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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
6章 廃墟が語る 血塗られし惨劇
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10.魔の因子(1)【サフィ視点】


◆◆◆


 空が薄闇に染められる頃。降り続いていた雨は勢いを弱めた。屋根や石畳を打つ雨粒は、材質によって異なる音を鳴らしていた。ときに軽快に、ときに柔らかに音が奏でられる。


 居間の壁に空いた穴から、生温かな風が吹き込んできた。身体にまとわりつくような湿気を感じる。


「遅いな、ふたりとも」


 サフィは背後で横になっているリヴェンに声をかけたつもりだったのだが、返答はなかった。これじゃ独り言だ。


 リヴェンはとうとう空腹が我慢できず、一食分の携行食糧を口に入れていた。


 立ち上がったサフィは、長机を見下ろした。蝋燭の明々とした火が、天板に置いていた砂時計を照らす。各班に一つずつ与えられたそれは、すべての砂が落ちきるまでに三十分かかる。フェイヴァとハイネが食糧を探しに行ってから、サフィは砂時計を五回ひっくり返していた。そして、また一回。灰色や茶色が混じった砂が、涼やかな音を立てて落ち始めた。


「もう三時間も経ってる。探しに行った方がよくないかな? もし大型の魔獣に襲われてたら……」

「雨宿りでもしてんだろ。必要ねえよ」


 焦るサフィとは正反対に、リヴェンはのんきなものだった。歯応えのある携行食糧を噛む音がうるさい。


「根暗緑も花畑もテメェより実力は上だ。テメェが食糧を探しに行くより百倍安全ってなもんだ」

「……そうだろうね」


 大型の魔獣を怯むことなく仕留めることができるハイネ。自分より総合成績が低かったフェイヴァも、実地試験ではサフィを助けようと立ち回っていた。リヴェンの言う通りだと思う反面、自分が情けなかった。


 自分は弱い。女子の足を引っ張るくらい。このままでは、夢を叶えることはできないのではないのだろうか。


「……リヴェンはどうやってそんなに強くなったの? 身体も小さ」


 リヴェンは上半身を起こした。ぐいと身体を近づけてくると、サフィの髪を掴んで持ち上げる。


「痛い痛い! ごめんってば!」

「つまんねえこと抜かすんじゃねえよ」


 サフィが顔を歪めて謝ると、リヴェンは手を離しあぐらを組んで座った。


「俺は特別なんだよ。ザコはザコらしくザコの役目を果たしてろ」

「リヴェンって語彙が少ないよね」

「うるせえ」


 リヴェンの散弾のような暴言に、サフィは溜息を吐いた。


 ウルスラグナ訓練校には、様々な体験をしてきた者たちが集まっている。その中で自分の過去を語る者は少数だ。特にリヴェンやレイゲンは口が堅い。聞いても真面目に答えてくれるわけがなかった。


 リヴェンはきっと、幼少の頃からいつ命を落とすかわからぬ環境に置かれ、血の滲むような鍛練を積み重ねてきたのだろう。そうでなければ、小躯でありながら実技成績六位を叩き出せるわけがない。


(──それに)


 心構えというものも関係しているのかもしれない。ユニに憧れているサフィと違い、リヴェンは女子を気にする素振りを見せたことがなかった。兵士を志す学校で経験を積んでいるのだ。恋愛に(うつつ)を抜かす暇があるなら、自分の力を高めるべきなのだろう。──以前レイゲンが口にしていた。リヴェンもレイゲンもそれを実践しているのだ。


「リヴェンって、気になる子はいるの?」

「ああん!? 女かよテメェは」

「こんなに身近に女の子がいるんだよ。かっこいいところ見せたいって思うのが普通じゃないかな」


 長方形の形をした食糧を食べ終えたリヴェンは、包み紙を丸めてその辺りに投げ捨てた。


「あの女どものどこがいいんだよ。弱ぇし口うるせぇし。俺は張り合いのない奴は嫌いなんだよ。それに、もっと背が高くて色気がある女がいい」


 サフィは思わず吹き出してしまった。


 眉間にしわが寄るほどリヴェンは目を細める。彼の座高はサフィよりも低く、どこか哀れみを誘う。


「……それは、分不相応な好みじゃないかな」

「ぶっ飛ばすぞテメェ!」


 サフィを一喝したリヴェンは、苛立ちを漲らせた表情を崩した。金色の瞳が周囲に鋭く走る。寄せられた眉が、物思いに耽っているようだ。


 彼の視線にただならぬものを感じ、サフィは成り行きを見守る。どうしたの、と軽々しく声をかけてはいけないような気がした。


「おい。武器持って外出ろ」

「え、なんで」

「なんでもいいんだよ。とっとと準備しろのろま」


 リヴェンが言い終わるや否や、振動が足下を揺さぶった。揺れは瞬く間に激しさを増し、長机の上の物を振るい落とす。


 地震──いや、違う。激しい振動は、断続的に発生している。それは例えるなら、巨大な生物が地を駆けているかのような。


 リヴェンは壁に立てかけていた大剣を鞘に収めると、背に負い外に飛び出した。サフィも慌てて散弾銃と大剣を身に帯び、彼の後に続く。


 次いで、地面が陥没するのではと思わせるほどの振動が、轟音とともに発生した。サフィは堪えきれずに転倒し、リヴェンは家の壁に手を突き身体を支えた。


 空に打ち上げられた獣の咆哮は、違わず発された絶叫を掻き消すほどの音量だった。サフィは声がした方向に顔を向け、ひっ、と悲鳴を漏らした。


 道を挟むようにして左右に建ち並ぶ住宅。リヴェンたちが拠点にした住宅から右に五軒ほど離れた家。その入り口に首を突っ込んだ、赤茶色の巨体がいた。目の錯覚ではないだろうか。こちらに尻を向けているその魔獣は、一軒家とほぼ変わらない大きさをしていた。家の中から響いていた悲鳴は、唐突に途切れる。


