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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
6章 廃墟が語る 血塗られし惨劇
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12.幾多の苦難と唯一の幸福


◇◇◇


 都市の南方に位置する商業区。打ち捨てられ滅びる宿命である建物群の中で、ほぼ完全な形を残す屋敷がある。壁に施された繊細な装飾は年月とともに摩耗していたが、ある種の気品は失われていなかった。建物内からは、大広間に繋がれた翼竜の鳴き声が聞こえている。


 魔獣によって雑草が踏み荒らされた庭園に、フェイヴァたちは集合していた。班ごとに整列し、庭の中央で燃える炎を囲んでいる。建物から集められた埃を被った家具に、覚醒者たちが点火したものだった。


 魔獣が侵入しないように、武器を抜いた狩人たちが周辺を包囲していた。東側から魔獣が近づいてきたのか、怒号が飛び交う。遅れて響く、耳をつんざくほどの銃声。


 濡れた髪を掻き上げることもせず、フェイヴァは炎を見上げていた。目に眩い火柱は、煙とともに魂を夜空に立ち昇らせる。


 ──ああ 黄金の鉢は壊れ 魂は永遠に飛び立った──


 訓練生たちの前に整列していた三人の教官が、歌い始めた。ロイドとべリアル教官は腹の底に力を込めたように重々しく、セレン水医は透き通った声で。


 人類が戦争に明け暮れていた古の時代。死者の魂が天界に迎え入れられるようにと、歌われたものだった。


 フェイヴァたちも、教官の歌に唱和する。


 ──気高い魂は 焔の道標に従い空へと昇る──


 ──涙に暮れる恋天使よ 我らの歌を聴きたまえ──


 ──かくも年若く死んでいった者たちへの讃歌を──


 ──かくも年若くして死に苛まれた者たちへの挽歌を──


 ──この歌が天に届き 死者を慰められるように──


 ──冥界の番人から逃れ 翼の生えた魂は天上へと向かう──


 ──扉は開かれた 玉座に座す聖王神よ 英霊を迎えたまえ──


 歌いながら泣き出す訓練生がいた。顔を伏せ、悔しげに唇を噛み締める者も。


 今、組み合わされた家具の下で燃えていこうとしているのは、生活をともにした八人の訓練生なのだ。


 彼らの遺体は家具の下に等間隔に並べられ、()()に付された。遺骨はひとりずつ壺に収められ、ウルスラグナ訓練校に帰還後、魂送式が行われるのだ。


 フェイヴァは目を伏せた。もうもうと立ち込める煙は、人の肉が焼ける臭いを──人の死を、現実のものとして実感させる。


 遺体に火を点ける前、ロイド教官が八人の訓練生の名前を読み上げていた。名前は知っていたが、言葉を交わしたことはない者たちばかりだった。同じ部屋で寝起きせず班も一緒でなければ、話す機会はほとんどないのだ。


(まさか、こんなことになるなて……)


 時は(さかのぼ)る。


 リヴェンたちが待つ家に戻ったフェイヴァとハイネは、彼らの話を聞いて驚愕した。


 【三頭の黄昏(シャマイザ)】が現れ、訓練生たちを八つ裂きにしたのだという。サフィの話だと、八人を襲った時点でシャマイザは手負いであったらしい。苦戦しながらも、サフィとリヴェンが力を合わせ打ち倒すことができたのだ。ふたりが帰路に就いた頃、上空をロイド教官が通りかかった。詳細を伝えられた教官は、ベリアル教官と手分けして翼竜を駆り、訓練生を庭園に集めたのだった。


 フェイヴァは視界に涙がにじんでいることに気づいて、瞬いた。この涙は、死者との別れを悲しむゆえのものではない。人が死んだ。その事実に衝撃を受けて、ただ零れ落ちたもの。こんなものは亡くなった人に対して失礼でしかない。フェイヴァは籠手を装着したままの腕で、ぐしぐしと涙を拭った。


(私は心のどこかで信じてたんだ。どんなに辛いことが起きても、誰も欠けることなく卒業できるだろうって)


