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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
5章 清廉なる精神
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03.友達百人つくりたい


***


 公共区に建てられた教会の鐘が、森閑とした都市に夜明けを告げる。建物に防壁に反響した音色は、重厚な響きとなりやがて溶けていく。


 ほの暗い空は、地平線から昇る朝日に白く焼かれた。


 身支度を整えた訓練生たちは、広場に集合し点呼をしたあと、朝食を取る。その次に三十分間行われるのは、校内の掃除だった。場所は月毎に変更され、広間の掲示板に貼りつけられる。


 今月フェイヴァに割り当てられたのは、広間の床掃除だった。水をくんだ桶と雑巾を持って、広間に足を運ぶ。


 朝と夜、訓練生たちのざわめきと教官の怒鳴り声で満たされる広間は、水を打ったように静まり返っていた。西側と東側にある窓から陽光が射しこんで、宙に浮いていた細かな埃が照らされる。


 まだ誰も来ていないようだ。先に始めていようと、広間のすみに設置された用具入れから箒を掴み出して、フェイヴァは床を掃き始めた。


 無心で床を掃くこと数分。通路を歩いてくる靴音を聞きつけて、フェイヴァは目線を出入口に向けた。


 日の光を受けて、茜の髪が更に明るく色を変えている。リヴェンがひとり、出入口を横切るところだった。どこに行こうというのだろう。リヴェンも同じく広間掃除に割り当てられているのに。フェイヴァは箒を手放すと、彼に駆け寄った。


「リヴェン、おはよう!」


 出入口からフェイヴァが顔を出すと、リヴェンは目を丸くした。が、次にはいつもの不愉快そうな表情に変わる。


「なんだテメェ、いきなり顔出してくんな」

「ごめん、びっくりした? 今からどこ行くの?」

「どこでもいいだろが。テメェに関係あるか」


 やはり怠けるつもりなのだ。以前リヴェンと同じく練習場の掃除に割り当てられたユニが、リヴェンはついに現れることはなかったと愚痴をこぼしていた。


「真面目にやろうよ。掃除は大切なことだよ。みんなとすごす校舎なんだもん。綺麗にしなくちゃ」

「ハッ! 馬鹿らしい。勝手にやってろ」


 説得しようとしたフェイヴァを鼻で笑って、リヴェンは脇を通りすぎて行こうとする。


「じゃあ、無理して掃除しなくていいから、何かお話ししようよ!」


 フェイヴァはその腕を掴むと、広間に引っ張った。


「なんでそうなんだよ!? 離せや!」

「私、いろんな人と友達になりたいんだ。だからリヴェンとも、いつかちゃんと話したいって思ってたんだ。ねっ?」


 フェイヴァよりほんの少し身長の低いリヴェン。フェイヴァは彼に、他の人には感じたことのない思いを抱いていた。もしも自分に弟がいたらこんな感じだろう、という憧れである。だから彼とは、できることならば良好な関係を築きたかった。


「あーっ! うるっせえな!」


 弟のような背丈でも男であることには変わりない。腕を握っていた手はあっさりと振り払われて、その上あろうことかリヴェンは拳を放ってきた。フェイヴァは驚いてかわし、足がもつれて転倒する。後頭部が床に激突し、ごつんといい音を鳴らした。


「くぅ~! 殴ったね! お母さんにも殴られたことないのにっ!」

「勝手に自滅しただけじゃねぇか!」


 馬鹿馬鹿しい。そんな思いを込めたように溜息を吐き、リヴェンは去っていく。頭を押さえてうずくまっていたフェイヴァは、彼の背中に声をかけた。


「本当に行っちゃうの? ……私、見たんだよ」

「なっ! 何を!?」


 振り向いたリヴェンは、心当たりがあるらしく、彼らしい表情が影を潜めた。瞠目した瞳がろうばいを示す。


「六日前の休日、ユニたちと商業区に買い物に行ったんだ。そのとき、リヴェン広場にいたでしょ?」


 昼にさしかかろうかという時間だった。商業区で菓子の材料を購入したフェイヴァたちは、都市の中央にある広場に向かったのだ。石畳の地に設けられたベンチ。噴水が涼しげな音を立てて水を撒いて、風に涼やかさを含ませている。都市の住民や旅行者のいこいの場所である広場。


 そこには、鳥類の翼を生やした巨大な天使像が建てられていた。神話に登場する人天使エルティアをかたどったものだ。剣を掲げた天使は、薄い衣だけを身にまとっていた。筒型の衣服で、覗く両足はほっそりとしている。像の足下に目をやって、最初に気づいたのはユニだった。


