02.贈り物大作戦【レイゲン視点】
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ロートレク王国の東に位置する、都市ネルガル。公共区に建てられたウルスラグナ訓練校を、最も高い場所に昇った太陽が照らしていた。午前の授業を終えた生徒たちは、練習場から校舎に吸い込まれていく。
部屋に戻って鎧を脱いだレイゲンは、飾りつけられた紙袋を見下ろしていた。品物を包んだ白い袋はレイゲンの掌ほどの大きさで、桃色の花飾りがくっついている。
刻一刻と、約束の時間が近づいてくる。
ルカが作戦会議と称した話し合いでは、ハイネが昼食後にフェイヴァを校舎の裏に呼び出す手筈になっていた。
「可愛い飾りだな。まさか、お前がつけたのか?」
鎧を戸棚に仕舞ったルカが戯言を抜かした。少し苛つく。
「そんなわけないだろ」
「わかってるって、冗談だよ。でもこれ、ひとりで店に買いに行ったんだろ? 俺なら無理だな」
品物を購入したのは、昨日の午後だ。午前中までの訓練が終了した後、レイゲンはひとりで商業区に向かった。
それらしき店を見つけレイゲンが足を踏み入れると、店員は互いに声を潜め話し始めた。化粧が施された顔は赤く色づいている。居心地が悪い。早く済ませてしまおうと、商品が陳列された棚に近づいた。フェイヴァに似合うであろう色合いのものを選び、受付台の年配の店員に示す。
『これを下さい』
『包装されますか?』
『はい』
朴訥そうな顔立ちをした店員は、他の若い店員と違って微笑ましそうにレイゲンを見た。その笑い方が血の繋がらない姉を思い起こさせる。
『レイゲンちゃん、ほんとにフェイヴァに贈り物すんの!? 無愛想な面してやるじゃん、この隠れ変態!』
とち狂ったことを言うピアースを想像してしまって、腹が立った。
『可愛いわねぇ。彼女に贈り物?』
『違います』
現実でも苛立つ言葉を投げかけられ、火に油が注がれる。レイゲンは金を払い袋を受け取ると、店を出た。
(あんな思いは二度とごめんだ)
思い出すだけでも恥ずかしかった。義務感に駆られていなければ、足を踏み入れることさえできなかっただろう。
「上手くいくといいな。頑張れよ、おい」
ルカが音が鳴るくらいにレイゲンの背中を叩いた。
「やめろ痛い」
「どうなったか教えてね。もちろん、言い難いことだったら言わなくていいんだよ」
普段は逸る者を宥める立場であるサフィまでもが悪乗りして、何かを期待するような顔をする。そんな彼らの表情が、レイゲンには腹立たしい。
「何を面白がっているかは知らんが、俺はあいつに借りを返すだけだ」
「恥ずかしがってんじゃねーよ、素直になれよ」
まるで見世物を見るかのように締まりのない表情をするルカとサフィ。苛立ちを通り越して不愉快になったレイゲンは、身支度を整えると部屋を出ていった。
***
昼食後には珍しく菓子が出されたが、せっかくの甘いものは堪能できなかった。もやもやとしたものが胸に残り、食事と同じように味気なく食べ終えてしまったのだ。好物の菓子を味わわず食してしまうなんて、今までにない経験だ。レイゲンは、自身がある種の緊張を抱いていることを知る。
(ただ買ってきたものを渡すだけじゃないか。どうしたんだ、俺)
制服から私服に着替えて、校舎を出る。途端、強い日光が照りつけてレイゲンの足下に影を落とす。校舎の裏に向かいながら、自分には女子に何かを渡した経験があったかと、過去を振り返る。
家族と暮らしていた頃は、幸せと苦しみが隣り合わせになっていて思い出すのも苦痛だ。ふとした瞬間に思い出す暮らしの風景は、黒く塗り潰されている。家族との暮らしが終わった日に、レイゲンも一度死んだと言っていい。そのあと、紆余曲折がありベイルに引き取られるのだが。
(……ないな)
デュナミス家に引き取られてからのレイゲンは、強さを追い求め鍛練の日々を送った。色恋を知っていい年頃になっても、空想を描いた本を読んでいたピアース同様に、レイゲンもまた恋愛とは無縁に生きてきたのだ。自分にとってはそれが当たり前で、変わることなく続いていくと思っていた──のだが。
(馬鹿か俺は。何を考えているんだ)
