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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
6章 廃墟が語る 血塗られし惨劇
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14.目覚めよと呼ぶ 物見らの声【ユニ視点】


◆◆◆


 列の最後尾を飛んでいたユニたちは、応戦するために後方に下がっていた。フェイヴァたちの姿は最早遠方で、小指の先ほどの大きさにしか見えない。その上仮面の兵士たちが周囲に散っており、前方の状況を知ることができないでいた。


 ユニもミルラも剣を握っていたが、いまだ仮面の兵士と交戦してはいない。翼竜の速度を緩めたレイゲンとルカが、二人を守るように前に出ていた。


 レイゲンたちが相手にしているのは、五人の兵士だ。彼らは翼竜を自らの手足のように御し、波状攻撃を仕かけてくる。レイゲンが真正面からそれを受け、ルカが彼の死角を補う。


 ユニの瞳は、五人の兵士の更に後ろに向けられていた。先ほどまでユニたちの前を緩やかに飛んでいた班が、間合いを詰めた仮面の兵士たちと刃を噛み合わせていたのだ。


 またひとり。剣を弾き飛ばされ首を斬られる。黄金色の髪を肩まで伸ばした少女が、激痛に首を押さえ翼竜の背から落ちた。


 知らず奥歯が鳴りだすが、顔を背けることができない。


 彼女の名はユマといった。入学当初、髪の色がお揃いだという理由で話しかけられたことがある。笑うとえくぼができる、人懐っこい少女だった。


 金色の髪をした少女が殺されるのは、これで二人目だ。このままいくと自分も……。柄を握る手が、降って湧いた惨劇に小さく震える。


 兵士たちは弾丸のような速度でレイゲンたちに接近してくる。刺突するために握られた剣をかわし、レイゲンはすれ違いざま脇腹を斬り上げる。上空から飛びかかるように襲いかかってきた兵士が、刃を振り下ろした。レイゲンは剣をかざし防ぐ。刃が打ち合わされ剣火が散った。彼の後ろに回り込むように飛行していた兵士は、ルカが振り抜いた剣に距離を取る。


「ユニ。ミルラと一緒に後方に逃げろ」

「こいつらの狙いは間違いなくお前だ。俺たちがここに残って足止めする。お前らの方には行かせないから安心しろよ」


 いつもの無愛想な顔つきに緊張感を漲らせたレイゲンと、危機的状況にも関わらず(ほが)らかな声をかけるルカ。


 レイゲンは噛み合わせていた剣を、翼竜ごとぶつかって弾いた。後ろに押し出された兵士は、体勢を崩した翼竜を制御する。透かさず距離を詰め切っ先を突き出した。兵士は血に染まった胸を掻きむしって落下する。


 彼らを飛び越えユニたちに襲いかかろうとした兵士に気づいたルカは、飛翔すると刃を薙いだ。兵士は更に上昇するが、ルカは手綱を巧みに操り素早く後ろを取っていた。兵士の背中を斬りつける。


 レイゲンは騎乗技術と戦闘技術のどちらも優れているが、ルカの手綱捌きは彼に引けを取らなかった。


「でも、二人とも」

「行こうユニ! あたしたちがいても、二人の足手まといになっちゃうよ!」


 きっとミルラの言う通りなのだろう。けれどもユニには決心がつかなかった。


(レイゲンと離れたくない……)


 涙がにじむ。新手を相手にしていたレイゲンは、振り向くと無言で頷いた。その表情はいつもより鋭くて──声をかけることをはばかられる雰囲気に満ちていた。


「ユニ、お願い!」

「……わかったわ」


 ミルラの懇願に後押しされ、ユニは翼竜を方向転換した。胴を強く蹴ると、翼竜は従順にユニの指示に従った。皮膜に覆われた翼を羽ばたかせ、レイゲンたちから離れる。その後ろにミルラが続いた。


「お前も無理はするな。危なくなったら俺のことは構わず、他の班と合流しろ」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」


 翼は力強く風を叩き、翼竜は速度を増す。ユニは肩越しに、レイゲンたちを見やった。


 仮面の兵士たちの後ろから、続々と仲間が集まってくる。彼らはレイゲンが最大の脅威だと感じたのだろう。のべつ幕無し彼を狙い刃を振るう。レイゲンは翼竜を御しそれを躱しながら、ユニたちを追おうとする兵士を斬りつける。ルカは彼の後方で剣を構え、肉薄してきた兵士を相手にした。


「ユニ、二人なら大丈夫だから! だから今は、自分のことだけ考えて!」


 ユニの視界をミルラが遮る。叱咤を受けて唇を噛み締めた。進行方向に顔を向ける。


(お願い……どうか死なないで!)


