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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
4章 実地試験
52/226

10.忘れていた不安◇



◇◇◇



 失っていた意識が揺り動かされるほどの痛み。フェイヴァは苦痛をもたらすそれを払おうと、渾身の力で腕を振った。短い悲鳴がを打つ。


 フェイヴァはゆっくりと目を開けた。視界に映り込んだ光景が、自身のおかれた状況を認識させる。


 背中に触れる固い地面の感触。痺れるように痛む右腕に目を向ければ、籠手を形成する鋼板に牙の跡が残されていた。魔獣がフェイヴァの腕に籠手ごと噛みついたのだろう。鋼板には穴が空いていたが、その下の腕には擦り傷しかついていなかった。死天使の身体の頑丈さも理由だろうが、鋼板が牙の破壊力を殺してくれたのだろう。


 籠手に噛みついていた魔獣はどこに行ったのだろう。フェイヴァは左腕で身体を支え起こした。


「……あ」


 視点が変わったことにより、それは容易にフェイヴァの眼前に広がった。


 鼠の姿をした魔獣が木の樹に叩きつけられ、ひしゃげていた。頭から激突したようで、頭蓋は割れ中から赤黒い内容物がこぼれている。凄まじい衝撃だったのだろう。幹が悲鳴を上げて、フェイヴァは立ち上がりその場から駆け出した。魔獣がぶつかった箇所から幹が割れ始め、とうとう地面に落下する。フェイヴァに近づいていた鼠が避けきれずに、下敷きになった。


「……これ、私がやったの?」


 ぼろ布のように潰れている魔獣。無意識に振った腕が、こんなに凄まじい威力を出したなんて。


「やっぱり私は、化物なんだ……」


 ウルスラグナに入り、訓練生たちと一緒に授業を受ける内に。いつの間にか自分と人の間に明確な違いがあることを忘れていた。いや、忘却していたというよりも、意識の外においやって考えないようにしていた。外見は酷似していても、自分は人間とはかけ離れた死天使という存在なのだ。その異常性をまざまざと見せつけられて、フェイヴァの身は震えた。


 【地を弾む(スライト)】が身体をよじって、幹と地面の間から抜け出した。板を引っ掻いたような甲高い奇声を発す。耳に突き抜けるような音量は仲間を呼ぶためのものなのか、遠方から次々と応える声が上がった。


 鼠は体勢を低くし、フェイヴァの出方を窺っていた。耳をしきりに動かすと、増援を確信したのか、その名の通り地を弾んで襲いかかってきた。


 地面に放っておかれていた大剣を片手で持ち上げたフェイヴァは、横にまろぶと鼠の牙を避けた。振り向きざま、通り過ぎていく魔獣に大剣を振り被ろうとした。が──腕は動かなかった。


 自分を守るために生き物を手にかけることが、どうしてもできない。人を餌食にする血も涙もない化物だとわかっていても。


(……私ひとりだけじゃなかったら)


 守るために戦えるのに。考えて、はっとした。自分には、この外界を一緒に進んでいた仲間がいたのだ。


(サフィは!?)


 スライトが飛びかかってくるのを、周囲の木の位置を確認しながら避けつつ。フェイヴァはサフィの姿を探した。十歩ほど離れた場所に、事切れた熊と猿の死体がある。赤黒い血溜まりから、濃い腐臭がした。


 自分が気を失ったせいで、サフィが殺されてしまったかもしれない。そう予感していたフェイヴァは、ほっとした。倒れたサフィも、真新しい赤い血痕も見当たらない。運よく逃げられたのだろう。


(……そういえば私、怪我をしたはず)


 猿に噛まれた太股の痛みを思い返した。死天使の身体は、人間だと数日かかる怪我を、一時間足らずで修復してしまう。サフィは肌が再生していくさまを見ただろうか。もしも目撃されたなら終わりだ、と思う。


 嫌な予感に胸騒ぎがし、気分が悪くなるほどだった。少し目線を下ろすだけでいいのに、その決心がつかない。


 フェイヴァは大きく深呼吸し、覚悟を決めて自身の足を見下ろした。


 制服の下の太股。傷があるはずのその場所には、何故か葉が付着していた。血が糊代わりになったのか、少し動いたくらいでは剥がれない。手で払うと、千切れて細かな欠片となり、風にさらわれていった。怪我をしていたとは思えないほど、白い肌が覗く。