『あれ、リヴェンじゃない?』

『本当だ、珍しいね。相変わらずチビだし。一体何や……』


 リヴェンに目をやったユニとミルラが言葉を失ったのを不思議に思い、フェイヴァも彼女たちの方を向いた。


「リヴェン、あの時天使像の下から下着を覗きこんでたんだよね」

「あああああ!!」


 リヴェンの絶叫が、二人だけの広間に響き渡った。


『ユニ、リヴェンは一体何してるの? 天使像の下にうずくまって、体調が悪いのかな?』


 二人に教えてもらうまでは、フェイヴァはリヴェンが何をしているか分からなかった。ユニが唇の端を引き攣らせる。


『フェイ、わかんないの? あれは下着を覗き込んでるのよ。顔が上向いてるじゃない』

『気持ち悪っ。リヴェンって欲求不満なんだね。チビで口が悪いだけでも嫌なのに、その上像にまで欲情するなんて……これだからモテない男は』


 視線の先のリヴェンが、立ち上がって天使像の土台を蹴りつけた。フェイヴァの耳が、『なんで服の中身も精巧に造らねーんだ!』というリヴェンの悪態を聞いた。


「広間に残ってくれないなら、レイゲンさんたちに教えちゃおうかなー。どうしよっかなー」


 言い触らされた時のことを想像したのか、リヴェンは悔しげに口許を歪めた。


「……クソが」


 唇からもれた声に、生気は感じられなかった。フェイヴァはリヴェンの後ろに回り込むと、背中を押した。


 もしもリヴェンがフェイヴァの言葉に耳を貸さず去って行ったとしても、フェイヴァはリヴェンの()(たい)を言い触らすことはできなかった。そんなことをすれば、リヴェンの貴重な一年間は悪夢に変容する。女子には白い目で見られ、男子にはからかわれることになるのだ。それはあまりに辛いだろう。


 再び箒を手に取ったフェイヴァは、床を掃いていく。リヴェンは欠伸をし仰向けになった。


「そうだ! リヴェン、お菓子は好き? 私お菓子を作るのが好きなんだけど、何か食べたいものがあったら……」

「あんな甘ったるいもん食えるか」

「そっかぁー」


 嬉々としてリヴェンに話しかけたフェイヴァは、希望を打ち砕かれ肩を落とした。自分はお世辞にも話上手とは言えない。面白いことを言って人を笑わせることもできなければ、相手が興味のある話を引き出せるわけでもない。ユニやミルラといる時は、二人が喋ってくれるため、フェイヴァは聞き役に徹するだけでよかった。対人経験が乏しいにも関わらず、誰に対しても不機嫌な態度を取るリヴェンと仲良くなろうなんて、百年早いのかもしれない。


「リヴェンって好きなものは……あっ、聞かない方がよかったね」

「おい待て。何察したみてぇな顔してんだ」

「話を変えた方がいいね。リヴェンはここに来る前何をしてたの?」

「……なんでテメェにそんなこと話さなきゃなんねーんだよ、このボケが」

「もしかして嫌なこと聞いちゃった? ごめんね」


 一向に会話が発展しない。フェイヴァの話し方では、リヴェンの気持ちを聞き出すことはできなかった。リヴェンもまた、簡単に相手に心を許すような人ではないようだ。


 そんな彼にだからこそ、思いを伝えることが大切なのだろう。仲良くなりたいと思うのならば、自分を知ってもらうことが第一だ。


 フェイヴァはリヴェンと向き合い、箒の柄を握り締めた。


「私、思うんだ。この訓練校で皆と出会えたのは、奇跡みたいなものだって。世界中から百人の人が集まって、ここで生活してる。少しでもタイミングが異なれば、皆と出会うことはなかったんだって考えたら、なんだか不思議な気持ちになるよね。

 だから私、皆との生活を大切にしたいんだ。せっかくこうして会えたんだもん。この生活が終わっても、楽しかったなって、幸せで胸が一杯になるくらいに、楽しい思い出がつくりたいんだ」


 上半身だけを起こしてフェイヴァを見上げたリヴェンは、眉間に深くしわを寄せていた。薄く茶色がかった黄金の瞳が、不快げに細められる。


 リヴェンは知らないのだ。ウルスラグナで過ごす平穏なこの時が、フェイヴァにとってどれだけ尊いのか。リヴェンたちはウルスラグナから卒業すれば、自分の目指す道を選び進むことができる。けれどもフェイヴァは違う。望む望まざるに関わらず、反帝国組織の兵器として戦わなければならない。兵器を、仲間を、そして人を攻撃しなければならない日が来るのだ。


 それを思うと、身体の芯から冷えて震えが走るようだった。


「……本当に鬱陶しい奴だな。テメェがどう思おうが勝手だがな、俺に押しつけるんじゃねぇ。大体テメェ、いつもヘラヘラして綺麗事ばっかり抜かしやがって気持ち悪ぃんだよっ! わかったか、このブフォ!?」


