15.ひとつの終わり
◇◇◇
分厚く堅牢な防壁に囲まれた都市。ロートレク王国、ネルガル。
公共区で最も広大な区画に建てられたウルスラグナ訓練校に、生徒たちは帰還した。教官らが飛ばした伝書鳩によって事態を把握したのか、遠征を心待ちにしていた居残り組は口々に戸惑いの言葉を交わしていた。全生徒は広間に集められ、改めてロイド教官から説明を受けた。その後、死者を送るための鉄紺色の服に着替え、訓練校の隣にある区画に向かう。
そこは、身寄りのない訓練生たちの遺骨が眠る墓地だった。事前に送られた手紙によって手配されていた魂送使者が、墓穴を掘っていたのだろう。教官たちが持ち帰った骨壷は、広間で説明を受けている間に地中に納められていた。真新しい十四の墓石には、天使の翼が刻まれ、名前と祈りの言葉が添えられている。
教会から招かれたオリジン正教の司祭が、墓地の中心で死者を慰撫する詩を諳ずる。フェイヴァたち訓練生は、教官を先頭に整列していた。荘厳な語り口で発される言の葉は、フェイヴァの耳に受け止められずにこぼれ落ちていた。
(ミルラ……)
ミルラの墓は墓地の最奥に位置していた。他と変わらぬ、何の変哲もない墓標。けれどもその下には、フェイヴァにとって特別な少女が眠っている。彼女が死者の一員となった現実を受け入れることは、身を切られるような沈痛を生み出した。
ミルラの死体を目にした時。都市に降り、ミルラたちの身体を燃やした時。もう二度と涙を流すことはないと思えるくらい泣いたが、今こうやって彼女たちの墓を目の当たりにすると、堰を切ったようにあふれてくる。
(あの時、私が駆けつけていたら)
立ち塞がる仮面の兵士を斬り捨てて、ミルラたちのもとに向かっていれば。自分の正体が知られることも厭わずに戦っていれば。
ミルラは死なず、今もきっと生きていられた。フェイヴァたちの隣で、亡くなった訓練生に哀れみを抱いていたに違いないのだ。
薄い髪の色と黒目がちな瞳から醸し出される、消極的な雰囲気。けれどもその印象を裏切って、自分の意見をちゃんと言える少女だった。時々傷つくことを言われたけれど、自分の思いをはっきりと口にできるところが羨ましくて──好きだった。
『もっと頑張らなきゃ。今度の遠征、ユニにいいところ見せたいし』
そう言って張り切っていた。ユニの助けになりたいと、いつも一生懸命で。ミルラの温かな笑顔を、もう二度と見ることができないなんて。
生者と死者の間には、永遠に越えることのできない壁が立ち塞がったのだ。
「……もっと早くに、助けてくれたらよかったのに……」
フェイヴァの心を見透かしたような、弱々しい声が聞こえた。背筋が凍りつく。自分が正体を隠したままあの遠征を終えたことを、非難しているように思えたのだ。
フェイヴァは涙がにじんだ瞳で、隣に立つユニを見上げた。彼女はそれ以上何を言うでもなく、立ち尽くしている。きらめく海面を連想させていた大きな瞳は、空虚だった。色白でいて、嬉しいことがあると仄かに赤く染まっていた顔は、紙のように青白い。旅立ってしまったミルラの魂を追って、ユニの魂までも身体から離れてしまった。そんなふうに思わせる、寒気のする様相だった。
ユニはミルラと同じ孤児院で育った。院を出てからも一緒に暮らした、いわば姉妹のような関係だったのだ。彼女の哀惜は、フェイヴァよりも深く激しいに違いない。
フェイヴァは腕を伸ばし、ユニの手を握った。少しでも彼女を元気づけたかった。けれども、その手が握り返されることはない。
***
魂送式が執り行われたその日、授業は免除された。
いつも訓練生たちの喧騒で満たされていた校舎は、森閑としていた。みんなショックを隠しきれず、ほとんどの者が寝室に閉じ籠って過ごした。
レイゲンに屋上に呼び出されたフェイヴァは、階段を上っていた。規則正しい靴音が、虚ろな空間に谺する。突き当たりの木の扉を押し開けた。
視界に広がった澄明な空。ミルラたちが殺された時と同じ色をしていて、吐き気に似た苦しみが這い上がってきた。
レイゲンは左側に立ち、柵を手で掴んで立っていた。生温い風が吹き、青藍色をした髪を靡かせる。
「……お待たせしました」
「いや。俺も今来たところだ」
フェイヴァが歩み寄ると、レイゲンは柵の外側に向けていた視線を外した。彼と目が合うのが気まずくて、フェイヴァは顔を逸らす。
「お話ってなんですか……?」
「ペレンデールを出た後に襲いかかってきた仮面の兵士たち。奴らについて、何か知らないかと思ってな」
フェイヴァは思わず唇を噛み締めていた。心当たりがあるのだ。けれども今はまだ、誰にも話したくはなかった。悲しみに囚われて、他のことについて考えを巡らせるのが嫌だった。
