01.神に誓って【ピアース視点】
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分厚い雲の間から曙光が差し込む。停滞していた暗闇が払われ、天と地を等しく照らした。
広漠とした空。翼竜が巨大な翼を羽ばたかせ宙を舞い、彼らの守護する城に幾重にも影を落とす。
深い渓谷と防壁に包囲された山城だ。籠城を可能にした巨大な造りであり、陽の下に晒された姿は正に威風堂々であった。
ディーティルド帝国を打倒するために結成された、反帝国組織。その本部。
◆◆◆
ピアースは、日が昇りきらない内から会議室にいた。同様に席に着いているのは、上層部である、三騎士、四佐官である。三騎士は文字通り三名しか任命されない、師団長を務める階級である。佐官はその下の階級であり、連隊長を任される。
部屋の中央にどっしりと構えられた長机。その上座に位置するのは、ベイル・デュナミス総司令だ。
議題は、ウルスラグナ訓練校の生徒たちを襲撃した所属不明の集団についてであった。
佐官のひとりが挙手し、ベイルが発言を認める。
「ウルスラグナ訓練校からの報告書です。襲撃してきた兵士は、深紫色の外套をまとっており、白い仮面を被っていました。教官べリアルは情報を聞き出そうとしましたが、歯に毒を仕込んでいたようで、捕縛と同時に死亡したようです」
当然だが、ウルスラグナ訓練校側が知る情報は皆無に等しい。深紫の外套に白い仮面など、どこの国の軍や守衛士の出で立ちとも一致しない。
ピアースは手を挙げた。ベイルは頷く。
「レイゲン・デュナミスからの書簡です。件の死天使によると、十七年前にグラード王国の都市、ペレンデールの住民を虐殺したとされる女。彼女を殺害したのは、その仮面の集団であったということです。彼らを率いていたのはテレサ・グレイヘンです」
会議室にどよめきが生まれ、静まる。事前にレイゲンの手紙を確認していたベイルは、動じることはない。
ちなみに、レイゲンが反帝国組織に手紙を送る際は、ウルスラグナ訓練校の目もあるために、その内容はほとんど暗号で記されている。記されたある単語やフレーズを、事前に決めておいた言葉や記号に置き換えるのだ。この方法を使えば、何の変哲もない書状に偽装することが可能だ。手紙も直接本部に送るわけではなく、本部近くにある都市の走送屋で留めなければならない。間をおいて、反帝国組織の使者が書状を回収するのだ。
思わぬところから、テレサと組織との繋がりが浮かび上がった。けれども、フェイヴァの口から発された言葉だけでは、証言にはなり得ない。
「死天使には特殊覚醒者と同様の、人の記憶を垣間見る能力があります。死天使は級友の過去も目にしました。彼女が発現させた力は、ペレンデールの住民を虐殺した女と同じものであるということです。以上の事実から、所属不明の兵士たちの狙いは、その少女を殺害することではないか、と」
聞く者によっては荒唐無稽にも思えるだろう。実際手紙を受け取ったピアースもベイルも、すべてを鵜呑みにはできなかった。しかし、ペレンデールの生き残りに話を聞き、認識を改めざるを得なかったのだ。
「ガウス一佐官」
「はっ!」
ベイルに呼びかけられ、ガウス一佐官は席を立った。手元の資料に視線を落とす。
「十七年前、都市ペレンデールで起こった虐殺の生き残りと接触しました。彼は住民の中でも抜きん出て視力がよく、ドアの隙間から空を飛ぶ数頭の翼竜を見たそうです。その背に跨がっていた者たちは、確かに暗い色の外套を身にまとっていたと」
「フォン二佐官」
「はっ! 虐殺を行った女についても証言を得ました。プリシラ・リース。ペレンデールで生まれた、二十五歳の女です。穏やかで心優しい性格をしていたということですが、夫と頻繁に言い争う姿が目撃されています。プリシラの夫と親交のあった者の話によれば、プリシラはときおり人が変わったように荒れ狂う時があった、ということです」
結果がある。その背景を知れば、予兆は確かにあったのだと知ることができた。だが、あとの祭りである。
