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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
4章 実地試験
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11.心の傷◇

 フェイヴァは地を蹴ると疾走した。風が頬を撫でたかと思うと、次の瞬間には熊に肉薄している。首が巡らされる前にフェイヴァは軽く跳躍した。半身を捻り【絶壁(グレイシャー)】の前肢を蹴りつける。回し蹴りは、フェイヴァ自身でも驚くほどの遠心力と破壊力を生み出した。毛皮は破れその下の肉が飛び散り、骨は枝のごとく砕ける。熊が激痛に悲鳴を上げる前に、ルカの横に駆け戻った。


 フェイヴァの指差した方向を見ていたルカは、散々その周辺を見渡したあと、フェイヴァに視線を向けた。


「なんだよ、何もないじゃねーか」

「ごめん、木の影が魔獣に見えたみたい」

「お前目が悪すぎるぞ」


 ルカの呆れた声に、魔熊の絶叫が被さった。驚いて振り向いたルカは、さらに仰天する。当然だ。よそ見をしている間に、なぜか熊の右前肢が折れているのだから。


 ルカの視線がグレイシャーから外れている間にできることは、これくらいのものだった。もう少し時間に余裕があったならば、頭部を破壊し殺することもできる。だが、それはやり過ぎというものだろう。ルカやリヴェンがフェイヴァに不審を抱くきっかけになるかもしれない。


「なんだ!? なんであいつ前脚折れてんだ!?」

「き、きっと体重が重すぎて脚に限界がきたんだよ」

「なんで今なんだよ! んなわけあるか!」


(……言わなきゃよかった)


 深く考えずに発した言い訳は即座に否定された。これなら何も言わず、首を横に振っていればよかったかもしれない。


 フェイヴァは振り向いて、鼠と戦っているリヴェンを見た。危ないようならすぐにでも助けに入るつもりだった。しかし、心配するだけ無駄だったようだ。リヴェンはたったひとりで問題なく三匹の【地を弾む(スライト)】を相手にしていた。接近し振り下ろした刃は、小さな体躯からは考えられないほどの威力で鼠の身体を斬りつける。深々と刻まれた傷に、鼠が怯む。頭を踏みつけると首を落とした。


(リヴェンは確か、実技成績が六位くらいなんだっけ。それくらいの実力なら、小型の魔獣を相手にするくらいわけないのかもしれない)


 フェイヴァは再び、呻く熊に視線を戻した。背中に負っていた大剣を抜き、両手で構える。


「よくわかんないけど、今が好機だよ! たたみかけよう!」

「お、おう!」


 右前脚を粉砕されたことにより、グレイシャーは巨体を支えられなくなっていた。肉を斬りつけられたのとはわけが違う。骨まで砕けているのだ。治癒力に優れているといっても時間がかかる。前のめりに地面に突っ伏し、苦し気な悲鳴を上げている。フェイヴァとルカが距離を詰めていく。


 グレイシャーは口を大きく開いた。口腔で瞬く黄緑の光。電撃放射がくる。


 電撃が放たれるまで残された時間。ルカを追い抜き熊に攻撃し、電撃放射を止めることがフェイヴァには可能だった。しかしそんなことをすれば、自分の正体を見せつけることにしかならない。


 フェイヴァは踏みとどまると、右足を後ろに跳ね上げた。背後で走るルカを蹴りつけ、電撃の範囲から逃れさせるつもりだった。力の加減はできている。怪我がないような安全な場所に、彼の身体を倒すつもりだった。


 しかし、避けられるわけがないと思っていた足は、かすりもしなかった。フェイヴァはぎょっとしルカを振り返る。


 彼はすでに場所を移し、電撃の射程範囲から逃れていた。


(──え?)


 疑問が頭をもたげたが、深く考えている時間はなかった。フェイヴァは咄嗟に地面を転がった。グレイシャーが放った電撃が、顔の横すれすれを走っていった。熱を帯びた空気がビリビリと肌を叩く。


 鮮やかな黄緑の閃光を撒き散らして、電撃は後方の木に直撃した。一瞬で黒焦げにする。炭化した幹が枝の重量に耐えきれず、半ばからへし折れた。


「さっき変な動きしてたな。緊張してわけわかんなくなったか? 大丈夫だって、俺たちが協力すればこんな奴らどうとでもなるさ」

「う、うん」


 ルカが駆け寄ってきた。助けようとしたのに、逆に励まされている。地面から跳ね上がったフェイヴァは、恥ずかしさを紛らわせようと駆ける足に力を込めた。


 二発目を放とうというのか、グレイシャーの口腔に空気が吸い込まれる。近距離で電撃を放たれては厄介だ。フェイヴァは両手で水平に構えた大剣を、熊の口めがけて突き出した。口内から血がほとばしり、熊がくぐもった絶叫を上げる。


「ルカ!」


 今の内に止めを。フェイヴァが背後のルカに声をかけようとした時には、彼の姿はフェイヴァの隣にあった。グレイシャーの顔面を足場にして宙に跳び上がった。ルカは大剣を熊の首に振り下ろす。魔熊は絶叫し、頭を滅茶苦茶に振った。刃はその重量を熊の首に伝えきれず、脊椎に当たって止まった。


