09.気休めにもならない◆
◆◆◆
鬱蒼としていた森は終わりを告げ、視界が開けた。石が浮き出た足場に、ささやかな雑草だけが生えている。そびえ立つ防壁の中央に、堂々と構えられた門扉が目にできた。
「ユニとフェイ、大丈夫かな……」
今日何度目かのミルラの台詞が聞こえて、レイゲンは溜息を落としそうになった。狼の魔獣から剥いだ爪を皮袋に投げ込む。二人分の皮袋は、隙間もないほどものを入れられて張り詰めていた。もう十分だろう。レイゲンは袋の口を閉じると立ち上がった。
「余計なことは考えるな。集中しろ」
「何それ! こんないつ襲われるかわからない場所で戦ってるのに、友達の心配をするのは当たり前だよ!」
顔をしかめてレイゲンに言い返したミルラは、前方から聞こえた魔獣の唸り声に肩を震わせた。散弾銃を構え敵の襲撃に備える。
レイゲンは背から大剣を引き抜くと、前に踏み出した。
「俺が先に行く。お前は遅れないようについてこい」
「う、うん」
ミルラの返事を聞くや否や、レイゲンは駆け出した。眼前に踊り出てきた鼠の魔獣を薙ぎ払う。胴と首を断たれた【地を弾む】は、血糊を撒き散らしながら視界から消えていった。
(退屈な試験だ)
魔獣を殺すことなど、レイゲンにとっては赤子の手を捻るに等しい。こんな簡単な試験で卒倒したり、怪我を負う者の気が知れない。
***
門扉の前に立つ二人の守衛士が、レイゲンたちの姿を確認し扉を開いた。出発点であり終着点である商業区の大通りは、通行人と見物人でごった返している。その一画には天幕が設けられていた。怪我を負って戻ってきた訓練生が手当てを受けるための場所だ。
約半数の訓練生がすでに集合している。初めての実戦を経て気抜けしたように座り込む者や、興奮に目を輝かす者。みんな怪我を負っていたが、天幕で治療を受けたのか、制服の隙間から包帯の白が覗いていた。ほとんどが軽傷のようだ。魔獣の領内で重傷を負うことは死に直結した。
出迎えたロイド教官に荷を渡すと、そばにいた試験官は出発から到着までの時間を計算し用紙に記入した。
「やはり、お前は何事もなく戻ってきたか」
「はい。どうということはありません」
ウルスラグナの教官たちは、反帝国組織の上層部からレイゲンが組織の一員であることは知らされていない。それでも、入学試験の成績や普段の振るまいから、レイゲンは他の訓練生よりも高く買われていた。
「クローセルは、怪我なはいか」
「はい」
「よし、ならば休憩していろ」
ミルラはそそくさとレイゲンのそばから離れると、周囲に首を巡らせた。ユニを探しているのだろう。
大剣を背中の帯から外し足下に置いたレイゲンは、通りの欄干に腰を落とした。一息吐いて、遠くなっていくミルラの背中を見送る。なんとはなしに、ミルラと普段一緒にいる少女のことを考えてしまう。
(何を考えてるんだ、俺は)
少女もレイゲンと同じく、人間を越えた身体能力を有している。死天使と違って、魔獣は少人数で打ち倒せることが証明されている。人間と同程度の動きを心がけたとしても、苦戦を強いられるはずがない。──にも関わらず、レイゲンの脳裏にちらついたのは、兵士たちから暴行を受け怯えていた少女の姿だった。レイゲンは懸念を意識の外側に押しやろうとした。
「あっ、ユニ!」
ミルラの弾んだ声が聞こえ、レイゲンは視線を上げた。前方に駆け出したミルラと、正面から歩いてくるユニの姿がある。彼女はハイネの後ろを、浮かない顔をして歩いていた。隣にいるサフィは足を引き擦っている。ユニと同じく、彼も自分がとてつもない間違いを犯してしまったかのように、顔を青くしていた。その表情が気にかかりレイゲンは立ち上がる。
「ユニ、お帰りなさいっ! よかった、心配してたの」
ミルラがユニに抱きついて、彼女は瞳を見開いた。驚愕の表情で固まっていた顔が、親友の姿を目にし安堵したのだろう。唇が震え、海を投影した瞳が潤む。
「ミルラ……」
「どうしたの? 怖いことは終わったんだから、泣かないで」
抱きついてきたユニを、まるで母のように支えミルラは背中を撫でた。そうしてはっとしたような表情になると、周囲に視線を巡らせた。黒い目がきょとんとした表情をつくる。
