06.そばにいさせて(1)【ユニ視点】
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ユニたちが拠点に選んだのは、商業区に建てられた石造りの一軒家だった。出入口は巨大な引き戸になっている。それを二人がかりで開けると、薄汚れた石床に竹製の篭が散らばっていた。年月の経過により黴が発生している。その篭を載せていたのか、木製の壇が場所を占領している。檀を避けて裏側に回り込むと、居間らしき内装が視界に広がった。奥に錠が壊れた扉があり、風を受けて開いている。
ユニたちがその一軒家に足を踏み入れた時、居間に屯していた数匹の魔獣が駆け寄ってきた。鼠の姿をした魔獣。【地を弾む】だ。
ユニは散弾銃を肩に担ぎ、ミルラは能力を発動するべく精神集中を行う。しかしそれより早く、先頭を歩いていたレイゲンとルカが敵を片づけてくれた。レイゲンの大剣は一振りで鼠を両断し、ルカもレイゲンのように素早くとは言えないが、危なげなく鼠を倒していた。死体を家の外に引っ張り出して初めて、室内をゆっくりと眺めることができた。
都市が繁栄していた頃は、商店として使われていたのだろう。居間の横は物置になっており、爪痕が残った扉が木板となって倒れていた。中には色が変色した手拭いや石鹸類が乱雑に置かれている。紙袋は破かれ、詰められていた小麦粉はぶちまけられていた。居間は積もった埃と蓄積した汚れで薄黒くなっていたが、倉庫に比べれば随分と綺麗だった。東側の壁には大きな穴が空いており、風が吹くと埃が舞う。
背負っていた背囊を、武器と一緒に壁際に置いたユニは、これは掃除が大変だと重い溜息を落とした。
「レイゲン」
ルカがレイゲンに歩み寄って、掌を見せた。怪訝そうにする彼に、察しが悪いというようにしつこく掌を近づける。レイゲンはやっと思い至ったのか、それを自分の掌で叩いた。
「一体なんだ」
「お疲れ様って意味だよ。お前ほんっとノリ悪いな」
ルカが大仰に吐息を落とす。荷物を床に置いたミルラが、二人を振り返って笑った。
「レイゲンさんがノリがよかったら、逆に不気味だよ」
出た、ミルラ得意の毒舌が。レイゲンが眉を寄せて彼女を見やるものだから、ユニは慌てる。
「ミルラ、そんな言い方ないでしょ!」
「お、おう……」
ルカは完全に引いていた。自らも暴言の的にされるのを恐れたのか、ミルラから少し距離を取る。
「……あ、ごめん! ひどいこと言うつもりじゃないの、レイゲンさん! いつも目つき悪くて顔が怖いから、もごっ」
「もうやめてぇ! 喋らないで!」
ユニはミルラの口を手で覆った。悪意のない悪口の数々を受け、レイゲンが少しでも傷ついたらどうしてくれる。ユニはこの遠征中、ミルラの口を縫っておこうかと本気で思った。
「ごめんなさい、レイゲン。この子喋る前に考えるってことをしないのよ」
レイゲンは明らかに不機嫌そうだった。ルカが意地悪く笑う。
「普段から愛想のない顔してっからなー。お前ちょっと笑ってみろよ。そしたらミルラもあんなこと言わないかもしれないぞ」
「面白くもないのに誰が笑うか」
レイゲンは大剣を肩に担いで、外に出て行ってしまった。ルカもその後に続いて、引き戸の辺りで立ち止まる。
「うわー、どっから湧いて出てくんのかね」
ルカのうんざりとした声を聞いて、ユニもミルラも彼の横から外を見た。
倒壊を待つ商店に左右を囲まれ、真っ直ぐに大通りが伸びている。ユニたちの気配を感じ取ったのか、鼠と猿の魔獣が徒党を組んで近づいてきていた。戦端を開いたレイゲンが、肉薄しざま鼠を斬り伏せる。
「んじゃ、俺も行ってくるわ」
「待って! アタシも行く」
ルカはユニたちに片手を振ると、外に駆け出そうとする。レイゲンの役に立ちたい一心で、ユニは彼を呼び止めた。
「お前らは部屋のごみ集めててくれよ。敵は小型だし、大したことねーから」
ルカは大通りに駆け出した。次いで剣戟音が鋭く響いてくる。
散弾銃を抱いたまま、ユニは床に座り込んだ。