 頭を家の中に突っ込んで、人間を食べているのだ。かすかにだが聞き取れる。牙が肉を裂く音。血にまみれているのか、豊かな水音が絡んでいる。巨体の足下には血溜まりができあがっていた。家の脇から跳び出し逃げようとした訓練生が、鞭のごとく振るわれた尾に頭を貫かれる。鋭く尖った尾は引き抜かれ、赤く滑りを帯びていた。


「奴は耳がいい。獲物に夢中な内にずらかるぞ」


 犬の姿をした魔獣――【三頭の黄昏(シャマイザ)】は、二階建ての建物に相当する巨躯を誇る。並外れた体力と再生能力も非常に厄介だ。四人ならまだしも、ふたりでどうにかできる相手ではない。魔犬と比較すれば、サフィたちが以前相手にした熊の魔獣は、子供と変わらない。


 リヴェンに言われるままに頷いて、サフィは駆け出した。住宅の間にある路地に入る。


 ここで実力があり正義感を持つ人間ならば、襲われている人たちを助けようとするのだろう。魔獣の牙にかかっているのは見ず知らずの他人ではない。勉学をともにした仲間なのだ。


 思いはしたが、現実感が伴わなかった。サフィは臆病風に吹かれてしまったのだ。家と変わらぬくらいの巨体を持つ魔獣に戦いを挑むなど、死ににいくようなものだ。


(……悔しいな)


 威圧感を放つ巨躯を前に、怯む自分も。無力な自己を変える努力を、無意識に放棄している自分も。


 暗がりの細い道にはごみが散乱し、サフィは何度となくつまずいた。前方にぼんやりと見えるリヴェンは、障害物が見えているかのように跳び越えていく。


 息が上がる。胸が張り裂けんばかりに苦しくなる。入り組んだ路地は方向感覚を狂わせる。


 もう駄目だ、走れない──そう思い足を止めようとしたサフィは、リヴェンにもう少しでぶつかりそうになった。閉塞感を感じさせる路地と別れを告げ、視界が一気に広がる。大通りに出たのだ。


 開けた場所に出られた。それだけのことに安堵を感じかけたサフィは、目を見開いた。大通りの凄惨な光景を、月明かりが鈍く照らす。口から掠れた悲鳴がもれた。


「るっせえ!」


 リヴェンはサフィの口を、掌で叩くように塞ぐ。


 シャマイザと運悪く遭遇したのだろう。四人の訓練生が、道に倒れ伏していた。軽鎧は引き裂かれ死体は損壊されている。彼らの様相は、まるで魔獣に行ってきたことを、そのままやり返されたようだった。弱々しい滴が死体に降り、雨水が鮮血に染まる。亡くなっているのが誰なのかわからない。頭が転がっている者や、踏み潰されている者がいる。


「う……」


 サフィは上半身を前に倒すと、堪らず嘔吐した。胃がひっくり返りそうなほどの苦しみに呻く。


「……ちっ。テメェのせいで場所が割れたじゃねえか」


 頭上から耳障りな笑い声が聞こえた。醜く歪んだ猿──【酩酊する刃(アンダニム)】が、建物の壁を伝って地上に降りてくる。リヴェンは大剣を構えた。


 急降下と同時に、アンダニムは左手の鎌を振り抜いた。リヴェンは後方に跳んで回避すると、両手で大剣を突き出した。猿は哀れっぽい悲鳴を上げ、貫かれた腹を押さえる。リヴェンは間合いを詰め、大剣を真横に薙いだ。首が跳び壁に激突し、赤黒い血をべったりと付着させる。


 サフィは口許を拭うと、ふらついた足で刃を構える。銃は使えない。発砲音により、聴覚に優れたシャマイザが居場所を察知するからだ。


 視覚を潰していないびんしょうなアンダニムを、造作もなく仕留められる力がサフィにはなかった。振り下ろした刃は跳びかわされる。石畳を叩いた大剣を見て、猿は嘲笑うかのような声を発した。


「……だらしねえな。ガキのお遊戯かよ」


 刃を振り抜く音に、リヴェンの溜息混じりの声が被さる。背中に何か硬いものが突き当たって、サフィは前のめりに倒れた。飛びかかってきた猿の姿を捉える。


 サフィに振り下ろされた鎌は、身体に引っ張られるようにして背後の壁に激突した。肉薄したリヴェンが、猿の頭部を大剣で貫いたのだ。


「テメェ、なんで学校に入ったんだよ。家で大人しく本でも読んでろや」


 心の底から呆れた声が耳に痛かった。


「知ってるよ、僕が弱いってことは。でも……夢があるんだ」





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