05.荒廃都市とその原因(2)
ハイネは箒を放り出すと、壁に立てかけていた大剣を肩に担いだ。リヴェンは舌打ちをし、ハイネの横にあった自分の大剣をむんずと掴むと、壁に空いた穴から外に飛び出した。迎撃した魔獣の興奮した鳴き声がする。
「またひとりで先走る」
ハイネは別段慌てる様子もなく、遅れて穴を潜り抜けて行く。
フェイヴァとサフィは穴から顔を突き出して、二人の行方を目で追った。
庭を横切って駆けてくる鼠の姿をした魔獣――【地を弾む】に、リヴェンたちが向かっていく。近づきざま振り抜いた大剣が、鼠の首を斬り落とした。敵の数は五匹程度だったが、二人の腕があれば問題ないだろう。魔獣の中で最も小型であるスライトは、成績最下位の者でも打ち倒すことができるのだ。
剣戟音とリヴェンが放つ雷鳴が、断続的に響いた。雷光が辺りを眩く染める。
「僕たちも行こう!」
「……二人なら大丈夫だよ。私たちが行ったら逆に邪魔になっちゃうかもしれないし、掃除の続きしてよう」
散弾銃を構えたサフィに、フェイヴァは首を横に振って見せた。部屋の中に戻り、立てかけていた箒を持ち上げる。
サフィは穴の前に突っ立っていたが、しばらくすると部屋の中央に戻ってきた。
「ずっと思ってたんだけど、訓練生の中には戦うことが平気な人がいるよね。ハイネやリヴェンみたいに。広場でのこと覚えてる? ハイネ、群れを成して襲ってきた魔獣を見て、面倒臭そうに溜息吐いてさ。……僕なんていまだに怖いよ」
恥じるように顔を俯けるサフィに、フェイヴァは微笑みかける。
「それが普通だよ。皆、色んなことを体験してきてるんだと思う」
リヴェンの過去はわからないが、ハイネがウルスラグナに来る前にどんなところにいたのか、ルカに少し話を聞いた。ルカがフェイヴァに話したのは、人生のほんの一部に過ぎないだろう。ふたりはもしかすると、想像を絶するような体験をしてきたのかもしれない。そんな人が訓練校には集まっているのだ。
「フェイヴァだって、女の子なのに強いよね。入学試験ではそんなふうに見えなかったのに」
「えっ? そ、そうかなぁ?」
サフィがそんなことを口にしたのは、実地試験で彼に怪我をさせないようにとフェイヴァが立ち回ったせいだろう。思わず声が裏返りそうになる。不審に思われても仕方がないかもしれない。
外から聞こえてくる剣戟音は、収まることがない。フェイヴァは掃いたごみを塵取りに集めた。
埃が降り積もった部屋が、聞こえてくる魔獣の鳴き声が、自分が平穏とは言い難い場所にいることを思い知らせてくる。脳裏に浮かぶのは、翼竜の背から見下ろした都市の全景だ。三千人もの人々が暮らしていた都市が滅びた。それを引き起こしたのは、たったひとりの人間なのだ。
「ねぇ、サフィ」
「どうしたの?」
サフィは椅子を部屋のすみに移動させていた。みんなが寝転がる空間を確保するためだろう。
「サフィはどう思った? この都市を見下ろしたとき」
「想像していたよりひどくてびっくりしたよ。信じられなかった。でも、壁に飛び散った血は本物なんだよね……」
ペレンデールが荒廃した原因は、ひとりの覚醒者にあった。その女はある日突如として発狂し、都市の住民を片っ端から殺し始めたのだ。
住民を守るために最初に立ち上がったのは、守衛士だった。都市中の守衛士が連携し、女の凶行を止めるために立ち向かった。しかし、誰ひとりとして生き残ることはなかった。周辺の都市から実力のある狩人が集められ、討伐のために都市に向かったが、彼らは守衛士たちと同じ轍を踏んだ。
事態を重く見たグラード国王は、国軍をペレンデールに派遣した。国軍は三日をかけて都市に到着し、死体が積み重なり腐敗していくさまを目撃した。目標を探し都市を移動した彼らが発見したのは、首を切断された女の姿だった。頭蓋は割れ、飛び出した脳漿は乾ききっていた。硬直した顔は女とは思えぬ獰猛な笑みを湛えており、見る者の背筋を凍らせたという。
国軍は死者を埋葬し生き残った数人の住民を救出すると、都市を後にした。主を失った都市は朽ち、門扉を打ち破り防壁に穴を開けて侵入した魔獣たちの住処となったのだ。
「たったひとりの覚醒者が、大勢の守衛士や狩人を相手にして生き残れるのかな?」
教官から聞かされた説明だと、その女の覚醒者はとてつもない強さだったようだ。
「普通なら無理だよ。覚醒者はこんな風に」
サフィは瞳を閉じ、眉を寄せて精神集中を行った。右掌に、淡い水色の光が浮かび上がる。【水】の能力の中でも基本となる、治癒能力を高める力だろう。覚醒者は主に三種類の能力を使うことが可能で、高位の力ほど精神集中時間が長くなる。
「精神集中をしなきゃ力を使うことができないんだ。それはどんなに鍛練を積んでも、力の制御に優れていたとしても、決して零にはならない。それが致命的な隙になるはずなんだけど」
