07.兵器が衣装をまとったら◇
「さあ、行きましょう。あなたに似合う服を探しましょうね」
何気ない口調で言いつつテレサはフェイヴァの腕を引いた。足早に脇道を出て大通りを北に進むと、レイゲンが遅れてあとをついてくる。
「……お母さん。外してあげようよ。見つかったら、あの顔が怖い人すごく怒ると思うよ」
「しばらくそのままにしておきましょう。あなたが心に負った傷に比べれば、軽いものだから」
「……こんなこと言ったらいいのかわからないけど。私、あの人が苦手だな。お母さんは必要以上にあの人に構うけど、どうしてなの?」
他者の心と記憶が読めないフェイヴァにとって、レイゲンは自分を冷たく扱う他の兵士と同じだった。
「そうね。私は彼に同情しているのかもしれないわ。彼は普通の人間とは違う。色々なことがあって荒んでしまったけれど、本当は優しい子なのよ」
テレサはフェイヴァの耳元に唇を近づけて囁やいた。
通りには喧騒と賑やかな曲調に変わった音楽が響いていた。普通の人間ならば聞き取れない声量だが、フェイヴァにはテレサの声がはっきりと聞こえている。
「フェイ。相手が怖いからといって避けたり、わかってくれないと決めつけては駄目よ。それはそのまま、あなたに返ってくるのだから。人はひとりでは生きていけないわ。まずは歩み寄ってもらおうとする努力が必要なの。そうすれば絶対に、あなたにとって大切な人が増えていくはずだから」
唐突に、背後から大音量の笑い声が湧き上がって、フェイヴァとテレサは揃って振り返った。レイゲンの後ろを歩いている老爺が大笑いしていたのだ。隣を歩いていた老婆は表情を曇らせて、彼に声を潜めるように言う。老爺はレイゲンの背中を指したまま笑い続け、ついには咳き込んだ。
レイゲンは振り返りはしなかったが、大声が背中に浴びせられてあまりいい気持ちはしないだろう。黙れと今にも口に出しそうに、顔をしかめている。
彼は知らない。老爺の笑いを誘う原因が、自分の背中にあるということを。フェイヴァとテレサは顔を見合わせて、声を殺して笑った。
白い煉瓦造りの衣服店。店内は落ち着いた色合いの棚と、白い絨毯が配されている。花を模した窓枠が可愛らしい。
フェイヴァとテレサが店に足を踏み入れると、店員は揃って歓迎の言葉で迎える。すらりとした品のいい肢体を折った。
店内のそこかしこで服を吟味していた女たちが、ちらりとフェイヴァらに目を向ける。その視線がしっかりと固定されたのを見て、テレサの隣にいたフェイヴァは急いで彼女の背中に隠れた。自分が奇妙だからじっと見られるのだと早とちりしたが、女たちの瞳はフェイヴァの更に後ろ。レイゲンに釘づけになっていただけだった。彼の長身と端正な容貌は、女ならば誰でも見惚れてしまうらしい。
「フェイ、大丈夫よ。怖がらなくても」
「……はぁい」
レイゲンは立ち止まって、服かけに飾られた衣装に顔を向けていた。フェイヴァもそれに倣い、店内を見渡す。全体的に華やかな色合いの衣装が多い。透かし模様の織物や波状の装飾で飾りつけられていて、相当に高額なのが見てとれる。服は価格ごとに分けられ、柱には値段が貼りつけられていた。
「随分と高価だな。金はあるのか」
「でなければ、この店を選ばないわ。記念すべき初めての買物だもの。できるだけいいものを買ってあげたいじゃない」
テレサはレイゲンを振り向き、肩にかけていた鞄の金具を外した。中に詰め込まれた分厚い札束を見て、フェイヴァは驚きに目を見張る。
「お母さん、これって食べ物何個分?」
「そうね。さっき食べたあまり美味しくない汁物が、大鍋百杯分くらい買えるわ」
「それってつまり?」
「こーれくらいよ」
「わーおっ!」
テレサに両腕を広げて数量を示されたフェイヴァは、ひとり興奮し瞳を輝かせる。
「……そうだわ。せっかく一緒に入ってきたのだから、あなたがフェイに服を選んでくれないかしら?」
テレサの衣服を掴んでいたフェイヴァは、その言葉にぎょっとして彼女を見上げた。
テレサは自分がとても素敵なことを思いついたとでも言うように、頬を緩ませて両手を顔の前で合わせている。
「そこまでして人間の真似事をさせたいのか」
「心ないことを言うわね。それともあなたにとっては初体験だったのかしら。綺麗な顔に似合わず、女の子に服を買ってあげたことさえないの?」
「馬鹿なことを抜かすな。それとこれとは話が別だ」
レイゲンの過去を知っているというのに、あえて疑問を口にするテレサ。真実はどうなのか、彼は苛立ちを含んだ声で正論を言う。
「むきにならなくてもいいじゃない。悪かったわね。あなたにとっては恥ずかしくて、とても実行に移せないようなことを頼んでしまって」
テレサは巧妙な語り口で、彼の自尊心を刺激する。口許に手を当ててにやついた。
これにはレイゲンも怒りを覚えたようだ。戦いの中に身を置いていても、所詮は十代。彼は切れ長の瞳を細めた。眉間に深くしわが刻まれる。
「誰が恥ずかしがるか。そこで黙って見ていろ」
レイゲンは肩を怒らせて部屋の奥に歩いていく。
流石に店員に背中の張り紙を見られるわけにはいかない。テレサの手が風のような速さで伸び、紙を剥がした。
「なんだ」
「気にしないで。ごみがついていたから取ってあげたのよ」
確かにレイゲンからしてみれば、自尊心を甚だしく傷つけるごみだった。彼が振り向く前に、テレサは後ろ手で紙を丸めた。
フェイヴァとテレサが衣服の美しさを目で楽しんでいる内に、レイゲンは戻ってきた。
彼が持ってきたのは上着と筒上の衣装が一体になった服だった。淡い水色と桃色が生地を染め上げている。胸元は波上の飾りで縁取られ、その上に更に蝶々結びにされた赤い織物が揺れている。
(わぁ……!)