テレサが率いる組織の目的。それはレイゲンが寄越した手紙に記されていたように、ペレンデールの住民を虐殺した女と同種の力を持つ、訓練生の殺害だ。しかし、同じ力を持つという理由だけで、なぜ殺害という極端な行為に走るのか。そもそも組織の者たちは、どうやってその訓練生を知ったのか。
ユニ・セイルズという名の少女は、能力を使ったのはたった一度であり、しかもその能力を目撃した者はいないのだ。
ピアースは、ペレンデールの生き残りの証言により作成したプリシラ・リースの似顔絵と、ウルスラグナ訓練校の入学写真に写るユニ・セイルズを見比べた。外見に共通する箇所はない。痩せた体つきをした、面長で細い目を持つプリシラと、女にしては長身で、人形のように愛らしい顔立ちをしたユニは、醸し出される雰囲気さえも違った。
彼らがどうやってユニを知ったにしても、その原因は自分にある。ピアースは、頭が重くなるのを感じた。
「ピアース」
「はい」
(うはぁ、きたよこれ)
ベイルの鷹のような眼光が、ピアースに向けられる。
デュナミス家に引き取られて間もなく、ピアースは養母をクソババアと罵った。ベイルの面持ちは、その時以上の剣呑さをにじませている。
間違いなく叱責を受ける。ピアースは、己の口許が歪むのがわかった。
「テレサにウルスラグナ訓練校の生徒の写真と、年間行事の資料を渡したのはお前だな」
「……はい」
仕事は何より信頼関係が大事だ。ピアースはテレサを信用したいし、好きになりたいと思っている。そんな彼女に入学した娘の写真を見たいと言われれば、願いを叶えてやりたいし、娘が一年間どんな生活をするのか知りたいと口にされれば、調べて伝えてやりたかった。
(だって、わかるわけないじゃないか。まさかウルスラグナ訓練校の生徒が狙われるなんて)
ピアースの思考を見透かしたかのように、幹部たちが非難の籠った眼差しを向ける。
「お前はいつもそうだ。理性より感情を優先する。──厳たる処罰を覚悟しろ」
「……はっ」
(……鞭だろうな)
ピアースにとって、上官であり養父でもあるベイルは、女に対しても容赦がなかった。自分が育てた子であるからこそ、なおのこと厳しく罰する。
血の繋がった父親に碌な教育を施されなかったピアースは、実父に命令されたびたび店の品を盗んだ。ベイルに引き取られてからもしばらくは止められず、一度はベイルの厳しい叱責後に養母に慰められたが、二度目は口の中に血がにじむほど殴られた。愚かな自分の、苦い思い出だ。
「さて、ここで視点を変える。テレサの従兄だ」
テレサの養父母であるグレイヘン家。夫婦からテレサの話を聞けなくても、彼らの周囲の人間から夫婦の話を聞くことはできた。
夫婦がまだ若く、グラード王国を転々としていた頃だ。教会の修繕費が足りないと呼びかけられると、彼らは莫大な資金を投じたのだ。教会に援助する者は、オリジン正教によって過去に財を成した者が多かった。調べてみると、夫婦は一時期教会の中で生活し、神話を研究しまとめた本を何冊も出版していた。彼らの幼少期まで遡ってみると、二人は元々孤児であり、オリジン正教の計らいによって学校に通っていたという記録が見つかった。
グリウス・グレイヘン。テレサの養父、その弟の息子である。彼はイクスタ王国のフェルネという都市で暮らしている。職業は共通校の教師であり、テレサの養父母同様に敬虔なオリジン信者だ。
ベイルは一度、テレサに手紙を送ることを許可した。彼女はベイルの予想通り、たったひとりの従兄であるグリウスに書状を送った。一見するとどこにでもある、親戚の近況を尋ねる手紙。しかし、この何気ない文章の中に、テレサの所属する組織の上層部にしかわからない、暗号が散りばめられている可能性がある。
都市の走送屋に手紙を持ち込み、配達員に数名の兵をつけた。そのままフェルネに滞在させ、グリウスを見張らせる。その書状から何かを掴めなくても、送り届けられたグリウスが何かしらの行動を起こすと踏んだのだ。グリウスが、テレサと関わりがある組織と関係している確証はない。賭けだった。──しかし。
「オーフェン二騎士」
