02.騎乗訓練◇
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ロートレク王国、都市ネルガル。公共区には、優秀な兵士を育成するための施設、ウルスラグナ訓練校が建設されている。広大な練習場の脇には竜舎が併設され、二十七頭の翼竜が飼育されていた。
長距離を移動するための手段である翼竜。彼らは神世暦の頃から人間とともにあった。
人類がまだ、最北の地──今で言うユーフォリア国に留まっていた時代。翼竜は山岳地帯に巣を作り、魔獣を餌にしていた。ときおり人里に降りてきては家畜や人を襲っていたため、その昔は翼竜も魔獣の一種だと考えられていたようだ。しかし、それを否定する少数民族がいた。彼らは翼竜の巣近くに居を構え、卵を奪取し孵化した幼竜を調教して乗りこなしていたのだ。
翼竜と魔獣の明確な違い。それは人が乗りこなせるという、一点だった。
やがて調教の仕方や飼育法が確立されると、調教師と呼ばれる者たちは翼竜の卵を探しに山岳地帯へと立ち入った。卵から孵った竜は、野生種よりはいくらか凶暴性が和らいでおり、訓練さえすれば人間でも乗りこなすことが可能だった。空を翔る彼らは、人間にはなくてはならない存在となっていったのだった。
神世暦が始まって千年あまりが経過した現在、卵から孵した翼竜を飼育し、人に貸し出す“騎竜”と呼ばれる職業を生業にする者も増えた。飼育するにも資格が必要で、必要な飼料は馬鹿にならないため、個人で所有するのは禁止されているが、騎竜に金さえ払えば誰でも翼竜を借りることができるし、一日分の食事代ほどの金額を上乗せすれば、騎乗技術を身につけた人間を雇い、旅行をすることもできた。翼竜は今や、人間にとって身近な存在となっている。
国に届け出をして営業している騎竜でさえ、
どんなに多くても二十頭の飼育が限界らしい。ロートレク王国の支援を受けているウルスラグナ訓練校では、翼竜を二十七頭も揃えている。翼竜の世話役も、欠員が出ないように雇ってあった。訓練校の規模としては、破格の頭数である。
二月後に迫っているのは、遠征と呼ばれる試験だ。十七年前に住民が惨殺された、ペレンデールという都市がグラード王国にはある。翼竜の頭数の関係により、二十四人と三人の教官でその都市に向かい、四人の班に別れて一泊二日を過ごすのだ。都市は魔獣の巣窟であり、食糧は自分たちの手で見つけなければならない。実地試験よりも数段過酷だった。
遠征に向けての翼竜の騎乗訓練が始まった。石造りの校舎を見下ろすようにして、二十六頭の翼竜が飛んでいる。信頼できる主に出会えた翼竜たちは、心なしか楽しそうに空を羽ばたいていた。群青色の鱗が、陽光を受けて星屑のようにきらめく。
グイード教官の指示によってコツを掴んだ訓練生たちは、元々の運動神経の良さもあり、一時間もかからずに翼竜を操れるようになっていた。ほとんどの訓練生がロートレク出身だったが、中には他国からやってきた者もいる。彼らは船ないし、騎竜で翼竜を借りてここ、ネルガルにやってきたのだ。翼竜を乗りこなすのも苦ではないようだ。
その中でも一際巧みな手綱捌きをしているのはレイゲンだ。翼竜はレイゲンの動作に合わせて雄大な空を翔る。彼は反審国組織の一員で翼竜の扱い方はすでに心得ていた。少し遅れて空に飛翔したのは、ルカとハイネとリヴェンだ。レイゲンと同じく騎乗経験があるらしく、教官の指導などほとんど聞かずに乗りこなしてしまっていた。