 死の間際に繰り出される力は想像していたより凄まじく、フェイヴァの両足は堪えきれずに吹き飛ばされた。地面に転倒し背中を打ちつける。熊の口から抜け落ちた大剣が、地面に突き立った。


「──くっ」


 フェイヴァは上半身を起き上がらせる。


 グレイシャーが頭を振った時に振り落とされたのだろう。地上に降り立ったルカが、大剣を構え熊の出方を窺っている。


 グレイシャーの右前脚は再生を終えていた。たくましい前脚で地を掻き、鱗に覆われた頭部を低くしながら、熊は血の色をした瞳をルカに定める。


 フェイヴァはリヴェンの様子を見た。さきほどより鼠の数が増えている。五匹の鼠がひっきりなしにリヴェンに顎を突き出している。後衛の鼠が尾を立ち上がらせて、生み出した火球を放った。


 助けようと足を踏み出したフェイヴァは、その場にとどまった。


 足下を掬うように突き出された鼠の顎を、リヴェンは蹴りつけた。と同時に左手を地につけて身体を屈め、炎を避ける。攻撃に回避動作を繋げる。流石は実技成績上位と言ったところか。


 フェイヴァの聴覚は、凄まじい速度で駆けてくる足音を聞いた。地響きは先ほどから近づいていたはずだが、戦いに集中していたせいで意識に引っかかりもしなかった。


 木立の奥から接近してくる巨体。大口を開け、赤い口内を覗かせる。口腔に瞬く黄緑色の光。


(まずい)


 フェイヴァは駆け出した。鼠を相手にしていたリヴェンを後ろから抱くと、そのまま転がるように右に跳んだ。


 放射された電撃が、フェイヴァたちの間近を過ぎていった。巨体で木々を薙ぎ倒しながら、もう一頭のグレイシャーが現れたのだ。二人に顔を向けると、地響きを伴い突進してくる。


「ちっ、余計なことしやがって。ザコはテメェのことだけ考えてろ!」


 リヴェンに罵倒されたが、フェイヴァには傷ついている暇はなかった。襲いかかってきた鼠を後方に跳んで避ける。視線を走らせ、敵の数を数えた。


 フェイヴァとリヴェンは、五匹の鼠に囲まれている。新たに現れた熊は嬉々として接近してくる。そして、ルカが相対している、もう一頭の熊。


(……敵の数が多すぎる)


 俺たちが協力すればこんな奴らどうとでもなる。


 それは、敵の数が少ない場合だけだ。今や魔獣の数は七体にまで増え、その内の二頭は大型だ。ルカとリヴェンでは、大型の魔獣を容易く倒すことはできない。


 わずかな時間、ふたりの意識を反らし、グレイシャーの動きを止めることくらいはできる。しかし、いくら人間以上の能力を持つ死天使でも、目撃されずに仕留めるのは不可能だった。


 フェイヴァが正体を知られることをいとわなければ、この状況を打破することができる。それがわかっていても、フェイヴァの中には強い躊躇が生まれていた。


(ふたりに怪我を負わせたくない……でも)


 フェイヴァの脳裏に過るのは、兵士に虐げられた記憶だった。彼らは人間でないフェイヴァを憎み、大剣を振り下ろした。痛めつけてフェイヴァに反抗の意志がないか確かめるという大義名分も消え失せ、フェイヴァを破壊するために容赦のない攻撃を加えてきた。


 ここでフェイヴァがふたりを救ったとして、ふたりがフェイヴァを不気味に思わないという保証はなかった。ウルスラグナ訓練校は各国から優秀な人材を集めている。その内の誰かは、死天使に故郷を、大切な人を奪われた可能性があるのだ。彼らがフェイヴァの正体を知ったら、ダエーワ支部でフェイヴァが受けた苛烈な暴力と同じものを振るわれるかもしれない。


 それが、震えるほど恐ろしかった。


(私、ずっと人の役に立ちたいって思ってた。誰かを助けることで、輪の中に入れてもらいたかった。それなのにこんな状況になった今、ふたりを助けるよりも自分の気持ちを優先するだなんて……)


 なんて浅ましいんだろう。嫌悪感が湧き上がるが、それが行動に反映されることはなかった。


 内に閉じ籠っていたフェイヴァの意識は、鈍い痛みにより現実に戻された。リヴェンに蹴られ転んだ身体の横に、グレイシャーが突っ込んできたのだ。あのまま座り込んでいたら、熊の下敷きになっていただろう。


「この腑抜けが! やる気がねぇならとっとと消えろ! 俺の手をわずらわせんじゃねぇぞ!」

「リヴェン……」


 彼の叱責を受けても、フェイヴァは動こうとしなかった。無意識は、死天使である身体を人間だと偽り続けた。


 甲高い獣の絶叫が、木々の葉をざわめかせた。フェイヴァははっとし、ルカの方を向いた。熊の爪が彼に振り下ろされていた。フェイヴァは瞠目し、震える声でルカの名を叫ぶ。


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