ルカの体力や敏捷性は、男子の中でも抜きん出ている。彼が援護に回る方が、レイゲンも動き易いだろう。
特筆した能力を持たないユニが出ていくよりも。
(アタシにあの力が使えたら……)
ユニの両親を殺害した凶漢を屠った、無数の刃。それを自身の意思で発現できていたなら、今頃レイゲンの隣に立っていたのはルカではなく自分だっただろう。ユニの中に眠る力は、ユニがどんなに念じても姿を現そうとしない。フェイヴァの話から推測すると、おそらくはユニ自身が命の危険を感じなければ発動しないのだろう。
「二人なら大丈夫だよ。掃除してよう、ユニ」
ミルラは立ち上がると、居間を横切って掃除道具を探しに行った。ドアを開けると中に踏み込んでいく。棚を発見したのか、騒々しい物音をたてて箒を引っ張り出してきた。
ユニは壁に散弾銃を立てかけると、箒を握った。
「アタシ、レイゲンの役に立てないのかしら……」
レイゲンの力になりたい。彼を守りたい。それはひいては、彼に自分を意識してもらいたいという、利己的な思いに繋がっている。
箒が床を掃く音が止まった。見上げると、ミルラは柄を握ったまま、顔を俯けていた。漆黒の瞳に悲痛な色が透けて見える。
「ミルラ?」
「前から気になってたんだけど、ユニはレイゲンさんのどこがいいの?」
友人の思い詰めた表情に名を呼べば、ミルラはそんな疑問を投げかけてきた。
「何って、それはもちろん顔よ! 初めて見たときに、今まで感じたことがない気持ちになったの。この出逢いは運命だって!」
「顔、だけ?」
ミルラがうなだれると、耳の下で結ばれた髪が揺れた。もっと劇的な理由を期待していたのだろう。
顔より性格を重視すると言う女子もいるが、そんなものは男子受けを計算した戯言だ。誰だって顔は醜いより綺麗な方がいい。相手の顔を見て一目惚れすることは、不自然なことではない。
「今はそれだけじゃないわよ。お菓子が好きな可愛いところも、どこか放っておけないとこも好き」
一見すれば冷たい青年であるレイゲンは、その実恥ずかしがり屋だった。素の自分を素直に表現できないのは、彼が何らかの心的外傷を抱えているせいだろう。心に刻まれた深い傷は、彼の胸の内に張りついていて、ずっと痛みを発しているに違いない。ときおり彼が見せる暗い眼差しから、それが感じ取れる。
「でも、レイゲンさんはユニのこと」
「やめて!」
レイゲンのことを想像し、切なくも温かい思いに浸っていのに、冷水を頭から浴びせられたようだった。
ユニの脳裏に浮かぶのは、レイゲンと向かい合って微笑んでいるフェイヴァの姿だ。訓練中にたまに見る、フェイヴァと話しているレイゲンは、彼自身が気づいていないだろう柔らかな表情をしている。
レイゲンの気持ちが誰に向いているのか、一目瞭然だった。けれどもそれについて、思考を巡らせたくはなかった。しかも、幼い頃から一緒にいる友人の言葉をきっかけにして。
「どうしてなの? ミルラっていつもそう。どうしてアタシのこと応援してくれないの? 何が不満なのよ! 口に出して言ってみなさいよ!」
ミルラは何も言わなかった。ユニの怒号が室内に反響し、消えていく。暇をおかず、低い唸り声が響いた。ユニとミルラは揃って声の出処に顔を向ける。
壁の穴から、乱れた灰色の毛並みが覗いていた。骨だけになった顎が噛み合わされて、牙が音を鳴らす。下腹から背中にかけて毛皮に覆われておらず、赤黒い肉が脈動している。赤子ほどの大きさの鼠──スライトだ。
ミルラは箒を手放すと、壁に立てかけていた大剣を掴んだ。
「ユニ、どいて!」
進路を譲ったユニの隣を、ミルラが駆け抜ける。敵を斬りつけることにばかり意識を集中しているのだろう、腰が引けたまま刃を振り下ろした。切っ先は前脚を傷つけるが、傷は浅い。
スライトは大口を開け、跳躍した。ミルラは咄嗟に身を引くが、足がもつれて転倒する。
ユニは自分の大剣を手に取った。
ミルラの鎧に爪を立て、スライトは牙を剥き出しにした。小刀と違い、刀身が長く重量がある大剣では、馬乗りになられた際に取り回しが利かなかった。
「動かないでっ!」