(この葉っぱ、いつ貼りついたんだろう。ずっとくっついたままだったなら、皮膚が再生し始めても見えないだろうけど)


 牙で裂かれた制服に、傷ひとつない肌。これではあまりに不自然だ。


 フェイヴァは一回の跳躍で手近な木の枝に跳びつき、そこに腰かけ手早く包帯を巻いた。木の下では、鼠が幹に爪を突き立てている。


 新手の声が近づいてくる。後方に捉えた、目玉が飛び出さんばかりに見開かれた猫。引き連れているのは、鳴き声に召集された鼠だ。


 フェイヴァは地上に飛び下りると、散弾銃を拾い腰の帯に吊った。鼠が放った火炎を躱して逃げ出す。



***



 襲いかかってくる魔獣を避けつつ、門扉を目指した。人の目さえ気にしなければ、魔獣の攻撃を避けることなど造作はなかった。飛び込んでくる魔獣の到達地点を予測し、近ければ離れ、遠ければそのまま走り抜ける。


 ほとんどの班が踏破したあとなのか、獣道にはぐずぐずに腐った魔獣の死体が溢れていた。蝿が騒がしい羽音を響かせながら集っている。ほとんどの死体が胴体を斬り刻まれていて、幼体が産まれる様子はない。


 駆ける足下に、鈍い振動が伝わってくる。鼠のものとも猿のものとも違う大音量の咆哮が、フェイヴァの肌を叩いた。


 フェイヴァは駆ける足を速めた。魔獣もフェイヴァの存在を感じ取ったのか、地響きの間隔が短くなる。地を蹴り近づいてくる重々しい足音。進路を妨害する樹に構わず突き当たり、へし折った。幹が軋み折れ、地面を大きく揺らした。


 フェイヴァは自分を追ってくる魔獣の巨大さに目を奪われた。気を失った場所で腐り始めていた熊よりも、一回りも大きな身体が樹の影からはみ出している。


(このまま走っていれば追いつかれない)


 相手の足は速いが、それでもフェイヴァに追いついてこれる速度ではない。その上そびえる樹木が、直進をすんなりと許しはしない。


 大丈夫だと高をくくっていたその時、頭上から風の流れを感じた。後ろを振り返りながら走っていたフェイヴァは、突如顔に走った痛みに歯を噛み締めた。硬質化した爪でできた鋭い刃が、頬を掠り地面に突き刺さった。


 フェイヴァは足を止め、樹の上を仰ぐ。猿型の魔獣が、きゃらきゃらと耳に残る声で笑っていた。それは枝から飛び降りると、フェイヴァの目の前に着地する。


 後方は巨体を誇る魔獣。前方には【酩酊する刃(アンダニム)】しかし、フェイヴァは焦りを感じなかった。このまま突き進み、猿を跳び越え置き去りにするだけだ。


「伏せろ!」


 フェイヴァは、聞き覚えのある声に身体を静止させた。行動に移っていたら、自らの異常さを告白する事態に陥っていただろう。


 言われたまま身を伏せる。直後、大気を震わせるほどの音と熱が押し寄せた。


 フェイヴァに飛びかかろうとした猿が吹き飛ぶ。幹に叩きつけられた身体には、黄緑色に明滅する電流が走っていた。


「よかった、無事みたいだな」


 樹の影から走ってきたルカは、いまだ電流をその身に走らせる猿に肉薄し斬り捨てた。しかし踏み込みが足りなかったのか、刃は首の中程までしか進まず、猿は距離を離して小馬鹿にするようにけたたましく笑った。首に刻まれた斬り傷がくっつき始める。