 リヴェンの横っ面に雑巾がぶつかった。


 誰かが出入り口から投げたのだ。首を巡らせると、雑巾を握り締めたレイゲンと、「俺のまで投げんなよ」と、呆れた顔をするルカがいた。


「どうして雑巾をリヴェンにぶつけたんですか? リヴェンはレイゲンさんの悪口なんて言っていませんよ」


 汚れた雑巾を投げつけられたリヴェンが可哀想だった。レイゲンに理由を問うと、彼は眉間に手を当て悩むような仕草をした。レイゲンの手から雑巾を奪ってルカが意地悪く笑う。


「お前に暴言吐いてたからに決まってるだろ。言わせんな恥ずかしい」

「そうだったんだ。レイゲンさんは本当に優しいんですね」

「……なんの話だ。それはルカが勝手に言っているだけだ」


 真顔で否定され、やはり自分なんかのために行動してくれるわけがないんだと、フェイヴァは意気消沈した。


「まーたお前はそういうこと言う」


 ルカがやれやれとばかりに、肩をすくめた。


「……何してんだテメェッ!」


 足下に落ちた雑巾を踏みにじり、リヴェンが吠えた。握り締められた拳は震えている。リヴェンの様子が燃え盛る炎なら、レイゲンは閑寂とした湖のような平静さを見せていた。嘲笑のごとく口の端を上げる。


「まさか当たるとは思わなかった。この程度も避けられんようなら、お前の実力など高が知れているな」

「舐めやがって……この大木野郎が!」


 リヴェンは床を蹴ると、レイゲンに肉薄した。振り被った拳はレイゲンを捉えることなく空を打つ。右、左、足下を狙った蹴りもすべて避けられて、リヴェンは歯を軋らせた。


「なんだこいつ、化物かよ」

「……自分の力のなさを他者のせいにするな」

「あぁ? もう一回言ってみろっ!」


 リヴェンの怒りはとどまることを知らず、レイゲンに拳を繰り出し続ける。避けるレイゲンの顔は涼しく、端から見ていてリヴェンが可哀想になるほどだ。


「あわわわわ。どうしよ、止めないと」


 しかしリヴェンをなだめる方法が思いつかない。フェイヴァは立ち尽くした。その横をルカが通り過ぎていく。フェイヴァが持ってきた桶で雑巾を濡らし、絞った。


「んじゃ、俺は床拭いてくから。お前はゴミを集めてくれよ」

「ルカ、リヴェンを止めなくていいの?」

「もうすぐやめるだろ。そろそろ来るぞ」


 ルカの言った通り、広場前の通路を歩く人物の姿があった。もっさりとした髭と髪を生やしたべリアル教官だ。彼はリヴェンたちの様子に気がつくと、腕に抱えていた書類を投げ出し広間に飛び込んできた。


「貴様らっ! 私闘は禁止だと言ったろうがっ!」


 怒れる教官からの処罰を恐れて、私闘を中断したリヴェンはレイゲンを指差す。ほぼ同時に、レイゲンも自身の足下に指先を突きつけていた。


「こいつが先にしかけてきやがったんだよ!」

「リヴェンがふざけて遊んでいます」

「見ればわかる」


 べリアルは二人の顔を交互に見、そしてリヴェンに歩み寄った。黒々とした藻のような髪の間から、獣を彷彿とさせる険しい瞳が覗く。


「エリッド。貴様の話は聞いているぞ。掃除をサボってばかりいるそうだな」


 教官に対する態度が品行方正なレイゲンと、普段から問題ばかり起こし授業も掃除も怠けるリヴェンでは、積み上げてきた信頼が違った。結果としてリヴェンは信用されることはなく、教官の鉄拳制裁を受けることになった。べリアルが拳を引き絞る。鍛えられた筋肉がたわむのが、服の上からでも見てとれた。


「ちょっと借りるぞ」


 フェイヴァが疑問を発する前に、ルカがフェイヴァの持ってきた雑巾を投げた──リヴェンの足下を狙って。振り下ろされたべリアルの拳を横に跳んで避けたリヴェンは、ルカが投げた雑巾に足を取られ、滑って転んだ。


「あぁっ!? なん、これ──っ!」


 派手に転倒したところで、とどめの一撃とばかりにべリアルの拳が激突する。まさに踏んだり蹴ったりである。


「ぶっはっ!? まさかほんとに転ぶなんてな」


 ルカは吹き出して、堪えきれず笑いだした。


 得意気に教官の拳を避けながら、無様に転げ驚愕とした顔をしたリヴェン。その表情の落差は確かに少し面白かったが、同時に彼が哀れでもあった。


 無愛想な顔つきを崩さないレイゲンでさえ、顔を俯けて笑いを堪えているように見える。


「……ルカって時々リヴェンには酷いことをするよね」

「あいつ調子のってるからへーきへーき」


 右手を顔の前でひらひら動かして、ルカは無邪気な少年のような笑みを見せた。


「来いっ! 罰として貴様は教官室の掃除だっ!」

「覚えてろよテメェらっ!」


 べリアルに引き擦られていくリヴェンを見送って、ルカは掃除を再開した。


「今日も平和だなぁ」



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