言い出した?」

「単純に君に腹が立ったんだよ。……それだけが理由じゃないけどね」


 八つ当たりと、羨望と嫉妬。その中に、レイゲンの姿勢に対する腹立たしさも含まれている。彼はきっと自分の気持ちを自覚しているはずだ。口にするのが恥ずかしいと尻込みするには、その想いはあまりに大きすぎる。だから彼は、こんなにも無理をしているのだ。


 なぜこんな生き方に縛られなければならないのだろう。自分の気持ちを素直に伝えられない人生は不幸だ。


「……これから何があるかわからないじゃないか。僕は後悔したくないんだ。だから行動した。負けたけど、いい気分だよ」


 一瞬だけでも、レイゲンの意表を突けたのだ。それだけで満足だった。晴れ晴れとした気持ちのまま言い切れば、レイゲンは顔を伏せた。瞼を閉じ頭を掻く。噛み締めた唇に口惜しさがにじんでいる。


「……俺はお前のように振る舞えない」


 レイゲンは身を翻すと、出入口に向かって行った。


「結構いい線行ったんじゃないか?」

「今お前、何したんだ? レイゲンが膝ついた瞬間の顔見たか?」


 ルカたちが駆け寄ってきて、サフィの頭を叩いた。彼らに苦笑を見せて、訓練室の扉を潜っていく背中を見送る。


 友人に囲まれるサフィと、人を避けるように去っていくレイゲン。自ら孤独の道に突き進んでいく後ろ姿が、哀れだった。





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