「はっ! 報告します! グリウス・グレイヘンを見張るために近所の空き家を借りていたベルネール五尉率いる四名の兵士が、殺害されました。持ち物が荒らされていたことから、守衛士は物取りの犯行と結論づけました。犯人は見つかっておりません。グリウスの家ももぬけの殻です」
物取りの犯行だとしたら、この間まで無人だった空き家を狙うわけがない。周囲の家にも被害が出るはずだ。間違いなく、消されたのだ。グリウス側に察知されて。彼は犯人とともに逃亡したのだろう。探し出すことは不可能だ。
ベルネール五尉が一度送ってきた報告書には、グリウスの人となり、学校での評判、日々の行動が記されていた。休日は家か学校で時間のほとんどを過ごし、二日に一回必ず教会に足を運ぶ。
オリジン正教の信者は毎日、家庭祭壇に祈りを捧げる。教会では、六日に一回集会が行われていた。その時に信者が詰めかけるのだ。グリウスの家にも豪華な家庭祭壇があった。教会に頻繁に出向く必要はない。
報告を聞いた当初、兵士たちが重要な証拠を掴んだのだとピアースは思った。しかし、部屋は荒らされていた。情報は葬られただろう。
「……なるほど」
兵の犠牲と引き換えに得たものは、何もなかった。ベイルは苦虫を噛み潰した顔をする──そう予想していたピアースは、彼が心得たような表情をするのを見て驚いた。
「テレサと繋がりのある組織の正体。私は見当をつけることができた」
ピアースは目を見張った。周囲に座る幹部たちが顔を強張らせる。
「兵士たちの行動はグリウス側に筒抜けだったのだ。早い話がすぐにグリウスを隠せばいい。だが、奴らは餌を垂らし続けた。伝書鳩を押さえもせず、あえてひとつの情報だけを我々に知らせた。偽装工作もせず兵士たちを殺害した。奴らは自分たちの存在を示している」
ピアースも幹部達も、逸る気持ちを抑えて話の続きを待った。
「テレサの背後にいるのは、オリジン正教だ」
幹部たちは一様に、狼狽を顔に露わにした。
机の上においていた手を強く握りしめて、ピアースは鼓動を激しくするほどの動揺をやり過ごす。
オリジン正教。この世界のほとんどの者が入信している世界宗教だ。ピアースは引き取られて間もない頃洗礼を受け、レイゲンと一緒に養母に連れられ、六日に一回の集会に参加した。司祭が興味を引かれぬ話を長々と喋っていて、退屈だったという記憶しかない。
千三十六年前から、天使の揺籃を秘匿していた組織。それは名も知らぬ組織でもなく国家でもない。人々の心の拠り所になっているオリジン正教なのだ。
「一般には知られていないが、奴らは独自の研究機関を持ち、詐欺まがいの行為をする新興宗教を取り締まる軍隊まで有している。その戦力は、このロートレクの国軍と比べても遜色ないだろう。身寄りのない孤児にも教育を受けさせるのは、優秀な人材を組織内に引き抜くためだ。グリウスは二日に一回、教会に通っていた。我々の動きがグリウスに伝わっているのなら、下手な行動などせず家の中に隠れているべきなのだ。テレサの養父母の記録も、抹消しようと思えばできたはず」
言われてみればその通りだ。グリウスの行動は、あまりに隙がありすぎる。
「奴らは我々に自分たちの存在を意識させたのだ。この問題に首を突っ込むと、国家に相当する戦力と争うことになると」
正教に所属している司教や司祭の数は、合わせて千人を越えるだろう。その下に位置する戦闘員や信者の数となると、天文学的な数字だ。オリジン正教の総本山は公にされておらず、教皇であるトゥルーズ・セントギルダも大衆の面前に姿を現したことはなかった。
末端の者──教会の司祭を捕らえて話を聞いても、オリジン正教に対し宣戦布告をすることにしかならず、有力な情報を得ることはできないだろう。真実を知るのは、総本山で活動する聖職者のみのはずだ。それと──。
ネフェル一騎士が挙手する。ベイルは発言を許可した。
「たとえ相手がオリジン正教であろうと、捨て置ける問題ではありません。テレサ・グレイヘンから情報を聞き出すべきです」
「奴は頑健な肉体を持っている。少々のことでは動じぬぞ」
「お任せください」
(馬鹿な!)