 懸念を抱くことなく、確証のない希望を抱いていた。


 皆が皆、生き残れるわけではない。フェイヴァが親しい者だって、ある日突然いなくなってしまう可能性があるのだ。今まで目を逸らしていた真実が迫ってくるようで、胸が苦しくなる。


 星空の下で棚引く炎は、フェイヴァの幻想を燃やし尽くしていく。


(……怖い)




 庭園から解散した訓練生たちは、仮の住処に戻っていった。


 居住区の家に到着したフェイヴァたち四人は、飲み水を探して夜の道をさまようことになった。先頭をリヴェンが進み、その後ろに角灯を持ったフェイヴァとサフィが続く。ハイネは後方からの敵襲を警戒する。


 路地を東に進むと開けた場所に出た。四軒の住宅が背中を向け合っており、中央には井戸が口を開けていた。石が積み上げられ造られた掘り抜き井戸だ。


 リヴェンが石を拾って投げ入れる。二秒ほど遅れて、水面に叩きつけるような音が聞こえた。


 井戸は長期間使用しないと、水脈が変化し水が枯れる可能性がある。ペレンデールが放棄されたのは十七年前だが、歴代の訓練生は今のフェイヴァたちのようにこの都市で一晩を過ごしてきたため、井戸は生き続けていた。


 ハイネは縄が結びつけられた桶を井戸の中に下ろすと、縄を引き下ろした。引っ張り上げられた桶の中に水が満たされている。水面に映し取られた夜空の月が、揺らいでいた。四人は喉を潤すと、給水筒に水を注いだ。


「さて、始めようか」

「うん」


 雨が降り続いたせいで、髪も身体も水浸しだった。フェイヴァたちは水浴びをすることにした。今の状況ではたっぷりと湯を湧かすことはできない。桶に水を溜めて、軽く身体を拭くのが精一杯だ。


 井戸を背にした家々の中を調べ、幼子が寝転がれるくらいの大きさの木製の桶を発見した。擦れて汚れていたが、水をかけて布で擦ってやると少しは綺麗になった。


 ロートレク王国の中央にはカレット山という活火山がそびえている。ゲイム王国やディーティルド帝国に引けを取らないほどの、源泉数と湧出量を誇っていた。フェイヴァたちが生活するウルスラグナ訓練校や商業区で営まれている入浴施設などでは、料金と引き換えに温泉を楽しむことができる。温泉を家庭で利用できるのは一部の富裕層に限られており、広めの桶に湯と水を注いで、石鹸で髪と身体を洗うのが一般的だった。


 水浴びするための家を探すと、幸運にも一軒だけ、壁に穴が空いていなかった。しかし魔獣が扉に体当りしたのか、ひび割れて指先ほどの大きさの穴が穿(うが)たれている。けれども窓の位置は、二人の男子のはるか頭上だ。唯一の出入口である扉を閉めれば、外部の(よこしま)な目から身を守ることができる。


 水を注いだ桶を運ぶのをサフィは手伝ってくれたが、リヴェンは座り込み欠伸をしていただけだった。


 錠が外れた扉を開けると、石造りの簡素な通路が視界に晒された。右脇には棚があり、所々が青緑色に変色している。奥には部屋が見えるが、とてもそこまで桶を持っていく気にはなれない。桶を通路に運び込むと、棚の上に灯した蝋燭を置いた。


「ありがとう。ほら、見張りよろしく。わかってると思うけど、変な気は起こさない方がいいよ」

「……もし起こしたら、どうなるの?」


 ハイネから立ち上る剣呑な空気に興味を抱いたのだろう。サフィはおそるおそるといった様子で尋ねた。彼女は顎に手を添え、しばし黙孝する。


「そうだね。……井戸の桶を結んでる縄があるでしょ? それを切ってあんたらの身体を拘束する。そうして深靴を脱がして、大剣の背で脛を思い切りぶっ叩く。お望みとあらば刃の方でもいいけど。他には」