「何か知っているのか?」
フェイヴァはすぐに考えが顔に出ると言われる。レイゲンもフェイヴァの表情の変化を見てとったのか、疑問を投げかけてきた。
フェイヴァは沈黙を貫いた。レイゲンは急かすこともなく、言葉を待っている。頭上からけたたましい鳥の鳴き声が落ちてきた。
喋りたくない。思い出したくもなかった。けれども、それを正直に口にしたとしてレイゲンが素直に帰してくれるとは思えなかった。それに、仮面の兵士たちの目的がユニを殺害することだとして、他の訓練生たちが彼らに危害を加えられないとは限らない。彼らが殺した訓練生は、金色の髪の少女だけではないのだ。レイゲンに情報を渡すことで、訓練生たちを守ることになるなら。そう自分に言い聞かせ、フェイヴァは重い口を開いた。
「私、前に言いましたよね。人の記憶が読めるって」
「ああ」
「私以前、ユニの過去を見たんです。そうしてペレンデールで住人を虐殺したらしい女の人の過去も見ました。ユニと、その女の人が使っていた能力は同じものだったんです。
ペレンデールで見た過去の中で、仮面の兵士たちの姿を見ました。彼らを率いていたのは、幼い頃のお母さんだったんです。お母さんの剣が、女の人を殺したんです」
「……テレサと関係していたか。情報を聞き出そうとしたが、歯に毒を仕込んでいた。俺たちに殺されるか、自ら命を絶って、奴らは全滅した。仮面を被っていたが、素顔だったとしても身元を突き止めることはできないだろう」
テレサが所属していたとされる組織は、天使の揺籃を有していたと考えられている。文明が崩壊し神世暦として新たに歩み始めた世界の、裏側に位置してきた組織だ。そう簡単に素性を暴けはしないだろう。
「その、ユニと女が使っていた能力はどんなものだ?」
「……漆黒の、無数の刃です。自分の意思を持ったようにそれぞれが動いて、斬りつけた後は消えてなくなります。覚醒者や、一般に知られている特殊覚醒者の能力ではありません」
「……なんだと!?」
レイゲンの声に厳しさが満ちた。声音のあまりの変化に、フェイヴァは大きく身を震わせる。彼の顔を盗み見ると、瑠璃の虹彩に滲んだ赤が、一際色を強くしているように思えた。
レイゲンの瞳と視線を合わせた瞬間、フェイヴァは闇の底で燃え立つ炎のような激しい怒りを感じ取った。
『お前はこの私と同じ力を宿す資格がある。だから与えてやった』
脳裏に響いたのは、狂気と自信に満ちた男の声と──こちらを見つめる赤い双眸だった。レイゲンの瞳よりも切れ長で、瑠璃を侵食する鮮血の色は彼よりも強く濃い。
フェイヴァは小さく悲鳴を上げていた。足が震えて立っていられなくなる。支えてくれたのは、レイゲンだった。
彼はフェイヴァの腕を掴んでいたが、フェイヴァが自力で立ち上がると、その手を離した。
「すみません」
「いや」
フェイヴァは気持ちを落ち着けようと、深呼吸をした。呼気を必要としない死天使の身体だが、不思議なことにその行為で乱れていた心が静まっていく。けれども気分は晴れない。精神は岩のごとく、硬く重くなっている。抱えている胸が苦しい。
「私……もうわかりません。こんなこと、知りたくなかった」
人らしい暮らしをさせてくれたテレサ。フェイヴァに向ける笑みには邪気がなく、疑う余地のない親愛が込められていた。彼女が優しい表情の裏に何を抱えていたのか、フェイヴァは知らないのだ。
テレサはなぜ、天使の揺籃を所有していた組織に所属していたのか。フェイヴァを造った後は完全に関係を絶ったのか、それとも──。何も知らない自分が怖かった。
フェイヴァが知り得ていることは、あまりに少ない。理由も分からぬ事実だけが示されて、それに心が追いついていかない。母として慕うテレサに疑念を抱くことで、心痛がより深くなる。どうしてミルラを失った痛みだけに目を向けさせてくれないのだろう。今はまだ、何も考えたくないのに。
フェイヴァはレイゲンに背を向けた。涙があふれるに任せて、肩を震わせる。唇を引き結んでいないと、声が漏れてしまいそうだった。
背中に感じていたレイゲンの気配が、一歩だけ近づいた。何かが頭に触れ、それが優しく撫でてくれるのを感じて、やっと彼の掌であることに気づく。
「……悪かった。今聞くべきことじゃなかった」
先ほどの険しさを感じさせる音吐が嘘のような、沈んだ口調だった。頭を撫でてくれるレイゲンの手つきは、夢かと思えるほど優しい。
「疑うのは、あいつから直接話を聞いてからだ。だから今は、何も考えるな」
フェイヴァは堪えきれずに呻いた。唇からもれる嗚咽が、風の音にさらわれていく。
ミルラの喪失。
それはフェイヴァが生まれて初めて経験した、身近な人の死だった。