ユニはミルラに呼びかけると、スライトに大剣を振り下ろした。首の肉を深く裂いたが、骨を断ち切るには至らない。鼠は跳ねてミルラの身体から離れた。尾が持ち上がると、先端に赤い光が宿る。
火炎弾を放たれては不味い。ユニは足を踏み出した。
起き上がったミルラが、大剣を薙ぎ払った。今度こそ鼠の首は完全に落とされ、床に転がった。
死体を損壊することに抵抗があるのか、ミルラはしばらく鼠を見下ろしていたが、大剣を持ち上げると胴体に振り下ろした。息の根を止めたからといって放置していては、体内から幼体が生まれてしまう。胴体を損ねることによって、体内の卵を破壊するのだ。
壁に大剣を立てかけたユニは、ミルラに近づいた。死体を外に出してしまわなければ、血が床に染みついてしまう。
「ユニ……助けてくれてありがとう」
「お互い様よ。アタシの方こそありがと」
スライトから爪や牙などを取り外すと、ふたりで前脚と後ろ脚を掴み、出入口から死体を外に投げ捨てた。切断された頭を捨ててくれたのはミルラだった。顔をこれでもかとしかめ、首に目を向けずに外に持って行った。
レイゲンとルカは大丈夫だろうか。顔を上げてふたりを探すと、心配する必要すらないことを知る。突っ込んでくるスライトに、レイゲンが肉薄する。彼は一刀で鼠の首を落としてしまう。ルカは後方に下がり、彼の援護に徹していた。精神集中をした後に発揮される【地】の能力は、主に防御に優れていた。レイゲンの身体に金色の光がまとわりついている。体内のエネルギーを結びつけ、一定時間身体を頑丈にしてくれるのだ。
ユニは安堵の吐息を落とすと、ミルラとともに家の中に戻った。
物置から変色した手拭いを持ってきて、ミルラと一緒に魔獣の血を拭いた。赤黒い液体は乾いた布に吸われ、重くなっていく。血を完全に拭き取ることはできたが、魔獣の血液特有の生臭さが鼻をついた。どうにかできないかと考え、石鹸を乾いた手拭いに馴染ませて、床を拭いた。何もしないよりはましだろう。
外からは、刃を走らせる風切り音が絶え間なく響いてきていた。
塵取りを終えると、乾いた手拭いで床を拭く。ほとんどの手拭いが真っ黒になるまで繰り返し拭うと、床は随分綺麗になった。尤も、四人が横になれるくらいの面積だったが。
腕が疲れて重くなっていた。ユニは塵箱代わりに広げていた紙袋に、タオルを投げ捨てた。壁に背を預け座ると、ミルラが近づいてきて隣に座った。
「あたしね」
膝を抱えたミルラが、ユニの方を見ずに言う。
「ずっと怖かったの。ユニに好きな人ができたら、あたしのことなんてどうでもよくなっちゃうんじゃないかって。……ひとりになりたくなかったの。勝手なこと言ってるのはわかってる」
ユニは笑った。そんなことをずっと心配していたのだ。だとすると、ミルラの中の自分はなんて冷たいのだろう。
「アタシがそれくらいしかあんたを思ってなかったら、孤児院出たときに離れてたわよ。けど、今まで一緒に暮らして、こうして同じ学校に入ったじゃない」
ユニにとってミルラは、物心がついた頃からともにいた、言わば家族だ。恋人ができたからといって、その関係は変わるものではない。なぜそれがわからないのだろうか。
(今までこんなこと、口に出して言ったことなかったわね。言わなくてもわかってるだろうって思ってたから)
本当に大切な気持ちは、言葉にしなければ伝わらない。
「だから、これからも何があってもずっと一緒よ。あんたのこと、放り出したりしないわ」
ミルラは顔を歪めた。今にも泣き出しそうなその表情は、いじめっ子たちから助けてあげたときと変わっていない。
「今までは、好きになってつきあっても長続きしなかったけど、レイゲンに対しては本気なの。今までこんなに、真剣に誰かを好きになったことなんてなかった。だから……応援してなんて言わないけど、見守っててよ。あんたに辛い顔されるの、嫌なの」
嘘偽りのない気持ちを言葉にする。ミルラの泣きそうな顔が、やがて微笑みを浮かべる。が、ユニには泣き笑いにしか見えなかった。