「大丈夫! 絶対見ないよ!」


 角灯の温かみのある明かりが、笑顔で頷くサフィを照らしていた。額にはしっかりと汗が浮かんでいる。


「賢明だね。それじゃ」


 ハイネは扉を閉めた。錠が外れてしまっているため、扉の前に荷物を置いて開閉しないようにする。小さな穴が空いているが、まさかそこから覗き見しようとは思わないだろう。


 静かに燃える火に照らされて、ハイネは軽鎧を外した。手早く制服を脱ぎ始める。


「あんた、まだ落ち込んでるの?」


 ハイネに見下ろされて、軽鎧に手をかけたままフェイヴァは俯いた。


 商業区から戻る道すがら、フェイヴァはほとんど口を利かなかったのだ。訓練生達の突然の死に驚愕し生まれた動揺が、いまだに胸から離れていかない。それは悲しみだけでなく不安までも呼び起こして、フェイヴァを苦しめていた。


「そうやってても死んだ奴は生き返らないよ」

「……わかってる。私、どこか楽観的に考えてたんだと思う。どんなことがあっても、誰ひとり欠けることなく卒業できるって」

「今まで全員無事に過ごしてきたから、そう思うのも無理はないけど。運が良かっただけだよ」


 ハイネの言う通りだ。フェイヴァは彼女の言葉をしっかりと受け止める。


「シャマイザは確かに強力な魔獣だけど、冷静に対処すれば勝てない相手じゃない。四人もいれば、傷は負っても食われることはなかったはずだ。教官は戦力が均等になるように班を編成してる。今回犠牲になった奴らの敗因は、簡単に言えば油断や慢心だと思う。小型の魔獣ばかりを相手にして、気持ちが緩んでいたんだろうね。警戒を怠り、襲いかかってきた大型に対処するのが遅れた」


 そう。今回亡くなった訓練生たちは、力量が劣っていたわけでは決してない。もしもそうならば、実地試験で生き残れるはずがないのだ。


「戦闘技術だけが強さじゃないからね。すぐに油断や動揺を抱くような奴は、遅かれ早かれ死ぬだけだ」

「……冷たすぎないかな」


 顔も名前も知らない人が死んでしまうのとはわけが違うのだ。一緒に学んできた仲間に対して、ハイネはあまりに情がないように思えた。


「そうかな。あんたの方が気にしすぎだと思うけど」


 これがハイネなのだ。彼女は胸の内を明かさず、極力人との関わりを避けている。だから同じ学校で生活していた者が死んでも、心を動かすことはしない。ハイネが失って沈痛を抱くほどの人物は、ルカと──アーティという少女だけなのだろう。


「ハイネって、どうしてそんなにルカを大事に思ってるの?」


 ハイネがルカに向ける思いは、単純な親愛というより、依存心に近いのではないだろうか。彼が失われれば自分が成り立たないといったような。今回亡くなったのがもしもルカだったなら、ハイネはフェイヴァの比ではなく感情を露わにしただろう。


 一糸まとわぬ姿になったハイネは、屈み込むと水の中に布を浸した。


「……ルカからわたしの話も聞いてると思うけど。彼はとても面倒見が良くて真っ直ぐな人なんだよ。ときどき、眩しくなってしまうくらい」


 ルカのことを語るハイネの横顔は優しげで、実年齢相応な少女らしさに満ちていた。


「わたしは昔、彼とアーティと一緒に暮らしてた。ふたりと出会えたことは、わたしの人生で最も幸福な出来事だった。──その後、すごく衝撃的なことがあったんだ。生の捉え方が百八十度ひっくり返ってしまうくらいのことが、ね」

「それは、どんなこと?」


 何気なく投げかけた質問に、ハイネはフェイヴァを見上げた。彼女の(むし)(あお)色の瞳は、言葉にできない感情を訴えるようであった。しかしフェイヴァには、その真意を読み取ることができない。


 フェイヴァの記憶を読む力も、ハイネやルカやリヴェンといる時は、鳴りを潜めてしまっている。


「言いたくないんだ。……一番苦しかった時に、ルカはわたしを救ってくれた。その時から、わたしの命はあの人のもの」


 そう口にして頬を染める。


 ルカに対して依存心がないといえば嘘になるだろう。けれども、それを上回るほどの愛情を、ハイネはルカに向けているように見えた。


(……羨ましい)


