13.襲撃
翌日の昼。一泊二日の遠征を生き残った十六人の訓練生は、都市ペレンデールを飛び立った。
空には薄い雲が散らばり、太陽が眩しい光を投げかけていた。翼竜が羽ばたくたびに生まれる風は心地よく、フェイヴァたちは肌が焦げそうなほどの熱に悩まされることはなかった。
訓練生のほとんどは、身も心も疲れきっているようだった。ウルスラグナ訓練校に入学して三ヶ月。初めて生じた八人もの死者は、フェイヴァと同様の考えを抱いていた者にとっては衝撃的だったのだ。彼らは沈んだ顔をして手綱を握っていた。
けれどももうこれ以上、戦う必要も悲しみを背負うこともない。遠征は終了した。後は、都市や地上に降り休憩を挟みながら、ロートレク王国のネルガルを目指すだけた。行路と同様に、帰路も何の問題もなく終えられるはず。──その期待は、すぐに裏切られることとなった。
ペレンデールを出て、体感で三時間ほど経過した時だった。前方を飛んでいた三人の教官が、翼竜の飛行速度を落とした。
「……何故ここを飛んでいる?」
ロイド教官の不穏な声を、フェイヴァの聴覚が拾う。ハイネが率いる班は、教官たちの後方を飛行している。訓練生は班で集まり、横に四人で並びながら、一定の距離を保ちつつ教官の後ろを追行していた。
フェイヴァは、教官の顔が向けられている方角を見やった。前方に黒い靄のようなものが見える。一見、鳥の大群のように思えるが、それは鳥が滑翔するのでは考えられない速度でこちらに向かってきていた。都市から都市を移動する旅人の集団だろうか。
「国は届け出を受理していないはずだ」
「はい。間違いありません」
ロイド教官の確認に、べリアル教官が頷く。
十人以上で空を移動する場合、滞在している国に届け出を出さなければならない。許可が降りなければ、団体で翼竜を借りることさえできないのだ。これは団体同士の行路がかち合って起こる衝突事故を防ぐためだった。教官らは事前にロートレク王国とグラード王国に書状を送り、飛行状況の確認を行い予定を調整したのだ。今この時、大人数が翼竜を駆って空を飛んでいるはずがないのだが。
ロイド教官は左手を挙げ、横に倒して見せる。
「翼竜を左に方向転換しろ! 後方の者は前方の動きに倣うように!」
怒号に近い声量で、ロイドが指示を飛ばす。前方の団体がどれほどの騎乗技術を持っているか定かではない。このまま直進すれば激突するのだ。ならば安全を期して、こちらが進路を譲る必要がある。
フェイヴァたちは教官の指示に従い、手綱を強く引いた。翼竜の身体を左に向けて、羽ばたかせる。教官に従った訓練生たちは、大きく左に進路を取った。これで空中で激突するという事態は避けられるはずだ。
──しかし驚いたことに、前方の団体も方向転換を行った。まるで行く手を阻むように、右に進路を取ったのだ。騎乗技術が未熟なゆえの失敗ではない。彼らは一子乱れぬ動きで飛行している。翼竜の制御技術だけならば、訓練生よりもずっと習熟されていた。そこにはひとつの意思を感じる。
悪い予感が寒気となって背を走る。フェイヴァは迫ってくる団体を、拡大して見た。
「なんで、ここに……」
信じられない光景が、視界に広がった。
鈍色の鱗に覆われた翼竜。その背に跨がるのは、深紫色の外套を纏った者たちだった。顔を被う仮面には、目と鼻と口の位置に穴が空いている。
彼らはペレンデールの墓場でフェイヴァが幻視した、仮面の兵士たちだった。左手で手綱を繰り、右手に剣を握っている。銀の刀身が陽を受けて、光を照り返した。過去に見た刃の輝きが現在に再現される。
紛れもない害意の証だ。
混乱したのはフェイヴァだけではないだろう。けれども教官逹は動揺を窺わせず、毅然とした態度で呼びかける。
「静止せよ! 我らはウルスラグナ訓練校である! お前たちは何者か!」
仮面の兵士たちは答えない。距離は瞬く間に詰められ、彼らが握る剣をついに教官たちも目にすることになった。ロイドは、べリアルとセレンに目配せする。翼竜の鞍に結びつけていた鞘から剣を抜くと、後方の訓練生たちに顕示するように掲げた。
「総員抜剣! 迎え撃て!」
大気を震わす、判然とした声だった。訓練生たちは一斉に剣を抜く。
フェイヴァの隣を飛んでいたハイネは、教官の指示を受ける前から剣を抜いていた。
「なんなのあいつら」
「妙な格好しやがって。見たことねえな」
敵の正体に考えを巡らすハイネやリヴェンと違い、サフィの顔は恐怖に引き攣っていた。
「ほ、本当に戦わなくちゃいけないの? ねえ!?」
対人戦の指導は受けていたが、実際に人を相手にしなければならない事態になるとは、想定もしていなかったのだろう。
フェイヴァもサフィと同じように、魔獣だけを相手にし続けるのだと考えていたために、受けた衝撃は大きい。人と戦い最悪殺害することは、魔獣を殺すこととはまったく違った。フェイヴァたちには、心構えも思い切りも冷徹さもない。
「サフィ、取り乱さないで。散開して剣が振れる距離を保って。殺される前に殺すこと。いいね」