 ユニとミルラは翼竜を急かして飛ぶ。長距離を全力で飛び続けていくことは難しい。翼竜はときおり気を抜いたように速度を緩める。そのたびに胴を思い切り蹴りつけた。


 今際の絶叫や悲鳴は遠くに消え、やがて翼を羽ばたかせる音だけが聞こえるようになった。逃げ切れたのだ。


 ほっと息を吐き後方を振り向くと、レイゲンたちは黒点のように小さくなっていた。仮面の兵士が近づいてくる様子はない。


 ここまで離れれば、少しくらい速度を落としてもいいだろう。ユニが手綱に込めていた力を抜くと、翼竜は疲労を物語るように羽ばたきの速度を落とした。


「……何、あれ」


 同じく速度を緩めたミルラが、言葉を口にした。それは逃げ切れた安堵を思わせる声音ではない。新たな脅威に絶望した声だった。


 ユニは後ろを振り向いた。ミルラは空を仰いでいる。彼女の視線を追って目に入ったものに、唇から小さな悲鳴がもれた。


 太陽光を遮って羽ばたいているのは、鴉を思わせる漆黒の翼。それは羽毛ではありえない鋭利な輝き。鎧や大剣の鍔を思わせる、金属の光沢だった。


 深紫色の外套をまとい、翼を背負った人だ。均整が取れた容貌はあまりに作り物めいていて、切り揃えられた金色の髪とあいうと、女のようにも見える。だが、外套から覗く筋肉質な手足は男のそれだ。


「死……天使?」


 大陸の南南西に位置する軍事大国。ディーティルド帝国が造り出した、人型殺戮兵器。翼を持ち、翼竜よりも速く空をかける。知っているのは特徴だけだ。戦火とは無縁なイクスタ王国にとっては、実在する驚異的な兵器は、現実味を伴わない噂話にしか登場しなかった。


 自分とは関係ない、遠い国の話だ。関わることはないと思っていた世界の現状から、漆黒の翼が飛び出してきた。


 死天使の柳眉は感情を浮かばせず、空虚にも見える黒い瞳はしっかりとユニを見据えていた。


 死の使いが、翼を広げ降下してくる。


 仮面の兵士たちはおそらく、教官や訓練生の注意をらすための囮だ。彼らが訓練生と交戦を始めた頃、死天使ははるか上空から成り行きを見守っていたのだろう。そしてユニが戦線から脱したのを確認し、接近してきたのだ。


(誰か……誰か助けて)


 ユニは祈る思いで周囲を見回した。けれども味方はおろか、敵ですら近づいてこない。接近してくるのはただ一体、天使の翼を闇に染めた兵器だけ。その距離は急速に縮められようとしていた。死天使の翼が生み出す速度は、翼竜以上だ。


「ユニ、逃げて!」


 ミルラが翼竜の手綱を引き、後ろに方向転換した。自己を奮い立たすようにかけ声を上げて翼竜の胴を蹴ると、死天使に向かっていく。


 声をかける暇もなかった。彼女の肩で揺れる二つに結わえた水色の髪。いつも傍らにいて見下ろしていたそれが、遠く離れていく。


「馬鹿っ! 何考えてんのよ!」


 ユニは叫んだ。ミルラの後を追うために、翼竜の胴を強く蹴りつける。


『ずっと怖かったの。ユニに好きな人ができたら、あたしのことなんてどうでもよくなっちゃうんじゃないかって。……ひとりになりたくなかったの』


 孤児院で知り合って間もない頃のミルラは、気弱で苛められてばかりいた。ユニがそばにいて守ってやらなければ、我慢することしかできない。殴り返すこともなければ、言い返すことさえしない。