訓練を開始して三時間後。訓練生たちが空に飛び立ってしまった一方、フェイヴァはたったひとり、練習場の砂の上でグイードの指導を受けていた。
「お前に足りないのは何か。それは断固として従わせようとする意志だっ!」
ひょろりとした体躯が印象的なグイードが語気を荒げた。鋭い目つきは翼竜を思わせる。彼は騎乗方法や翼竜の世話の仕方を指導していた。
「お前は優柔不断で軟弱だ。翼竜には毅然とした態度で接し、決して弱味を見せてはならん。翼竜にとって今のお前は、そこらに生える雑草と同じだ。指示を聞く価値もない、ごみと同じよ!」
(そんなことを言われても……)
フェイヴァは手綱を握ったまま、教官の言葉に耳を傾けた。前かがみになり弱気なところを見せるといけないらしいので、背筋を正して前を見据えている。
「さぁ、もう一度やってみろ! 助骨が折れるまで翼竜の胴を蹴れ! 口が裂けるまで手綱を引くんだっ!」
(そんなの可哀想……)
「返事はっ!?」
「は、はいっ!」
人間がどんなに力を込めたとしても、助骨は砕けないし口は裂けない。けれども、それくらいの力を持ってことに当たらなければ、翼竜を従わせることはできないのだ。翼竜が乗り手を侮るのが一番危険なのだから。
理解していても、実行に移せるかはまた別の話だ。フェイヴァは翼竜の胴を力一杯蹴りつけることに抵抗があった。翼竜は見境なく人間を襲う魔獣とは違う。昔から人間の暮らしに寄り添ってきた、大切な相棒だ。そんな彼らを痛めつけて悲鳴を上げさせることは耐えられなかった。フェイヴァにできることと言えば、翼竜の胴を軽くぽんぽんと蹴るくらいだ。案の定舐められ、訓練が始まってからもう十回も鞍から振り落とされている。そのたびに教官が翼竜を宥め、フェイヴァを怒鳴りつけた。
(え~っと、お母さんはどうしてたっけ)
胴を思い切り蹴らなくていい方法を考えたい。フェイヴァはディーティルド帝国の兵器開発施設から脱出した時のテレサを思い返した。興奮する翼竜を、テレサは撫でて落ち着かせていた。
「大丈夫、怖くないからね……うひゃあっ!?」
手綱から手を放し、翼竜の首を撫でようとしたフェイヴァは、振り落とされそうになり翼竜にしがみついた。翼竜は苛立ったように叫び、身体を激しく揺らす。グイードが慌てて駆け寄り、翼竜を落ち着かせた。
「お前は私の話を聞いていたのか、このアホが! 騎乗中に翼竜を撫でる奴があるかっ!」
「す、すみません」
フェイヴァとしては平和的解決を目指したいのだが、翼竜には通じないようだ。
どうすればいいのだろう。翼竜に乗る前のテレサのことを、改めて思い返す。彼女は襲いかかってきた翼竜を、光の盾で防いでいた。力の差を思い知らせてやることが、やはり重要なのだろう。
(何も本気で蹴りつける必要はないんだ。振りをするだけなら)
姿勢を正し深呼吸をすると、フェイヴァは心を決めた。渾身の力を出して翼竜の胴を蹴りつけようとする。胴に当たる直前で足を止めた。
その一瞬、翼竜は身体を大きく震わせた。フェイヴァと自分の間にある望洋とした力量の差を理解したらしい。両脚で地を蹴ると、空に飛び上がった。
フェイヴァはほっとして吐息をこぼした。鞍の下で、翼竜の筋肉が力強く動くのを感じる。フェイヴァの身の丈を越えるほどの翼を羽ばたかせ、翼竜は風になる。全身に吹き渡っていく風を感じる。死天使の翼の方が空を速く飛ぶことができるが、自分の労力を使わず飛行するのも楽で良かった。フェイヴァは元々、空を飛ぶのが好きなのだ。