(あいつの姿がない……)
いつもなら、二人組と一緒にいるはずの少女。それが駆けてくる様子がない。死天使である少女が天幕で治療を受けているとは考えにくい。そう思い首を巡らせる。やはり、天幕の中にはそれらしい人物の姿はない。
「あれ? 一緒の班だったよね」
ミルラがサフィに問う。彼とユニが表情を曇らせたのを見て、レイゲンは思わず口を開いた。
「フェイヴァは、あいつはどこにいる?」
サフィは顔を伏せ唇を噛み締めた。ユニは顔を覆い、肩を震わせる。
「フェイは……」
「気を失ったからおいてきた」
ユニが真相を語る前に、ハイネの平板な声がレイゲンの耳に届いた。
「お、おいてきたって……そんなことしたら」
ミルラは瞠目し言葉を紡ぐ。外界に気を失った者を放置するとどうなるか。深く考えずとも答えに行き着くことができる。
「死ぬかもね。でも、あいつが悪い。こんな時に気を失うなんて」
興味がなさそうに言いながら、ハイネは視線をさまよわせる。ルカの姿が見えないのか、表情が不安げに曇った。
「……なるほど。お前たちは自分の身可愛さにあいつを見捨てたのか」
冷然とした声が口をついて出た。どうしたというのだろう。何も関わりがない人間が卒倒し外界に取り残されたというだけなら、間抜けもいたものだと一笑に付せられるというのに。
「この腰抜けどもが」
自分でも理解できない苛立ちを抱きながら、レイゲンは吐き捨てた。
サフィとユニは、揃って衝撃を受けたように顔を伏せた。ユニにいたっては大粒の涙を流している。後悔するくらいなら最初からやるなと言ってやりたくなる。
「誰が腰抜けだって? このふたりは、自分の実力を理解して決断したんだよ」
ハイネはレイゲンに歩み寄ると、虫襖色の瞳で睨めつけた。憂いを帯びた顔つきに反して、彼女が血気盛んであることをレイゲンは知っていた。
「いつ魔獣に襲われるかわからない状況で、気を失った奴をのろのろ運んでられない。それくらいあんたにも理解できるでしょ。上から目線もいい加減にしなよ。みんな、あんたみたいになんでもできるわけじゃないんだから」
「……ねえ!」
ハイネの言葉に言い返そうとしたレイゲンは、押し黙っていたミルラの声を受けて口を閉じた。
「今は誰が悪いとか話してる場合じゃないでしょ? フェイを探しに行ってもらえるように、教官に頼む方が先だよ」
尤もな意見だ。天幕に歩いて行くレイゲンに、ミルラとユニとサフィがついてくる。
訓練生たちが治療師に手当てを受けている横を通り過ぎる。天幕の奥で、椅子に腰を下ろし、べリアル教官が訓練生たちの成績を算出していた。レイゲンに気づくと、目だけを動かして見上げる。
「どうした」
レイゲンは踵を揃え敬礼した後、口を開く。
「訓練生がひとり、気を失って外に取り残されています。救助を願いたく参りました」
「……それはどんな馬鹿だ。外界での卒倒は死に直結すると、授業で教えたはずだ」
「……フェイヴァ・グレイヘンです」
「あいつか、困ったものだな。位置はわかるか」
「は、はい」
机に広げていた近辺の地形を記した地図を、べリアルが見下ろす。尋ねられて踏み出したのはサフィだった。ここです、と教官に指で示して見せる。
「遠いな。置き去りにしてどれくらいが経過している?」
「おそらく……一時間くらいだと」
べリアルは重々しい溜息を吐いた。
レイゲンは入学してから数回、反帝国組織と連絡をとっていた。内容は主に死天使の少女についてだ。彼女がウルスラグナの課す訓練を経て、どれほど実力をつけてきているか。死天使を相手にしたレイゲンだからわかる。今や少女の実力は、死天使三体と等価値だった。
学習し際限なく強くなることができる死天使。もう少女は、反帝国組織にとって失うことができない大事な戦力だった。その正体を明かすことはなくても、組織の上層部から少女を可能な限り無事に過ごさせるようにと通達されているのだろう。べリアル教官の苦悩の色は深い。
「捜索隊はすぐには編成できん。一時間も外界に取り残されれば死は免れん。グレイヘンが運よく目覚め、他の班とともに戻ってくることを祈るしかない」
「そ、そんな……」
今にも倒れてしまいそうな、ユニのか細い声が、後ろから聞こえた。
