04.誤解と過去の傷(1)【レイゲン視点】
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翌日。朝食と掃除を経た後の一時間休憩。
レイゲンたちは寝室と談話室を兼ねた部屋に戻ってきた。
同じ部屋で寝起きする六人の訓練生は、窓際を定位置にして雑談をしていた。内容に興味はないので聞こえても耳から流していたが、その表情は心なしか暗いような気がする。
ルカは気抜けしたように椅子に座ると、机に突っ伏した。サフィはルカの近くにあった椅子に腰かけ、授業の教材を整理し始める。リヴェンは一足先に部屋に戻っていて、自分の寝台で横になっていた。いびきが喧しい。
遠征から十五日が経過した。
襲撃と仲間の死は、まるで悪夢だった。時間に癒された者は、授業や訓練では普段通りの表情を見せている。だが、自分たちが身体を休めるための場所に戻ると、ふと顔によぎる影があった。室内の雰囲気が、明から暗に変わっていた。心のどこかでは、いまだに衝撃を振り切れていないのだろう。
大型の魔獣の鼻息に似た寝息が聞こえた。訂正する。リヴェンは別だ。
訓練室に行こうと、レイゲンは戸棚に近寄った。それと違わずに扉が叩かれる。ルカが椅子を軋ませて立ち上がると、扉を開けた。
大方ハイネだろう。休憩時間になると彼女が頻繁にルカを迎えに来るので、いつしか扉を叩く音がすれば、彼が扉を開けるのが当たり前になっていた。
「おう、フェイヴァか」
「ルカ、おはよう」
可愛さの欠片もない制服に袖を通したフェイヴァが、三冊ほどの本を両手に持って立っていた。ルカに微笑んで挨拶し、レイゲンと目が合いそうになると慌てて顔を伏せた。
「あのね、レイゲンさんに用事があるんだ」
顔を伏せてもごもごと喋るさまは、しおらしさと気恥ずかしさを抱かせる。ルカは振り返って、わざとらしいくらいにんまりと笑った。
「レイゲン、フェイヴァが話があるってよ」
沈んだ空気を無意識に払拭しようと思ったのか、窓際の六人が騒ぎ立てる。
「いいよなー、モテる奴はよ!」
「お前らどこまでいってんだ? 後で教えろよな!」
「熱いなー。夏の太陽に負けないくらいの熱さだね、こりゃ」
「爆発四散しろ!」
「このムッツリ野郎!」
「やだっ! レイゲンのスケベ! 変態!」
「早く行きなよレイゲン。女の子を待たすものじゃないよ」
どっと笑いだした彼らを苦笑しつつ眺め、サフィは冷静に促した。
死者が残した哀惜を乗り越えるために、無意味に声高にはしゃぐのは構わない。しかし、他人をだしにして盛り上がられたのでは堪ったものではなかった。
自分でも固い表情をしているのがわかる。レイゲンはフェイヴァに歩み寄ると、無言で部屋の外を示した。
「ゆっくりしてこいよ」
ルカが背中に朗らかな声をかけ、部屋の奥の六人が囃し立てる。
「覚悟しろ貴様ら。後でひとりずつ殴ってやる」
(明らかな罵倒を吐いたふたりは、衝撃で壁にぶつかるくらいの強さでな)
扉を閉める間際にそう言い残すと、六人の顔色が一気に青くなった。
レイゲンは扉から離れると、後ろからついてきたフェイヴァに顔を向けた。窓から差し込む朝日が、桃色の長髪を幻想的に染め上げる。
「……ごめんなさい。私のせいで、嫌な気持ちにさせてしまったみたいですね」
「いや、フェイヴァのせいじゃない」
「皆、様子が変でしたね。お願いだから、ひどいことはしないで下さい」
「あいつらが頭を地に擦りつけて謝ったら、考えてやらんこともないな」
フェイヴァはふふふ、と笑みをもらした。控えめな微笑みを見つめてしまいそうになり、レイゲンは顔を背ける。
「……用事があるんだろ?」
「はい。レイゲンさんは、ユニのお見舞いに行かれましたか?」
(ユニか……)
名を聞いて蘇ったのは、気まずさと後ろめたさだった。自分がこんな気持ちを抱いているのが信じられない。
ユニには、個人的に尋ねなければならないことがある。見舞いに行かなければと考えてはいたが、遠征から三日後にハイネと一緒に見舞いに行ったルカが、状態は思わしくないと口にしていた。毎日顔を見せに行っているサフィも、今はまだそっとしておくべきだと言っていたので、先伸ばしにし続けていたのだ。
レイゲンが聞き出そうとしている情報は遠征に関係している。ユニの精神状態が落ち着かなければ、話を聞くことは難しいだろう。
「あいつは回復してきてるのか?」
「……まだ、辛いみたいです。でも、食事は少しだけ食べられるようになっていましたから。ユニが会いたい人を連れて行ってあげたら、ちょっとだけでも元気が出るんじゃないかって思って」
「……会いたい人?」