 一緒に成長してきた、友というよりも妹のような存在。ミルラはユニと育つ内に少しずつ強くなった。訓練校に入り鍛練をして、ひとりで生きていけるくらいの精神的強さを手に入れられただろう。けれども、根本的なものは昔のまま変わっていない。


 寂しがりやで泣き虫。それなのにいつの頃からか、ユニの前では強がるようになっていた。弱い癖に。今だって怖くて震えているはずなのに──まるでユニに救われた恩を返すかのように、強大な敵に立ち向かっていく。


「約束したじゃない! ずっと一緒にいてあげるって!」


 翼竜の胴を蹴り、激しく追い立てる。前方ではすでに、ミルラと死天使が接触しようとしていた。近づきざま振るわれたミルラの剣は、死天使の舞うような動きによって回避される。彼は表情を動かすこともなく、右手の刃を突き出した。


 人間であるユニには、光の瞬きのようにしか捉えられなかった。


 人間を越えた(りょ)(りょく)は、ミルラの軽鎧を易く貫いた。彼女の上半身が前にかしぐ。剣が手放され、視界から消えた。死天使が身を引いて乱暴に刃を抜くと、翼竜の鞍を鮮血が濡らす。


 ミルラの身体が鞍から滑り、虚空に落ちていく。


 絶叫が口からほとばしった。ユニは剣を捨て、右手をミルラに伸ばす。すんでの所で彼女の腕を掴み、身体を抱え上げた。


 ミルラの瞳は見開かれたまま、光を失っていた。何が起きたのか知ることもできず息絶えたのだ。


 燃え立つ炎のように激しい、凍りつく湖面のような鋭い冷たさ。あまりの衝撃に現実を見失って、ユニは心を手放した。


 死天使の羽ばたきが間近に聞こえた。音に導かれ、顔を向ければ、死天使の剣が真横に振り抜かれて──死が迫る。


 刃の輝きが、一瞬だけユニの思考を判然とさせる。


(アタシ、もう)


 殺されるんだ。それは驚くほどすんなりと、事実としてユニの胸に収まった。


 硬質な、それでいて涼やかな音が響き渡った。


 覚悟していた激痛もなく、ユニの命はいまだ身体から失われてはいない。


 切っ先は、ユニの首に差しかかろうかというところで止まっていた。漆黒でありながら仄かに光る障壁。空中に浮いたそれは、頑丈な盾のように剣を受け止めている。死天使が柄を引いた瞬間に、障壁は音もなく砕けた。細かな刃に変化し彼に襲いかかる。死天使は翼を大きく羽ばたかせ距離を取るが、刃は追尾しその身に切っ先を突き立て消えた。深紫色の外套は切り裂かれ、赤い液体がにじむ。


(……無数の、刃)


 ユニは、フェイヴァが語って聞かせてくれた自身の過去を思い出した。ユニの両親の仇である暴漢たちの命を奪った力。


(やっと意識を確立できたと思ったら、騒がしい状況だな)


 しっとりとしていながら、男のような力強さを持つ独特な女声。唐突に感じたそれは、耳で聞くというよりも、頭の中で響いているように思われた。


 ──そんなまさか。ユニは周囲に首を巡らせる。いるのは、ユニから距離を取り上空で羽ばたいている一体の死天使のみ。あまりの出来事にきっと錯乱してしまったのだろう。


(問答は後だ。今はこの忌まわしい人形を破壊する)


 女の声を皮切りにして、ユニの身体が熱を帯びた。体内に留まりきれず周囲にあふれていく力を、ユニは目視できた。膜を張るように広がっていき、やがて五つに収束する。細く長く変形し、切っ先は刃のごとく鋭く形を変える。


(ふん。今の覚醒状態で操れる力はこの程度か)


 五本の漆黒の槍は、ユニを守るようにして、周囲に展開した。上空に飛び上がり背後から剣を振り抜いた死天使に、一本の槍が反応し振り払う。腹を裂かれ、死天使は後方に飛んだ。残りの槍が追撃しようと死天使に向かうが、距離を取られると追尾できないのか、ユニのもとに戻ってくる。


(この大きさで長距離の制御は困難か。ならば近寄って破壊する。ユニ、奴に近づけ)


 ユニは左手で握り締めた手綱に力を込めた。今はただ、ミルラが死んでしまった現実に涙を流していたい。他のことはどうだってよかった。


(悲しいのならば復讐しろ! 敵を完膚なきまで破壊するのだ! お前は近づけばいい。ただそれだけで仇を討てる。泣いている暇はない!)