彼らはテレサを拷問するつもりだ。最悪、腕が使えるならば、他はどうなろうと構わぬほど痛めつけるのだろう。鞭で打たれるのとは比べ物にならない。
ピアースは挙手し、立ち上がった。
「そのようなことをしても、テレサの心を頑なにしてしまうだけです! 益はありません!」
「黙れピアース。発言は許可していない」
ベイルの厳しい声が飛び、ピアースは唇を噛み締める。
その後、議題はテレサにどのような拷問を課すかに変更された。
他国に戦争を仕掛け、何の罪もない一般人を平気で殺戮するディーティルド帝国は屑だ。だが、それを打倒する反帝国組織もまた、同じ道に踏み込もうとしている。
(……どうにかしなければ)
***
一時間後、会議は終了した。ピアースは煩悶に満たされた頭と、刺されたように痛む胸を自覚しながら、テレサの元に向かった。
石材で組み上げられた城は、鎧戸が小さく少ないため、昼夜関係なく蝋燭を灯していなければ細かな作業が行えない。風通しも悪く、石特有の古びた匂いと陰鬱な空気が充満していた。
城の一角に位置する狭苦しい部屋は、テレサが使用していた。今にも外れそうな木の扉叩くと、中から返答がある。ピアースは失礼しますと声をかけて、取っ手を引いた。
室内は、ピアースの身長に頭二つ分を足したくらいの高さしかない。南側の壁には小さな鎧戸が一つ。床には古めかしい机と、衣類やその他諸々を仕舞う棚、寝台が設置されていた。三つの家具に囲まれているだけなのに、圧迫感を抱いた。
天井近くの壁には小さな祭壇が備えつけられ、掌ほどの大きさの聖王神オリジン像が配されていた。蝋燭の火が像を照らしていて、まるでそれ自体が神々しく光を発しているようだった。
テレサはピアースに背を向けて、祭壇に手を合わせていた。朝の祈りの時間だったようだ。
テレサがオリジン正教と繋がっており、彼らが天使の揺籃を所有していた。彼女の真摯ささえ抱かせる背中を見ていると、予想でしかなかったものが真実となって身に迫ってくる思いがした。
「テレサさん」
名を呼ぶと、彼女は振り向いた。銀の髪は絹のように艶やかに流れて、彼女の顔を一瞬だけ隠す。青空を投影した瞳は凛々しい。
ピアースはテレサの瞳を正面から受け止めた。ピアースに会議に出席するように言ったのは、ベイルだ。彼はテレサに会議の内容が伝わったとしても、どうということはないのだろう。
快晴の色を映した瞳は、ピアースの記憶を読み取っても変化はない。彼女は聡い女だ。ユニ・セイルズの殺害に失敗したと知った時から、こうなることは覚悟していたのだろう。
「座っても?」
「どうぞ」
ピアースは一つしかない椅子に腰かけた。寝台の縁にテレサは座る。家具同士の間隔が狭いので、耳を塞いでいても互いの声が聞こえるだろう。
「我々の敵は、ディーティルドだけではないようですね」
「敵ではないわ。あなたたちが手を出さなければね」
「そうはいけませんよ。現にあなたがたは、我々の仲間となるはずだった少年少女たちを殺害したのですから」
ぐっ、と。テレサの頬に力が入った。眉が小さく跳ねて──顔には心なしか、沈痛の色が浮かぶ。
それは一瞬にすぎない、けれども明確な表情の変化。
テレサの顔つきの変化を認めたとき、ピアースの胸にはひとつの直感が生まれた。
確かに彼女は自身が所属していた組織に訓練校の年間行事を知らせたかもしれないが──作戦の決行日や内容までは指示していないのではないだろうか。
テレサがグリウスに送った手紙は一枚だけ。とても作戦の日時まで指定できるとは思えない。それも遠征からの帰還時を狙い、関係ない生徒にまで危害を加えれば、フェイヴァの友人たちや最悪フェイヴァが巻き込まれる可能性があるのに。
テレサがそのような危険な作戦を提案するはずがない。今の状況は、彼女にとっても不本意なのではないだろうか。
希望的観測だろうか。けれども、テレサの表情の強張りは、言葉にできない思いを透かして見せているようで。
「あなたたちは、一体誰と戦っているんですか? あなたたちが殺さなければならない少女、その正体は一体なんなのですか!?
我々は何も知らない。あなたたちの敵が我々の敵になる可能性があるのなら、私たちは協力していけるはずです! お願いしますテレサさん。真実を話してください!」
「今、口にしたところで信じられるわけがないわ。──それに」
テレサは口をつぐむ。後ろ楯になっている組織が知られることも覚悟して、手紙を送った。そこまでしてユニ・セイルズを始末しなければならないのに、失敗した今、口を閉ざそうとする。形振り構っていられないのなら、ピアースたちに協力を持ちかけることだってできるはずなのに。
「……フェイヴァですか? あなたたちが倒さなければならない敵とフェイヴァに、何か関係があるんですか? ……沈黙は肯定と受け止めますよ」
「私はフェイを巻き込みたくないのよ。あの子は何も知る必要はないわ」
それはフェイヴァが決めることだ。テレサはフェイヴァを鳥籠に閉じ込めたいのだろうか。
「言わなくても伝わっていると思いますが、このままではあなたは……」
テレサは立ち上がり、祭壇を仰いだ。彼女の信奉する神は、荘厳な表情で見下ろしている。
「拷問を受けるのでしょう? でも、あなたたちは私を殺せない。私は何をされても喋るつもりはないわ。……神に誓って」
どれだけ陰惨な拷問を受けたとしても、テレサの心は決して折れないのだろう。何物にも支えられず立つ姿は、顔立ちから感じられる知的さのおかげで堂々として見えた。テレサを押し込める狭い部屋は、彼女の気高い魂を捕らえておくことはできないのだ。