覚醒者は精神集中を行わなければ力を使うことができない。フェイヴァはテレサを脳裏に描いた。そもそも彼女は、フェイヴァを兵器開発施設から連れ出す際の戦いで、精神集中を行っていただろうか。彼女は瞳を閉じ己の内に閉じ籠ることなく、瞬時に能力を発現させていた。幼い頃、悪漢たちを殺したユニも同様だ。
「わからないのは、守衛士も狩人も倒したその人が、誰に殺されたのかってことだよ」
都市ペレンデールの終焉。それがあまりに不気味に感じてしまうのは、女の行った虐殺もそうだが、彼女を殺した人物が何者なのかわからないことも理由のひとつだった。
「生き残った守衛士や狩人が、何とかしてやっつけたとか?」
「資料には守衛士や狩人が生き残っていたという記録はなかったし、その人を殺して力尽きたのだとしたら、死体は他のものより腐敗が遅れるはずだよね? 国軍の手記によると、真新しい死体は見当たらなかったんだって」
「そ、そうなんだ……」
教官は授業でそこまで詳しく話していなかったが、本の虫であるサフィは図書室で資料を調べたのだろう。
フェイヴァの頭の中に、腐敗した人の死体が浮かび上がる。腐った死体を見たことはないが、こんな感じだろうというものは想像できる。黒く変色した肉。汚水が身体からにじみ出し、鼻が曲がりそうな腐敗臭を発する。自分の想像で気分を害した。
「人が必死に戦ってるのに、のんきに雑談なんていい身分だね」
鎧が軋む音とともに、ハイネの声が聞こえた。フェイヴァは悲鳴が出そうなくらい驚いた。
「ご、ごめんなさい! 二人とも強いから、大丈夫だろうって思ってた」
「ま、いいけどね」
ハイネは大剣を壁に立てかけると、乱れた髪を整えた。ハイネが握った皮袋は張り詰めている。上半身に纏った鎧に少し傷がついていた。
遅れて穴から姿を現したリヴェンは、顔をしかめていた。壁に背中を預けると、どっかりと腰を落とし大剣を床に刺した。
「おい、愚民ども! この俺を称えろや!」
「流石リヴェン」
「リヴェン様ありがとうございます!」
「おいコラ、サフィテメェ棒読みじゃねぇか! 花畑女もわざとらしく言ってんじゃねぇぞ! アホが!」
「え、えぇ~……」
相変わらずリヴェンは滅茶苦茶だ。自分なりに気持ちを込めたつもりなのだが、彼には伝わらなかったらしい。
「すごいねハイネは。まったく動じていないように見えるよ」
サフィの言うように、ハイネの落ち着きっぷりは普通の少女とは思えない。彼女は我に返ったような表情をし、顔を俯けた。
「だとしたら、あんたの目は節穴だね。これでも怖くて仕方ないんだよ。……なんとか切り抜けられて安心したよ」
「そう?」
納得できないのか、サフィは首を傾げた。
ひとまずの危機が去って、部屋の中には緊迫感とは無縁の、緩んだ空気が流れた。リヴェンが両手を頭の後ろで組み、独りごちる。
「腹減ったな」
ペレンデールに到着してから何も食べていない。その上二人は激しい運動を行ったのだ。より空腹になるだろう。
やっと役に立てると、フェイヴァは立ち上がった。
「待ってて。何か食べるものを探してくるから」
「僕も行くよ」
「勝手に行動しないで」
サフィと一緒に部屋から出ていこうとしたフェイヴァは、ハイネに呼び止められた。
「あんたらじゃ、食糧を探すどころの話じゃないよ。この家に魔獣が入ってこないように番をしてなきゃならないし」
「どうするんですか?」
ハイネは自分が背負ってきた背囊に這って近づくと、何かを取り出した。
「これで、二人ずつに別れる」
三人を振り向いたハイネの手には、十クローツが握られていた。銅貨だ。表には地天使の横顔が、裏には荒れ狂う海と船が刻まれている。
「表か裏に決めて。わたしは表」
「じゃあ、僕は裏。リヴェンは?」
「裏に決まってんだろ。表にしたら、また緑頭にこき使われるからな」
「では、私は表にします」
「よし」
全員の意見を聞いて、ハイネは親指で銅貨を弾いた。銅貨は回転しながら跳び上がり、ハイネの掌に落ちてくる。結果を見たハイネは口許を歪めた。
「……表だ。フェイヴァ、準備して」
「はい!」
フェイヴァは立ち上がると、壁に立てかけていた自分の武器を身に帯びた。
「リヴェン、怠けず防衛して。サフィも援護をお願い」
「誰に命令してんだテメェは。床に額を擦りつけて懇願しろや」
「お・ね・が・い・し・ま・す」
「止めろアホボケカス!」
ハイネが一言一言区切りながら、リヴェンの髪をわしゃわしゃと掻き混ぜた。リヴェンは怒鳴って彼女の手を払い除ける。
「チビの上にハゲという呪いも背負うがいい」
「あ? 俺はまだ成長途中なんだよ! 適当なこと抜かしてんじゃねぇぞクソ女」
「チビでハゲなおっさんになれ」
「うるせーっ! とっとと失せろ!」
リヴェンは苛立ちを露わに、フェイヴァたちを追い出しにかかる。ハイネは勝利を感じさせる表情で、鼻で笑った。
「ふたりとも、ここは任せて。気をつけてね」
サフィに見送られ、フェイヴァとハイネは出発した。