 怒気を露わにした声が、脳裏を揺さぶった。


 ユニは掌に手綱の痕が残るほど握り締め、翼竜の胴を蹴った。振り落とされないように、ミルラの肩を抱いて身を屈める。


 死天使と距離を詰めると、相手は翼を繰り離れようとする。飛翔は漆黒の盾によって阻まれた。死天使は障壁に激突し、ユニに身体を向ける。五本の槍は死天使の胸めがけて切っ先を突き出す。彼はそれを刃で弾いていく。両者が武器を振る速度は拮抗していたが、槍の数が多すぎた。一本が死天使の肩を貫通する。


 間近で響き合っている剣戟音は、ユニにとっては遠くの出来事だった。頭上に影が被さって、重い頭を上げた。


 六本目の槍が、上空に形作られようとしていた。それはユニの周囲を舞って、死天使に攻撃を仕かけている五本の槍をまとめたものよりなお太い。


 形成し終えると、槍は大きく回転し、研ぎ澄まされた切っ先を死天使に向けた。


(久方ぶりの戦いは胸が踊った。これは手向けだ。ありがたく受け取るがいい!)


 槍が撃ち出される。目も眩むほどの速さで急降下した切っ先は、死天使の頭部を吹き飛ばし、胴体を串刺しにした。彼は大きくもがいた後、火花を散らしながら地上に飲み込まれていった。


 ユニの周りにいた槍は、色を薄くしながら消失していく。それは死天使に突き刺さった槍も同様だろう。


(……助かった)


 視界から消え去った死天使を見た時に、感じた思い。それは事実をただ、受け入れたゆえに生じたものだった。安堵は欠片も感じない。身にのしかかるような虚脱感が襲いかかってくるだけだった。ユニはミルラの身体を見下ろした。瞼に優しく触れ、黒曜石の瞳を閉ざしてやる。


 彼女の身体は温かかった。胸に深々と開いた穴がなければ、眠っているようにしか見えない。命が血に溶け出して、ユニの制服を赤く染めていく。


 ユニは痛ましい傷口を見ないようにして、ミルラの身体を揺すった。


 名前を呼んだ。


 今にも彼女が目を覚まし、笑顔を向けてくれることを期待して。


 ミルラの穏やかな寝顔は、時を止めていた。彼女の魂はその身体を離れ、天上に旅立ってしまったのだ。


(下僕の死がそれほどまでに悲しいか? 理解できんな……。

 いや──お前の感情が流れ込んでくるぞ。お前がその者に向ける思いは、私が我が血族に向けるものと同じものなのだろうな……)


 かすかに、自分を呼ぶ声がした。ゆっくりと顔を向けると、教官を先頭にして、レイゲンたちが向かってくるところだった。


 我先にと飛び出してきたフェイヴァやレイゲンたちに、ユニはミルラの事切れた姿を見せた。


 フェイヴァは瞠目した。現実が飲み込めないのか、言葉もなくミルラを見つめる。やがて震える手を伸ばし彼女の頬に触れると、火がついたように泣き出した。レイゲンもルカも、ミルラと関わりが深い訓練生たちも、動揺を隠しきれないようだった。


 生き残った者たちは、戦いの終わりと失われた命を知った。ほとんどが憔悴しきり、涙を流す少女もいた。誰かの嗚咽を聞いて、堪えきれなくなりユニも泣いた。痛哭の叫びが空に消えていく。


 晴天の美しさを際立たせる太陽の光は、死者にとっても生者にとってもあまりに残酷だった。




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