雄大な空を飛んでいると、自分の悩みがとてもちっぽけなものに感じられて、まだ頑張れるような気がする。
フェイヴァの翼竜は、その獰猛な顔に似合わないくらい、か細い鳴き声を発していた。怯えた子犬もこんな声を出すのだと、フェイヴァは動物図鑑で学んでいた。とても怖い思いをさせてしまったようだ。落ち着かせようと、今度こそテレサのように翼竜の頭を撫でた。腕に装着した籠手が、かちゃりと音を立てる。
「大丈夫。私は悪い死天使じゃないよ。痛くしないからね」
しばらく撫でていると、翼竜は徐々に平静を取り戻していった。自分の気持ちを理解してもらえたような気がして、フェイヴァは嬉しくなる。
「私たち、これから一緒に頑張っていくんだから、何か名前を考えないとね」
フェイヴァは翼竜を見下ろしてしばし黙考する。
「そうだなぁ。口がガーってなってるからガーちゃんかな。よし、決まり! よろしくね、ガーちゃん」
言葉の意味が理解できなくても、フェイヴァの嬉々とした表情に不吉なものを覚えたのだろう。翼竜は再び、心細そうな鳴き声を発した。
「そいつ明らかに嫌がってないか?」
羽ばたきが生み出す風圧を感じ、次いで朗らかな声を聞く。そばを通りかかったルカが苦笑を浮かべていた。
ルカは後ろを振り向くと、ぐっと親指を立てて見せた。彼の視線の先にはレイゲンがおり、頷くのが遠目に見える。翼竜の胴を蹴りつけ、フェイヴァの視界から消えていく。
「お前ずっと飛び上がれなかったろ。あいつ心配してちらちら見てたんだよ」
「本当? 嬉しいなぁ。レイゲンさんは優しいね」
他者の優しさに触れる機会が少ないフェイヴァにとって、誰かに心配してもらえるのは胸が熱くなるくらいに幸福なことだった。
「ルカは翼竜にどんな名前つけたの?」
「ゴルゴムだ。目の辺りがなんかそんな感じだろ?」
「……どんな感じ?」
ルカが騎乗する翼竜の目元は凛々しいが、どう見ればゴルゴムという名前に結びつくのかわからなかった。けれども面白い響きの名前である。ルカの溢れる言語感覚を、フェイヴァは少し羨ましく思った。翼竜もルカにつけられた名前を気に入っているのか、悲しげに鳴いたりしない。彼は手綱を緩めていたが、翼竜は自分勝手に飛ぶことなくその場で羽ばたいている。ルカを主だと認めているのだ。
「すごいねルカは。訓練校に来る前に何回か乗ったことがあるんでしょ?」
「ああ。昔習ったんだよ」
「もしかしてお父さんから? いいなぁ」
ルカは頭を掻いた。いつも明るく人懐っこい彼らしくない、暗い色が面を過ぎる。
「いや、俺に親はいない。孤児院……かな、そこで育ったんだ」
ウルスラグナ訓練校の生徒の半数は孤児だった。中には好戦的な者や妙に戦い慣れしている者もいて、訓練校に入る前にどんなに過酷な環境に身を置いていたかを想像させた。彼らと比べれば、短い間だけでもテレサと穏やかに暮らせた自分は、幸せ者なのだという気がフェイヴァにはする。
「ごめんね……」
気まずさに視線を落とす。ルカが軽く吹き出した。
「やめろよ。別に悪い思い出じゃねーから」
「う、うん。……孤児院はどんなところだったの? 先生は優しかった?」
「んー。中には優しい人もいたけど、ほとんどがめっっっちゃ厳しいぞ。ちょっとサボると蹴ったり殴ったりしてくるし。入った頃は泣いてばっかりだったな。まぁ、ハイハイ言うこと聞いてりゃいいから、慣れてきてからは三人で好き勝手してたな」
「三人?」
「俺とハイネと、アーティっていう女の子がいるんだ。血は繋がってないんだけど、昔から一緒だから妹みたいなもんだ」