 それは、身が焦がれそうなほどの羨望の念だった。


 フェイヴァの大切な人はテレサだ。フェイヴァにとって彼女は、人間でいえば血が繋がった母親に等しかった。フェイヴァを創り出し、その目が開かれた時に現れ、導いてくれた。人間らしい生活をさせてくれた。一連の出来事がなければ、フェイヴァはテレサに心を開くことはできなかっただろう。


 一方ハイネは、ルカと面識がない状態から関係を構築し、想いを育んだのだ。一見すると、ハイネが一方的にルカを想っているようだが、ルカ自身もそれに近い、もしくは同等の気持ちを彼女に抱いているのだろう。ハイネに対する気安い言動が、彼の心情を物語っている。


 血の繋がりがない相手を大切に想い、自分も大切に想われるというのは、どんな感じがするのだろう。


「そういうのって……素敵だね」


 自分にはとても手に入れることができそうもない、夢のような幸福。一瞬、脳裏に誰かの顔がよぎった気がしたが、フェイヴァは意識しないようにした。


「フェイヴァにもできるよ」


 誰が、と言わないハイネの優しさがありがたかった。


 フェイヴァは留め金に手をかけると、鎧を脱いだ。制服と下着を片づけると、持ってきていた布を濡らして身体を拭く。


「小さいね」


 言われるだろうと思った。フェイヴァは顔に熱が集まるのを感じながら、髪を掻き上げる。濡れた布は首筋に冷たすぎて、肩が震えた。


 ウルスラグナ訓練校ではユニやミルラのそばで湯を使うので、こんなに間近でハイネに裸を見せたことはなかった。


「気にしてるんだから、言わないでよ」

「いいんじゃないの。そういうの好きな男もいるよ」

「な、なんで男の人の話になるの。関係ないでしょ?」

「関係なくないよ……心当たりがある奴にでも聞いてみたら?」


 からかうような笑みを浮かべるハイネ。恥ずかしいやら腹立たしいやらで、フェイヴァは桶の中に両手を突っ込んだ。


「そ、そんなの絶対に聞かないから! このっ」

「冷たっ。やったなこいつ」

「きゃあっ! もう、許さない!」

「あんたがわたしに勝てるわけないでしょ」

「うわわっ! そうでした。ごめんごめん! もうずぶ濡れだよ~」


 フェイヴァが水をかけると、ハイネは二倍も三倍も返してくる。ムキになってやり返した結果、さらに猛攻を浴びせられて、互いに全身びちゃびちゃになった。フェイヴァは、背嚢(はいのう)から取り出していた大きめの手拭いを掴む。ハイネの分も取ってあげた。


 立ち上がって腕を拭っていたその時、フェイヴァの耳に信じられない音が届いた。


 扉を挟んだ外側に、誰かが立っている。フェイヴァの聴覚は、彼の息遣いと石畳を踏み締める靴音を聞いた。


「駄目だってリヴェン! 背が高くてもっと色気がある人がいいんだろう?」


 サフィだ。彼の声は小さい。家の前から少し離れているようだった。


「そりゃ好みの話だ。女の裸は見れる時に見る、それが男ってもんだろが。腰抜けはあっちに行ってろ」


 犯人はリヴェンだった。後ろめたさは感じられず、むしろ高揚した小声だ。扉に空いた穴から、中を覗き見ようとしているのだろう。


 フェイヴァは急いで、布を胸の上に巻いた。フェイヴァの視線に気づいたのだろう。ハイネも立ち上がり手拭いで身体を包んだ。ずり落ちないように胸の前でしっかりと結ぶと、扉の前にそろりと近づく。音が鳴らないように荷物を退かした。


「ふんっ!」


 気合いを込めた声が発されるや否や、ハイネは扉を蹴り開けた。木の板で造られたそれは外れ、飛んで行ってしまうのではないかという勢いで、外にいたリヴェンに激突した。ぶつかった際に生じた音は、夜の静寂(しじま)に一際大きく響き渡る。


「ぐああっ」

「リヴェーン!」


 不埒(ふらち)な者を制裁し、ハイネは扉の取手を引いた。扉が締まりきる間際に、フェイヴァは地面に倒れたリヴェンを目にする。彼に駆け寄ったサフィの顔は、哀れなほど青白かった。




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