いくら反帝国組織の命令とはいえ、平等な試験の場で少女だけを特別扱いすることはできないのだ。このまま待っていても、捜索隊が外界に出るのは試験が終わってからだろう。表向きは行方不明者の捜索だが、実質訓練生の死体確認に過ぎない。
保護者のような教師が勉学を教える、共通校や高位校とは違う。ウルスラグナは兵士を育成するための訓練校だ。ここに入学を決めた時点で、自分の命は自分で守らなければならない。
(……あいつなら大丈夫だ)
気を失っていたとしても、易々と殺されることはないはずだ。彼女は人間よりも頑丈な死天使なのだから。
けれども、その思いは気休めにもならずにレイゲンの胸の中を滑り落ちた。焦りと戸惑いだけがある。自分が自分でないような気分だった。
「……了解しました。ならば私に行かせて下さい」
「危険だ。グレイヘンだけでなくお前まで失うわけにはいかん」
「私の実力はご存知のはずです。必ずや無事に戻ります。──許可を頂けませんか」
べリアルは地図に目を落とし、逡巡するような様子を見せた。しばし沈黙が続いたが、
「……いいだろう。だが、ひとりだけで行くな。それこそ死にに行くようなものだ。いいか、危険だと判断したらすぐに戻れ」
反帝国組織からの命令と、訓練生たちの平等さに板挟みになっている教官らにとっては、まさに渡りに船を得たようたものだろう。少女が生きて戻っても戻らなくても、レイゲンが独断で実行したと理由づけができる。
失礼します、と頭を下げレイゲンは天幕から出た。休憩していた場所に戻り、大剣が収まった鞘を帯で背中に固定する。
「レイゲン、お願い。アタシたちも連れて行って」
背中の帯に意識を向けていたレイゲンは、ユニに気づいて目を向けた。サフィとミルラも緊張を露わにしながら、ユニの横に踏み出す。
「フェイヴァは僕を助けて気を失ったんだ。どうかしてた。あのときどんなことをしても、連れてくるべきだったんだ」
「フェイが心配なの! レイゲンさん、お願い!」
揃いも揃って足手まといだった。魔獣を殺すことよりも、こいつらを守ることに神経を使わなくてはならないだろう。
「連れてってやりなよ。みんな自分の身くらいは自分で守るだろうし。死んだらそれまでだよ」
三人の言葉から事情を察したのか、天幕の外にいたハイネが歩み寄ってきた。
「……こ、怖いこと言わないで」
ミルラがハイネを睨みつける。
「……いいだろう。ついてくると言った以上、甘えは許さん」
レイゲンは三人を振り向いた。ユニとミルラは顔を向き合わせ決意を固めたように頷く。
「サフィ、お前は駄目だ。残れ」
「え……」
レイゲンが言わんとしていることを悟ったのか、サフィは自身の足を見下ろした。足に巻かれた包帯には血が滲んでいる。足の怪我以前に、水の能力を持つ彼が自身の傷を治癒していないということは、精神を集中できないほどに動揺しているということ。そんな状態の人間を連れて行けるわけがない。
「……わかったよ。僕の分までフェイヴァをお願い」
悔しそうに顔を歪めると、サフィは足を引き擦りながら天幕に戻って行った。
「ルカがまだ戻ってないから、一緒に行ってやってもいいよ」
ハイネが近づいてきたのは、それが目的だったのだ。こいつはルカ以外はどうでもいいらしい。
「これ以上足手まといは必要ない」
「酷いね。わたしはそいつらよりもよっぽど役に立つよ」
ハイネの言う通りだったが、ユニもミルラも不快に思ったようだ。二人して彼女を睨みつける。
「使える奴がいた方がいいでしょ。……まさか俺ひとりでも余裕なんて言わないよね?」
レイゲンはしばし思案する。万にひとつもありはしないだろうが、もしも自分に何かあった場合、ミルラとユニだけでは心許ない。ルカの安否にしか興味がないらしいハイネも、一応終着点までユニとサフィを連れてきたのだ。ミルラたちを連れて戻るくらいはするだろう。いないよりましだ。
「俺に何かあったら、こいつらを頼む」
「へぇ。あんた、そんな考え方をするんだね。役立たずは捨てて行きそうな顔してるのに」
(こいつ、俺をなんだと思ってるんだ。俺だって人並みに情くらいある)
レイゲンは三人に背を向け、門扉に向かって駆け出した。