こんなに深く、ルカの過去を聞いたことはなかった。昔から面倒を見てきた、妹のような女の子の存在。彼女と過ごしてきたから、ルカは面倒見のいい性格になったのだろう。
ルカは穏やかな表情を浮かべている。施設での暮らしを思い出しているのだろう。フェイヴァは、彼の瞳を通して記憶を見てしまう危険を感じたが、心配するだけ無駄だった。フェイヴァの力はテレサのように万能ではない。自己抑制が強い人間には効果がないこともあると聞いていた。
「じゃあ、ふたりがいなくなって、アーティちゃん寂しいだろうね」
「ああ。……でも、今は寂しいとか考えられないと思う」
「どうして?」
「あいつ、侵蝕病なんだ。二年くらい前から寝たきりで、もう喋れない」
「そうなんだ……」
フェイヴァは、ユニたちと初めて一緒に出かけた時に見た、侵蝕病を患った少年のことを思い出した。出歩けるくらいだからまだ軽度だろうが、これからルカの妹と同じ未来が待ち受けているのだろう。
身体の細胞が悪性の腫瘍に変化してしまう病。それが侵蝕病だ。病状の進行速度に差はあれど、いずれは全身に腫瘍が転移し、激痛に苛まれながら死んでしまう。薬を使えば痛みを和らげたり進行を遅らせることが可能だが、とても高価な物であり、薬を買えずに死亡させてしまう場合も多いという。
「だからここに来たんだ。金を稼いで施設に送って、少しでも多く薬を買ってもらいたいからな」
「……ルカ」
ルカはなんという前向きな頑張り屋なのだろう。彼の置かれている状況を考えると、フェイヴァは涙があふれそうになる。
「なんて顔してんだよ。妹を助けたいって思うのは当たり前だろ」
「うん。そうだね」
フェイヴァだって、もしもテレサが重い病にかかり薬が必要だとわかったら、それがどんなに高価な物でも絶対に手に入れるだろう。彼の気持ちは痛いほど理解できた。
ハイネの声が聞こえ、ルカとフェイヴァは揃って同じ方向を向いた。ルカを探していたのだろう。遠方で空を飛んでいたハイネが、ルカに手を振っていた。
「んじゃ、もう行くわ。翼竜に振り落とされんなよ」
「うん、ありがとう」
ルカが強く胴を蹴ると、翼竜は弾丸のごとき速さで飛んで行った。ハイネの隣に並ぶと、二人は何事かを話し、都市の外周に沿うようにして飛行し始めた。
ルカと入れ替わりにフェイヴァに近づいてきたのは、ユニとミルラだった。二人とも強い風圧に髪を乱れさせていた。ユニなどはぶつくさ言って不機嫌になりそうなものだが、空を飛ぶという魅力には抗えないようで、興奮に瞳を輝かせていた。
「遅かったわね。待ちくたびれたわよ」
「フェイ、やっと飛べたんだ! よかったね」
「うん。情けないところ見られちゃったね」
三人の中で最も速く空に飛び立ったのは、ユニだった。思えば、ユニが腰を落ち着けた直後から翼竜は異様に大人しかった。目を泳がせ、ときおりか弱く鳴く。ユニが力を入れずに胴を蹴ると、咆哮し空に舞い上がった。普通ならばフェイヴァのように振り落とされ、のしかかられそうになるはずなのだが。
「フェイは難しく考え過ぎなのよ。こんなの楽勝だって。見てよ、アタシの翼竜大人しいでしょ? アタシの美しさは翼竜にも通じるのね。あぁ……罪な美貌だわ」
「それは違うと思う。……明らかに怯えてるし」
ミルラの言う通り、翼竜は畏縮していた。翼竜の異様な様子をグイードは見ていたが、訓練生に危害を加える様子がなければ、特別に注意はしなかった。ユニの翼竜は恐ろしいほど彼女に従順なのだから。