 ルカの横を通り過ぎたリヴェンが、目を疑うような速度で猿に迫り大剣を薙いだ。


「死ねオラァッ!」


 首は今度こそ断ち斬られ、地を弾んだ。樹の幹を蹴り急停止した小柄な身体が振り返り、フェイヴァを睨む。


 ルカとリヴェンが来なければフェイヴァは簡単に逃げられたのだが、助太刀を余計な世話だと思えるほど、フェイヴァは人の善意に慣れてはいなかった。


 ふたりが自分を助けようとしてくれた。その事実がとてつもなく嬉しい。フェイヴァは思わず二人に駆け寄った。


「二人とも、ありがとう」

「フェイヴァ、後ろ!」

「えっ? あっ!」


 大きく口を開いたルカに呼びかけられ、フェイヴァは背後を振り向き、その場から離れた。喜びのあまり存在を忘れていた熊が、大口を開け襲いかかってきたのだ。余裕で避けることができたが、ふたりの目があるため、フェイヴァは辛うじて回避したように見せかけた。


「おい。ザコの癖に今のよく避けられたな」


 フェイヴァの試験成績からは結びつかないびんしょうさに思えたのだろう。リヴェンに指摘されフェイヴァの口許が引き攣る。


「なな、何を言ってるの、今はそれどころじゃないよ!」

「フェイヴァの言う通りだ。まずはこいつをどうにかしなきゃな」


 フェイヴァの隣に足を運び大剣を構えたルカは、リヴェンを一瞥した後、方向転換をした熊【絶壁(グレイシャー)】に視線を定めた。


「フェイヴァ、銃で援護を頼む。俺達が時間を稼ぐから、リヴェン頼むぞ」

「俺に指図するんじゃねえ」


 文句を言いつつも、リヴェンは瞳を閉じた。内なる声に耳を傾けているように、微動だにしない。


(リヴェンも覚醒者なんだっけ)


 ウルスラグナ訓練校に入学してから、フェイヴァも覚醒者が使う能力について学んでいた。【(ヴォーデン)】【(フラム)】【(アイル)】【ヴィエトル】。そしてフェイヴァやテレサのように人の過去を垣間見る特殊能力。リヴェンはその中でも最強と目される、ヴィエトルの能力の持ち主だった。風という名に相応しく、自らの敏捷性を引き上げたり、曇天から地上を貫く雷のような一撃を発生させることができる。


 しかし、超常現象を引き起こすことのできる能力は、精神集中を行わなければ発現させることができない。


 そこが、相手の精神を見ることができるテレサとフェイヴァと違うところだった。テレサもフェイヴァも、精神集中の時間を必要とせず力を使っている。それは能力の違いというだけでは、説明できないような気がした。


 フェイヴァは帯から散弾銃を引き抜くと、射撃準備を行った。空気が爆ぜる音を響かせながら、撃ち出された散弾は熊の顔面に直撃する。唾液が滴る口から野太い吠え声が上がった。傷みを感じているのか、首が大きく振られる。赤墨色の血が飛び散り、下生えを濡らした。


 ルカが動いた。大きく踏み込み熊に接近すると、斜めに大剣を降り下ろす。首にめり込んだ刃はしかし、骨に当たって止まった。熊は絶叫し、大きく首を振った。突き刺さった大剣が抜けてルカは一瞬よろめくが、横に跳んでリヴェンの能力の通り道を作った。


「リヴェン──」


 今だ。そう口を動かしたルカは、振り向いて絶句した。いつの間に囲まれていたのか、鼠がリヴェンの背後から迫っていた。彼は、飛び付いてきた一匹に刃を叩きつける。


「ぞろぞろ出てきやがって、このザコがぁ!」


 精神集中が中断すれば、力を発現させることはできない。せっかく作った好機が無駄になった。


 ルカの背後では、眼球が再生したグレイシャーが興奮して叫んでいる。


(この状況、どうにかしなきゃ。ふたりが危ない)


 フェイヴァは、こちらに背中を向け鼠の群れを相手にしているリヴェンと、彼を口を大きく開けて見つめているルカを交互に見た。そしてルカの方に身体を向けると、唐突に明後日の方向を指差す。


「あっ!? ルカ、あれ!」

「えっ!?」


 如何にも絶望が色濃い声で叫ぶと、それに釣られたルカがフェイヴァの指差した方向に身体を向ける。


 その隙に、フェイヴァは自らの力を最大限に引き出した。

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