「言われるまでもねえ」
ハイネとリヴェンは、追いついていけないほど素早く気持ちを切り替えた。目の前の人間を殺すべき敵と認識する。
「僕にはできないよ……」
サフィは襲いくる敵から目を背けるように、顔を俯けた。
フェイヴァも剣を敵に向けることができないでいた。胸の内には戸惑いが渦巻いている。
仮面の兵士たちは、ディーティルド帝国がフェイヴァを狙って放った追っ手ではない。反帝国組織が言っていた、テレサと関わりがある組織なのだろう。彼らは何を目的に、フェイヴァたちを襲うのか。
答えを探すのは後だ。フェイヴァは手綱に力を込める。
先頭の教官たちと、仮面の兵士たちが激突した。刃を噛み合わせる音が空中に鳴り響く。教官らと戦い始めた仲間たちを置き去りにして、後方を飛んでいた兵士たちは、訓練生に接近してくる。その数は、目測で四十人ほどだ。フェイヴァたちを狙い、四人の兵士が急降下してきた。その上空を、後方の訓練生めがけて仮面たちが飛んでいく。
降下様に振り下ろされた刃を、フェイヴァは剣を横にかざして受ける。防がれたと見るや否や、兵士は手綱を引いた。翼竜を突進させるとともに、鋭い突きを放つ。フェイヴァは兵士が乗る翼竜の下を潜り抜けて躱そうとしたが、相手の翼竜の方が速い。手綱を支えにして、咄嗟に身体を右に投げ出す。左側を剣の切っ先が過ぎた。突きは回避できたが、翼竜の体当りを完全に避けきることができなかった。フェイヴァの乗った翼竜は後ろに吹っ飛ばされ、振り落とされそうになる。思わず首にしがみついた。翼竜は一際大きく翼を羽ばたかせると、体勢を立て直す。
一年にも満たない期間しか指導を受けていないフェイヴァたちとは違い、身体に染みついた剣捌きだった。その上、翼竜を御す技術もフェイヴァたちとは比べ物にならないほど完成されている。フェイヴァがいくら人間の身体能力を越えた死天使でも、翼竜の背で行う戦闘ではこちらが不利だ。
(相手は人間だ。殺すことなんてできない。剣を弾き飛ばさなきゃ)
フェイヴァは翼竜の胴を蹴りつけ、仮面の兵士に肉薄した。刃の背を向け、兵士の手に振り下ろす。狙いを定めている間にフェイヴァの目的を悟ったのだろう。兵士の駆る翼竜はその場で一回転した。フェイヴァの剣が空を斬る。気づいたときには、頭上から銀の刃が振り下ろされていた。咄嗟に剣で防ぎにいく。──だが。
(間に合わない!)
真横を強風が駆け抜けた。足下から頭上に向かった風の流れは、翼竜の翼が生み出したものだった。仮面の男の脇腹から血が吹き出す。彼は悲鳴を上げ、傷口を押さえた。痛みと無理な姿勢で攻撃を仕かけたことが起因し、体勢を崩して鞍から落ちる。死を覚悟した絶叫が耳朶を打った。主を失った翼竜は後を追うこともなく、その場を飛び去って行く。
「……リヴェン」
仮面の兵士を斬りつけたのは、彼だった。刃に付着した血を、魔獣の血がついた時と同じように振って飛ばす。
(人を……殺した)
まさか鞍から落下するとは思わなかったとは、決して言わないだろう。翼竜の騎乗は体力と集中力を使う。深手を負えば体勢を崩すのは当然だった。
リヴェンは仮面の兵士が落下することも厭わず、攻撃を仕かけたのだ。兵士が地面に叩きつけられ死亡することは、直接手を下したことと同義だった。
サフィの悲鳴が響き渡って、フェイヴァは顔を向ける。彼を狙い振り抜かれた刃が空ぶった。仮面の兵士は前のめりに翼竜に寄りかかる。背中を貫いていたのはハイネだ。彼女はサフィを追い詰めようとしていた仮面の兵士の背中に、突きを放ったのだ。ハイネは剣を引き抜くと、柄を振って血を払った。紛れもなく彼女が殺害した兵士は、眼下に消えていく。
「あ、ああ……」
サフィの口からもれたのは礼ではなく、震える呻きだった。
ハイネは落ちていく兵士を顧みることなく、新手に身構える。まるで足止めするかのように、次々と仮面の兵士が接近してくる。ハイネもリヴェンも迎撃に躍起になった。
フェイヴァは後方を向いた。仮面の兵士の数が多すぎて、三班全員の姿を見つけることができない。
悲鳴や怒号が響き渡り、距離が離れていてもはっきりと鮮血の色を捉えることができた。フェイヴァたちの後ろを飛んでいた班は、距離を保って仮面の兵士を相手にしていた。人を殺せる勇気がない者が、殺すために刃を振るう者に勝てるはずがない。ふたりの兵士との攻防の末に、金色の長髪が目に眩しい少女が、首を斬られた。悲鳴を途切らせ落下していく。
(……金色の髪)
視界から消えていく黄金色の輝きを見た瞬間、フェイヴァの中で確信が生まれた。
ペレンデールの墓地で仮面の兵士たちに追われていた女が使っていた能力と、幼いユニが暴漢たちを殺した能力は、同種のものなのだ。
仮面の兵士たちの狙いは、ユニだ。
(──ユニが危ない!)
訓練生と仮面の兵士の戦闘。その真っ直中に向かおうとするが、それを許してくれる敵ではない。進路を阻むように躍り出てきた兵士に、フェイヴァは躊躇しながら刃を向けた。