校舎の裏手に到着する。なんのことはない、校舎の背中と、背の高い塀に挟まれた場所だ。数日前に雑草を刈ったので、見通しが良くなった。
レイゲンは塀に背中を預けて、フェイヴァを待った。
靴音が聞こえてきたのは、それから数分後だった。
淡い色をした服の裾が、風を受けてはためいた。流される桃色の長髪を手で押さえて、フェイヴァは周囲を見回す。どこか不安げに見える顔は、レイゲンに目を向けるとパッと明るくなった。小動物のように愛嬌のある表情になり、駆け寄ってくる。
「こんにちは、レイゲンさん」
「あ、ああ……」
「ハイネさんはまだ来ていないんですね。早速作戦会議をしましょう」
「何の話だ」
レイゲンが訝しむと、フェイヴァは首を傾げた。
「何って、レイゲンさんもハイネさんに呼び出されたんじゃないんですか?」
どうやらフェイヴァは勘違いしているらしい。ハイネは校舎の裏に来るように伝えただけなのだろう。その選択は賢明だ。事の詳細を知れば、ユニやミルラが一緒に来る可能性がある。第三者に目撃されるのは避けたい。
「あいつはここには来ない。俺があいつに伝言を頼んだんだ」
思い違いを訂正してやると、フェイヴァは驚いた顔をし、それから胸を撫で下ろした。
「よかった……。私、ハイネさんに正体を知られたのかと思って、怖かったんです。ハイネさん、私を怪しんでる感じがあるから」
「普段から気をつけてるんだろ。お前は考えすぎだ」
「そうですよね。私もそう思います」
校舎の裏に足を運ぶだけでも、多大な緊張感を抱いていたのだろう。それが取り越し苦労だったと知り、フェイヴァは赤面する。
彼女を見下ろしていたレイゲンは、既視感を覚えてフェイヴァの衣服を凝視した。衣服の襟についたひだ飾り。花弁を模した裾。水色と桃色が柔らかな印象を与える筒型のその衣装は、以前テレサに挑発されて自分が選んだものだった。
「……その服」
「あ、覚えててくれたんですね! この服、レイゲンさんが前選んでくれたんですよ。裾の模様が可愛くて、私大好きなんです!」
淡い色をした、艶やかな長髪。華奢な肢体を包む衣装は、フェイヴァの可憐な容貌を装飾していた。まるで一輪の花のようだと、柄にもない思考が浮かんでくる。顔が熱い。
「それで、用って一体なんでしょう?」
「ああ」
衣嚢に顔を向けたレイゲンは、そこから小さな包みを引っ張り出すと、フェイヴァに差し出した。
「これをやる」
花を模した飾りがつけられた、白い紙袋。フェイヴァはじっと見つめていて、受け取る様子がない。
ばつが悪くなり、レイゲンは言葉を発した。
「ずっとお菓子を作って持ってきてくれただろ。俺も何か返さなきゃ借りをつくっているようで嫌だからな。……それだけだ」
目を丸くしていたフェイヴァは、口許を微笑ませた。袋を受け取ると両手で大切そうに包み込む。
「……ありがとう。気にしなくていいんですよ。私が好きでやっていることだから」
「そういうわけにはいかん」
「開けてみてもいいですか?」
「ああ」
飾りつけられた袋を、フェイヴァは丁寧に開ける。中に入っていたのは、落ち着いた水色で染められた帯状の織物だった。袋を脇に挟んで、織物を両手で握る。
「綺麗……。早速つけてみます」
レイゲンが反応を示す前に、フェイヴァは両手で髪をまとめた。後頭部の辺りで織物で結ぶ。
「くるりんぱ。どうでしょう?」
珍妙な言葉を口にしながら、その場でゆっくりと回って見せる。束ねられた髪と衣服の裾が、フェイヴァの喜びを表すようにふわりと揺れ動いた。
「ああ、き──」
思わず口走りそうになった言葉を、咳き込んでごまかす。
「まあまあだな」
「えへへ~」
満足そうに微笑んで、フェイヴァは指先で織物に触れた。幸せそうに瞳を細める。
「私、これから訓練の時とかは必ずこの織物をつけますね。これで髪をまとめていると、レイゲンさんに見守ってもらえてるみたいで気合いが入るから!」
凛々しく眉毛を寄せて、両手をぐっと握り締める。そんな彼女が見ていられなくて、レイゲンは顔を逸した。
「……勝手にしろ」
(どうしてこいつは、こんなに恥ずかしいことばかり言えるんだ)
自分の気持ちを偽ることなく、正直に口にするフェイヴァを、レイゲンは少しだけ羨ましく思った。