「本気で好きなのね。……わかった。あたし、もう何も言わない」
「ありがと」
納得してくれなかったらどうしよう。そんな思いを抱いていたユニは、自分を恥じた。ミルラはやはり、ユニの知るミルラだったのだ。訓練校の生活を経ても、それは変わらない。
「大丈夫か、ふたりとも!」
ルカの声を聞いて、ユニとミルラは出入口に目を向けた。ルカとレイゲンが、引き戸を潜って室内に足を踏み入れたのだ。
「ルカ、レイゲンさん、お疲れ様。ありがとう」
ミルラはふたりに軽く頭を下げる。ルカは口角を上げて、顔の前で手を振る。
「よせよ。大したことない敵だったからな。
お前ひとりで十分だったかもな」
そう言って、ルカはレイゲンを振り向いた。彼は表情を動かさない。ルカと違って疲労の色は見当たらなかった。
「いや、そんなことはない」
「お前、こういうときだけ謙虚だよな」
レイゲンの変わりない様子を確認して、ユニの表情が安堵に緩んだ。ふと、彼の頬に魔獣の血が付着しているのを見つける。壁際に駆け寄って、背囊から小さめの手拭いを取り出すと、レイゲンに近づいた。
「ふたりとも、ありがとう。レイゲン、頬に血がついてる」
「どっちだ?」
レイゲンはユニに示すように促すが、ユニにはそんな気は毛頭なかった。顔が熱くなるのがわかる。自分は今、赤面しているだろう。間近にレイゲンの端正な顔がある。
「拭いてあげる」
「やめろ、自分でやる」
本気で嫌そうな顔をしているわけではない。目を反らし、言葉を投げかけるさまは恥ずかしがっているのだ。こんなときのレイゲンは本当に可愛い。ユニは彼の頬を拭ってやった。
レイゲンは長身だが、ユニ自身も背が高いため、背伸びすることなく顔に手が届く。理想的な身長差だと、ユニは思っている。
「恥ずかしがらなくていいのに。そんなあなたも素敵」
ルカとミルラは、初々しい二人の様子を微笑ましそうに見守っていた。
ユニからそそくさと離れたレイゲンに、ルカは声をかける。
「腹空かねーか? 食い物探しに行こうぜ」
調子を狂わされていたレイゲンは、表情を引き締める。
「そうだな。班を二人ずつに分ける。ルカは残れ。お前まで外に出たら守りが手薄になる」
ルカはユニたちが掃除した床を見た。
「だな。せっかく綺麗にしたのに、魔獣が入って荒らされるのは嫌だしな。短時間でよくここまで綺麗にしたな。ありがとな」
「でしょう? 美味しい食べ物期待してるから」
ルカの言葉に、ミルラが胸を張る。
「では、俺と──」
レイゲンの視線が、ミルラとユニに交互に向けられる。
これは好機だ。レイゲンと二人きりになりたい。ユニは手を挙げた。
「はいっ! アタシ、レイゲンと一緒に食べ物探してくる!」
「じゃあ、俺たちは居残りか。使えるもの探しとこうぜ」
「……うん、そうだね」
「いいよな、レイゲン」
ユニが名乗り出たことにより、ルカとミルラはすんなりと待機することを了承した。
ユニとミルラの実技成績は、ミルラの方がわずかに上というだけで、どちらを選んでも大差はないのだ。レイゲンが何かを言うとするなら、自分の意見を聞かず勝手に決めるなというくらいだろう。
レイゲンは表情を動かさずにユニを見たが、文句を言うでもなくわかった、と口にした。
「いいだろう。お前たちは待機だ。できるだけ早く戻る。決して気を抜くな」
(やったっ!)
ユニは喜びに、内心で手を握った。自分の口元が緩んでいないか心配になる。
「おう、気をつけろよ」
「レイゲンさん、ユニのことお願い」
ユニは散弾銃と大剣を身に帯びると、レイゲンに駆け寄った。
「レイゲン、行こっ」
思いきってレイゲンの腕に自身の腕を絡ませる。上半身に鎧を纏っているものだから、恵まれた肢体を武器にすることができない。
「離せ」
「ふふっ、照れちゃって可愛い」
「誰が照れるか」
気楽な様子で手を振るルカと、寂しげな笑みを浮かべるミルラを背にし、二人は出発した。
魔獣の縄張りに食糧を探しに行くというのに、恐ろしさはまったく感じなかった。高鳴る鼓動に後押しされて、ユニはレイゲンの隣を歩く。