フェイヴァはその衣装の可愛らしさに、感嘆のため息をついた。ややあって物々しい雰囲気の青年を見上げる。レイゲンは憮然とした顔で婦人用の衣服を持っている。恥ずかしがる素振りはない。堂々とした佇まいだ。そんな彼が持つには、あまりに少女趣味な衣装だった。不釣り合いな光景に、じわじわと可笑しさが込み上げてくる。
「ぶふっ!?」
フェイヴァと同じことを感じたのだろう。テレサが吹き出した。そのさまは、飲み物を口に含んでいて後ろから突然驚かされたように、盛大だった。
「真面目に選んでくれてよかったわ。もしも適当なものを持ってきたら、あなたの美的感覚がどれほど劣っているか説明してあげようと思っていたのよ」
心の底から嬉しそうなテレサはしかし、どこか声音に口惜しさを潜ませてもいた。レイゲンはそんな彼女を一睨みし、フェイヴァに服を押しつける。
「着ろ」
「…ありがとうございます。でもあなたが選んだんだから、まず最初にあなたが着てみるべきだと思います。顔が綺麗だから絶対に似合いますよ」
レイゲンはこの衣服が好みだから選んだのだろう。フェイヴァとしては親切心ですすめたのだが、返ってきたのは最大級の侮蔑の表情だった。
「……ふざけるな」
刺のある声と鋭い眼差しに、フェイヴァはうなだれた。大人しく衣服を受け取る。着替える場所を探そうとしたフェイヴァに、服の整理をしていた店員が気づいた。妙齢の女はしっかりと化粧をしており、責任者と思わしき落ち着いた雰囲気を感じさせる。彼女はフェイヴァを呼びとめると、上品な顔立ちに柔らかな笑みをのせた。
「お化粧もしてみませんか?」
フェイヴァは店の奥にある部屋に連れて行かれた。服を着替えさせられると、鏡台の前に座り、生まれて初めての化粧を施される。
店員の手はたおやかに動き、フェイヴァを華やがせる。薄化粧はフェイヴァの可憐な顔立ちを引き立たせた。
丹念に梳かれた桃色の髪は、艶やかな光を帯びている。瞼と目尻にのせられた仄かな赤みが、伏し目がちの紫の瞳に優美な印象を与えた。
自分の容貌の変化に戸惑って、フェイヴァは途中から鏡ではなく、手近に置かれた花瓶を見つめていた。
「どう、かな?」
テレサたちのもとに戻ったフェイヴァは、面映ゆくなりながら手を腰の後ろで組んだ。丁寧に織られた絹の生地は、滑らかな肌触りだ。
「……とても可愛いわ、フェイ」
「えへへ、ありがとう」
地味な色合いの衣服から、ふわふわな手触りの明るい衣装へ。それはまるで、葉の上から動けずにいた蛹が鮮やかな羽を手に入れたような、劇的な変化だった。
「あなたもそう思うわね?」
レイゲンを見たテレサは、微笑みというよりにやにやといった表現がふさわしい表情をする。
茫然としたようにフェイヴァを見つめていたレイゲンは、我に返ったように首を横に振った。顔には、今目にしている光景を夢だと思い込みたい感情が透けている。
「服が上等な物というだけだ」
「素直じゃないわね。自分の気持ちを偽ってばかりいると、いつか必ず後悔するわよ」
代金を支払い店を出たフェイヴァたちは、テレサの提案で隣の安価な服屋に入り、替えの衣類を購入することにした。可愛らしい服に、年頃の娘のような薄化粧をした顔。新しい自分に出会えた興奮とそれを褒められた喜びで、フェイヴァはわずかな自尊心を育むことができた。
「お母さん、これどうかな?」
「あら素敵。私に似合うかしら?」
「絶対に似合うと思う! それとこれも! 着て見せて!」
母の服を選びながら、弾んだ足取りで店内を歩く。その時だけは、自分が天使の揺籃から生まれたことも、未来に対する不安も忘れることができた。
買い物を終え宿に戻ると、兵士たちの訝し気な眼差しがフェイヴァに注がれた。
テレサに無言で労られたが、フェイヴァは顔を俯けた。生まれて初めての楽しい出来事に、はしゃいでしまった自分が馬鹿みたいだった。