フェイヴァは、はっとした様子で顔を上げた。その表情が、今にも雨を降らせそうな曇り空のように、崩れかけているのは気のせいだろうか。
レイゲンの顔を見上げてしまった自分を責めるように、フェイヴァはぎゅっと瞼を閉じた。俯き加減になる。
「……それは、ユニが」
口にするのが辛いというように、声を絞り出す。
「レイゲンさんのことを、好きだから……」
驚きはなかった。ユニはフェイヴァとつきあいがある。女は友人に、好みの相手を軽々しく喋ったりするものらしい。
「だから、絶対に、行かなきゃ駄目です!」
フェイヴァは力を込めて、一言一言はっきりと発言した。
ミルラを失った。フェイヴァは残されたユニをひとりで支えようとしているのだろう。
遅かれ早かれ、ユニには話を聞かなければならないのだ。せっかくフェイヴァに誘われたのだから、この機会に行ってもいいだろう。
「そうだな」
レイゲンは軽く返して、療養室に向けて歩き始めた。レイゲンたちが寝泊まりしている部屋の外には、真っ直ぐに伸びた通路がある。左側に進めば二股に別れており、右側が他の訓練生が使用する部屋。左側が治療室と療養室に続いている。
レイゲンは靴音を響かせて、左側に歩を進めた。床を叩くのは自分の靴のみ。フェイヴァが後ろからついてくる気配がない。
レイゲンは振り返った。
フェイヴァは、先ほどまでレイゲンと喋っていた場所から、動いていなかった。
ひとり立ち尽くしている。
フェイヴァの足下から視線を上に走らせると、彼女は顔を隠すように本を翳した。
(……何やってるんだ?)
「ご、ごめんなさい。ぼーっとしちゃってました! 行きましょう」
フェイヴァは早足になると、レイゲンに近寄ってきた。へにゃっとした、柔らかい笑みを浮かべる。
(フェイヴァ……)
十五日前の、ミルラたちの魂送式後。レイゲンは屋上にフェイヴァを呼び出した。友人を失って悲しみに暮れていた少女にどう接したらいいかわからず、レイゲンは思わず彼女の頭を撫でていたのだ。
ユニだけではない。フェイヴァもまた、心に負った傷が癒されていないのだろう。ときおり立ち止まり、痛みに泣きそうになっているに違いない。
傷ついた身体で立ち上がろうと躍起になっているフェイヴァが、いじましく思えてならなかった。
「フェイヴァ」
先を進んでいた頼りない背中に、レイゲンは声をかける。反転した顔には、笑顔が張りついていた。
「むむっ!? なんでしょうか!?」
その表情は、ダエーワ支部で肌が裂けるほどの暴行を受けた後の、空元気と同じものだった。傷んだ心を隠すための笑い方が上手くなっている。悲しいほどに。
「無理をしてるんだろ。……俺に」
上手く言葉が出てこない。こんな時はどんな風に声をかければいいのだろうか。
「何か話してみろ。いや、そうじゃない。……俺に、話を……聞かせてくれないか」
話下手な自分が情けなかった。ルカやサフィなら、もっとすんなりと相手を気遣った言葉が出てくるのだろうか。
フェイヴァは目を見開いた。震える唇を、きゅっと引き結ぶ。泣いてしまうのだろうか。顔を俯けたまま、しばらくそうしていた。
「……フェイヴァ?」
歩み寄ろうとすると、フェイヴァは弾かれたように顔を上げた。喜びを全面に押し出した、嘘偽りのない笑顔だった。
「レイゲンさんは……本当に優しいんですね」
「違う」
否定したが、その後に続ける言葉が浮かばない。
「私、悲しそうな顔をしていましたか? ごめんなさい。優しい言葉、嬉しいです。……でも」
フェイヴァは後ろを向いた。本を小脇に抱え、目の下を手の甲で拭っている。再びレイゲンに向き直った笑顔は、涙の跡を残していた。
「私、泣きたくないんです。悲しいって認めたら、もう立ち直れなくなりそうで。泣いていてもミルラは帰ってきてくれないから……。だから、私がミルラの分までユニを支えないと!」
「……だが、お前の気持ちは」
「私、もう平気です! レイゲンさんに優しい言葉をもらって、元気になりました! ……だから」
フェイヴァは前を向いた。
「……ユニに……優しくしてあげてください……」
フェイヴァが足を踏み出す度に、桃色の髪が背中で弾んだ。崩れそうになる自己を奮い立たせようと無邪気に振る舞う──彼女の心情を反映したかの如く。
フェイヴァはそれほどまでに、ユニを大事に思っている。彼女が立ち上がらなければ、フェイヴァも真の意味で前を向くことはできないのだろう。
ならば、フェイヴァに協力しよう。自分が会うことで、ユニの気持ちが少しでも晴れるのなら。
「わかった」
レイゲンはフェイヴァの後を追った。
彼女は答えない。無言でただ、足を早めた。




